いつも妙竹林なブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。さて、「行」に入るため、暫くお休みさせていただきます。勝手ながら、皆様の所へのご挨拶も控えさせていただきます。僧侶になってから行う「行」を「練行」と申します。定められている「行」ではなく「お好きにどうぞ」という「行」です。この練行として毎年「八千枚護摩供」と「十万枚護摩供」を交互に行っておりまして今年は「八千枚護摩供」の年です。通常の護摩は護摩木を百ハ本焚きますが、これを八千八十本を焚き上げます。三十日間、一日三返通常の護摩を焚き、併せて五穀断ち、塩断ちの「前行」を経て七日七晩の「本行」中は断食、断水、不眠、不臥の四つの「四無行」及び、お不動さんのご真言を一日一万六千返唱えさらに前日からは誰とも話さない「無言行」を加えます。そして最後に約七時間をか...お知らせ
新しい春が始まる窓から差し込む光が目を細めたくなるほど白く感じる二月のおまじないです二日(日)「二日灸」二月二日と八月二日にお灸をして健康を祈るおまじないこの日にお灸をすると、他の日よりも何倍も効能があり効果絶大と言われていますお灸は弘法大師が中国から持ち帰ったという説もあるのでこのボロ寺では、ほうろく皿の上にお灸を乗せてそれを頭にかぶり、百会というツボを温めるほうろく灸を行っています三日(月)春の節分・四日(火)立春まずは「柊鰯」焼いた鰯の頭を柊の枝にさし、家の門口につけて魔の侵入を防ぐ千年以上前から続く、おまじないまた、戸口に「トベラ」を飾るという方法もあります枝や葉が悪臭を放つので柊鰯の鰯と同様の効果があると言われています。共に、三日の夜に飾って下さい続いて「立春大吉」のお札を作り、玄関の柱に貼る左右対称...おまじない如月
数年前からこの時期になると、受験生のお参りがチラホラあるそして毎年、少しずつだが増えている先輩から聞いて来た、という受験生ばかり・・・と、いうことは先輩は合格したのかも知れない親と一緒に来る受験生はいないそれぞれの意思なのだろう友達と一緒であったりたった一人で二時間自転車を走らせて来たり中には同じ大学へ合格したいアベックというのもある折角なのでお参りだけでは・・・と思いお堂に上がってもらい、一緒に般若心経を唱えることにしている人事を尽くして天命を待つ、の心境なのかも知れないそして事の成否は人智を越えている、と思っているのかも知れないしかし、人事を尽くすことが、いかに重要で困難を伴うかまた、その心がけということは語られないだから、このクソ坊主の解釈はまったく逆だ人事を尽くし切るならば天命など待たずとも、向こうから...人事
花びらがなく、独特の咲き方それでも黄色が目立つそして独特の強烈な臭いこの国の海岸沿いには様々な菊が自生しているハマギク、イソギク、ノジギク・・・一年中、潮風を受け時には飛沫をかぶる健気というより、心意気を感じる花菊人形の着物の部分に使われる花だと聞いて納得した花暖冬なのだろう、狂い咲く白花浜撫子潮菊
嘘をつかずに人間は生きられるのか多分、無理だろうその場の流れや勢いで、本心ではないことをつい言ってしまうことがある世間には「汚い大人」という表現があるその「汚い」は嘘のことを指していると思っている大人になるにつれて、心の中で思っていることと実際にとる行動が違ってしまうことがあるそれが子供の目にはどう映るか・・・「本音ではそう思っていないのに」となるそして「大人は汚い」という言葉が現れてくるしかし、それは仕方のないことだ利害関係の中で生きる大人は、納得できないことを許さなければならないし、行動しなければならないことがある子供が純粋というのではなく、利害関係などを含んだ社会との接点が希薄なのだつまり心や頭の中だけで考えていることと現実とが直接的に関係していないから「大人は汚い」となる社会が複雑になるに従って、何々を...嘘八百
病室はわかっていた病院の床は、不必要に磨きあげられているようで照明をいやな感じで照り返しているドアの横に名札がかかっているドアを開ける衝立のようなものがあり、ヤツの姿は直接見えないただ、器具に点滴の瓶がかけてあるのは見えたドアを開けた瞬間に、そういう情景が頭をよぎった「よう」「なんだ、クソ坊主か、まだ死んでねぇぞ」無理に声を出したように思えたベッドの傍に立ち、笑顔を浮かべた多分、笑顔になっているはずだと思った顔の色はどす黒いという感じで、笑うと歯が異様に白かった「調子はどうだ」ありきたりの台詞しか、口から出て来なかった「まあまあだな」余命は数か月と聞かされている「お前は法事の帰りか?」「わかるか?」「どうせ、そんなもんだろう、ついでに見舞いに来るヤツだ、お前は」「ついでに法事に行った、そうとも言える」「まあ、女...罵倒
初詣でお賽銭を打たれた人は多いだろうしかし神社とお寺ではお賽銭の意味が違う神社では感謝であり、お寺ではお布施であるお願いごとへの対価と思っている人もいるようだが・・・そしてお賽銭の金額だが、こればかりは自分で決めるしかない一つの基準としては捨てても惜しくない金額他の人と比べて、などと思ってしまうから語呂合わせのおまじないに頼ってしまう出雲大社さんでは、45円というお賽銭の語呂合わせについて「バスガイドが言い始めたこと」と、はっきり否定しているさて、お寺でのお賽銭はお布施であるが「お布施」と言えば坊主へのお礼や、お寺への寄付のように思われているしかし、字の如く、布を施すこと昔のインドのお坊さんは身に纏う布すらなかったそこで「お坊さん、このボロ布でも纏いなさい」と施されたのが由来そして徳を積んだお坊さんには多くの布...遍路布施
丸い背中を探してみたが、見当たらない花畑に柵というものはない誰でも入ろうと思えば入れる中央に畦が走り、両脇に花畑が広がっている畦を下ったところにボロボロの椅子がひとつある婆さんはその椅子に座って、海を見ていた挨拶すると「ああ、来たかい」と立ち上がった丸い背中が花畑へ入っていく畑の花たちは海風に吹かれ、気持ちよさそうにしている真冬でも露地で花を咲かせる婆さん少し前までは爺さんと二人で除虫菊を栽培していたしかし今は一人で菊やマーガレット、キンセンカの世話をしているどこかに出荷するでもなく花の世話をするただ、それだけだ「これだけあればいいかね」と原付バイクに積みきれない程の菊を束ねている季節が変わり、花畑の色が変わっても婆さんの丸い背中は変わらない1/5撮影花畑
雲が飛ばされている雨は上がり、陽光が冬の瀬戸を照らしている昨夜、内職しながらラジオを聞いていたすると昔の流行歌「嘘」が流れ始めたそしてラジオは男の「嘘」を歌っている何とも嘘のような話だが、残念ながら事実だ聞きながら、ふと、思った立場によって、ついてはいけない「嘘」の範囲や種類が違うのではないか男性と女性でも違うだが、多くの人がつく嘘というのは、たわいない「嘘」だろう「たわいない」で止まっているのは自己防衛の為でこの多くの人というのは、何かしらの社会や組織等の中で生きているそこで「嘘」をつくと信用を失い、存在出来なくなってしまう可能性があるだから自制心が働くと同時に「嘘」を嫌う「嘘は泥棒の始まり」と子供の頃に教わった人は多いだろうこの言葉の意味は、嘘を平然と言うようになると、泥棒も平然としてしまう・・・だが、小衲...嘘各々
正月気分に終わりを告げる人日の節句、七草の節句そして今日の雨が御降りであらんことを・・・初詣へ行った人も多いだろうそもそも初詣というものは、江戸時代の恵方詣という風習を鉄道会社と一部の寺社がイベント化したものだそれが全国に広まり、今風な文化となったしかしイベントとは言え、節目、ケジメとして詣でるのは良いと思う・・・という貧乏寺の、負け惜しみこの貧乏寺はというと、初詣とは縁遠い寺であるそれでも気になる封筒が賽銭箱に入っていたお加持(ご祈祷)のお布施はいただかないことにしているもしお願いごとなどが成就したと思ったら捨てても惜しくないお布施かお供えを仏様に・・・としているお布施やお供えというものは志であって、決して料金ではない一見、平等に思える100円というお金も人によって価値が違うはずだだから、あくまでも各々の志が...風
年が明け、にわかにお滝の水が冷たく、そして鋭くなった今日は二十四節気の小寒、寒の入り小寒から穀雨に至る八つの節気をさらに三つの候に分けそれぞれの時季に咲く花の便りを乗せて吹く、花信風二十四の花だより穀雨の第三候、楝花(栴檀)まで順次投稿する予定です小寒、第三候【水仙】生まれはスペイン、ポルトガル、地中海長い時間をかけてシルクロードを通り、中国へそして、この国へ玄界灘を船で渡った水仙もあれば黒潮、親潮に乗り、流れついた水仙もあるらしい流れついた水仙はその地で根を張り、群生地となったそのため、この国の水仙群生地は全て海岸沿いにある※中国伝来の風の為、暦と一致していませんリアクションボタンは勝手ながら常に非表示定にしています。二十四番花信風
雲が殆ど動いていない穏やかな軽風を頬に感じる瀬戸仏教には十善戒という戒がある不殺生もその一つだそして不両舌、不悪口、不妄語、不綺語と四つ、口が因と為す戒があるこれらを乱暴に言えば「嘘」であるひと口に「嘘」と言っても様々で、詐欺を働くための「嘘」もあれば相手の心情をおもんばかる「嘘」もある事実以外を口にすることを「嘘」と呼びあれもダメ、これもダメと否定したら生きづらくて仕方がないだろう人間が「嘘」をつく時は何らかの「欲」を満たすためだ大昔の人間はその日食べていくだけの生活の頃には所有欲もなかっただろうそもそも所有という概念もなかったかも知れないしかし次第に社会が形成され始め、そこに社会を安定させるための規律や約束事が必要となり「嘘」が誕生したはずだだから「嘘」は社会が作り出したものそして子供の頃「嘘をついてはダメ...嘘
路傍の花をこよなく愛するその中で年頭を飾るに相応しい路傍の花は七草の一つ、ナズナをおいて他にないと思っている深い切れ込みのある葉をロゼットに地面へ広げているこの若い葉は料理の青物としては、まことに結構アクはないが、特有の香りがあるそこから直立した花茎を伸ばし四長おしべが一糸乱れず、行儀よく並ぶ花の後に出来る実は平らな三角形これが三味線のバチとなり、七草娘も左褄それでは参りましょう、ぺんぺんと・・・薺
自分に突き付けられているのではないかと思う言葉があるそれは「安っぽい」である「安っぽい坊主」には「安っぽい悟り」がお似合いだ今は結構これに近いものがあるそれでも安っぽくても、悟ることがないよりはマシかも知れない世の中の常識や道徳、倫理などについて、相応の程度は理解しているつもりだただ、それに従って生きられないーーーというより生きようという興味も意思もないだけだだから「安っぽい悟り」は経験則からもたらされたものであるそれを披露するのは自分勝手に話せる説法の中と、この場だけとなる年末の大掃除の時にその「安っぽい悟り」の数々を散らかしたメモの中からを見つけた「世の中の歯車は不必要なとき、不必要な場所で動いている」「一夜の眠りは自分が求めるが、永遠の眠りは向こうから近づいてくる」「楽しさは一瞬のこと、悲しみは一生続く」...安
水仙と蝋梅が境内の香りを占めている蝋梅の花びらは三層に分かれているべっ甲細工か蝋細工のような色つや誰が見ても蝋梅なるかな、と感嘆するだろうしかし蝋細工の蝋ではなく臘月の臘という説もあるらしい臘月(旧暦十二月)に咲くことも、花の姿を見ても、どちらも事実淡い黄色の花が、冬の青空によく映える満月蝋梅蝋梅※リアクションボタンは閉じさせていただいております蝋梅
除夜の鐘から、拝み続けてやっと一息・・・そして、お雑煮新年、明けましてあめでとうございます随分と、時の流れに取り残されている昨年の流行語大賞も知らず、新年を迎えた言葉にも流行り、廃りがある世相というのはクルクル変わるし、その変わる世相に反応する人々の心を的確に表した言葉が流行るというのは、考えてみれば至極当然だ先日まで知らなかったが「イカす」という言葉は故石原裕次郎さんが登場した時に生まれたらしい今では「イカしてる」なんて台詞は流行語でも何でもなく、限りなく日常語になっているそれから「マジ」というのも、その類だ日本語の乱れを指摘する声もあるようだが実際のところ「マジで?」とやっちゃったほうが、ゴタゴタ並べるよりよっぽどスマートに気持ちを伝えられるような気がする最近気になっているのが、言葉というより形容詞、助詞、...流行
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