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朝の光(聖書の言葉) https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi

クリスチャン(プロテスタント・福音派)

私は,記事は福音的なキリスト教プロテスタントと信じています。 その中心は,イエス・キリストを信じることによって,罪が赦されるという 聖書の教えです。

エレミヤ
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2020/02/16

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  • イエスの再臨 (使徒1:11)

    イエスの再臨(使徒1:11)口語訳(天使は)言った,「ガリラヤの人たちよ,なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは,天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で,またおいでになるであろう」。イエス・キリストは,終わりの日に,力と栄光を帯びて,肉体をもって目に見える姿で現れます。☆彡(使徒1:9-11)口語訳こう言い終ると,イエスは彼らの見ている前で天に上げられ,雲に迎えられて,その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれるとき,彼らが天を見つめていると,見よ,白い衣を着たふたりの人が,彼らのそばに立っていて言った,「ガリラヤの人たちよ,なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは,天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で,...イエスの再臨(使徒1:11)

  • イエス,息をひきとられた (マタイ27:50)

    イエス,息をひきとられた(マタイ27:50)「イエスはもう一度大声で叫んで,ついに息をひきとられた。」「息をひきとられた」は,直訳すると「霊を去らせる」です。この死がイエスの意志によることが分かります。☆彡(ヨハネ10:18)口語訳「だれかが,わたしからそれを取り去るのではない。わたしが,自分からそれを捨てるのである。わたしには,それを捨てる力があり,またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。2023-02-07イエス,息をひきとられた(マタイ27:50)

  • 疲れた者,重荷を負う者 (マタイ11:28-30)

    疲れた者,重荷を負う者(マタイ11:28-30)新共同訳「疲れた者,重荷を負う者は,だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから,わたしの軛を負い,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」イエスの言葉です。疲れ,重荷を感じるなら,イエスのもとに行くと安らぎが与えられます。わたしたちはイエスのもとに行かないと安らぎは与えられません。2023-04-13疲れた者,重荷を負う者(マタイ11:28-30)

  • バプテスマ (マルコ 16:16)

    バプテスマ(マルコ16:16)口語訳「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし,不信仰の者は罪に定められる。」よみがえられたイエスは,弟子たちが食卓に着いているところに現れて言われました。☆彡イエスが復活し弟子に話しました。「大宣教命令」と呼ばれることがあります。(マルコ16:15-19)口語訳「そして彼らに言われた,『全世界に出て行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし,不信仰の者は罪に定められる。信じる者には,このようなしるしが伴う。すなわち,彼らはわたしの名で悪霊を追い出し,新しい言葉を語り,へびをつかむであろう。また,毒を飲んでも,決して害を受けない。病人に手をおけば,いやされる』。主イエスは彼らに語り終ってから,天にあげられ,神の右にすわら...バプテスマ(マルコ16:16)

  • 第三の天 (2コリント12:1-4)

    第三の天(2コリント12:1-4)「無益なことですが,誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に・・肉体のままであったか,私は知りません。肉体を離れてであったか,それも知りません。神はご存じです。・・第三の天にまで引き上げられました。私はこの人が,・・それが肉体のままであったか,肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。・・パラダイスに引き上げられて,人間には語ることを許されていない,口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。」パウロの言葉です。「キリストにある一人の人」を,パウロは第三者のこととして書いていますが,パウロ自身のことです。パウロの生涯は,詳しく聖書に書かれていますが,「14年前」...第三の天(2コリント12:1-4)

  • 主の再臨 (ルカ21:25-28)

    主の再臨 (ルカ21:25-28)「そして,日と月と星には,前兆が現れ,地上では,諸国の民が,海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み,人々は,その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して,恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき,人々は,人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら,からだをまっすぐにし,頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」 ここでの「人の子」とは,イエス・キリストご自身です。 天体の異変のあと,主が再び来られます。 主の再臨は「解放の時」です。ここでの「贖い」は,私たちの体を含めた救いの完成のことです。  イエスの再臨のとき,イエスを信じる者のからだはあがなわれます。(ロマ8:23,24)口...主の再臨(ルカ21:25-28)

  • 罪のゆるし (ルカ24:47)

    罪のゆるし(ルカ24:47)「その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが,エルサレムからはじまって,もろもろの国民に宣べ伝えられる。」復活したイエスは,「その名(イエスの名)によって罪のゆるしを得させる悔改めが,…もろもろの国民に宣べ伝えられる。」と言います。☆彡(ルカ24:46-49)口語訳(イエス・キリストは)言われた,「こう,しるしてある。キリストは苦しみを受けて,三日目に死人の中からよみがえる。そして,その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが,エルサレムからはじまって,もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは,これらの事の証人である。見よ,わたしの父が約束されたものを,あなたがたに贈る。だから,上から力を授けられるまでは,あなたがたは都にとどまっていなさい」。イエス・キリストを信じることによ...罪のゆるし(ルカ24:47)

  • 信仰による救い (エペソ2:8)

    信仰による救い(エペソ2:8)「あなたがたは,恵みのゆえに,信仰によって救われたのです。それは,自分自身から出たことではなく,神からの賜物です。」 救いは神の恵みとイエス・キリストを信じることによって,与えられます。救いは,わたしたちの人格,行いには,よりません。使徒のパウロの言葉です。T.N2023.5.10信仰による救い(エペソ2:8)

  • 良い働き (ピリピ1:6)

    良い働き(ピリピ1:6)「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は,キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」イエス・キリストを信じるなら,聖霊により善意が心に宿ります。この善意は,良い働きとなり,良い働きは,「キリスト・イエスの日」すなわちキリストの再臨のとき完成します。また,善意とは,御霊の実の一つであると,パウロは言います。(ガラテヤ5:22,23)「御霊の実は,愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」2023-04-10良い働き(ピリピ1:6)

  • ダビデ王国の回復(アモス9:11)

    アモスアモスは,ホセアとともに,北イスラエルで活躍した預言者です。アモスは,「公道と正義」を伝えます。アモスは紀元前760年ころに活躍した預言者です。アモスとは,「重荷」という意味です。もともとは南のユダ王国の出身で羊飼いをしていました。○アモスはユダの荒野に接するテコアの牧者でいちじく桑を栽培していたところから,預言者としての召しを受けました。○(アモス7:14)「アモスはアマツヤに答えて言った。『私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり,いちじく桑の木を栽培していた。』」○ダビデ王国の回復(アモス9:11)「その日には,わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し,その破れを修復し,廃虚を復興して,昔の日のように建て直す。」ダビデの王国の再建です。この世の終わりにキリストが来て,ダビデの...ダビデ王国の回復(アモス9:11)

  • アモス書 解説 2020.10.12

    アモス書解説2020.10.12アモス書では,預言者アモスは,ホセアと同じく,紀元前760年ごろ北王国イスラエルで神の審判を預言します。アモスは,ユダに住む羊飼いでした。「アモス」という名前は,「重荷を担う」,「重荷を負う」という意味です。○アモスの召し(アモス1:1,2)「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代,イスラエルの王,ヨアシュの子ヤロブアムの時代,地震の二年前に,イスラエルについて彼が見たものである。彼は言った。『主はシオンから叫び,エルサレムから声を出される。羊飼いの牧場はかわき,カルメルの頂は枯れる。』」アモスはユダの荒野に接するテコアの牧者でいちじく桑を栽培していたところから,預言者としての召しを受けました。○預言(アモス3:7)「まことに,神である主は,...アモス書解説2020.10.12

  • ダニエルの幻 「人の子のような者」 (ダニエル7:13,14)

    ダニエルの幻(ダニエル7:13,14口語訳)「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると,見よ,人の子のような者が,天の雲に乗ってきて,日の老いたる者のもとに来ると,その前に導かれた。彼に主権と光栄と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって,なくなることがなく,その国は滅びることがない。」ダニエルはバビロンのネブカデネザル王,ペルシャ王,メディヤのダリヨス王,ペルシャのクロス王のもとで活躍しました。神の国の預言が与えられました。(ダニエル7:17,18)「これら四頭の大きな獣は,地から起こる四人の王である。しかし,いと高き方の聖徒たちが,国を受け継ぎ,永遠に,その国を保って世々限りなく続く。」「人の子のような方」とは,キリストを指しています。「この方に,主権と光栄と国が与...ダニエルの幻「人の子のような者」(ダニエル7:13,14)

  • 光はやみの中に輝いている (ヨハネ1:5)

    光はやみの中に輝いている(ヨハネ1:5)口語訳「光はやみの中に輝いている。そして,やみはこれに勝たなかった。」ここでの「光」とは,イエス・キリストのことです。○(ヨハネ3:21)口語訳「真理を行っている者は光に来る。その人の行いの,神にあってなされたということが,明らかにされるためである。」○神は天と地とを創造された(創世記1:1-5)口語訳「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は『光あれ』と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」 T.N2023年3月22日光はやみの中に輝いている(ヨハネ1:5)

  • 死刑の判決を受ける (マタイ27:24,25)

    死刑の判決を受ける(マタイ27:24,25)「そこでピラトは,自分では手の下しようがなく,かえって暴動になりそうなのを見て,群衆の目の前で水を取り寄せ,手を洗って,言った。『この人の血について,私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』すると,民衆はみな答えて言った。『その人の血は,私たちや子どもたちの上にかかってもいい。』」イエスはユダヤ人の王として,処刑されます(マタイ27:37)「また,イエスの頭の上には,『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。」ユダヤの民はイエスの処刑を望みます。○百人隊長たちの信仰告白異邦人であるローマ兵の百人隊長たちは,イエスの十字架の死とそれに伴う事を見て,イエスを神の子と認めます。(マタイ27:54)「百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをし...死刑の判決を受ける(マタイ27:24,25)

  • 自分の十字架を担う (マタイ10:38)

    自分の十字架を担う (マタイ10:38)新共同訳「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は,わたしにふさわしくない。」 イエス・キリストは キリストの弟子に,死に至るまでイエス・キリストに従うことを要求します。T.N 2023.2.11自分の十字架を担う(マタイ10:38)

  • 主にあって堅く立ちなさい(ピリピ4:1)

    主にあって堅く立ちなさい(ピリピ4:1)口語訳「だから,わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように,主にあって堅く立ちなさい。」 天に国籍を持つ私たちは,主とともにあって,しっかりと立つことが出来ます。そして,互いに愛し合うことにつながります。今日も,主にあって喜びます。T.N2023年3月29日主にあって堅く立ちなさい(ピリピ4:1)

  • あなたの荷を主にゆだねよ (詩篇 55:22)

    あなたの荷を主にゆだねよ(詩篇55:22)口語訳「あなたの荷を主にゆだねよ。 主はあなたをささえられる。 主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」ダビデの祈りです。荷には,わたしたちの苦悩もあります。苦悩を神にゆだねなさいと言います。○(マタイ11:28-30)口語訳「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである」。イエス・キリストのことばです。イエス・キリストは,「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。」(マタイ11:28)と言います...あなたの荷を主にゆだねよ(詩篇55:22)

  • もう一人の助け主(ヨハネ14:16,17)

    もう一人の助け主(ヨハネ14:16)「わたしは父にお願いします。そうすれば,父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと,ともにおられるためにです。」イエスを信じる者に「もうひとりの助け主」が与えられます。この助け主とは聖霊です。私たちを助けてくださいます。そして,いつも私たちと共にいて下さいます。2023.2.4もう一人の助け主(ヨハネ14:16,17)

  • 父の家(天国)(ヨハネ14:2a)

    父の家(ヨハネ14:2a)「わたしの父の家には,住まいがたくさんあります。」イエスのいう「父の家」とは,天国のことです。イエス・キリストは十字架にかかり,復活し,天に昇ります。その天から聖霊をおくってくださいます。そして,イエス・キリストは再び来られます。そのとき,わたしたちも天にのぼり「父の家」(神の家)である天国で,イエス・キリストと永遠に交わり,共にいることになります。「父の家」とは、ほかの聖書では「新しい天と新しい地」とあらわされています。○旧約聖書のイザヤでの預言です。(イザヤ65:17)口語訳「見よ,わたしは新しい天と,新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく,心に思い起すことはない。」(イザヤ66:22)口語訳「わたしが造ろうとする新しい天と,新しい地が,わたしの前にながくとどま...父の家(天国)(ヨハネ14:2a)

  • まことの礼拝 (ヨハネ4:23-24)

    まことの礼拝 (ヨハネ4:23-24)口語訳「まことの礼拝をする者たちが,霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ,今きている。父は,このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 神は霊であるから,礼拝をする者も,霊とまこととをもって礼拝すべきである。」 イエス・キリストが,サマリヤの女に言いました。 私たちにも,言われています。  ○「霊とまことによって父なる神を礼拝するときが来ます」(ヨハネ4:23)真の礼拝は場所ではなく,神の霊によることが重要であると,イエスはいっています。 T.N 2023.2.19まことの礼拝(ヨハネ4:23-24)

  • イエスのことばにとどまる (ヨハネ8:31)

    イエスのことばにとどまる(ヨハネ8:31)口語訳「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた,『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら,あなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。』」イエスの言葉にとどまり,イエスの言葉を信じ,覚え,内に蓄えることでイエスの弟子となります。弟子として恵みを受けます。望みがかなえられると言います。○(ヨハネ15:7)口語訳「あなたがたがわたしにつながっており,わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば,なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」2023-03-15イエスのことばにとどまる(ヨハネ8:31)

  • 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」 (詩篇103:1)

    「わがたましいよ,主をほめよ。」(詩編103:1,2)新改訳「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」この詩篇のとおり,「主が良くしてくださったこと」をわすれないで,たとえ悪い状況にあったとしても,主に信頼して歩みたいです。☆彡(詩編103:1-5)新改訳 ダビデによる「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は,あなたのすべての咎を赦し,あなたのすべての病をいやし,あなたのいのちを穴から贖い,あなたに,恵みとあわれみとの冠をかぶらせ,あなたの一生を...「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」(詩篇103:1)

  • あなたがたも互に愛し合いなさい (ヨハネ15:12,13)

    あなたがたも互に愛し合いなさい(ヨハネ15:12,13)口語訳「わたしのいましめは,これである。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」神の愛はここで明らかにされます。わたしたちが互いに愛することの土台は,イエス・キリストがわたしたちのために命を捨ててくださった愛です。☆彡(ヨハネ15:12-15)口語訳「わたしのいましめは,これである。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば,あなたがたはわたしの友である。わたしはもう,あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らない...あなたがたも互に愛し合いなさい(ヨハネ15:12,13)

  • エマオの食事 (ルカ24:30,31)

    エマオの食事(ルカ24:30,31)「一緒に食事の席に着いたとき,イエスはパンを取り,賛美の祈りを唱え,パンを裂いてお渡しになった。すると,二人の目が開け,イエスだと分かったが,その姿は見えなくなった。」以前,二人の弟子たちは,イエスと一緒に食事をし,賛美したことがあったようです。イエスがパンを取り,賛美すると,2人の弟子は復活したイエスであることが分かりました。☆彡エマオの途上のイエス(ルカ24:28-32)新共同訳「一行は目指す村に近づいたが,イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が,『一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし,もう日も傾いていますから』と言って,無理に引き止めたので,イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき,イエスはパンを取り,賛美の祈りを唱え...エマオの食事(ルカ24:30,31)

  • あわれみであって,いけにえではない (マタイ9:13)

    あわれみであって,いけにえではない(マタイ9:13)口語訳「『わたしが好むのは,あわれみであって,いけにえではない』とはどういう意味か,学んできなさい。わたしがきたのは,義人を招くためではなく,罪人を招くためである」。イエスの言葉です。イエスの引用したホセア書は,次のとおりです。(ホセア6:6)「わたしが喜ぶのは,愛であっていけにえではなく,神を知ることであって,焼き尽くす献げ物ではない」「いけにえ」とは,神殿での祭儀です。それは,儀式であり,外形的なものです。イエスは「あわれみ」に,そして「愛」に生きることを教えています。私たちはマタイと同じように罪人ですが,私たちもまた,イエスに招かれた者です。☆彡(マタイ9:9-13)口語訳「さてイエスはそこから進んで行かれ,マタイという人が収税所にすわっているのを...あわれみであって,いけにえではない(マタイ9:13)

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