幸せになりたかったら 幸せの種を蒔こう そして いちいち 土をほじくって 確かめたりせずに 神がそれを育ててくれると信じて 待ってみよう 誕生日が来るたびに さあ 新しい一年の始まりだ! 今年は何しよう?と思うのです。 身体のメンテナンスとしては ヨガと筋トレ。 心のメンテナンスとしては 月並みかもしれませんが 一日一善。 これは 自分に対しても です。 大きなことでなくていいのです。 玄関先の掃き掃除をするとか 宅配の人に冷たいものを差し上げるとか ちょっと面倒だけど 自分も人も気持ちのいいことしてみます。 わたしの知り合いに 70代で 過酷なヘルパー生活をしている人がいますが 「もう 忙し…
余分な力を抜けば 浮かび上がるよ 朝起きた時 鏡に映る顔を見て 「おはよ~」と挨拶します。 一番に出会う人です。 神秘家の自画像では 首から下しか描かれませんでした。 わたしたちは 自分の顔を 直に見ることなど出来ないからです。 この認識が 神秘家の悟りとなったそうです。 鏡の女性に言います。「お誕生日おめでとう」
あなたが明るく 自信に満ちて輝けば それは 周りにも影響していく もうすぐコンサートです。 わたしらしく おそれず おもねず うたがわず ステージに立ちたいと思っています。
若い頃 ある牧師さんのお宅へ お邪魔したことがあります。 沢山の方が食卓についておられましたが 出された食事は お茶碗一杯のご飯に 缶詰のポークが一枚載っただけの物でした。 それを ゆっくり大事に頂きながら 笑顔で語る牧師さんのお話に聞き入っていました。 そして 帰るころには ほんとに不思議なのですが 心もお腹も いっぱいでした。
メールの方が 本音で言える。 そうでしょうか? むしろ 思い込みによって 互いの距離を 広げていきやしないか。 仮想現実。 できるだけ 会って 話したい。 声が聞きたい。 温もりを感じていたい。 どんな姿であれ 生身のあなたに接していたいと思うのです。
エネルギーの拡大を感じるか それを 選ぶと わくわくするか 迷いはつきものです。 楽しい迷いならいいのですが 大抵は 胃の当たりがキュッとなったりします。 義理人情で選択すると 心が重たい感じがします。 恩を売るとか 着るとか いう言葉が わたしは好きではありません。 昔掛けた恩を始終持ち出しては 「恩を仇で返した」とか「恩知らず」とか いう人がいますが そんな人の所へ 喜んで行く人がいるでしょうか。 「しかたないから」「とりあえず」といった 訪問になってしまうのではないでしょうか。 自分の好きでやったこと。 その人が好きだから 会いたいから行く そういう関係性を持ちたいものです。
私が今日まで生きてきて、 自分で一番トクしたなと思うのはね、 言葉で言うと、不器量と言うか、 不細工だったことなんですよ。 私は、普通だと思ってるんだけども、 他人(ひと)がそういうふうに見るから、 ああ、そうなんだなあと思って見ているうちに、 器量よしばっかり集まる芸能界に 入っちゃったんですよ(笑)。 今でこそ、役の広がりが出てきましたけど、 昔はお手伝いさんまでも、 器量よしがやったわけですからね(笑)。 ま、だから、自分が不器量だということに 早目に気がつかされちゃってね。 それでね、案外自分としては、 男を見誤らないできたという確信があるんですよ。 要するに、見誤らないというのは、 …
早朝 或いは 午前2時や3時の場合もありますが 大学ノート四枚ほど 手書きでバ~っと書きます。 不安とともに目覚めてしまった時などは その不安を書きまくります。 わたしのノートだから 誰はばかることもなく 書きたいことが書けます。 大抵は 書いているうちに 癒しが起こります。 自己免疫機能が働いてくるようです。 暗闇の中 スポットライトを頼りに書き始め 窓辺に薄明かりが指す頃には 心のもやもやもだいぶ晴れてきます。 夕方は夕方で 一日のうちに降り積もった鬱憤を 書きつづる事もあります。 しかし 朝のカタルシスの後だと その必要もなく 従って ほとんど朝ノートだけで済んでいます。 ありがたいこと…
コンサート このタイトルに決めるのに 詩人の芝憲子さんと 作曲家の池辺晋一郎さんとの間で ひと悶着あったそうです。 芝さんは「叫ぶ」という大仰な表現がどうも……。 池辺さんは「叫ぶというのは 心の叫びであって 決して 大声で歌うという意味ではありません」と 説得なさったそうです。(お二人の対談より) 大声に頼らずとも 沢山の方々が 声を合わせて歌う姿には 感動を禁じえません。 県外からいらした方もいて 沖縄の現状を憂うる心に打たれました。
重すぎると思ったら 小分けにすることだ 問題は小さなうちに 気になることは すぐに 処理する クヨクヨするたちなら チマチマ手を打つしかない 将来に対して漠然とした不安やってきたら 今日できることを コツコツやるしかないな と思っています。 喜びを感じるのは 今 しかないのですから 何か 楽しいことはないかと探します。 今の自分が 将来の自分を創るのですから。
夫くんが仕事についている時には 家のことは ほとんど わたしの仕事でした。 年金生活に入ってからは 家にいることも多く 小さな不満が 積もってきました。 それを 我慢しているうちに どんどん募って来て しまいには爆発し 怒鳴ってしまったりします。 それで ストレスを溜めないよう 小さなうちから 言いたいことは言うようにしました。 例えば 「牛乳パックはちゃんと開いてから乾かして」 みたいなことです。 自分でやる分には些細なことですが いつもいつも 人の後処理ばかりさせられるのは 嫌なものです。 いちいち言うのが嫌だから 自分でやった方がかえって「楽」と やってしまいがちですが 子どもと同じで …
自分の優しさに ふたをすることによって 一番傷つくのは 自分 ご近所の方から 北海道から送られてきたという トウモロコシを頂きました。 みずみずしくて いかにも うまそうです。 お礼に 庭先にぶら下がっている ゴーヤーを差し上げました。 こういう関わりが とても 楽しいのです。
同じことして 違う結果 期待すな! 自生えのゴーヤーが 二つ芽を出して グングン伸びてきました。 あまりに近くて せっかく立てた二本の竹も 奪い合うかに見えました。 ところが です。 同じ竹に向かっていたものの 奥の方のゴーヤーが その竹に到達する寸前で 立ち枯れたのです。 お陰で 前のゴーヤーは すくすく成長することができました。 これはもう 「奥さま」がお譲りになったとしか思えません。 植物にも 伝達し合うものがある。 と聞いたことがあります。 それはそれは見事な引き際でした。 今年のゴーヤーは豊作でした。 農家のサブローおじさんに教えて頂いた方法で 丁寧に育てたからです。 脇から出てくる…
「愛とペーソス」チャップリンの映画にも 通じるような 味わいがあります。 ハッピーエンドではなく 小さな幸せや 悲しみなどの日常を さりげなく描いています。 目元に引いた線一本で 様々な表情や年齢を 表現することの巧みさに 驚かされます。 この本を 娘が 90歳の祖母にプレゼントしました。 まさしく 世代を超えて愛される絵本だと思います。
勘違いしちゃいけないよ 欲が満たされたから 幸せな訳じゃないんだ 欲が満たされた その一瞬だけ 欲の晴れ間ができる すると 本来の至福が かいま見えるんだ 若い頃は 色々試して いろんなものをゲットするのが嬉しかったけれど 今は 管理するのも難儀ということもあって 少しの物を 大事にするのが好きになりました。 人付き合いも そうかもしれません。
アイロンもあてず 化粧もせず ごめん 笑顔 持ってくからさ ごめん 好きで お化粧しないのだけど なんとなく 気後れするような時もありました。 歳をとればとるほど 思います。 「笑顔」こそ 最高の身だしなみだと。
自立とは 自分の価値を 人の評価に依らないこと この頃は 歌うことが 楽しくてしょうがありません。 さすが 世紀をまたいで受け継がれてきた クラシック歌曲です。 どんなに 練習しても 飽きるという事がありません。 やってもやっても 課題が浮き上がってくるのです。 プロになるわけではなく ステージに立つ機会も滅多にありません。 それでも いいではありませんか。 かの岡本太郎氏は ド下手でも 堂々と大声張り上げて歌うので 皆が 喜んで カラオケに誘ったそうです。 「歌に関して言えば、 私達はみんな死ぬまで、学生なのよ」 マリア・カラス
娘一家が コロナ感染し 親子五人が 自宅療養になりました。 その際に たくさんの人が 玄関先に 食べ物を届けてくれたりしました。 その中には あることがきっかけで 気まずい関係になった方もおられました。 お陰様で 外に出られるようになったときには その方との仲も修復されました。 悪いことばかりでは ないのですね。 絵は やんちゃばかりして 親に心配かけていた 友人の息子さんが 美容師になって 里帰りしてきた時のものです。
体を動かすこと 新鮮な空気を 目一杯入れること くよくよ悩まない 心配しない にたらにたら 笑っている ただ しあわせでいる 今日も一日 ごくろうさま おやすみしゃんめんまたねてしかく 先日 筋力測定をしたら 思いのほか低いのに ガッカリしました。 動いるようで あんがい バランス良く動かしてないんですね。 ま 知った時が やり時だということで また 今日から 意識して 整えていきたいと思います。
体を 守って守って 十年長生きしたからって それが なんだと言うの? その間 生きてる間 楽しめたか 充実した人生であったか どれだけ笑ったか 人を笑わせたか じゃないの? と 自分に言ってみる。
不眠症について悩むことは、 不眠症そのもの以上に害がある。 たとえば、私のクラスの受講生だった ニュージャージー州リッジフィールド・パークの アイラ・サンドナーは、慢性不眠症のために 自殺寸前にまで追いつめられた。 彼は私にこう語った。 「実のところ、 気が狂ってしまうのではないかと思いました。 問題は以前の私が熟睡していたことでした。 私は目覚まし時計が鳴っても目が覚めず、 朝はよく遅刻していました。 私はそれを苦にしました。(中略) 私は友人に相談しました。 すると一人が、 眠る前に目覚まし時計に注意を集中してみろ と教えてくれました。 それが不眠症のはじまりでした! その呪われた目覚まし…
相手の甘えを引き出すような 誤った愛情を注がぬこと 自分が好かれるためではなく 真に 相手のためになることだけを考える 心身脱落 自我滅却は ただ 座禅のみにあらず 利他の思いもまたそれなり 孫には ついつい甘くなってしまいがちです。 何なんでしょうね。 子育ての時には 結構厳しかったりもしたのですが・・・・。 しつけは親に任せられる 安心感からかもしれませんね。 わたしの身近なおばあちゃんでは お金をバンバンあげる人。 自分の好みの物を押しつけて それが愛情だと(たぶん)思っている人。 反面 甘いものも しっかり管理して 毅然としている人。 などがいます。 誰だって孫には好かれたいですよね。…
「タイトルなんていらない」というのも こだわってる証拠 どーでもいいことなら どーでもいいじゃない 楽しもうよ 勝ってうれしい花いちもんめ 負けてくやしい花いちもんめ くやしいとき かなしいとき おもしろくない!って 思う時 わたしは 部屋の窓を締めきって 大声で 歌うようにしています。 誰かを ののしるより よっぽど すっきりします。
金も知識も 自分の為だけに 蓄えるのだとしたら なんとつまらないことだろう 熟れた果実が 人に食べられるのを拒んで むなしく朽ち果てていくようなものだ 今 我が家のゴーヤーが 鈴なりです。 ゴーヤーと 紫玉ねぎと 赤黄色のパプリカを カラフルピクルスにして 知人に差し上げると たいそう喜ばれます。 自然は潤沢 気前がいいですね。 こ~んな 小さな種から こ~んなに 沢山 実らせてくれるのですから。 ありがたや ありがたや。
広島の友人から 「大仏が帰ってきた」とのメールがありました。 広島の原爆慰霊のために建てられた大仏が どういう訳か行方不明になった後 奈良のお寺で発見され 戻されたとのこと。 友人は長年 島根県の匹見町で ヒーリングなどの活動をしていましたが そこを閉めて 広島に拠点を移していました。 「やっと 広島に来た意味が見出せるかも」 広島から平和発信。 新しい風が吹いてきそうです。
私自身が 望んでいることは なんだろう 幸せになりたい 苦しみをさけたい 思いやり 気遣い 褒め言葉 励まし 自由がほしい 自分の望むことを 人にも 与えよう 怖がらなくていい 心配しなくてもいい 私は 私にできることを できる範囲で やるだけ みんな みんな しあわせでありますように 孫が 保育園でのお散歩の途中 マムシに嚙まれてしまいました。 後一時間 搬送が遅れていたら 命さえ危ういとこでした。 皆さん どうか お気を付けください。
今回はジャンポルスキー博士の本の紹介です。 文庫本を手に入れてからは バッグの中であったり 何かにつけて 開きたい本の一冊です。 あるとき、センターでの私たちの活動を 耳にした人たちを通して、ジョーという少年に 会ってほしいという依頼を受けました。 ジョーは十五歳で、トラクターに二度も 頭部を轢かれたそうです。 視力とすべての感覚機能を失い、口もきけなくなり、 両側性の痙攣性麻痺をわずらっていました。 何か月も昏睡状態が続き、医師たちも、 たとえ奇跡が起こっても彼は助からないだろうと 思っていました。 けれど家族は希望を捨てず、ジョーは回復すると信じ、 一日一日を大切にし、「今」をせいいっぱい…
そう自分を責めるな 立ち上がる力も 無くなってしまうじゃないか 「自分を責めるのも 逃げ なんだよ」と 友だちのシュウに言われたことがあります。 問題に立ち向かおうとせずに 自分を責めることによって 他人からの攻めをもかわす ということなのかもしれません。
無農薬で新鮮ないい珈琲を飲みたい。 それが高じて 自分で焙煎するっきゃない! に行きつきました。 那須の科学者で 電気をなるべく使わない生活を研究している 非電化工房という所に行き 手焙煎器を使うやり方を教わりました。 名護の 自分で珈琲豆を栽培している (無農薬かどうかは不明) おじさんからは ハンドピック(豆の選別)の 話を伺いました。 「虫食い豆はねぇ 虫食い芋を食った時の あの感じ。 エグミがあるんだよ」 実際にそういう豆ばかりを集めて焙煎し 飲んでみると 確かにそうでした。 オェ~!って感じです。 カビの生えた豆 腐った豆 欠けた豆 そういうのも 一粒一粒 ひっくり返しながら 選別す…
すべての時間が 家事と育児に 充てられているかのように感じていた日 ふと「自分も大切にしよう」と思い立ちました。 そして せめて 一杯の珈琲を飲む間だけは 何にも煩わされず 「ただ 自分といよう」と決めました。 大切な自分 大切な時間だから いい珈琲を飲みたい! 調べてみると 珈琲の農薬の問題に行き当たりました。 世界で一番農薬を使うのは綿花だそうです。 その次が珈琲で タバコと1,2を争っているそうです。 つまり 口に入るもので一番農薬が多いもの ということでした。 それで 無農薬の珈琲を選ぶようになりました。 ところが ある時 友人から貰った 無農薬珈琲がおいしくないので よくよくパッケー…
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