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ケンのバイクでトコトコ日記 https://www.kentocotoco.com

バイクに乗ることが好きな 独身中年男性です。 和歌山市から日帰りなどで 行ける範囲(大阪や奈良、和歌山南部など)行った先々の場所や食べ物(主にラーメン)を紹介していきたいです。

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2020/01/05

1件〜100件

  • 和歌山県橋本市隅田町垂井[隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)]までツーリング

    隅田八幡神社は京都府石清水八幡宮から勧請された神社です。 ここに伝わる人物画象鏡は、日本最古の金石文の一つ として国宝に指定されています。 神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を 経て大和の都に御還幸の途次、この地に滞留なさせ給いし旧跡にして、 貞観元(859)年に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれています。 // //

  • 和歌山県橋本市柱本[葛城神社(かつらぎじんじゃ)]までツーリング

    葛城神社は、素盞鳴命を主祭神とし、歓請については、詳細不明、 古老の言伝えによれば、正平4(1349)年頃、戦火により、 旧記等、悉く焼失したと伝えられています。 当地は紀伊見峠の麓にあり、京都摂津より高野山に至る 街道として古くから知られています。 // //

  • 和歌山県橋本市矢倉脇[天王神社(てんのうじんじゃ)]までツーリング

    旧伊都郡相賀荘辻村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「牛頭天王社」と記され、 境内は周84間(約151メートル)です。 『紀伊続風土記』に一文あり。「村中にあり、三百年前矢倉脇村 (現・橋本市矢倉脇)より勧請すといふ。神事は九月二十八日なり」と記され、 神宮寺の記載はありません。 // //

  • 和歌山県橋本市市脇二丁目[相賀大神社(おうがだいじんじゃ)]までツーリング

    相賀大神社は、古くは相賀荘惣社大明神・総社三部明神とも呼ばれ、 祭神に「天照大神」「伊邪那岐神」「伊邪那美神」が祭られています。 創建は明らかではありませんが、その昔、一町三十一とも二十九村とも いわれるこの地区の総産土神として崇敬されてまいりました。 // //

  • 和歌山県橋本市南馬場[天満宮神社(てんまんぐうじんじゃ)]までツーリング

    学文路天満宮(かむろてんまんぐう)とも言います。 ここから300メートル程登った所に境内があります。 // //

  • 和歌山県橋本市神野々[光三宝荒神社(ひかりさんぽうこうじんじゃ)]までツーリング

    光三宝荒神社は高野山の麓、紀ノ川のほとり神野々に鎮座する 神仏習合の古社です。創建は古く、寛治4年(1090年)この地に 三宝荒神が光明を放って天下りしを時の法皇白河院が感得し、 祠を建てられたのが始まりとされています。 // //

  • 和歌山県橋本市高野口町九重[信太神社(しのだじんじゃ)]までツーリング

    前回のブログで紹介した小田神社より北に5キロほど 行った先に鎮座している信太神社の紹介です。 信太神社は土竜封じの神として信仰されています。 縁起は不詳です。 // //

  • 和歌山県橋本市高野口町小田[小田神社(おだじんじゃ)]までツーリング

    小田神社は、饒速日命の十三世の孫である物之部武彦(建彦)命を 主祭神としてお祀りしています。 この神は物之部尾興連公の弟神で小田連等の祖です。 醍醐天皇の延長五年(927年)に撰上された「延喜式神名帳」に、 「小田神社」として記載されている式内社(紀伊国で三十一社、 伊都地方では天野大社(丹生都比売神社)とともに二社)です。 // //

  • 和歌山県橋本市高野口町名古曽[名古曽蛭子神社(なごそえびすじんじゃ)]までツーリング

    名古曽蛭子神社は、約300年程前に創建されたと伝えられ 当時紀ノ川は神社の西側の方角に藪の下を通って 滝の井戸の方向に流れていました。 ある年の大洪水に遭い、祠が流されてしましました。 // //

  • 和歌山県海南市重根[千種神社(ちぐさじんじゃ)]までツーリング

    千種神社は地元で「あしがみさん」と呼ばれています。 というのも、かつてこの地域を支配していた名草一族の首長 「名草戸畔」(なぐさのとべ)の足が祀られているという伝承があるからです。 「あしがみさん」ということから、足腰の健康にご利益があります。 神前に草鞋を供えて、足腰の健康を祈願する風習が残っています。 // //

  • 和歌山県有田市野[立神社(たてじんじゃ)]までツーリング

    立神社の祭神は大屋毘古神を祀っています。 嘉応元年(1169年)宮崎定範が宮崎郷を領し、一城を築き、 この立神社境内へ別に社殿を創造し、熊野十二柱の神を祀り、数代崇敬しました。 // //

  • 和歌山県有田市糸我町中番[糸我稲荷神社(いとがいなりじんじゃ)]までツーリング

    糸我稲荷神社は有田市にあり、日本最古の稲荷社といわれており、 江戸後期の社伝によると「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、 社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、白雉3年(652年) の創建といわれています。 // //

  • 和歌山県有田市宮原町道[宮原神社(みやはらじんじゃ)]までツーリング

    道の東山麓にあり、もと「八幡宮」といい、明治6年八幡神社となり、 明治28年に宮原神社と改めました。 十五代天皇・応神天皇と仲姫命の娘の名前は、『古事記』では 「木之荒田郎女」、『日本書紀』では荒田皇女です。 「荒田」は有田郡の村名であるが、一説には現在の有田市宮原町周辺で あるとも考えられています。 // //

  • 和歌山県有田市箕島[箕嶋神社(みのしまじんじゃ)]までツーリング

    箕嶋神社は、古来より烏の杜と呼ばれ、当初は水主神社と称していましたが、 牛頭天皇、祇園社、と名称が変わり、明治三年より箕嶋神社と 称するに至っています。 // //

  • 和歌山県有田市初島町里[國主神社(くぬすじんじゃ)]までツーリング

    國主神社は、初島町大字椒里地区の氏神です。 此の神社附近の田畑は、大國主の開拓された由緒ある遺蹟と察せられる故、 班田制で大和河内方面の如く大化革新以来公田とさるべき所で、 境内には以前里字の各所に散在していた小祠を茲に合祀されています。 // //

  • 和歌山県有田市初島町浜[天神社(てんじんじゃ)]までツーリング

    天神社は、学問の神様として広く尊崇される菅原道真公をご祭神とし、 古くから有田市初島町浜(旧椒浜村)の産土神として奉斎されてきました。 // //

  • 和歌山県海南市黒江[中言神社(なかごとじんじゃ)]までツーリング

    「中言神社」の名称には、神と人との「中」を取り持ち「こと(言)」を行う、 そんな由来があるとのことです。 あえて「言葉」の「言」が使われていることから、 神様の言葉を伝える役割があったのではと言われています。 // //

  • 大阪府貝塚市木積[道陸神社(どうろくじんじゃ)]までツーリング

    足の神様の「道陸神社」 「どうろくさん」と呼んで親しまれ、足の神様として信仰されています。 もとは戦国時代に、この地方に勢力を誇っていた蛇谷城主松浦肥前守守が、 その城内に祀っていたものを、廃城後に木積畑の人びとが現在の場所へ 移したものだと伝えられています。 // //

  • 大阪府岸和田市土生町[土生神社(はぶじんじゃ)]までツーリング

    祭神は菅原道眞。ところが由緒書きを見ますと、 堀河天皇の寛治四年正月(約九百年前)、白河上皇熊野御幸の帰途、 隣地の別野村の田中に白蓮の咲いているのを御覧になって、 同所に熊野神社を祀ろうとして暫く当所に蹕を駐め給うていた際に、 本地人民が今の有真香の土生滝の意賀美神社を産土神と仰いでいて、 其の遠くへだたっているのを憂いて、衆議の上源俊頼卿に 依って鎮主の神を祀ろうとして願い出たところ、聴許あらせられ 天満天神を祀るべしとの御意を下し給うた。 // //

  • 大阪府貝塚市久保[阿理莫神社(ありまかじんじゃ)]までツーリング

    阿理莫神社は貝塚市内で唯一の式内社であり、御祭神は饒速日命、阿理莫公です。 饒速日命の子孫である物部氏の末裔が安幕(アマカ)氏で、 累世阿間河荘の豪族でした。 // //

  • 大阪府貝塚市脇浜[高龗神社(たかおかみじんじゃ)]までツーリング

    脇浜戎大社は、今宮戎、西宮戎と並び商売の神として知られていて、 福笹を求める参拝者で賑わいます。1月10日の本戎には 「柴灯大護摩供」が行われ、その後無病息災を願い大勢の人々が 火渡り修行を行います。 境内案内板には、「高龗神社は海神である高龗大神を祭り、 八大竜王社とも呼ばれています。創建は不明であるが、古来より雨の神として 崇敬され、かんばつの年に祈れば必ず霊験があるとされています。 // //

  • 大阪府貝塚市澤[八品神社(やしなじんじゃ)]までツーリング

    八品神社は貝塚市の特産品「和泉櫛」発祥の地、澤地区にあります。 平安時代以前から櫛の神様として崇敬され、社の玉垣には 全国の櫛商店の名が見られます。 // //

  • 大阪府貝塚市王子[南近義神社(みなみこぎじんじゃ)]までツーリング

    明治40年から42年にかけて、南近義地域に所在する神社と合祀し、 南近義神社と改められました。 主神の弥都波能売神(みつはのめじん)をはじめ、 丹生都比売神(にうつひめじん)など36の神を祀ります。 // //

  • 大阪府泉佐野市鶴原[加支多神社(かきたじんじゃ)]までツーリング

    加支多神社の御祭神は誉田別命(応神天皇・八幡大神)、市杵島姫命、 天児屋根命で、誉田別命は、応神天皇の御神名で「八幡さま」と 通称されています。 神功皇后が新羅を御遠征中、二年間皇后の胎内におられて誕生しました。 「安産の神」「子授けの神」「知恵の神」として古来「文武の神」 「号矢八幡さま」、と称えられています。 // //

  • 大阪府泉佐野市上瓦屋[泉州航空神社(せんしゅうこうくうじんじゃ)]までツーリング

    関西国際空港の建設を契機として創建され、航空安全祈願と 渡航安全祈願を行っている。正式名称は「泉州磐船神社」 (せんしゅういわふねじんじゃ)といいます。 // //

  • 大阪府泉佐野市中庄[奈加美神社(なかみじんじゃ)]までツーリング

    奈加美神社の創建時代は不明ですが、平安時代初期と考えられています。 旧の社名を大宮神社といい、この地域の中心の神社でした。 新しい名前の由来は中庄の「な」上瓦屋の「か」湊の「み」を取り 3町合同の願いをこめて名づけられたそうです。 // //

  • 大阪府泉佐野市日根野[日根神社(ひねじんじゃ)]までツーリング

    創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、 命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れました。 その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで 「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である 須佐之男命を祀った所、戦に勝って大和を平定しました。 それによりこの地を「日根野」と名付け、社名は日根神社となりました。 // //

  • 大阪府泉佐野市上之郷[意賀美神社(おがみじんじゃ)]までツーリング

    意賀見神社は室町時代に建立された神殿は春日造りでは大阪府で一番古く、 1950年(昭和25年)には、国の重要文化財に指定されています。 古来、雨乞、雨に霊験があると伝えられており、祭神も水と雨を つかさどる神がまつられています。 // //

  • 大阪府泉佐野市長滝[蟻通神社(ありとおしじんじゃ)]までツーリング

    蟻通神社は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座する氏神鎮守社です。 元の境内は、熊野街道(紀州街道)沿いにあり、紀貫之の物語をはじめ、 多くの故事伝承があることで知られています。 蟻通神社には伝説があります。 // //

  • 大阪府泉佐野市南中岡本[船岡神社(ふなおかじんじゃ)]までツーリング

    船岡神社は船岡山の北東隅に鎮座し、創建の年月は不明ですが、 本殿の建立は江戸時代後期の伝統を良く残していて、明治期かと考えられています。 天正十三年岡本五郎之に籠り、秀吉と戰ひて敗れ、元和元年樫井川の戰には、 「紀州浅野勢の據りし所なり。」とあり、丘の上まで海がせまっていたはるか昔、 神功皇后が朝鮮半島の新羅国と戦い、苦戦しながらも日根神社の神の 助けを得て勝利をおさめました。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字丁ノ町[八王子神社(はちおうじじんじゃ)]までツーリング

    八王子神社は明治初期に廃寺となった瑠璃山医王寺の境内に鎮座しています。 医王寺の創建年代は不詳です。 ある記録によれば、「養和元年(1181)に高倉院によって 建立されていましたが、応仁・文明の乱で伽藍は焼失し、 千軒あまりの俗家も難を逃れ、この地には何も残らなかった。」と記されています。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町中飯降[城山神社(しろやまじんじゃ)]までツーリング

    城山神社のあるかつらぎ町中飯降の地は、古く縄文時代・弥生時代から 人々が居住していたことが出土した石鏃などの遺物によつて知られています。 平成20年7月、京奈和道路建設に伴う中飯降地区の発掘調査により、 西日本最大の縄文時代の縦穴建物郡が発見され、出土した土器から、 縄文時代後期前半(約4千年前)の縦穴住居跡であることが判明しました。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷[鎌八幡宮(かまはちまんぐう)]までツーリング

    昨日紹介した丹生酒殿神社と同敷地内にある鎌八幡宮を 紹介します。 社はなく、イチイガシの大樹をご神体としています。 明治42年に兄井から丹生酒殿の神社に合祀されました。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷[丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)]までツーリング

    丹生酒殿神社は、丹生惣神主家伝来の天野大社周辺絵図(高野山大学所蔵)や 高野山絵図などで、高野参詣道の三谷坂の登り口辺りに描かれています。 丹生都比売神社への参詣道であり高野参詣道の一つの三谷坂の起点に位置し、 三谷坂は、丹生酒殿神社辺りに住んでいた丹生都比売神社惣神主が 丹生都比売神社へ通うために通ったのが起源といわれています。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町妙寺[八太神社(はちだいじんじゃ)]までツーリング

    八太神社は、元、古岡八幡宮と申し、八幡の森と唱え1丁四方の森林これあり。 村中一統尊信仕り村の里北に当りその場は山谷の湿地僅に白砂中の榊を 以って御神体として祀られると古文書に記され、 徳川末期八幡の森に建立の議興り、天保11(1842)年寺社奉行の 許可を受け村内西宮神社に祀られました。 第一の鳥居 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町平沼田[丹生狩場神社(にうかりばじんじゃ)]までツーリング

    当地は、高野神社(かつらぎ町上平沼田)の氏子として元は奉祀していましたが、 昭和10年代に丹生神社(かつらぎ町宮本1)の丹生都比売神・高野御子神を 平沼田地区の高所を撰びて社を勧請し、当地の氏神として祀りました。 階段を登って参拝する神社が多い中、当神社は階段を下った場所に 鎮座しています。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野[丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)]までツーリング

    丹生都比売神社は別称として「天野大社」「天野四所明神」ともいいます。 全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社です。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして 世界文化遺産に登録されています。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字下天野[八幡神社(はちまんじんじゃ)]までツーリング

    八幡神社の創立年月日は詳らかでないですが『紀伊続風土記』の 下天野のなかで、「村中にあり、一荘の産土神にて、社壮麗なり、 按ずるに天野社(丹生都比売神社)は大社にして、一荘の氏神と なすべからざるにより、当神社を荘の氏神となす」と記されています。 文政6(1833)年遷宮が行われた記録があります。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字東渋田[蟻通神社(ありとおしじんじゃ)]までツーリング

    蟻通神社は天武天皇の時代、唐の高宗から七曲りの玉を献じられ、 これに糸を通して返せと難題をかけられたとき、1人の老人が現れ、 蟻に糸を結びつけ、玉の穴の一端に蜂蜜を塗り、一端から蟻を通しました。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字滝[北辰妙見神社(ほくしんみょうけんじんじゃ)]までツーリング

    北辰妙見神社は創建年月日は明らかでないですが、『紀伊続風土記』の 四郷瀧村の中に「妙見社」とあるのが当社で、摂社星宮・鐘楼・拝殿が記されています。 一般的には「妙見さん」と呼ばれ親しまれています。 主祭神「妙見尊」は、北極星と北斗七星つまり天の中央を定位とする 「北辰」を指し、この星を神格化した御神霊です。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町平[一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)]までツーリング

    一言主神社は、善悪を一言でお定めになられる神で天地にわたって 知らないことのない神として、一言主大神をお祀りしています。 神社への道のりは3キロ程狭い山道を走り山の奥に鎮座しています。 // //

  • 伊都郡かつらぎ町大字広口[大宮神社(おおみやじんじゃ)]までツーリング

    大宮神社は三尾明神ともいわれ、天正十三年(1585)、 織田信長の高野攻めで焼失しました。 元和元年(1615)の元日、白髪の老人が現われて、 宮司代に社殿再建を告げて立ち去りました。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原[神願寺(じんがんじ)]までツーリング

    前回のブログで紹介した宝来山神社に隣接するお寺、 神願寺です。 神願寺は、天禄(970~973年)に清和源氏の源満仲に よって開創されたと伝えられています。 1162年文覚上人によって再興されます。 隣にある宝来山神社とはかって神仏習合の神宮寺でした。 // //

  • 和歌山県伊都郡かつらぎ町[宝来山神社(ほうらいさんじんじゃ)]までツーリング

    宝来山神社の創建は宝亀4年(773年)和気清麻呂公が八幡宮を勧請し、 八幡山と呼ばれたのが始まりとされています。 本殿四社は一間社春日造で重要文化財に指定されており、また中世、 当神社が鎮座する紀伊国桛田荘は京都神護寺の荘園です。 // //

  • 大阪府泉南市新家[種河神社(たねかわじんじゃ)]までツーリング

    江戸時代初めに新社殿を建て、新家の各所にあった神社を合祀した本神社は、 新家地区の融和の象徴です。1624年京都御室仁和寺より、 種河明神の神号を授かりました。 // //

  • 大阪府泉南市男里[男神社(おのじんじゃ)]までツーリング

    大阪府みどりの百選にも選ばれた、豊かな緑を誇る男神社は、 神武天皇東遷のみぎり、傷を負った皇兄、五瀬命(いつせのみこと)が 雄たけびをあげたことから、「おたけびの宮」とも呼ばれています。 // //

  • 大阪府泉南市岡田[里外神社(りげじんじゃ)]までツーリング

    里外神社は、仁徳天皇(在位313-399年)の代に 呉服(くれは)大明神を産土神として創立された社です。 呉服大明神は、大阪池田市の呉服神社(くれはじんじゃ)に 祀られている事でも知られています。 呉の国から渡来し日本に機織(はたおり)技術を伝えたとされる織姫で、 「機織」の守り神として崇敬されています。 // //

  • 大阪府泉南市信達大苗代[一岡神社(いちおかじんじゃ)]までツーリング

    一岡神社は「海営宮」「祇園さん」として古くから親しまれており、 建速須佐之男尊(たてはやすさのおのみこと)、稲田姫尊、 八王子命を主祭神に奉祀しています。 境内にある海会寺跡は、約1300年前の寺院跡で、 伽藍配置の法隆寺様式をもち、国の史跡にも指定されています。 // //

  • 大阪府泉南市鳴滝[鹿島神社(かしまじんじゃ)]までツーリング

    鹿島神社は集落の中にある緑の多い落ち着いた境内です。 創建年・由緒は不明ですが、ご祭神は 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、又の御名を豊受姫之大神です。 // //

  • 大阪府泉南市信達市場[市場稲荷神社(いちばいなりじんじゃ)]までツーリング

    熊野街道の近く、信達市場にある神社で、ご祭神の豊受姫大神は、 農業をはじめとし、機織(はたおり)その他各産業の 発展をつかさどる神様です。 創建は天仁元年(1108年)で伊勢外宮より勧請されました。 江戸時代、この周辺に市(いち)がたつようになり賑わったので 「商売の神様」として祭られるようになり、 「市場稲荷神社」と呼ばれるようになりました。 // //

  • 大阪府泉南市信達岡中[岡中鎮守社(おかなかちんしゅしゃ)]までツーリング

    樹齢800年の大木のくすの木のある神社 昔この地は土壁に囲まれ、樟・槇・松・銀杏・榎・椋の木などの 大木に囲まれ日中でも薄暗く「高城の宮」と呼ばれた社がありました。 明治の終わり頃には信達神社に合祀され、その後鎮守社の大木の殆どが 伐採されましたが幸い樟と槇の木が保存されました。 // //

  • 大阪府阪南市石田[波太神社(はたじんじゃ)]までツーリング

    波太神社は平安時代の法典『延喜式(えんぎしき)』に記載されていることから 「式内社(しきないしゃ)」として知られています。 波太神社の末社三神社本殿は、寛永15年(1638年)の建立で 国の重要文化財に指定されています。 // //

  • 大阪府阪南市尾崎町[尾崎神社(おざきじんじゃ)]までツーリング

    尾崎神社は石燈籠に、元禄10(1697)年の銘があることや、 本殿の建築様式からこの神社がおよそ300年前には この地にあったことがわかります。 // //

  • 大阪府阪南市貝掛[指出森神社(さしでもりじんじゃ)]までツーリング

    指出森神社は、もともとは貝掛神社と言われていました。 神功皇后の三韓征伐の時、ここに舟をつなげて武内宿彌が皇子を 抱いて海辺を逍遥した場所といわれ、応神天皇を祀る八幡宮でした。 // //

  • 大阪府阪南市箱作[加茂神社(かもじんじゃ)]までツーリング

    加茂神社は社伝によると弘仁4年(813年)に創建されたものと言われています。 京都賀茂神社改修の際、御霊箱を加茂川に流したところ箱作の海岸に 漂着したので箱着里(はこつくり)と言われ、その地に加茂神社を建立しました。 // //

  • 大阪府阪南市箱作[田山稲荷神社(たやまいなりじんじゃ)]までツーリング

    稲荷神社は祭神は保食神、菅原道真・高龗神、創建寛保年間、 伏見稲荷より分霊を勧請したと伝えられています。 明治26年6月1日当地に移り明治40年11月7日南近義村の村社菅原神社を 合祀して村社となり明治43年3月神神饌幣帛料供進社に指定され 明治44年4月21日に無格社貴船神社(山中)を合祀しました。 // //

  • 和歌山県岩出市赤垣内[山崎神社(やまさきじんじゃ)]までツーリング

    山崎神社は、人皇七五代崇徳天皇の御代大治元(1126)年丙午5月、 鳥羽天皇が根来寺を下山され熊野三山へ向われる途中、 真田の里まで進まれたとき、にわかに天候が変わり、 雷雨はげしく行列を進めることが出来なくなました。 // //

  • 和歌山県岩出市森[荒田神社(あらたじんじゃ)]までツーリング

    荒田神社は天正の兵火(秀吉の根来攻め)による焼失の為、 古文書は残っておらず、創祀時などは不明です。 『紀伊続風土記』(江戸時代の紀伊国地誌)では、 祭神を荒田直の祖である高魂命と剣根命とし、 のちに兵庫県の廣田神社と同じく天疎向津姫命・神功皇后 ・応神天皇としました。 // //

  • 和歌山県岩出市根来[坂本神社(さかもとじんじゃ)]までツーリング

    創立年代等詳らかではないが今尚寛文12(1672)年辰5月(皇紀2332年)と 記された棟札を保存しています。 当根来地区(旧西坂本)には他に御船明神社・山宮大明神社等の 神社があったが次々と今宮神社に合祀され、明治40年坂本神社と改称されました。 // //

  • 和歌山県岩出市北大池[上岩出神社(かみいわでじんじゃ)]までツーリング

    上岩出神社は、昔から「白山さん」と呼ばれ、「子安の神」として 信仰を集めてきた神社であり、現代も「白山さん」の名で親しまれています。 旧上岩出村七か字(北大池・東坂本・新田広芝・南大池・水栖・野上野・山田)の氏神様です。 // //

  • 和歌山県紀の川市穴伏[名手八幡神社(なてはちまんじんじゃ)]までツーリング

    名手八幡神社は紀伊ノ国紀北御開拓の祖神、丹生津比売大神が 御降臨なされた聖地であり古来より産土神として御奉斎されています。 紀ノ川のほとり、名手に鎮座する古社で江戸時代には名手大明神といい丹生明神、 狩場明神、八幡宮の三社を祀っていて、古来より名手荘十一ヶ村の産土神でした。 古くは社頭は荘厳をきわめていましたが、天正の兵火で社殿が焼失しました。 // //

  • 和歌山県紀の川市東野[王子神社(おうじじんじゃ)]までツーリング

    王子神社は、古くは若一王子権現社と呼ばれていました。 本社は一間社春日造りの社殿に、天忍穂耳命を祭神としてお祀りしています。 若一王子とは、熊野権現の若王子のことなので、熊野信仰が盛んになる平安時代末、 いまから900年以前の創建と思われます。 祭神の天忍穂耳命は、正式には「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」という たいへん長い名前の神で、天照大神の日継の御子であり、 天孫ニニギノ命の父神にあたり、稲の豊作の霊をもつ神といわれています。 // //

  • 和歌山県紀の川市北志野[志野神社(しのじんじゃ)]までツーリング

    志野神社は、天言代主命・加具土命・息長帯姫命を祭神とし、 紀の川市北志野の桜池の近くに鎮座し『紀伊国続風土記』によれば、 徳川南龍公の御代にこの北志野の地に人工池(桜池)を創ろうと したところ夜毎に、奇妙な光が辺りに発せられた。 // //

  • 和歌山県紀の川市神領[海神社(うみがみのやしろ)]までツーリング

    海神社は平安の時代初期には当地に鎮座していた古い宮です。 祭神は豊玉彦命・国津命の二神で人皇11代垂仁天皇の御代、 明神が熊野の楯が崎に出現するのを見た忌部の宿弥(いんべのすくね)が、 当時に創立したと伝えられる神社です。 第一の鳥居 第一の鳥居を抜けて500メートルほど先に第二の鳥居があり境内があります。 // //

  • 和歌山県紀の川市打田[東田中神社(ひがしたなかじんじゃ)]までツーリング

    東田中神社は旧田中村8社の中、日吉神社、一之宮神社、若宮神社、 中村神社を昭和20年に日吉神社の社地に併せ祀り翌21年東田中神社と 改稱したものであり、本殿4社が並んで居たが、旧中村神社、若宮神社の2殿が 焼失、台風に依り倒壊し復舊出来ず現在の2殿となって居ます。 // //

  • 和歌山県紀の川市中井阪[西田中神社(にしたなかじんじゃ)]までツーリング

    西田中神社は田中荘8社と云われた神社の中、羊之宮・尾崎八幡神社 ・上野妙見神社・住吉神社の4社を昭和21年に羊之宮の宮地に合せ祀って 西田中神社と改稱されたものです。 // //

  • 和歌山県紀の川市貴志川町[氣鎮神社(けちんじんじゃ)]までツーリング

    前回のブログで紹介した大多羅乳女神社(おおたらちめじんじゃ)の となりにある氣鎮神社の紹介です。 当神社は、氣鎮講の講社として祀られ、社伝によれば、 唐和2年2月に鎮座、以来千百年の間、講中の守護神として現在に至ります。 // //

  • 和歌山県紀の川市貴志川町[大多羅乳女神社(おおたらちめじんじゃ)]までツーリング

    当神社は、貴志川町丸栖の中心に位置して境内地は550坪を有し御祭神として 伊邪那美命・市杵島姫命を斎き祀っています。 古文書『當大明神宮留書』によると丸栖邑の氏神として 正保元(1644)年からの神社の経歴神事行事が詳細に書かれ、 県史編さん室より貴重な史料とされました。 // //

  • 和歌山県紀の川市貴志川町[大國主神社(おおくにぬしじんじゃ)]までツーリング

    大国主神社は貴志川左岸にある陽向山に鎮座し 通称(おくにっさん)と呼ばれています。 // //

  • 和歌山市寺内[熊野神社(くまのじんじゃ)]までツーリング

    熊野神社は天治2(1125)年鳥羽上皇の熊野三社へご参詣の途中、 当地の弘誓山における奇瑞の御感応によって塔堂、伽藍を建立し 弘誓山大天王院満願寺として開山し、熊野三山の神々を勧請し当地方の 守護神として熊野神社を奉祀せられました。 // //

  • 和歌山市湊[湊神社(みなとじんじゃ)]までツーリング

    湊神社の由緒は『木國神名帳』に「従四位豊海の神」と称へられてあり 往時和田浜(千軒)の大地主神として湊奥の坪「カツカ丘」に 鎮座して社殿も誠に壮麗でありしとあります。 しかし明応年間(1492)の大津波により砂中に埋もれ一時前記「カツカ」丘に 移し奉りしが元和の始め(1615)に再びもとの奥の坪に鎮座し奉り更に // //

  • 和歌山市十番丁[多賀神社(たがじんじゃ)]までツーリング

    近江多賀大社を総本社とする全国多賀講組織の1社です。 和歌山県全域、大阪岸和田以南を信仰、布教の対象として江戸時代中頃より 「多賀信仰」を広め「いのち神」「五穀豊饒神」「開運隆昌神」「縁むすび神」 「お伊勢さんの親神」として信仰を集め各村落に「お宿様」を お願いし各戸訪問神符、年中心得書(生年月日による個人宛のもの)を 配布して来ました。 // //

  • 和歌山県岩出市[大宮神社(おおみやじんじゃ)]までツーリング

    岩出市で「えべっっさん」が行われる大宮神社 社伝によると、和銅5年(712)日本武尊を尾張の熱田神宮より勧請し、 その後、康治元年(1142)興教大師覚ばんが根来寺鎮護の神として 総社明神を祀られ、三部権現と称したとあります。 素戔嗚尊はその子神の五十猛命等と共に紀の国の郷土神として お祀りしているようです。 // //

  • 和歌山市下三毛[上小倉神社(かみおぐらじんじゃ)]までツーリング

    上小倉神社は和銅年間(708~)の創立で、金銀銅を以て社殿を装飾し 華麗なこと界隅無比と云うことであったが、 天正の乱(1585)の兵燹に罹り社殿並びに社寺を焼失しましたが その後、慶長年間(1596)に至って再建されました。 // //

  • 和歌山市金谷[小倉神社(おぐらじんじゃ)]までツーリング

    皮膚病の神様として信仰のある小倉神社 小倉神社は、旧社名蔵王権現社、明楽神社、明治42年に小倉神社と改名され、 旧小倉之庄(金谷村、吐前村、大垣内村、満屋村、田中村)の総社にて、 鎮座の由来は、坂上田村磨呂和州金峰大神勧請とあり、 その後当社を金峰山又は地形から亀甲山と言われていています。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[稲荷神社(いなりじんじゃ)]までツーリング

    稲荷神社は、往古当地火災の際記録を無くし、鎮座年月日は不詳ですが、 棟札及び、境内鳥居、燈篭等の年号には元和5年を始め 寛文11年、元祿4年、享保20年、明和7年等、約300年以前の建設物があります。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[加茂神社(かもじんじゃ)]までツーリング

    加茂神社は欽明天皇23(562)年の頃、京都賀茂両大明神を 雄佐素根おさすねなる者が勧請し、下村と梅田の境花渕と称する 所に齋き祀られたと伝えられています。 地名の加茂谷も京都の賀茂信仰が広がるとともにこの地も 賀茂社の神領となり、生れたものであろうといわれています。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[山路王子神社(やまじおうじじんじゃ)]までツーリング

    泣き相撲で有名な神社 山路王子神社は、平安時代より鎌倉時代に於ける、当時の思潮として、 敬神崇祖の傾向が顕著なものがあったが、特に皇室の熊野三山 (熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)のご崇敬が厚く忠実によれば、 熊野への御幸は延喜7(907)年宇多上皇の御代を最初として、 平安時代に頻繁におこなわれました。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[立神社(たてがみしゃ)]までツーリング

    立神社は、今から1,200年前、京都上賀茂神社より御霊をいただきました。 戦国時代、大野城で山名義理等が栄えたころ、当神社の祭事は盛んで、 財は水田60町に及びました。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[四十八所神社(しじゅうはっしょじんじゃ)]までツーリング

    四十八所神社の由来は、後鳥羽天皇建久元年(1190)元日の夜、 熊野権現の神が白髪の老翁として現われ、鎌倉の右兵衛佐、 源頼朝公の御枕上にお立ちになり、「紀伊国海部郡の海上に、 一体の御神像が漂流なされています。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[粟嶋神社(あわしまじんじゃ)]までツーリング

    粟嶋神社は古くから縁結びの神として信仰を集め、現在でも縁結び ・子宝・安産の祈願や、海上や交通の安全祈願などに多くの方が 参拝に訪れています。 // //

  • 和歌山県海南市下津町[橘本神社(きつもとじんじゃ)]までツーリング

    ミカン発祥の地、お菓子の神様の橘本神社 橘本神社は、柑橘や菓子業の祖として、また文化の神として広く 崇敬される田道間守命を奉祀する由緒ある神社です。 創立年代は不明であるが、白河法皇熊野行幸の時、 この社で通夜された史実があり、当時(今から850年前)既に壮厳な神社であり、 熊野九十九王子の中の古社の一つです。 // //

  • 和歌山市大川[報恩講寺(ほうおんこうじ)]までツーリング

    報恩講寺の由来は承元元年(1207)十二月、法然上人赦免の後 讃岐の配所からの帰路、海上が荒れた為油生浜に漂着しました。 この時、土豪孫右衛門や村人が、上人の慈顔温容を拝し、 上人のお世話をすると共に本願念仏の御化益を蒙り帰依しました。 // //

  • 和歌山市大川[大川八幡神社(おおかわはちまんじんじゃ)]までツーリング

    大川八幡神社の創立年代は不詳ですが、『紀伊続風土記』によると、 「前は今の社地より五丁(545m)西にあった住吉神社の境内に鎮座していましたが、 寛永年間(1624~1644)紀州藩士山本十太夫が当所を支配したとき、 村民阿舎梨孫右衛門と協力して現在地に移したという」とあります。 // //

  • 和歌山市加太[加太春日神社(かだかすがじんじゃ)]までツーリング

    加太春日神社の創建年代は明確ではないですが、紀伊国造家旧記によると、 神武天皇東征の際、紀国造氏の祖である天道根命が神鏡と日矛の二つの 神宝を奉じて加太浦に上陸し、頓宮を造営して天照大御神を 祀ったことが始まりといいます。 // //

  • 和歌山市狐島[狐島稲荷神社(きつねじまいなりじんじゃ]までツーリング

    狐島稲荷神社は、宇気持命を祭神とし、宇迦御魂神とも保食神とも申し、 伊勢神宮外宮の祭神豊受大神、またの名豊受気毘賣神と同神です。 この神社の正確な創建などは不明ですが、紀の国の民話・和歌山市編のなかに 「狐島のキツネ」とのこの神社にまつわる民話が残っていることから、 古いお宮と推測されます。 // //

  • 和歌山市六十谷[大同寺(だいどうじ)]までツーリング

    大同寺(和歌山市六十谷)は天台宗の寺院で山号は南叡山です。 ご本尊は薬師如来像、地元では「六十谷薬師」として崇められています。 山門です。 大同元年(806)に伝教大師(最澄)が創建し、弟子の慈覚大師(円仁)が 建立したとされています。天正3年(1585)の秀吉の紀州攻めにより焼失し、 延宝年間(1673~1680)に再建されました。 // //

  • 和歌山市六十谷[法然寺(ほうねんじ)]までツーリング

    法然寺の歴史は永和四年(1378)群馬県吾妻群東吾妻町の善導寺(浄土宗) 第三世 妙静光融上人が北朝第五代 後圓融天皇の御代として紀州に教導した折、 和歌山市福島善導寺を建立されました。 この善導寺には六棟の別院があり、その一寺院が当山でありました。しかし、天正十三年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めの兵火に遭い 善導寺全山が消失し、それぞれがバラバラになり、 法然寺は六十谷の地へ移転しました。 // //

  • 和歌山市六十谷[射矢止神社(いやとじんじゃ)]までツーリング

    社伝によれば、神代の昔に五十猛命とともに天香山命と一言主命が紀伊国に天降り、 名草山において「伊野止社」と称して崇められていたが、 三韓征伐を終えて凱旋した神功皇后(息長帯姫命)が 雄の湊(現和歌山市雄湊地区)に寄航した際に、 日の御神が一言主命に命じて矢を射させ、その矢がこの地に落ち止まったために、 皇后がその矢を拾って「射矢止八幡宮」を創祀、 国家鎮護の神として崇めるようになったという。 // //

  • 和歌山市市小路[伊久比売神社(いくひめじんじゃ)]までツーリング

    伊久比売神社は市姫大明神とも呼ばれています。 楠見地区の産土神で「延喜式」神名帳に載る伊久比売神社に比定され、 「紀伊国神名帳」に「従四位上伊久比売神」とあります。 // //

  • 和歌山市園部[伊達神社(いたてじんじゃ)]までツーリング

    船の守神「伊達神社」 伊達神社の創建は不詳です。 承安4年(1174年)の古文書によると伊達神社含め※「紀三所社」は 日前宮近くにあったと見られることから、 現在地の薗部への遷座はそれ以後とされます。 ※伊達神社は志磨神社(和歌山市中之島)、静火神社(和歌山市和田)とともに 「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称されたとされます。 伊達神社の祀る「イタテ神」の性格を知るものとして、 『播磨国風土記』では神功皇后が韓国に渡る際に船の前に 「伊太代神」を祀ったという記述があります。 お墓どうしたら?事典 [ 小谷 みどり ]価格:1518円(税込、送料無料) (2020/3/17時点) 楽天で購入 …

  • 和歌山市府中[府守神社(ふもりじんじゃ)]までツーリング

    府守神社は貞観十七年(875年)、此の地におかれた紀伊國國府の 鬼門の守護神として鎮座し、中古白鳥の宮とも聖天宮とも称しました。 明治以後旧名の府守神社に復したが、拝殿正面には聖天宮と記されています。 紀伊国府は六町四方とされていますが、その場所は定かではないが、 この神社は国府の北東に当たるはずです。 神社鳥居脇に国府跡の碑がたっています。 // //

  • 和歌山市加納[塩野神社(しおのじんじゃ)]までツーリング

    塩野神社は、持統天皇(645年~703年、在位690年~697年)の御代、 紀伊国名草郡加納庄(『紀伊続風土記』では直川荘六十谷村領上加納)に 塩野大神(別名中津少童尊。『古事記』では中津綿津見命)を主祭神として 奉祭したのが始まりとされています。 // //

  • 和歌山市鳴神[鳴神社(なるじんじゃ)]までツーリング

    鳴神社には「当社は延喜式内名神大社往古紀伊湊を開拓した 紀伊忌部氏により創建せられた。主祭神天太玉命(向かって左側本殿)及び 祓戸の神速秋津彦命 速秋津姫命(向かって右側本殿)を祀る」とあります。 この神社は紀北では伊太祁曽神社に並んでの古社といわれている式内社です。 // //

  • 和歌山市神前[堅眞音神社(かたまおとじんじゃ)]までツーリング

    今回は和歌山県の大企業である島精機の近くに 鎮座する堅眞音神社を紹介します。 創建時期は不詳です。 元は鳴神山(次回のブログで紹介します)の麓にあったとされます。 // //

  • 和歌山市田野[衣美須神社(えびすじんじゃ)]までツーリング

    海の守神を祀る衣美須神社 古代忌み言葉として、クジラやシャチをエビスと呼んだ漁民がいました。 クジラはイワシを授けるエビス神、シャチは可畏きものとしてのエビスです。 東北では鮭をエビスと呼んでいました。種の王の意味でもあります。 // //

  • 和歌山市川辺[力侍神社(りきしじんじゃ)]までツーリング

    力侍神社は当初は和歌山県田辺市本宮町の大斎原(熊野本宮大社の旧社地)に 鎮座していましたが、平安時代中期に現社地の東北方である 神波(こうなみ)の字桑畑に遷座したのが創祀であると伝えられています。 // //

  • 和歌山市岩橋[高橋神社(たかはしじんじゃ)]までツーリング

    高橋神社は物部氏の遠祖饒速日命を祀る神社の一つです。 笛不吹明神社と呼ばれ、境内近辺で笛を吹くことを禁じられていました。 古来岩橋村に住む高橋姓、笛吹姓の人々は饒速日命の末裔とされています。 // //

  • 和歌山市禰宜[高積神社(たかつみじんじゃ)]までツーリング

    経営の神様とよばれている「高積神社」 髙積神社は、和佐荘祢宜高山(現在の高積山)の上にあり、 古くから「高社」、「高ノ宮」、「高三所大明神」、「高ノ御前」と たたえ奉られていました。 和佐高山の峰に鎮座することから「高」と呼ばれています。 // //

  • 和歌山市松原[武内神社(たけうちじんじゃ)]までツーリング 

    長寿の神と云われている武内神社 当地は武内宿禰命(たけうちのすくね)が生まれた地とされ、境内には生まれた際の産湯に 使ったとされる井戸が残っています(建物は享保年間の創建)。 // //

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