バイクに乗ることが好きな 独身中年男性です。 和歌山市から日帰りなどで 行ける範囲(大阪や奈良、和歌山南部など)行った先々の場所や食べ物(主にラーメン)を紹介していきたいです。
大阪府泉佐野市南中岡本[船岡神社(ふなおかじんじゃ)]までツーリング
船岡神社は船岡山の北東隅に鎮座し、創建の年月は不明ですが、 本殿の建立は江戸時代後期の伝統を良く残していて、明治期かと考えられています。 天正十三年岡本五郎之に籠り、秀吉と戰ひて敗れ、元和元年樫井川の戰には、 「紀州浅野勢の據りし所なり。」とあり、丘の上まで海がせまっていたはるか昔、 神功皇后が朝鮮半島の新羅国と戦い、苦戦しながらも日根神社の神の 助けを得て勝利をおさめました。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字丁ノ町[八王子神社(はちおうじじんじゃ)]までツーリング
八王子神社は明治初期に廃寺となった瑠璃山医王寺の境内に鎮座しています。 医王寺の創建年代は不詳です。 ある記録によれば、「養和元年(1181)に高倉院によって 建立されていましたが、応仁・文明の乱で伽藍は焼失し、 千軒あまりの俗家も難を逃れ、この地には何も残らなかった。」と記されています。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町中飯降[城山神社(しろやまじんじゃ)]までツーリング
城山神社のあるかつらぎ町中飯降の地は、古く縄文時代・弥生時代から 人々が居住していたことが出土した石鏃などの遺物によつて知られています。 平成20年7月、京奈和道路建設に伴う中飯降地区の発掘調査により、 西日本最大の縄文時代の縦穴建物郡が発見され、出土した土器から、 縄文時代後期前半(約4千年前)の縦穴住居跡であることが判明しました。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷[鎌八幡宮(かまはちまんぐう)]までツーリング
昨日紹介した丹生酒殿神社と同敷地内にある鎌八幡宮を 紹介します。 社はなく、イチイガシの大樹をご神体としています。 明治42年に兄井から丹生酒殿の神社に合祀されました。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷[丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)]までツーリング
丹生酒殿神社は、丹生惣神主家伝来の天野大社周辺絵図(高野山大学所蔵)や 高野山絵図などで、高野参詣道の三谷坂の登り口辺りに描かれています。 丹生都比売神社への参詣道であり高野参詣道の一つの三谷坂の起点に位置し、 三谷坂は、丹生酒殿神社辺りに住んでいた丹生都比売神社惣神主が 丹生都比売神社へ通うために通ったのが起源といわれています。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町妙寺[八太神社(はちだいじんじゃ)]までツーリング
八太神社は、元、古岡八幡宮と申し、八幡の森と唱え1丁四方の森林これあり。 村中一統尊信仕り村の里北に当りその場は山谷の湿地僅に白砂中の榊を 以って御神体として祀られると古文書に記され、 徳川末期八幡の森に建立の議興り、天保11(1842)年寺社奉行の 許可を受け村内西宮神社に祀られました。 第一の鳥居 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町平沼田[丹生狩場神社(にうかりばじんじゃ)]までツーリング
当地は、高野神社(かつらぎ町上平沼田)の氏子として元は奉祀していましたが、 昭和10年代に丹生神社(かつらぎ町宮本1)の丹生都比売神・高野御子神を 平沼田地区の高所を撰びて社を勧請し、当地の氏神として祀りました。 階段を登って参拝する神社が多い中、当神社は階段を下った場所に 鎮座しています。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野[丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)]までツーリング
丹生都比売神社は別称として「天野大社」「天野四所明神」ともいいます。 全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社です。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして 世界文化遺産に登録されています。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字下天野[八幡神社(はちまんじんじゃ)]までツーリング
八幡神社の創立年月日は詳らかでないですが『紀伊続風土記』の 下天野のなかで、「村中にあり、一荘の産土神にて、社壮麗なり、 按ずるに天野社(丹生都比売神社)は大社にして、一荘の氏神と なすべからざるにより、当神社を荘の氏神となす」と記されています。 文政6(1833)年遷宮が行われた記録があります。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字東渋田[蟻通神社(ありとおしじんじゃ)]までツーリング
蟻通神社は天武天皇の時代、唐の高宗から七曲りの玉を献じられ、 これに糸を通して返せと難題をかけられたとき、1人の老人が現れ、 蟻に糸を結びつけ、玉の穴の一端に蜂蜜を塗り、一端から蟻を通しました。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町大字滝[北辰妙見神社(ほくしんみょうけんじんじゃ)]までツーリング
北辰妙見神社は創建年月日は明らかでないですが、『紀伊続風土記』の 四郷瀧村の中に「妙見社」とあるのが当社で、摂社星宮・鐘楼・拝殿が記されています。 一般的には「妙見さん」と呼ばれ親しまれています。 主祭神「妙見尊」は、北極星と北斗七星つまり天の中央を定位とする 「北辰」を指し、この星を神格化した御神霊です。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町平[一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)]までツーリング
一言主神社は、善悪を一言でお定めになられる神で天地にわたって 知らないことのない神として、一言主大神をお祀りしています。 神社への道のりは3キロ程狭い山道を走り山の奥に鎮座しています。 // //
伊都郡かつらぎ町大字広口[大宮神社(おおみやじんじゃ)]までツーリング
大宮神社は三尾明神ともいわれ、天正十三年(1585)、 織田信長の高野攻めで焼失しました。 元和元年(1615)の元日、白髪の老人が現われて、 宮司代に社殿再建を告げて立ち去りました。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町萩原[神願寺(じんがんじ)]までツーリング
前回のブログで紹介した宝来山神社に隣接するお寺、 神願寺です。 神願寺は、天禄(970~973年)に清和源氏の源満仲に よって開創されたと伝えられています。 1162年文覚上人によって再興されます。 隣にある宝来山神社とはかって神仏習合の神宮寺でした。 // //
和歌山県伊都郡かつらぎ町[宝来山神社(ほうらいさんじんじゃ)]までツーリング
宝来山神社の創建は宝亀4年(773年)和気清麻呂公が八幡宮を勧請し、 八幡山と呼ばれたのが始まりとされています。 本殿四社は一間社春日造で重要文化財に指定されており、また中世、 当神社が鎮座する紀伊国桛田荘は京都神護寺の荘園です。 // //
大阪府泉南市新家[種河神社(たねかわじんじゃ)]までツーリング
江戸時代初めに新社殿を建て、新家の各所にあった神社を合祀した本神社は、 新家地区の融和の象徴です。1624年京都御室仁和寺より、 種河明神の神号を授かりました。 // //
大阪府みどりの百選にも選ばれた、豊かな緑を誇る男神社は、 神武天皇東遷のみぎり、傷を負った皇兄、五瀬命(いつせのみこと)が 雄たけびをあげたことから、「おたけびの宮」とも呼ばれています。 // //
里外神社は、仁徳天皇(在位313-399年)の代に 呉服(くれは)大明神を産土神として創立された社です。 呉服大明神は、大阪池田市の呉服神社(くれはじんじゃ)に 祀られている事でも知られています。 呉の国から渡来し日本に機織(はたおり)技術を伝えたとされる織姫で、 「機織」の守り神として崇敬されています。 // //
大阪府泉南市信達大苗代[一岡神社(いちおかじんじゃ)]までツーリング
一岡神社は「海営宮」「祇園さん」として古くから親しまれており、 建速須佐之男尊(たてはやすさのおのみこと)、稲田姫尊、 八王子命を主祭神に奉祀しています。 境内にある海会寺跡は、約1300年前の寺院跡で、 伽藍配置の法隆寺様式をもち、国の史跡にも指定されています。 // //
大阪府泉南市鳴滝[鹿島神社(かしまじんじゃ)]までツーリング
鹿島神社は集落の中にある緑の多い落ち着いた境内です。 創建年・由緒は不明ですが、ご祭神は 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、又の御名を豊受姫之大神です。 // //
大阪府泉南市信達市場[市場稲荷神社(いちばいなりじんじゃ)]までツーリング
熊野街道の近く、信達市場にある神社で、ご祭神の豊受姫大神は、 農業をはじめとし、機織(はたおり)その他各産業の 発展をつかさどる神様です。 創建は天仁元年(1108年)で伊勢外宮より勧請されました。 江戸時代、この周辺に市(いち)がたつようになり賑わったので 「商売の神様」として祭られるようになり、 「市場稲荷神社」と呼ばれるようになりました。 // //
大阪府泉南市信達岡中[岡中鎮守社(おかなかちんしゅしゃ)]までツーリング
樹齢800年の大木のくすの木のある神社 昔この地は土壁に囲まれ、樟・槇・松・銀杏・榎・椋の木などの 大木に囲まれ日中でも薄暗く「高城の宮」と呼ばれた社がありました。 明治の終わり頃には信達神社に合祀され、その後鎮守社の大木の殆どが 伐採されましたが幸い樟と槇の木が保存されました。 // //
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