説教本というものが時々送られてくる頼んだ記憶はないが、無料だから受け取る昨日も一冊迷い込んできた しかし既に送られて来た本の内容とさぼとの変わりはない誰かが言ったり、書いてあったことを次の誰かが表現を変えて書く、そしてまた次の誰かが・・・という流れになっているからだろう仏教という括りがあるから仕方のないことだとは思っているしかし著者である僧侶の体験に基づいた記述が乏しいのは残念だ 「冷暖自知」という言葉がある水は見ただけでは、冷たいか、温かいか、ぬるいかはわからない触るという体験でしか本当の水温を理解することは出来ないという意味 体験することにより、その本質を掴み、物事を判断する力これが経験となるしかも水に手を入れた時に感じる温度も人それぞれでありいいも悪いもない 体験して得られた経験は自分自身のものになるだか...体験
現在、とあるお寺の僧侶が初めて八千枚護摩供に望んでいる 大学を卒業し、大手と呼ばれている会社に約十年務め四年程前に本山の修行道場で一年間学び僧侶となり父親のお寺を継ぐために故郷の地に戻った しかし本山では拝み方やお作法といった一種の技術指導は行われても僧侶として、人としての指導はない、カリキュラムをこなすだけであった様々な養成学校と同じであるしかしそれは仕方のないことだと思っている この坊主はというと師僧に弟子として受け入れて貰うために二年程通い続けたそして弟子として作法や考え方、生き方を三年間学んでから本山の筆記と実技を受験して僧侶となったしかしそれでも不安だったましてやカリキュラムをこなしただけの真面目で誠実な僧侶はもっと不安だったこれで他人様を拝ませていただいて良いものか自分に拝む資格があるのか、自問自答...望
暇なだけが取り柄の寺に戻った鶯の声だけが木霊している とは言え、作り置きの食べ物がないので料理坊主になっている今日はワカメ出汁です仏教には「身施」という言葉があります自分の手足を動かし、世の中のために働くことです自分の利益にならないことに身体を動かす何だか、出汁の昆布やワカメのようです表には見えない出汁、料理の味や見栄え以上に大切なものがあると思っています で、昨夕の献立は出汁に使った、ワカメと豆腐のサラダその辺りのワカメを刈って来て、適当に切ります絹ごし豆腐を1㎝角程度に切って、笊に上げて水気を切りますそして器の上にワカメを敷いて豆腐を乗せますそこに豆腐マヨネーズをかけて完成豆腐マヨネーズは絹ごし豆腐に、リンゴ酢か普通の酢、塩、コショウそれにオリーブオイル入れて、泡立て器でかき混ぜれば完成 次はセロリの塩きん...杏花
本行も三日目くらいになると心が乱れる「なんでこんなことをやるのか、こんなことをしてなんになる」疑問や迷いといったものが生じると魔が入って来る 先ずは睡魔が襲ってくる座ったままで床に倒れるのだ痛くて目が覚めるのでは、と思われるが睡魔の力というのは、そんな生易しいものではない 倒れる時の気持ちよさ、ふわーっと無重力状態での空中遊泳のようだ無重力の経験はないが多分そうだろうところが意識の中では座っているのだそして倒れて目が開いて飛び込んだ光景にキョトンとなる「ここはどこだ」みたいに次に意識がはっきりして倒れている自分にびっくりする初めのうちはこの繰り返しだった初回の「行」では寝る場所を探してしまう浅ましさもあった睡魔の力は最強で肉体や意思の力など吹き飛ばしてしまう それでも何とかこなしていると徐々に気力が失われ、身...魔
小高い丘がほんのり、淡い桃色になった桃の花が咲いたのだ カメラをぶら下げて行ってみると自称、桃娘のひとりの婆さんが蕾を摘んでいた清水白桃は花粉付けをしなくても、自ら受粉するそのため蕾を間引かなければならないおおよそ2米の枝に百個実らすらしいだから婆さんは満開になるまで毎日蕾を摘む 梨や柿は古木ほど良質の実を成すが、桃は十五年程が味、色、艶、香りが熟れる時期そして三十年程で力尽きる「人間と同じよ」と婆さんは笑う 花が終わり、身を成すと袋をかけ、黄色い夜間照明で虫を払う虫が一か所刺しただけで、そこから黒くなり流通出来なくなるからだ しかし婆さんは「何が美味しいかって、それは朝一番で虫に刺された桃をもいで食べるのが一番美味しいよ。桃は収穫した瞬間から劣化が始まるからね」 帰り際「豊作祈願と灰を頼むよ~」と声をかけら...桃畑
このところ毎日少しの時間だが、子供達と一緒に坐禅をしているしかし説明が難しいこれが坐禅かな?と思っていても果たしてそれが正解なのか、どうなのかは各々の頭の中のことだから誰にも分からないからだ 四十代の頃まで坐禅、瞑想の類は大の苦手だった悪い思いを除き、色々乱れた想いを捨て、あれこれ念想してはならないまた心に色々と思い浮かべることもならないひたすら心をあらゆるものの真実と心を一つの状態にする・・・そうは言っても心は静かにはならないものだただ疲れるだけだった しかし転換期があったお寺の横に道があり、車が走っていた懸命に坐れば坐るほど、車の音に悩まされる半日も坐っていると、へとへとになっていただから車の音から逃げるため、夜に坐ることにした そんなある晩、床の上に一匹の大きなムカデが音もなく軽やかに歩いていた蝋燭の炎に...坐
ようやく普通食が食せるようになりましたしかしお肉やお魚は匂いが・・・ と言うことで、昨夜の一般人復帰の一人祝いのお献立先ずは出汁ですが豆出汁大豆は護摩の供物の一つなので常備していますから、わざわざ仕入れる必要がありませんそして豆出汁はコクがあり個人的に好みです大豆をフライパンで煎って、軽い音になったら火を止めます鍋に水を入れて火にかけて、沸騰したら止め、半日置きますこれで出汁は完成 汁物は雪片汁ですお供えに使用した野菜の皮をみじん切りにして、ゴマ油で炒めます炒めた物を豆出汁に入れて、しょう油を落とし、溶き片栗粉でとろみをつけて完成 次は裏山から掘って来たタケノコあく抜きをしたタケノコをバターとしょう油で炒めますそして白みそ、みりん、木の芽と和えます お次はいただきものの長いもの柚子胡椒揚げ長いもに柚子胡椒をまぶ...食
子供達は登山してくると、先ず鐘を突く到着の合図として集落に響き渡らせるためだそして小学生は庭掃除、中学生は客殿の掃除それが終わると本堂に集まりお勤めをするまるで小僧さんだ しかしここで三日坊主の本領が発揮されているなんと、般若心経に飽きたと言う仕方がないので般若心経をサンスクリット語で唱える練習をしたところが一週間も経たないうちにスラスラと唱えることが出来るようになったのでこれまた飽きたと言い出した、弱ったもんだ 弱ったと言えば、子供達からの質問にも弱るどの角度から質問されるか、まったく予想がつかないからだ 先ず「何で結婚してないの~」「やかましい、男の事情ってヤツだ」 次に「最後まで生き残る人間は誰だ」と来た誰とまでは知らないが、フフフッこの答えは知っている弱肉強食、他人を蹴落とし、競争を勝ち抜く人、巧妙に立...問答
江戸時代まではなかった菜の花畑油が採取出来るようになってから出現した風景 花の色は柔らかい黄色、所謂「菜の花色」人に好感を持たれる色咲きかけの頃は、恥じらいの色も見えて瑞々しく、まるで乙女のようだ 菜の花畑に踏み入れると、甘ったるい花の香り蜜を求めて忙しく花から花へ飛び回るミツバチの群れ羽音と羽音に揺れる花びら零れる黄色の花粉花もミツバチも生き生きとしている畑・・・ 二十四番花信風雨水第一候「菜花」 芥子菜 芽花野菜(ブロッコリー) 油菜 水菜菜花
強さにも様々な強さがある弱音を吐かない強さ笑い飛ばす強さそして柳の枝のような強さ しなやかなものは堅いものより強い柳の枝は風になびき、身を任せきっている柳のような心の強さ しかし人はめげる時もあるそんな時は新芽のような立ち上がる強さ しだれ桜、しだれ梅、垂れる木はいくらでもあるしかし柳ほど優美で、おおらかなものは少ない枝垂れの美しいのは、ほのぼのと新芽の芽吹き始め萌えて煙りのような緑煙絲花が終わると柳絮となって飛び漂う 柳絮が雪のように降り積もる様を見てみたい 妙に哀感をそそる木、垂れ柳 二十四番花信風「柳花」清明第三候 柳花
昨夜、手紙類を整理していたその中の一枚、時代遅れの手書きの年賀状そして記されている内容はバカがつくほど丁寧 酒場をやっている友人がいる大学時代、すぐにでも司法試験に合格するのではないか、というくらい冴えた頭の持ち主だった しかし時代遅れの活動家だったどちらも時代遅れという相似点からだろう応援部の坊主と不思議に馬があったなぜ酒場をやっているかというと、妙に料理がうまいのだ和・洋・中なんでも、実にうまく作る 学生運動の組織が完全に壊滅してから、どこか人生を降りた者のシニカルさを漂わせ余ったエネルギーはすべて料理に注ぎ込んでいるという感じであった また礼儀正しい江戸へ行ったついでに店へ寄っても、ございます言葉というヤツを使うそれが不気味だったこの男が鉄パイプを握って、権力を相手にどんなふうに暴れ、闘ったかを聞いている...酒場
「紫片喰」 生命の命は無生物から生まれたそして今たまたま人間として生きているそれ故、木にも、石にも、雷にも、路傍の花にも畏敬の念を感じる 「菫」「金瘡小草(キランソウ)」路傍の花5
空が白い春霞なのだだろう、穏やかな温かい一日になりそうだ さて「行」の前後、都合三回の心理検査があったことは前述したそして、結果が出た 信仰者ならば「行」の意味を理解することが出来るかも知れないしかし宗教的世界観を持たない人にとっては酔狂以外の何物でもない「ならば!」と、教授が世界観の違いを超えて、世間に通用する「人格」の変化について分析した 質問には「はい」「いいえ」「?」の三通りの答え方一回の検査で290の質問に答えた自分を偽ろうとしても、バレるように問いが組まれていたらしい ・・・で、結果に教授は驚いたそうだ「これほど心が健康な人はいない、信じられない」だった中でも変化が見られたのは「自由な子供心」すなわちオッチョコチョイなところ天真爛漫さは影が薄れ、思慮深くなったらしいそして「大人の自我状態」が大きく高...結果
子供達はお弁当を持って来ているまだ食べれないくせに食い意地の張っている坊主はそれを眺めている お弁当のフタを開ける時、期待でワクワクしているみんなの顔が微笑ましい自分もこういう顔をしていたのだろう好物が入っていて嬉しそうな子何から食べようか迷っている子エネルギー注入するぞと肩を怒らせて食べてる子中には昨夜の残り物でガッカリしている子もいる 中学生の二人は自分で作っているらしいこれが実に面白い卵焼きを作ろうとしたらスクランブルになったり隙間がありすぎてグチャグチャになったりご飯の中に輪ゴムが入ったりと、大騒ぎしかし箸が転んでも笑うお年ごろ、すべて笑い飛ばしている そして、坊主もお弁当という時代があったいつもお昼前になると祖母がお弁当を幼稚園まで届けてくれていた成人してから聞いたが、朝からお弁当を持たせなかったの...蒲公英
今日はお彼岸の入り昨日、この地に神様の使者、燕がやって来た十六団子の日に燕とは、ありがたいことだしかしよく見ると、どの燕も羽根が傷つき痛々しい長い道中の過酷さがほんの少しだけ垣間見えたようなこの北風の吹く中よくぞ、と婆さんと話していたら「わたしゃ、燕は燕でも若い燕のほうがいいわ」だと・・・ま、まあいい、今日からお彼岸だ さて、ネタが尽きたら登場する六種供養の続きですお仏壇やお墓にお供えするお花は花がいつもニコニコと咲いているように、私もあらゆることに耐え忍んで笑顔で暮らしますと、仏様に誓う「忍辱」の意味ですそこから刺や苦みや毒のある花はお供えしないことになっています お供えは自分のため、と以前記しましたがそれが最も分かりやすく表現されているのが、お花だと思いますお花をお供えする時には、お花をこちら側に向けるはず...遍路華
春時雨の中、今週から中学生の二人も登山している良く気がつき、低学年の面倒を見てくれるからもの凄く助かる ・・・んな訳で、不安定な天候なので、お勉強が終わったらヨーガを一緒に行うつもり以前からヨーガのポーズの意味について、思い出したら調べていたどういうことかと言うと、例えば、逆立ち!このポーズは般若心経の「一切の顛倒夢想を遠離す」の一節を身体で体感するためのポーズ、という考え方がある人間は横になるか縦になるかで、立って歩くのが常識だしかしこれがいかに顛倒と重大な錯誤をおかしているかそれを逆立ちの生理的効果もさることながら、身体をもって体感する・・・みたいな感じで、ポーズの意味から何かを感じるヨーガ さて、写真は何故だかお寺で良く見かける花、木蓮ご多分に漏れずこの寺にも植えられている 花には紫と白があるが、紫が木...木蓮
「もらいに来たよ」と、連日取り立てが厳しい借金ではないが、灰仏を取りに来られているのだしかし今年は土・日しか作れないから、それほど完成していないそれに明日16日は十六団子の日、山の神様が里に降りて来られる日だからお供えの団子も作らなければならないし、坊主の誕生日でもあるん?それは関係ねぇな さて、灰仏とは護摩の灰と粘土を混ぜ合わせたもので造った仏像のこと「護摩の灰」と言えば、江戸時代にお大師さんが焚かれた護摩の灰、と偽り押し売りをしていた者がいたそこから騙して売る者や押し売りをする者を「護摩の灰」と呼ぶようになった現在「胡麻のハエ」と言われているのは、胡麻にしつこくたかるハエのイメージが語源とされているが「護摩の灰」を聞き間違えまま伝承されたものであるまた「誤魔化す」も当て字と言われ、「護摩化す」が正解のよう...化す
子供達が帰ってから濡れ縁に腰掛け、おかめ桜の花びらが舞うのを眺めていた すると山門からひょっこりと女性の顔が覗いたそしてペコリと頭を下げて、笑顔でこちらへ歩いて来るこの坊主の居場所を調べて、わざわざ訪ねて下さったのだ 八年前、とあるお寺に出仕していた時、彼女からご祈祷の依頼があった心願成就ではあるものの、滅多にない、拝んだことのない願いごとであったそれもあってか妙に記憶に残った それから五年の歳月が流れたその間に坊主はこの寺に移って来ていた深夜、内職をしていると彼女の名前と歌声がラジオから流れてきた調べてみると五年前のお話通り、人の心に寄り添う歌を歌っていた 昨年、近くの町で彼女のコンサートが催されることを知り二階席の片隅で透明な歌声を聞いた人の心に寄り添い、全力で励ます姿がそこにあったそして願いの一つが叶った...おかめ
昨夕、今朝の勤行の準備をしていたら一本の護摩木があった護摩木に書かれた「世界平和」という文字「平和で安心して暮らせる社会」聞いたり、見たりしているスローガンだおそらくは平和の反対語を戦争と定義しているものか昨今のコロナ終息を願うことだろうと思った しかし戦争が無くても、コロナが終わっても平和とは限らない残念ながら、あくまでもスローガンであって実際には絶対にないと思っている事故もあれば、天災もある健康な人でも病気になるつまり、この世は無常だからである フォローさせていただいている方も「常に備えよ」と記されていたが無常とは絶対的なものなど何もないということこれは仏教だけでなく物理の原理原則なのだこの宇宙が無であれば、絶対安定だが有である以上、絶対不安定なのだ 大切なことは、無常を覚悟して腹を括ることどんなことがあ...平和
何か、おかしいこんなはずがない、とずっと思っていた奴等は待っていたのだ猫を被り、密かに爪を磨ぎ・・・この坊主が回復するのを、じっと待っていたのだそして、ついに待つ時は終わった御意見無用、釈迦に説法とばかりに全く言うことを聞かなくなったしかし奴等は奴等なりの仁義ってヤツを通したなので、子供達とヨモギ摘みに出掛けた さて、そのヨモギだが厄を払う薬草と言われている桃の節句は過ぎたが、厄を貰ってくれる雛人形には草餅をお供えするこの風習はかなり古いしかし現代は菱餅というものが台頭してきたこの菱餅、元々の草餅の上に見栄えが良いからと紅白の餅を重ねたものなのだ厄をもらってくれるありがたい人形という風習が廃れ単なる飾りものの人形になってしまったからだろう惜しいことだ・・・ その草餅に入れるのがヨモギである餅に入れるので餅草と...蓬
子供を迎えに来たお母さんが愚痴をこぼすこの子は努力をしない、と・・・お腹の中で育んでいる時は、無事に生まれることだけを願っていたはずなのに何かと比較するから、そう思えてしまうのだろうまぁ、親としては当然の思いだ おそらく努力という意味を、多くの人は前向きに進む努力ばかりを考えがちだ確かに前向きに考え、行動するのは努力に違いないしかし待つことも努力、耐えることも努力、忘れることも努力、反省することも努力認めること、許すことも努力、食べること、休むことも努力 前向きばかりの目立った努力しか見えなくなると人の考えが理解できなくなってしまうそして自分の目標を達成することもできなくなってしまう ・・・と、こんなことをお話したすると「あぁ~スッキリした~」とお母さんは足取り軽く帰っていったたまには真面なことも言えるんだ、と...努力
煙るような温かい春の雨が降っている色とりどりのカラフルな傘をさしながら子供達が元気に登山してきた今日も不思議なくらい静かにお勉強中そしこの坊主は「行」に終わりを告げる便通開通(不浄な話で失礼) しかしお寺の決算が近づいているそして数字を見ると「鬱」になるしかしこの「鬱」という漢字は、見ただけで鬱になるから不思議だ良くできた象形文字なのかも知れない 鬱の原因である決算は、それほど難しいものではない寧ろ、お寺の解体費をどれだけ残すことが出来たか、である余談だが坊主丸儲けと言われているが、税が免ぜられているのは法人のみで法人から支給される給与は個人なので課税対象となっているから丸儲けとはいかない そんなことより、この寺には自分の給与を捻出するゆとりも時間もないそこで「無」を目指す坊主として、自分の給与を「無」にしたそ...翻訳
今日から子供達が登校ならぬ登山しています今は静かにお勉強中です さて、お彼岸とお盆は坊主の稼ぎ時ところが貧乏なのに、お彼岸の檀家さん参りは行っていません何故なら、お参りする理由がないからですお彼岸は各人が修行する期間であって、言わば仏教週間では、どんな修行なのかと申しますとそれは先般より記している六種供養を実践することです六種供養は先日記した線香が精進、お水やお茶湯が布施そして記していませんが、お花は忍辱、ご飯は禅定、ご灯明(蝋燭)は知慧塗香(手に塗るお香)は持戒、と各々意味がありますこれを仏教的に簡単なことを難しく言えば、六波羅蜜行ということになりますしかし振り返って見るとこの六種供養が何故大切なのかを記していないことに気づきましたこれは大失態・・・(;^_^なので、今日は少々説明させて下さい 人が持ってい...遍路彼岸
今朝は梅若の涙雨なのか・・・ 本行の二日目だった深夜、堂内で真言を唱えながら、喉の渇きに耐えていた ふと、目に入った百合の花前日、信者さんが持ってきてくれたものだまだ蕾である線香の煙と蝋燭の光のみの堂内その仏前に百合は生けられていたその蕾が開き始めた 最初は蕾の先の方が少し割れるそれから花びらが少しずつ開いてゆく一時間ほどなのか、刻をかけてゆっくりと咲く、百合の花喉の渇きを忘れて、じっと見つめていた 「生きている」百合の生命の躍動を目のあたりにしたすごい生命力、すごい生命の働き蕾から花びらが割けて、開花する感じが身体に響いた 根を切られ、花器の水しか与えられず、煙に燻され陽も当たらぬ堂内それでもいじけずに平然と花を咲かせるこの自然の営みに「生きがいとは何か」という問いに答えがあるのかも知れない人間はどこでも幸せ...供花
境内の掃除が出来ていなかったので荒寺の風情を漂わせている子供達にやって貰おう、なんてズルいことを考えているさて、四国ではお遍路さんの鈴の音が響いていることだと思います今年は閏年四国遍路は時計周りに徳島、高知、愛媛、香川と巡ることを常としています閏年はこれを逆に巡ると、ご利益が何倍にもなると言われている年これはお遍路さんが考案した衛門三郎伝説に因んだ、おまじないですしかし、このおまじないの原点は単に逆に巡れば良いというものではありません逆とは異なる角度、即ち物事を一方向だけで見たり、考えたりするのではなく時には異なる角度から見てみる、考えてみることのキッカケですそこで何かに気づき、活かせればご利益に通じるということになります遍路に限らず普段のお散歩でも時には逆に回ってみると新しい発見があるかも知れません さて、表...遍路香
桃と言えば、昔話の桃太郎が思い浮かぶしかし不思議なお話だ「なぜ?」が多すぎるにも程があるからだまず、なぜ「桃」なのか「梅太郎」でも「松太郎」でもよいではないかそして子分の猿・鳥・犬より熊・鷲・狼の方がはるかに戦闘力は高いと思うのだが・・・しかし「桃」でなければならないし、この子分達でないとこのお話は成立しない 諸説あるようだが、その中でこのクソ坊主が「なるほど」と思った説があるこのお話は陰陽、風水といったおまじないが絡んで完成された物語という説「桃」は厄払い、魔除けの木として家の玄関脇などに植えられる木であるそして三月三日の桃の節句は厄払い、魔除けの節句として人形に厄を移すものだそこから厄や魔=鬼となり、鬼を退治出来るのは「桃」でなければならないそして鬼の姿と言えば頭に角があり、虎のパンツを穿いているこれは干...桃花
さらばえた身を休めていた体重は予想通りの46.7㎏身体に異常はないらしいしかし、食事は重湯である腸が張り付いた状態、つまり生まれたばかりの赤ちゃんの腸と同じ身体だけでなく心も戻れれば良いのだが・・・ 何年か前に学校へ行くことが出来なかった時に少しだけ関わった青年が世話をしてくれている今春より大学院生だ臨床心理士の資格を取得したいらしい青年の先生でもある教授から二回目心理検査を受けていた「行」の前と後で、どのような人格変化があるのか、研究するらしい面白そうだから、得意技のやせ我慢を封印して質問に正直に答えた最後に個人的な質問として「何故、危険を冒してまで行を行うのか」と問われた 大時化の海から救助要請があった時その大時化の経験がなければ現場へ辿り着くことは難しいもし辿り着けたとしても、救助の経験が無ければ救助は難...検査
無事に終えました。ありがとうございました。成満
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