神が人の罪を赦すとき、カトリックならば告解や犠牲、償い、祈りがある。ここで祈りについて考えてみる。カトリック者ならわかると思うが、告解の時、ドキドキして自分の犯した罪を神父様に言う。でも、その時に言われる償いは主の祈り1回とアベ・マリアを1回祈りなさい。だけである。えっ?償いってこんなに簡単に償えるの?と思ってしまってた。でも、アヴィラの聖テレジアの完徳の道を読んで変わった。短い主の祈りの中にどれほどの意味があるか。それを思えば、自分では償いは行えないとしても主の功徳によって行えるのだと。アベ・マリアにしても同様だと思う。神は、人に長い祈りを要求し、自分の罪を償えとか云わない。神は全能であるから、短い祈りの中にも罪を償ったり、人を救ったりする方法を知っている。神が喜ばれるのはロザリオですが繰り返されるのは主の祈...神がなさる不思議な救い方
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