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2020/04/16

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  • A猪木 対 B・ダンカン(1980.12.26)

    今回紹介する試合は私が小6の時に初めて買ったプロレス雑誌(確か月刊プロレス81年1月号)に掲載されていましたので非常に記憶に残っている試合です。それは1980年12月26日、MSGで行われたA猪木対B・ダンカンのNWFヘビー級選手権試合でした。リングサイドではこの日、デビューしたばかりの「すごい奴」谷津嘉明が「師匠の背中」をじっと見つめています。その奴の視線に刺激されたのか猪木はいきなりヘッドバッドナックルパートショルダー・アーム・ブリーカーと大ハッスルしかしダンカンも急所攻撃からバックブリーカーで反撃しますが猪木は華麗なドロップキックで再び逆転最後はアリキック、延髄からのギロチンドロップで完勝に終わり、敵地防衛を果たしたのです。ハンセンと風貌が似ているばかりか大学の先輩であったダンカンですが翌年の新日リングで...A猪木対B・ダンカン(1980.12.26)

  • A猪木 対 P・オンドーフ(1980.10.30)

    まだ見ぬ強豪として、来日前から注目されていた「鋼鉄男」P・オンド―フが初登場したのは昭和55年秋の闘魂シリーズの事でした。終盤に差し掛かった10月30日、日の国・熊本大会に於いてA猪木と一騎討ちを行ったのであります。リング内に入った猪木めがけて花束を投げつけるオンド―フこの暴挙に猪木が睨み返しました。しかし開始早々、持ち前のパワーで猪木を捕え、ベアハッグで締めつけます。5分過ぎには、ネックブリーカー気味のラリアット更にはパイル・ドライバーを畳み掛け早い勝負を仕掛けますが逆に延髄斬りを食らい卍固めの餌食となり7分34秒で、ギブアップ個人的な事を申しますと・・・この前シリーズから何となく「ワープロ」を観始めていた当時小6の私にしたらこれがTVで初めて観た猪木の卍固めでした。それはともかく・・・この前週の沖縄大会でシ...A猪木対P・オンドーフ(1980.10.30)

  • A猪木 対 B・アレン(1981.8.2)

    1980年代前半は、毎シリーズ新日に参戦していたぐらいのイメージがあるB・アレンその存在はまさに名脇役そのものでしたが昭和56年8月2日、後楽園大会ではA猪木との一騎打ちが組まれました。当シリーズより、A・ブッチャーと「黒人最強コンビ」を結成したアレンは気合十分です。まずは、袈裟固めで抑えながらの目つぶし攻撃場外に下りて、チョーク攻撃リング中央でのストマック・クローで猪木を巧妙に苦しめ続いてパイル・ドライバーとアバランシュ・ホールドと大技の波状攻撃とどめとして、ダイビング・ヘッド・バッドを狙うも寸前で猪木にかわされました。結局、延髄斬りをまともにくらった後「卍固め」に無念のギブアップしかしながら、13分以上の大健闘で「最終戦のM・スーパースターよりも猪木を苦しめたのではないか」というのが、私の感想です。「いつか...A猪木対B・アレン(1981.8.2)

  • A猪木 対 О・ベイカー(1980.11.28)

    1980年暮れに、新日が開催した第1回MSGタッグ・リーグ戦開幕戦のテレビ放送は、メインの6人タッグが尻切れトンボに終わりモヤッとした状態で2週目を迎えたのですが11月28日、宮城県スポーツセンターからの中継も藤波組対シン組、ハンセン組対アンドレ組の公式戦が10分以上行われ残る放送時間も残り5分というトコでメインのA猪木対O・ベイカーの一戦が行われたのです。対戦相手を2人死に至らしめたりR木村の足を折ったり、という武勇伝(?)を持ちスキンヘッド、極太眉、デカ髭、全身体毛とまさに「昭和の怪奇レスラー」そのもので子供を震え上がらせたベイカーしかしながらこのシリーズはハンセン、アンドレ、シン、ホーガンと言った豪華外人レスラーが揃っていたためまさに「ロートル」感が強くこの試合も3分で猪木に敗れました。試合後には、ハンセ...A猪木対О・ベイカー(1980.11.28)

  • A猪木 対 S・ハンセン(1980.2.8)

    昭和55年2月8日、東京体育館A猪木とS・ハンセンによるNWFヘビー級選手権が行われました。これが3度目の挑戦となるハンセンは10分過ぎに猪木の卍固めでがっちり固められるも何度かパワーで跳ね返します。そして、完璧なウエスタン・ラリアートをぶちかましました。しかしバック・ドロップで繰り返した猪木は得意の急降下膝爆弾を仕掛けようとしますがいち早く察知したハンセンが立ち上がり猪木のボディにパンチを浴びせ場外に転落させます。辛うじてエプロンに上がった猪木に対しハンセンは助走を付けて、この2発目のラリアットをこれまた完璧に炸裂させました。リング下のマットに横たわったまま猪木は起き上がることができずハンセンがリングアウト勝利この3年4ヶ月後のホーガンとほぼ同じような手法で念願のNWF新王者に輝いたのでした。当時、私はプロレ...A猪木対S・ハンセン(1980.2.8)

  • A猪木 対 越中詩郎(1989.4.13)

    初の東京ドーム進出を11日後に控えた平成元年4月13日、上越大会に於いてA猪木対越中詩郎の一戦が行われました。東京ドームのメインで猪木はソ連(当時の)柔道元金メダリストS・チョチョシビリと異種格闘技戦を行う事が決定している猪木実況の辻アナも申してたように「越中がはいてる白袴」から仮想チョチョシビリに見立ててる訳でもないんでしょうけどともかく勝って、いい形でドームにつなげたいところでしょう。何と猪木自身が試合前に奇襲攻撃をかけますがすぐに越中が切り返し場外からエルボー攻撃そして強烈なバック・ドロップを仕掛けヘッド・シザースで締め付けます。しかしコーナーからカウンターのナックル・パートで反撃した猪木はミサイルキックをぶちかまし越中の決死のヒップアタックを受け止めバック・ドロップをお返しそのまま3カウントで完勝したの...A猪木対越中詩郎(1989.4.13)

  • A猪木 対 前田明(1983.5.27)

    たった1度だけ行われた猪木と前田のシングルマッチは昭和58年5月27日、高松市民文化センターにおいて第1回IWGP決勝リーグ公式戦で実現しました。この時、遠征中に欧州ヘビー級王座を獲得した前田はヨーロッパ代表として、IWGP世界大会に出場一方、猪木は体調不良ながらもアジア予選を全勝で突破し、堂々の1位通過両者の闘いは5分過ぎにまずヒートアップ前田が張り手合戦を挑めば「小癪な」とばかり猪木は前田をコーナーに追い詰めナックルパートを食わらします。猪木がバックドロップを放てば前田はスロイダーでお返し前田が三角締めで猪木を苦しめると猪木は卍固めで前田を捕らえました。しかし、ギブアップしないと見るや技を解き、試合続行をアピールします。いやっ、これも今思うと前田のためというよりは、猪木が観客や視聴者に対し己を誇示するための...A猪木対前田明(1983.5.27)

  • A猪木 対 B・ベイダー(1988.7.29)

    昭和63年サマー・ファイト・シリーズIWGP王者・藤波辰巳への挑戦権を賭けてA猪木、長州力、M斎藤、木村健吾、B・ベイダーによるリーグ戦が開催され7月29日、有明コロシアムでは公式戦最終試合として、猪木対ベイダーの一戦が行われました。足親指の骨折により、3か月欠場後に復帰した猪木はこの段階で2勝1敗ベイダーに完全に勝たなければ挑戦権を得られない状態であります。序盤からベイダーのパワーに圧倒され大技の波状攻撃を浴びますが場外戦では、ベイダーの凶器攻撃をうまくかわし逆に凶器を取り上げて、ベイダーの左腕を切り裂きました。リングに戻ってからは、アンドレを仕留めた腕固めで見事なギブアップ勝利2週間後に控える藤波への挑戦権を獲得したのであります。そして、控室に戻った猪木は、藤波に対し逆・下克上を宣言し、握手を交わしたのでし...A猪木対B・ベイダー(1988.7.29)

  • A猪木 対 木村健悟(1988.7.29)

    昭和63年7月29日、青森に於いて王者・藤波辰巳に対するⅠWGP挑戦者決定リーグ戦としてA猪木対木村健悟の一戦が行われました。当年4月より約3ヶ月、戦線を離脱し復帰して間もない猪木1週間前も長州に完敗しておりどうしてもこの一戦を落とす訳にはいきません。一方、すでにリーグ戦3連敗し戦線脱落した健悟(*白△はリングアウト勝ち)せめてこの猪木を倒し一矢報いたいところでしょう。張り切る健悟は何と猪木のお株を奪うかの如くスリーパーやアキレス腱固めで、猪木を苦しめバックドロップから得意の稲妻レッグラリアートで勝負を賭けます。大ピンチの猪木でしたがカウンターのナックルパートで形勢逆転最後は延髄斬りから卍固めで見事に勝利を掴んだのでありました。このリーグ戦のテーマは「猪木がいかにこのリーグ戦を制し、弟子の藤波に逆挑戦するか!」...A猪木対木村健悟(1988.7.29)

  • 坂口征二、前田明 対 B・J・スタッド、E・ベラ(1983.5.6)

    1983年5月6日、福岡スポーツセンターに於いて華々しく開幕された第1回ⅠWGP決勝リーグ戦TVオープニング・マッチとして行われたのは坂口征二、前田明対B・J・スタッド、E・ベラの一戦でした。アメリカ代表のスタッドとメキシコ代表のベラはおそらくこれが初のタッグ結成でありましょう。慣れぬコンビ―ネーションを狙い前田が同士討ちを誘いました。外人側の2人はもしかしたら、会話すら通じてないかもしれません。更にそのスキを狙った前田はベラの背後からドロッピキックを食らわしロープに飛ばしてカウンターのフライング・ニール・キックを浴びせました。そして起き上ったベラを素早く抱えるやそのまま反り投げて完璧なまでのスパークリング・スープレックス凱旋帰国のオンド―フ戦に続き見事に勝利を治めたのであります。残念ながら、我が富山県は放送が...坂口征二、前田明対B・J・スタッド、E・ベラ(1983.5.6)

  • 肩甲骨剥がし

    「羽をはえさせる」ための肩甲骨剥がし手技療法五十肩にも、肩こりにも、頭痛にも有効な方法です。当院は横向きだけでなく、仰向け、うつ伏せでも行います。肩甲骨剥がし

  • 前田明 対 P・オンドーフ(1983.4.21)

    1983年4月21日、蔵前国技館「欧州ヘビー級王者」としてヨーロッパ遠征から華々しく帰国した前田明の凱旋試合が3分36秒で終わった事は今でもハッキリ覚えています。前田の対戦相手である「鋼鉄男」P・オンド―フは前週(4月15日)の福山大会で長州力とは、両者リングアウトで引き分けたのですがその後、帰国の挨拶をしていた前田の前に立ちはだかり早くも睨み合いを展開していました。若干24歳の前田は非常に落ち着いた表情腰には、欧州ヘビー級王者のベルトがしっかりと巻かれております。前田のセコンドに、師匠カールゴッチがじっと見守る中、開始のゴングが告げられました。開始早々は、持ち前のパワーで前田を圧倒するオンド―フしかし前田は肩車でオンド―フを綺麗に投げ、切り返します。こうして試合のペースを握った前田はゴッチから教わったであろう...前田明対P・オンドーフ(1983.4.21)

  • A猪木 対 K・パテラ(1980.9.30)

    昭和55年9月30日、日本武道館に於いてNWFヘビー級王者、A猪木に挑戦したのはミュンヘン・オリンピック重量挙げ銅メダリストのK・パテラでした。新日初登場でいきなり武道館のメイン登場の「五輪の怪力」いきなりデッドリードライブ連発で息のをマットに叩きつけるやベアハッグ、フルネルソンで猪木を締め上げます。圧倒的な力の違いに大ピンチの猪木でしたがカンガルーキックで脱出しさらにショルダースルーでパテラを場外に投げ落としました。そしてエプロンに上がったところに延髄斬りを食らわせギロチンドロップ、ニードロップと畳みかけ最後は卍固めでギブアップ勝利見事に完全防衛を果たしたのです。以後もパテラは何度か新日に来日するもこの試合以上の力を発揮することができず…むしろその後に有名になったのはM斎藤をも巻き込んだアメリカでの警官暴行事...A猪木対K・パテラ(1980.9.30)

  • 前田日明 対 M斎藤(1987.5.18)

    昭和62年5~6月にかけて、新日プロで開催された「87ⅠWGPチャンピオンシリーズ」形式はA、Bリーグに分かれ予選を戦うのですが5月18日、千葉公園体育館ではBリーグでの事実上の決勝戦でもある前田日明対M斎藤の一戦が行われました。まずは斉藤が入場しその後に、「キャプチュード」のテーマに載って前田が現れます。大一番を前に、非常に厳しい表情です。前田がリングに入ろうとした瞬間全日から長州力と共にUターン参加してきたS・S・マシンが近づいてきました。新日には、1年9ヶ月ぶりの登場であり今回は斉藤のセコンドという立場ながら手を差し出し、握手を要求するも前田はこれを拒否この態度に腹が立ったマシンは何と、前田を襲ったのです。せっかく今から、楽しみな一戦が行われるというのにマシンは鉄柱攻撃で前田を大流血に追い込んだのでありま...前田日明対M斎藤(1987.5.18)

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