「神君伊賀越え」は大和経由? 甲賀・伊賀越えの可能性も
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長(1534~82)が明智光秀(?~1582)の謀反で命を落とす。信長の招きで安土、京、堺を訪れていた徳川家康(1542~1616)は、命をかけた逃避行で領国の三河(愛知県)へと逃げ帰る。三河一向一揆、三方ヶ原の合戦とともに家康の3大危機のひとつとされる「神君伊賀越え」である。 だが、有名な事件なのにもかかわらず、伊賀越えのルートには諸説あり、謎が多い。富山市郷土博物館主査学芸員の萩原はぎはら大輔さんは、家康は通説とは異なるルートを通ったと推測している。 萩原さんといえば、加賀藩の兵学者だった関屋政春(1615~85)が戦国時代の逸話を書き残…
2023/07/30 10:00