chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
准胝院のブログ https://ryona.hatenadiary.jp/

准胝佛母の密教祈願道場「准胝院」のブログです。天台寺門宗教師「亮和」が祈願について語ります。

亮和
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/03/31

arrow_drop_down
  • 通り過ぎた山、あとになって知る縁——岩切権現との静かなつながり

    あとになって思い返すと、不思議なほど記憶に残っている風景というものがある。 毎日通っていた通勤路の並木道、何度も信号待ちをした交差点の角にあった大きな木、あるいは車の窓越しに何気なく目にしていた山の稜線。そのときはただの背景にすぎなかったのに、なぜかずっと記憶に焼きついていて、ふとしたときに脳裏に浮かぶ。そんな経験は、誰にでもあるのではないだろうか。 私にとってのそれは、茨城県つくば市でのことだった。営業職として忙しく動き回っていた十六年間、毎日のように車を走らせ、各地の施設を訪ねていた。筑波山の麓の町。象徴的な双耳峰はもちろんよく知っていたし、地元では馴染みのある存在だった。 だが、私の記憶…

  • 夜の路上で出会ったふたつの影

    名古屋へ向かう出張の朝。 新幹線の窓の外では、曇りがかった街が、音もなく後ろへ流れていく。 その景色を眺めながら、ふと昨夜のことを思い出していた。 昨夜の帰宅途中、車を走らせ、いつもの信号が赤に変わる。 ここは妙に長く感じる交差点で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。 そのとき、一匹の猫が、ヘッドライトの明かりを横切った。 妙に足が短く見えたので、思わず「マンチカンか?」と目を凝らす。 けれどすぐにそれが間違いとわかった。。 その子は身重だったのだ。ふくらんだ腹を抱えて、前足で体を支えるようにゆっくりと歩いていた。 その姿が、一瞬“足の短い猫”に見えただけだった。 おそらく、避妊手術もされていない…

  • 「自分へのご褒美」に罪悪感を覚えるとき

    年齢を重ね、役割が増えてくるにつれて、「自分にご褒美を与える」ということが、なんとなく難しくなってきた気がする。 結婚して、パートナーができる。子どもが生まれて、親になる。仕事では部下ができ、責任を背負う立場になる。そして、自分自身の話をすれば、行者という役割を担うようになってからは、自然と「他者の幸せを祈る」ことが日常になった。 それ自体が嫌というわけではない。むしろ、ありがたく、身の引き締まることでもある。ただ、ふとした瞬間に―― 「自分の幸せって、どこに置いてきたっけ」と思うことがある。 --- 「ねばならない」が静かに増えていく 気づけば、頭の中で「〜しなければならない」という言葉が繰…

  • 願いが叶わないとき、私たちは何を思うか

    祈願をお受けしていると、「願いが叶いました」とご報告をいただくことがあります。その声の中には、喜びとともに「ここまで祈り続けてよかった」という深い実感が込められていることが少なくありません。 一方で、「祈っていたのに、むしろ状況が悪くなったように感じる」とお話しくださる方もおられます。なぜそのようなことが起こるのか?我々のスタンスは「それこそが験である」とおもえるかどうか?です。あなたの変わるべき何かを突き付けられているということ。そのせっかくいただけた験を感謝できないとおそらく悪化の一途をたどるのは私は経験的につくづく思うところです。 また注意してほしいのは「祈願がかなわないのは、その尊と相…

  • 最近はXの投稿が中心になっています。

    ブログを書く場合はデスクの前でどっしり腰を据えて、となるのでなかなか時間が取れずにすっかり滞ってしまっています。 しかしXの投稿は隙間時間にスマホでできるので割と最近頻回に投稿しています。しかもXでも連投して割と長い文章を紹介しています。 また、過去のこのブログ記事も短く要約して投稿したりして最近の信者様にも配慮したりもしています。 このブログ継続していきますが、合わせてXの投稿もチェックしていただけると嬉しく思います。 X リンク https://x.com/lQQznyjr3d4XhpR

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、亮和さんをフォローしませんか?

ハンドル名
亮和さん
ブログタイトル
准胝院のブログ
フォロー
准胝院のブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用