主に2019年11月後半に母の認知的不調を確認してからの記録。リアルタイムで進行している状況を綴ります。それだけだと煮詰まるので(笑)たまにはグルメとかも。
介護や認知症についての情報を共有したいと思っています。
要介護認定の訪問調査を受けるにあたり、私なりに勉強したのでそのあたりを纏めてみる。 要介護認定とは「この人にはどの程度の介護が必要か」というランクを付ける事を言う。 で、介護認定のランクが上であればあるほど、介護保険でカバーできる範囲が広くなる=区分支給限度基準額(単位)。 要介護認定のランクとしては、 要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5 で分けられていて、最も軽いのが要支援1、最も重いのが要介護5である。 詳しい内容はネットにてたくさん書かれているのでここでは割愛する。 私が言いたいのは、『要介護認定を低く見積もられて認定されると損しますよ!』と言う事。 例えば、 ①要介護1の認定を受けて、区分支給限度基準単位が1,000とする。 種々のサービスは各々単位数を持っていて合計1,000を超えなければ全て介護保険対象となり..
そんなこんなで、初めての(体験)デイサービスは終わった訳だが。・・・こっちは全くスッキリしない。 但し、一つのことに構い過ぎても次のアクションで失敗してしまうので切り替える事にする。 デイサービスの翌日は介護認定にかかる行政の訪問調査である。 当然、私と妻も同席すべく、朝一で実家に向かう。 訪問調査への対応は、行政から委託されている訪問調査員の方1名とこちら側は母・私・妻・ケアマネージャーさん二名。 状況を正しく伝えるために万全を期す。 訪問調査員のチェックするシートは事前にダウンロードして熟読しておいた。 基本的に訪問調査員の方はそのシートにチェックを入れるのが仕事。即ち、そのシートに沿った質問を行う。(但し、所見を書く欄もあるので、状況は細かく伝えた方が良い) で、実際の訪問調査はどの様なものかと言うと 母への質問は一通りシートの内容に沿って質問するの..
そんなこんなで、母が初めてのデイサービスに行ったわけですよ。 で、お昼食べて速攻帰ってきた!と。 話を聞いてみると 「ずっと座ってて疲れた」・・・もともと気が小さい 「私と話が合う人がいない」・・・この世に話が合う人は誰もいない 「あの中にいたらボケがうつる」・・・いや、もうボケてるから 「私もあーなるのかと悲しくなる」・・・いや、なり始めてるので という感じ。 ヘルパーさんを独り占めしてずっと話しているらしい。 そりゃ、ヘルパーさんは仕事だし、そこそこいい感じに話してくれるから心地良いだろう。 周りが全て自分に合わせてくれることはない事くらいは理解して欲しい。・・・これは性格だな とりあえず、気が小さい事が幸いしているのか、調子に乗った発言などはさほど無かったらしい。(ヘルパーさん談) 認知症対応の施設だから結構進んでる人もいるので、母の言っている事も..
さあ、母が初めてのデイサービスの日を迎えた。 私は仕事なので、妻に朝九時に母へ電話を入れてもらう。 デイサービス行く事を忘れて、デイサービスに行く支度をしていない可能性があるからだ。 九時に電話すると、ケアマネージャーさんを迎えるにあたり既に地域包括支援センターの方が家に来てくれていた様だ。 当然、母は「行きたくない」とかまたゴネてたらしいが、『とりあえず見学行かないとサービス受けられないから』と諭して何とか落ち着かせる。 ついでに『明日は介護認定の訪問調査だから行くね。』と伝えたが、母「え?明日?来るの?」とか。 やはり忘れている。 母の横には、地域包括支援センターの方もいたはずなので、この件は聞いているはず。 そんなこんなでいつものやり取りがありつつ。 施設のケアマネージャーさんが迎えに来てくれる。ここで、地域包括支援センターの担当の方とバトンタッチ。..
そんなこんなで母の初めてのデイサービスの日がやってきた。 とりあえず体験デイサービス。 前日とかにも母に電話をしているが、当然のごとく 「行きたくない。」「〇〇(妻のこと)はついて来てくれるの?」 とか言っている。 早朝に電話かけてきて「施設に入れろ」とか騒ぐのに、いざ行ってみるとなるとゴネる。 とりあえず、『体験だからさ』とか『嫌だったらヘルパーさんに言って帰れるよ』とか諭してなんとか納得してもらう。(デイサービスにすら馴染めなければ、施設入居など無理だし) 意外と母は人見知りなので困る。 前日までに、受け入れ施設に連絡を入れ(地域包括支援センターの方からは窓口を紹介してもらっている)、一言挨拶と翌日の迎えについて確認する。 当日は、 ①地域包括支援センターの方がまず自宅に行く。 ②次に受け入れ施設のヘルパーさんが迎えに来る。 という手順を..
母は毎日決まったスーパーに行っている。 そのスーパーには休憩所があり、そこでは椅子とテーブルなどがありコーヒーを飲んだり井戸端会議をするスペースがある。 そこに行って毎日知り合いと話をし、スーパーでちょこっと買い物をして、家に帰る。 これがルーティンになっている。 もともと、足腰は丈夫で長距離を歩くのは苦にならない人なので、昔はもう少し遠くまで歩いて行っていた。 ただ、最近はそのスーパーにしか行かないという事について妻と話をした。 実家⇔いつものスーパーの間の道のり・風景は私が小学生の頃からほとんど変わっていない。 しかしながら、以前行っていた少し遠いスーパーなどは開発により風景が変わっている。 (私が見ても「変わったなぁ」と感心するレベル) 恐らく、母は昔行っていた遠くのスーパーまで歩いて行って迷った事があるのではないか? 迷って『帰れなくなるかも..
母のを施設に入れる段階において、相応のお金がかかる。 で、そのお金は実家の資産売却で対応しようと考えている。 現時点では、多機能小規模施設にて通いで対応しようと思っている。 (母が「自宅に住んでいたい」と言うので) 但し、アルツハイマーの進行が進むにつれて、自宅での一人暮らしは難しくなるであろう。 即ち近い将来、遅滞なく資産を処分して母の住居に充当する必要がある。 ///予測される出費/// グループホームで 15万/月=180万/年=1,800万/10年・・・認知症ってこともあり高い! 介護認定が上がって特養に入れたとしても月額は同程度かそれ以上。 母の名義のままでは、私が資産の処分をする事が出来ない。かといって、今相続すると税金がバカにならない。・・・税金納める分があれば母の介護に充てたいし。 で、私が資産の処分ができる選択肢として ①成年後見人..
とりあえず、母の施設探しや体験などの段取りは進んでいる。 (早いか遅いかは別にして) で、次に気になって来るのは、『¥お金¥』の話。 「有り余る資産があり、不労所得で生活ができ、自分の老後も心配ない。」という人には関係ない話ではあるが、残念ながら私の実家及び私にはそこまで資産が無い。 で、なおかつ母は無年金。 実家の資産は現在居住の土地建物と実家の現金である。 実家の土地建物にしても大した金額ではない。 が、母を施設に入れる際に現金で対応しきれない場合には売って補填することを考えている。 ここで私と妻が決めているのは、 『母の介護には我々の資金は一切使わない』 という事である。 自分の老後は自分の資産で対応してもらおうと思っている。 当然我々にも老後の資金は必要なので、ここで資産を切り崩す事で自分たちの老後に不安を残したくない。 これは絶対譲れないライ..
1月15日(水)夕方に母へ定例の連絡。 「デイサービスの連絡があったら行ってみよう」とか話して平和に終わる。 早速、1月15日(水)夜にデイサービスを受けられそうな施設があるとケアマネージャーさんから連絡あり。 翌16日(木)の夕方にでも母に連絡をしようと考えていたら、昼過ぎに母から電話あり。 (私は仕事中でもプライベート携帯に出れるようにしている。私が出ないと周りに迷惑がかかるため。) 『デイサービスはどうなってるんだ?こないだ来た人(ケアマネージャーさん)から連絡が無いけど』とか言い出す。 そもそも、私の仕事時間中に電話よこす時点でマトモではないが、「今、いいところを探しているのでちょっと待ってて」と諭す。 『あんたが連絡取ってるならイイけども。』とか言って全てを丸投げ。 「俺も○○(妻)もついて行けないけど、とりあえず見学頑張ってみてね。」とそれとなく行けない..
午前中病院、買い物、お昼ご飯を、終えて14日最後のイベント、ケアマネージャーさんの面談。 時間より少し遅れて到着。 電話でも何度か話をしているが、会うのはこの日が初めて。 雑談をしつつケアの流れにもっていく。 こういう他人に話すときは大体決まって 『まだまだ一人暮らしで頑張れる』 『何も不自由なく一人で出来る』 『この先どーにかなったら施設を考えている』 大体こんな話をする。 どーにかなってるから我々は動いているのだが。。。 しかも、 「あーー施設にいれてくれーー」 とか早朝電話よこして騒ぐくせに。 ケアマネージャーさんは母を煽てつつも我々の話を聞いてくれている。 とりあえず直近としては、 ①デイサービス初めてなので、体験してもらう。 ②気に入ってもらえそうな所を数ヶ所行ってみる。 を提案された。 とりあえずは妥当な線かと。 ..
とりあえず早めに病院が終わったので、母の希望で近所のショッピングセンターへ。 町内会の新年会に着ていくのに何か服を買いたいらしい。 ちなみに昨年の12月23日に靴下と下着を買ったのだが、どこにしまったか忘れてるとの事(妻談) 母は昔から派手な色が好きなので、私と妻で見立ててあげる。 いい感じの服があったので、買うことにする。私が買ってあげようとしたのだが、自分で払うと言う。 ここは母のプライドを傷つけぬよう自分で支払いをさせよう。 しかしそこは認知症、まだ支払いの終わってないレジに突撃。 レジ打ち最中のテーブルに自分の服を置いてすました顔で立っている。 「まあまあ、ちょっとこっちで待とう」とか言って、レジ前の停止線まで誘う。 で、フォローしつつ場所を移しお昼のお弁当を買う。 夜には我々は帰るので、母の夜の分のご飯も買っておいてあげる事とする。 自分で選ばせ..
診察・診断が終わり、事前に予約していた病院の相談室に今後のプランについて打ち合わせに行く。 正式に母がアルツハイマー型認知症である事が確定したので、これからやるべきは、 ①介護認定 ②施設の選定 ③資産の管理 大きくはこの三つ。 ここでは、②を相談する。 こちらI病院の属する医療福祉法人グループの施設をあたる。 自宅からの距離、施設のタイプ、空きそれらを総合して相談。 こちらの(私と妻の)希望としてはグループホームに入るのが適当かなと思っていたが、母の性格的な面などを鑑みるとグループホームは馴染みにくいかもとの意見。 確かに医師からは診察時に「介護付有料老人ホームとかはアリだね」とか言われたが(笑) ただ、『介護付有料老人ホームは高い!』ので違う方法を考える。 相談室では、自宅からも程よい距離で結構綺麗な施設を提案される。 こちらは小規模多機能施設..
アルツハイマーと告げられた後、先生が少し悩んでいる。 『薬どうしようか。今、結構飲んでるし。』 『今までの薬もらっている病院から出してもらおうか?どうしようか悩む。』 私からは、 『薬があるのならばお願いしたい。』 『認知症に関しては、こちらが専門なので、こちらから処方してもらいたい。』 と伝える。 従前のレポートにて、既に飲んでいる薬は報告済なので、飲み合わせに問題はなかろう。 先生から処方する薬について告げられる。 『アルツハイマーに処方する薬は劇的に効くことはない。』 『治験の結果を見ても”効く人もいる”というレベル。』 『効いたとしても、若干進行が遅くなる程度。』 こんな感じ。こちらとしても正直な話をしてもらった方がありがたい。 『もう進行するだけで治ることはない』 という訳だ。 インパクトのある話だが、母は落ち着いている。何よりだ。 ..
そんなこんなで実家を出て、I病院に向かう。 車が空いていたので、受付開始時間前に到着。 順番カードだけゲットして車の中でテレビを見つつ待機。 順番は2番目。今日は忙しいから早い番号で良かった。 ほどなくして、受付が開いたので待合室に移る。やはり緊張するのだろうか母はトイレに行く。ちなみに私も(笑) 母は「来なけりゃ良かった」とか「おかしかったらどうしよう」と相変わらず。 診察券忘れたとか言っていたが、財布の中を見て発見。良かった。 隙を見て、受付の方に「先生にこのレポート渡して下さい」とレポートを託す。 前回受診以降の母の状況を更新したレポートである。 診察一番目の方が出て来てから、しばし待たされる。 前回もそうだった様に、この間、先生がレポートに眼を通している。 で、ついに診察。 『脳全体の委縮はさほど見られない。』 『脳の細い血管の動脈硬化を原因とした..
ついに母の診断結果発表当日。 例の如く朝一で新幹線で地元へ。新幹線を降りて即レンタカーを借りて実家に向かう。 ※いつもの格安レンタカー まあ、初診の時のテストと先生の発言からだいたいは予測できるが(笑) 母自身は相当不安な様子。 前日、その前の日も電話で話したが「おかしかったらどうしよう」とか「病院行かなきゃ良かった」とか「結果聞きたくない」とかずーーーーーっと言っている。 『どういう結果でも大丈夫。俺らに任せて。』 と言って落ち着かせる。 そもそもおかしいと思ってなければ病院に連れて行ってないし。 介護認定を申請するに値するから俺らも動いてるんだし。 本音で言えば「いや、それ言われてもこっちも困るし」なんだけど。 病気だから仕方ない。 この日有休を取って地元に戻って母を病院に連れていってるので、結果を聞いて色々騒ぎ出して夜帰れなくなるの..
今日は久しぶりにトレーニング。 かれこれ20年以上空手を嗜んでいる。 学生、社会人時代はアメフトをしていたが引退した後に28歳頃から空手を始めた。 空手にも色々種類があるけれど、私が始めたのは極真カラテ。 実際に人に当てて倒すことを目指す。 歳をとるとウエイトトレーニングなどは関節、筋肉に負担が大きくなるので、45歳を越えてからは自分の体重を使ったトレーニングが主体。 腕立て伏せとかスクワットとか。 動ける体を維持するのが目的なのでそれでも良いかなと。 あとは技術でカバーすることを目指している。 黒帯なので道場ではみっともない事は出来ない。 大きな声を出し、全力で動き、自由組手(スパーリング)では下の帯の方には負けてはならない。 負けてはならないからこそ一生懸命稽古する。 母の件で稽古する時間は減ってしまっているが、いつ道場に行っても..
午前中、母の対応をしつつ仕事をこなした。 母の対応自体は上手くいけばさほど時間はかからないし、昨夜の電話を忘れていたのでラッキーでした(笑) 但し、「死にたい」とか「寂しい」とか言い出すと対応が結構大変。 どうせ死なないのは分かってるけど、ワーワー騒がれたまま電話を切るのはコッチの後味が悪い。 で、午後イチで市町村の訪問調査センターに電話をして、介護認定訪問調査の日時を調整する。 行政の外郭団体なので役所的な対応かと思ったが意外に柔らかい対応。包括支援センター的な雰囲気(表現が分かりにくいかも知れないけど、一言で言えば優しい感じの対応)。 母の名前と私の続柄、電話した要件を伝える。 先方には書類は回っているようで、すぐに確認してくれた。 私からは 「母は一人暮らし」「私と妻は東京在住」「訪問調査の際には私と妻が帰郷し同席する」「認知症なのでなるはやで介護認定を..
前日の夜19時頃に母から私の携帯に電話があったみたい。 今回は朝一番で私から折り返す。 「え?かけたっけ?」と母。 いつものことだ。 さすがに死んでたりしたらマズいので着信のスルーはしないようにしている。 私はスマホ(データ通信のみ)と一緒にガラケーも持っている。(プライベートで二台持ち) 母のらくらくホンには短縮で私の番号を登録してある。 母は時間を問わずいきなり何度も電話してくる。マジメに対応していては仕事も出来ないし。 ガラケーはカバンにしまっておいて休憩時にチェックすることに。 電話をかけまくるのは、アルツハイマーの影響もあるし止めることも出来ないし。 でも、こちらの生活もあるし。折り合いをつける程度が大事かと。 着信があったときに私から折り返せる時は私からかける。仕事などで掛けられないときは妻に連絡してフォローしてもらう。 私のガラ..
夕方17時頃、包括支援センターに電話を入れる。 要件は「訪問調査センターへ連絡を入れて良いか否かの最終確認」。 大事なプロセスだから、心象を悪くするなどのミスは犯したくないので。 担当ケアマネージャーの方から「大丈夫、電話して名前言ってもらえれば分かるはずですよ。」との返答。 翌日1月10日(金)に電話してみることにする。 ついでに、14日(火)のケアマネージャーさん訪問についての打ち合わせ及び面談日程の確認。 I病院相談室の担当の方と情報共有が出来ている事も確認が出来た。 相談室に伺った際(12月30日(月))に打ち合せたポイントが包括支援センターと共有されている。 【12月30日(月)に打ち合せたポイント】 ①『4月~なら対応出来る小規模多機能施設がある。そこは実家からも近く綺麗なのでそちらを最有力として候補にする。』 ②『問題は3月いっぱいまでどの様に..
夕方母から電話あり。 「22だか23だか病院行くんだっけ?」との電話。 初め何を言ってるのか解らなかったので???となったがすぐに気づく。 12月23日に検査に行ったことを言っているんだな?と。 「その日は検査の日だよね。先月行ったから大丈夫だよ」と返答。 「そうだっけ?行ったっけ?」と母。 何を忘れて何を覚えているかが分からない(笑) I病院の先生に「否定しないように。同じ話を繰り返してもその度に対応してあげて。」と言われていたのでその通りに対処する。 話ついでに「今度病院行くときは検査結果を聞きに行くときだね。今、日程調整してるから。(本当は日程調整済で決めてある)」と話す。 病院に行くことを覚えている いつ行くかを覚えている が 病院に行ったことを忘れている 今日が何月何日か分からない みたいな感じか? 事象に対してキレイに全..
私は、あまり夢を見ない方なのだが昨夜の夢には父が出てきた。 茶の間には妻と母。母は台所に背を向けて座っている。 私は玄関から入って台所に向かうところで父発見。もの凄いクリアに見える。 台所のダイニングテーブルを背に茶の間の妻と母を見ている。 私は「え?まじで」と言うと父はこっちを向いて「おう!どうだ?」といつもの調子。 記憶にある最終形態の父そのまま。 私は『大体、幽霊とかアレは向こうが透けて見えるんだよな』とか思って父に近づく。 やはり、若干透けている(向こうが見える)。 しかし、イメージしてたよりは透けて無い。意外と濃い。 さらに私は『こう言うのってよそ見してたりすると居なくなるんだよな』と思い、あえて妻と母に視線を移す。 そこから父に視線を戻す。父、パッと白く霧散する感じで消える。 私「だよな(笑)大体こう言うのってパターンがあるんだよな(笑)」..
ここまでの動きをおさらいすると ①Sオバサンから第一報 ②I病院受診 ③脳スペクト、MRI検査 ④介護認定の申請 ⑤I病院にて診断結果 ⑥ケアマネージャーさんと面談 この様な流れである。 (ここまでで、約2ヶ月。遠距離であることと正月を挟んでしまったので時間がかかってしまった) ⑥の後に介護認定にかかる行政の訪問調査があり、介護認定となる。 介護認定は訪問調査と主治医の意見書の2つによって判断される。 この主治医については専門医でかつ経験が多いことを念頭に置いて市町村の指定病院を選択した。 ※市町村の指定病院=意見書を書く主治医を持たない人に診察を指定される病院 ②~平行して施設の検索。 自分でも調べているが、I病院の相談室及び地域包括センターにも連絡を行う。 施設によってサービスの内容とか雰囲気が異なるので情報のサウンドは必要。 良さげ..
正月も明け、介護申請への動き出す。 12月30日(月)に相談室にて受けたアドバイス通り地域の包括支援センターへ連絡を入れる。 地域の包括支援センターではケアマネージャーの資格を持った方々が介護の相談に乗ってくれる。 話だけだと状況が掴みにくいと思い、事前にFAXにてレポートを送付の上で電話。 レポートのおかげで状況は把握して頂いているようだった。 電話にて「この電話で介護認定の申請手続きをしますか?」と提案を受けたので「是非お願いします」と返答。 介護認定の申請日から介護保険の利用が出来るという事も教わった。知らなかった。 介護認定の申請をすると行政から数日後に「介護保険資格者証」が実家に送られてくるのでそれを受け取っておいてもらう様に指示を受ける。=大事な書類 更に、ケアプランを立てるにあたり、面談が必要なので面談日を調整。 (ちなみにこれが1月14日(..
元日を大荒れにて過ごした癖に 「あーーーーゆっくり寝た」 とご機嫌で起きてくる母。 昨日は「明日、あんた方が帰ったら自殺する」とか言ってたのに(笑) まぁこんなもんか。 この変化がイラッとするので薬をちゃんと飲んでるか確認する。 デパス、セパゾンについては常用してない。 落として飲まないとか以前に 「調子悪いときに飲む」 とか言っている。胃薬じゃないんだから! 躁鬱の状態について納得。 医師から「調子悪いときには飲んでいいよ」と言われてそれだけ覚えてると類推。 今日は自宅に戻るのでまた騒がれてはたまらん。 目の前で薬を飲んでもらう。 そんな感じで過ごしてたが妻から報告。 『お母さん、洗面所のお湯出しっぱなしだったよ』 母が洗顔に行ってから30分位経ったとき。 何か思い出すとそっちに意識が行くんだな。 脳がマルチタスク非対応というこ..
1月14日(火)にて12月23日(月)の脳スペクト検査+MRIを踏まえた診断結果が出た。 『アルツハイマー病+脳の血行不良による認知症』 との事であった。 こちらについては後ほど詳しく説明したいと思う(笑) ↓ここからは1月1日(水)の続き 夕食後、20時前。 昼間の話を蒸し返す。 昼間の会話の中で私から 「そういうことばかり言うとAさん(昔よくうちに来て親父の仕事を手伝ってくれたオバサン)が離れるよ」 との話が頭に残ってたらしい。 それに対して 「そんなことはない、時間が無くて連絡してないだけ」 「私の連絡先を教えていないから連絡が来ないだけ」 「Aの家系は手癖が悪い」 「うちでも相当世話してやった」 とか言う。 最終的に全てをディスる。 認知症になり性格の先鋭化と感情アンコンが著しい。 しかも、いつもスーパーで会ってる友達..
母の攻撃から逃れ、妻の実家に向かう。 私もかなりのダメージ。 胃が痛い。にも関わらず、母から電話。 「もう出掛けたか?何時に帰ってくる?」 どこに行っても攻撃が続く。 「出掛けたよ。なるべく早く帰るから」 と返答。 妻の実家に到着。宴会中だったので軽く挨拶。胃薬をもらう。 妻の兄と奥さんは我々がヤられている事を知っているので、気持ちが楽だ。ありがたい。 と言う間にも母から電話 「今夜のすき焼きのカセットコンロのガス買わないと」 「電気のやつ使うから大丈夫だよ」 ※毎年うちの元日はすき焼き。さらに、ここ10年位ガスコンロ使ってない。 で、小一時間ほど滞在したが後からうるさいので帰る事とする。 帰宅途中にて再び母から電話。 「すき焼きの割下がない!買わないと!?」 「大丈夫!昨日買ったから。テーブルの上に置いたよ。」 ※いつも使ってる桃屋のすき..
元日の午前中は平和に過ごしていた。 なんの事はなく毎年の通りに「◯◯(妻)の実家に行ってくるね!」と出掛ける旨告げる。 すると。。。 母→鬱 「具合が悪い。」「死にたい。」 と妻に良い始めたらしい。 (この手の駄々は私が席を外している時に始まる事が多い。) どーしたのとか優しく対応するが、徐々にキレ始める。 母→やや怒 「正月なのに出掛けるとは何事だ」 「普通は正月出掛けずに家族と居るものだ」 私と妻 「毎年行ってるけど。。。どーしたのいきなり。」 母→怒 「前々から思ってた。あんた方は常識がない。」 私と妻 「分かった。出掛けない。居ます。」 母→激昂 「出掛ければ良いさ。出掛けなさい。」 「あなた方が居ると具合悪くなる。」 「ここは私の家だ。出ていけ。」 私と妻 「え?????」 (私の心の声=『狂ってる..
2020年1月1日を迎える。 朝はいつも通り8時位には起きる。 さぁ、2020年最初のレスポンスはいかに! とりあえず、明るくもなく暗くもなく。 いきなり『死にたい』とか言われたらたまったものではないので良しとする。 お節については、色々な所から買っているが、今年はこれ↓ 一昨年買って美味しかったので購入。 肉専門店のお節なのでローストビーフが美味しかった。 お雑煮は妻のサポートのもと、家で作る。妻に作ってもらえば良いものの自分でやりたいようだ。 前日スーパーで雑煮用の鶏肉を買ってきて冷蔵庫に入れてたのだが、母は見つけられなかった模様。 腐って捨てた別の鶏肉をゴミ箱から取り出そうとするのを妻が止める。→何気にインパクトの強い所作 正月から食中毒はゴメンだ。 お節と餅関係を食べて元日の朝は終了。 箱根駅伝を見つつしばし時間を過ごす。 毎..
前回のブログで『介護保険料納付』について書かせてもらった。 スゴく大事な事なので、まとめて簡単におさらいする。 (私がそもそも介護保険に関して疎いだけかも(笑)) ①遠距離にて親が一人暮らしをしている方 ②実家が商売とか個人事業主(個人事業主だった)の方 ③親が65歳を超えている方 ④親が行政手続きに疎い方 上記①~④に当てはまる方は実家に行った時になるはやで介護保険料の納付済証の有無を確認した方がよろしいかと。 納付確認済証が無い場合は行政の窓口でも確認できるのでお早めに。 介護保険証は一度発行されたら、表記上の期間を超えても有効な扱いとなる。 納付の度に保険証が更新されない。 即ち、介護保険証を見ただけでは介護保険料を納付しているか否かは不明。 で、介護保険料の未納付については期間によってペナルティが存在する。 ※当然未納期間が長いほどペナルティが..
大晦日の夕食と年越し蕎麦を食べて、紅白を見る。 この時点で20時頃だったと思う。母のご機嫌はよろしい。平和だ。 だいたい実家にいる時は私と妻と母が三人、茶の間で過ごす。 母は延々と話を振りまくるので、適当に相槌を打って対処。 しかも同じ話が多い。→認知症テンプレ そんな中で、たまたま近所の人がケアサービスを受けに行っているという話が出てきた。 妻、このチャンスを逃さず「お母さんならどういうホームがいいの?」「お友達はどんなところに行っているの?」「家に来てもらったほうがいい?それとも行ったほうがいい?」とそれとなく話を介護方面に持っていく。 「グループホームとかも良いよね。みんなで一緒だから寂しくないし。お買い物にも行ったりするんだよ。」とポジティブなネタも忘れない。 母「ご飯さえ食べさせてもらえればイイんだ(笑)」なんて事を言ったりしていい感じに話に乗ってくる。 ..
ようやく2019年も終わりを迎える大晦日。 朝8時過ぎに起きる。 母は先に起きていたが開口一番『私はおかしくなった。施設に入れて欲しい。死にたい。』と! あーーー今日はこのパターンの始まりね。 「施設に入るにも順番があるからね。すぐには入れないの。今日は大晦日だから正月の休み明けに病院行ったり、ケアマネージャーさんと打ち合わせしましょう。」と妻が対応。 小一時間ほどなんやかんや言っていたが、とりあえず沈静化。 母のパターンは ①「まだまだボケてないから今は大丈夫。」 ②「おかしくなった。施設に入れてくれ。死ぬ。」 ③「寂しくて仕方がない。すぐ来てくれ。死ぬ。」 この3パターンをランダムに繰り返す。 故に、 各々のパターンに対してQ&Aを作り同じ対処をする。 前の事は忘れる事を利用して平和を守る。 大晦日はストレスのピーク。私も妻も耳鳴りがすごい。..
I医院の介護相談室に寄ってから実家に向かう。 夕食は駅でお弁当買って用意してある。 だいたい17時30分に着くだろう。 午前中、母から電話もらったときは 「来るの遅い!何してんの!」 とかブツブツ言われたが、 「介護相談室行くから遅くなる。」 とかホントの事言うとうるさいので適当に流しといた。 どーせ忘れるし(笑) 実家到着。 母の機嫌よし!午前中の電話は忘れているようだ。 5年くらい前から着けてる時計見て「あら珍しい時計だこと」とか言ってたり。 盆休みに買ってあげた水筒が冷蔵庫に入ってたり。 休みの間泊まる私の部屋か何かジャリジャリする。 茶の間も(ホコリで)空気が悪い。 掃除してない模様、それもまた認知症テンプレ。 認知症ってのもあるけど、そもそもオヤジが生きてた時は掃除とか朝ごはんとかオヤジが作ってたし(オヤジは異常にマメ)。 ..
12月23日(月)に検査に立ち会って以来、一週間ぶりの帰省。 正月休みとは言いつつも、休めないことは覚悟(笑) いつも通り23日以降も毎日電話をして様子を確認している。 やはりストレスがかかるのか妻も私も耳鳴りがスゴい。耳鳴りが酷いと目眩まで。 しかし、漠然とストレスを受け続けるとこっちが削られるので、スケジュールを決めて目標を立てて一つ一つクリアしていく事で気持ちを整える。 年末の30日ではあるが、I医院付属の介護相談室が開いていれば伺い、分からない点を教えてもらおうと思っていた。 地元の駅に着いてから電話してみる。(もともとその予定だったので、前の日までに質問と相談事項をまとめておいた) 運よく開いていたので、実家に帰る前に相談室に寄る。 介護認定フローの確認と今後のケアの方向性(認知症の進行と本人の性格を踏まえ)、施設の混み具合とスケジュール感..
そんなこんなで17時頃には実家に帰宅。 母が落ち着かなかったK医院での滞在時間は20分弱。 翌日がクリスマスイブだからイブイブと言うことで3人でクリスマスのディナー。 昼にいつも頼んでるお寿司屋さんに出前を頼んでおいたので、届けてもらう。 田舎の寿司はクオリティが高い。東京だったら結構取られると思う。 母の食欲は絶好調。ちゃんと一人前食べていた。 (コレステロールがどうこうとか言ってイクラとか食べないのはいつもの事) 落ち着いている。 前回帰った時に母が「財布壊れた!」とか言ってたので、プレゼントは新しい財布を用意した。 クリスマスケーキはいちごと生クリームのオーソドックスなもの。友達の経営しているセブンイレブンで購入。 私も妻も甘いものが好きなので、スイーツを食べ歩いている方ではあるが、ケーキのクオリティの高さに驚き! 初めは「どーせコンビニのケ..
脳スペクト、MRI検査終了後、薬をもらいたいと言う母の要望でK医院に向かう。 この時点で16時位だからK病院は余裕で間に合う。 病院後、クリスマスだから母と一緒に晩御飯を食べて妻と共に帰京することにする。 で、K医院に薬をもらいに行った時に母の異常行動炸裂。 落ち着いて待ってられない。 2分と順番待ってられない。 受付のお姉さんらに「何ヘラヘラ喋ってんの!早くやりなさい!」とか言ってる。しかも声デカイし。 受付のお姉さんも慣れてるようで無視。→さすが行きつけ(笑) 無視されると受付のカウンター叩いてアピール。受付から動かない。 待合室の椅子に座らせる→また行く。こんな感じ。しかも"何かおかしいこと言ってます?"的な感じだし。 5分位はもってもらいたいがもたない(笑) ほどなくして、診察室に一緒に呼ばれる。 診察自体は先生との面談みたいなもの。I病院でのこと、..
そんなこんなで12月23日(月)→母の脳精密検査 脳の精密検査=脳スペクト検査+MRI検査 だいたい何となく見たことある様な画像ですね。 患者が何を言ってもデータが物語ってくれます。 (Dr.HOUSEという私が大好きなアメリカのドラマがあるのですが、その中で主人公のHOUSEは口癖の様にこう言います『患者はウソをつく』。病院付き合いが多い方には面白いドラマだと思います。) 有給休暇を取り、朝一で妻と実家へ駅を降りてからレンタカーを借りて向かう。 ※いつもリンクで予約してレンタカーを借りてます。(8時~20時で5,000円切るので) クリスマスですから、母へのプレゼントを持参し友達の店に寄って予約していたケーキをゲット。 検査の予約が14:30なので昼食におにぎりも買う。 で、実家に到着。 やはり始まる。 母「行きたくない」「頭がおかしかったら自殺する..
お昼過ぎに妻からメッセージが届く。 母、具合が悪いとの事で行きつけのK医院に行ったとの報告。 結果的に便秘だったらしい。浣腸にて排泄後、血圧が下がったらしく顔色が悪かったので医師の判断で点滴を行っているとの事。 で、点滴中に母から妻へ電話。 いつもの如く「死にたい」とか「寂しいから泊まりに来い」とか。→もうルーティン化 妻から医師へ状況の確認の電話をしたところ、医師は「全然問題ない。一応、点滴しといたまでだからワザワザ来る必要もない」との事。 医師と話ついでに睡眠薬の使用を止めたことを報告しデパスをキチンと飲むように指導をお願いする。 このあたりまで妻から私に報告があり「行った方が良いかなぁ」と相談。 私は「行く必要なし」と返答。 ここで母の要望通りに母の所に行ったところで何も解決しないし妻がこっちに戻ってきたら再び「来い」と呼ばれるのは間違いない。 私は認..
11月後半からは、私か妻が毎日定期的に母へ電話を入れるようにしている。 11月中旬頃から呂律が回らない、話し方に力がない、その様に感じていた。 それに物忘れも加わりこれはヤバイぞとなって急いで動き出したと言う経緯でした。 12月3日(火)にI病院を受診した際に先生より「睡眠薬は飲まないように」と言われて以来、母も睡眠薬を飲んでなかったらしい。 12月5日(木)に電話をしたところ、睡眠薬を常用している時と比してかなり声に力があった。 物忘れに関しては変化なく忘れ続けているけども、まあ声に力が戻った感じがしたので「少し時間が稼げるか!」と少し安堵した。 12月6日(金)朝8時いきなり母から電話。開口一番「死にたい」。また来ました。SおばさんやCおばさんにも「寂しくて死にたい」とか言って電話かけまくりらしい。 後から妻から聞いた話では、Cおばさんから電話が掛かってきて「今回..
たまには話を変えて映画の話を。 お正月、自宅で過ごす間はたまってる映画やドラマを見て過ごしました。 映画は 『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』 なんかアイドル映画と思って敬遠していたのですが、思ってたより全然良かったですねスポ根映画としては。全然チャラくなかったですね。 映画ですので現実離れしている点は差し置いても、男女問わずスポーツをやっている人やコーチをしている人は見ても損はないかと思います。 私自身、幼稚園~社会人まで様々なスポーツを続け、大学~社会人でアメフトをプレイしていました。(社会人はXリーグ) 少し前の映画なのであらすじは色々な所に載っているので割愛しますが(笑) 歳をとったせいか私の目線はどうしてもコーチの天海祐希さん目線になってしまいます。 『勝つ事でしか得られないものと負ける事でしか得られないもの..
11月の中旬から後半に母の異常を確信し、散々文句を言われたが条件に合う専門の病院を受診出来たので少しホッとしました。 (実際はこのあと色々起きますが(笑)) この時点までにツールとして最も役立ったのは医師に渡したレポートかな?と思います。 これのあるなしで医師の理解の深度も変わるし。 病院や地域の介護相談とかに行くとまずは「お母様がどの様な状態か教えて下さい」と言われる訳です。 その時に口頭でのやり取りだけで進めると疲れてるから抜けが出てきてしまうのですよ。 さらに、母が『私は全然大丈夫です!』的な感じでウソつくし。 私の場合は今更で遅いのですが、”日記”つけとくと良いかもしれませんね。 (自分で日記をつけてそこに親の事を少し書いておくとか) 最近は細かく記録しているので可視化出来てますが、電話の頻度とか機嫌の善し悪しなどを時系列で追える形にしておくと変化が分..
10時過ぎ頃診察室へ呼ばれる。先生の手持ち資料の下には隠れて渡したレポートがあることを確認する。 N医師は人当たりがよさそうな先生。話も軽妙で母も落ち着いている。さすがプロと言う感じ。 雑談をしつつテストを行う。 母への質疑応答ではつい私が答えてしまいそうになるのを妻から止められる。 そりゃ私が答えたらテストにならないわ!と納得(笑) 体の動きのチェック、質問に答えるチェックをそれぞれ行う。 体の動きのチェック →先生が「この様に動かして」という指示に対し早く張り切ってブンブン動かす。#59036;#59036;#59036;このパターンか 記憶を含めた認知機能のチェック →「子供は何人いますか?」との質問に詰まる。#59036;#59036;#59036;少しビビる →「今日は何年何月何日ですか?」との質問に答えられない。#59036;#59036;#59036;すぐ横にカレンダーあるのに →「ちょっと算数をしてみましょう」との質問に混乱#59036;#59036;#59036;パニックになっちゃっ..
12月3日(火)母の初診当日 8時前には来るなと言われていたので、8時15分頃実家到着。 ※寝起きでボーッとしている所を見られたくないらしいから8時過ぎに来いと言っていたと思われる。 診察に行くことに関しては母は色々と文句や不安を言っていたが「おかしくない事を確かめる為に病院に行く」「歳を取ったら何かは出てくるけど気にするな」「脳の検査などは脳ドックだと思って」という感じで話をする。意外にアッサリ話は聞いてくれた。 母を連れてすぐ出発し9時頃にはI病院に到着。 ちなみに、紹介状は母が開けて中身を見ていた。相当不安なのだろう。紹介状の中身に関してはドラスティックな文言が無かったのが不幸中の幸い。「物忘れが多くなっているので」という形で紹介状の内容が記載されていた。物忘れに関してはある程度ではあるが自認しているので、受け入れられたのであろう。 受付に紹介状を提出し診察の..
12月3日(火)AMにてI病院での母の初診に立ち会うべく妻と共に地元に戻る。 朝一で地元に戻るのはさすがに厳しいので前日の夜に帰郷し朝一でレンタカーを借りて実家に向かう事にした。(母は早寝なので夜遅く起こすのはヤバイ) ちなみにレンタカーを借りる時は直接営業所に予約するよりもこちらで予約した方が遥かに安いです。 妻には散々手伝ってもらっているので、たまには美味しいご飯でも食べようという事で こんな感じのディナーで決起集会。 初診前日の夕方にも母から電話あり「もしも、おかしかったらどうしよう」的な内容。 当日拒否されても厳しいので再び「おかしくないことを確認しにいくのだから大丈夫」「脳ドックみたいなものだから気楽にね」となだめ、なんとかその場をおさめる。 ホテルにて翌日の診察時に医師に渡す資料を確認。 ①家族構成・詳細 ②疾病歴 ③数年前からの行動で気にな..
12月3日(火)にI病院に母を受診させるにあたり、私も介護保険・介護認定の情報を集め始めた。 とは言うものの、集め始めたと書いたが実際は「妻が集めた情報を妻に教わっている。」というのが正しい。 基本的すぎるかも知れないけど、”介護保険を使う=介護認定を受ける”上で最低限必要な事項は ・地域包括支援センターへの連絡 ⇒被保険者の居住地とリンク ・主治医意見書を書く病院の選択と受診 ⇒私の母の住んでいる区域ではHPに指定病院の記載がありましたのでそこを予約しました。 かと思います。 参考↓ 実際に認知症と診断されてからの介護認定は時間のロスとなります。 ※あなたが思っているより認知症の進行は早いと考えてください。 早めに行政なり病院なりに相談する事をオススメします。 Tweet
母に認知症関連の病院を受診させるにあたり、どこの病院が良いかまず考えた。 マストな条件として ①行政の指定病院であること(今後の介護認定へ進む事に備えて) ②母の住居から近いこと である。 運良く①と②を満たす病院があったので、かかりつけのKクリニックへ行くことを母に指示。 Sおばさんにお願いし11月25日(月)に母を連れて行ってもらう事とした。 事前に私からKクリニック医師に電話をして状況を説明。紹介状の作成をお願いし了解を頂く。 結果、私の依頼通りのI病院への紹介状を頂く事が出来た。 ここまで母異常アリの第一報から実働3日で完了。 その日は、紹介状を頂いてその足でI病院へ向かったが、母のご機嫌が悪いためすぐに自宅に帰ってしまった。(I病院には老人介護施設も併設されておりそれを見て『あんなのと一緒にするな!』とご機嫌斜めになった。) しかしながら、I..
2019年11月後半にSおばさんから 「どうも最近様子がおかしい。認知症なのではないか?」との電話。 もうすぐ80歳になるので物忘れなどがある事は以前より感じていたが、最近とみに進行している模様との話だった。(Sおばさんには母がよく電話をかけ話をしている。) 思い返すと確かにおかしい点はあった。 お正月、GW、お盆には毎年必ず実家に帰省していたが、その際にも掃除の不備や料理の不手際などが2017年後半頃からなんとなくではあるが感じられた。 但し、全てが著しくおかしい訳ではなく、部分的に感じられるレベルであった。 (加齢に伴う能力の低下と区別が難しいと感じていた。) 2019年に入ってからは、私の携帯にAM2時とかに母からの着信履歴が残っていたりした。翌日折り返すと「電話してないよ」と言う事が多々あった。 2019年中盤を過ぎると、妻が母に電話した後に私が電話をす..
初めまして 2020年スタートを機に母の認知症関連記録としてこのブログを始めました。 同じような状況・環境の方、また医療介護の勉強をしている方のお役に立てればと思います。 メインの登場人物は、 母:79歳。20代で結婚、30代で私を出産、私を出産以降は主婦。2012年から東北地方(私の実家)で一人暮らし。子供は私一人。性格は頑固であり自己流の正義感が強く常に主役でありたいタイプ。 私:49歳。20代で結婚、妻と二人暮らし。22歳から今に至るまで東京に在住。ごく普通のサラリーマン。 妻:49歳。ごく普通の主婦。優しくて勉強家。 Sおばさん:母の姪、50代。母の信頼は厚い。 Cおばさん:母の妹、母と性格的に似た所がある。 です。 次の更新からは本題に入ります。 Tweet
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