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3分で読める歴史・偉人伝 https://www.cmarduk.work

歴史や偉人についてのウンチクを明日からでも話せるようになるブログです。 3分で読めるようポイントを絞って紹介しています。 最後に面白い小ネタもあります。

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2019/11/27

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  • 黒田官兵衛(くろだ かんべえ)

    1546年12月22日~1604年4月9日(享年59歳) 出身 播磨国(兵庫県姫路市) 「軍師官兵衛」でNHK大河ドラマの主人公にもなりましたね。 本名は黒田孝高(よしたか)、剃髪後の号は如水といいます。 この方、戦には一度たりとも負けたことがありません。 ですが悲運の武将と呼ばれているんですよね。 生涯 播磨国に生まれた官兵衛は、小寺氏に仕えていました。 幼き頃より書物が好きで、軍記物だけでなく、連歌などの教養も豊かになっていきました。 22歳の頃に家督を継ぐとともに、結婚します。 少数の兵での奇襲戦を得意とし、隣国との戦に勝っていきます。 情報収集も怠っておらず、織田信長が勢力を伸ばし播磨…

  • 達磨大師(だるまたいし)

    5世紀後半~6世紀前半(享年150歳くらい) 出身 南天竺国 選挙で当選したら目玉を書く、だるまさんがころんだ等で知られるあのだるまさんです。 実在した人物なんですね。 仏教の教えから、禅というものを見出し、中国禅宗の祖と呼ばれています。 生涯 インド王族の3男として生まれました。 3歳の頃に2人の兄たちと宝玉について会話をし、達磨のみが宝玉より正しい教えこそが至高の宝だと答え、これに感動した僧侶は出家をススメました。 やがて王が亡くなると、達磨は「死ぬとどうなるのか」7日間瞑想しましたが答えは出ませんでした。 これをきっかけに出家し、高層のもとで40年もの間厳しい修行を行いました。 師匠の遺…

  • 徳川綱吉(とくがわ つなよし)

    1646年2月23日~1709年2月19日(享年64歳) 江戸幕府の第5代将軍 「生類憐れみの令」で有名な犬将軍・綱吉です。 マイナスイメージの強い人物ですが、近年の研究で、歴代の将軍の中でもトップクラスに優秀だったのでは?という説が支配的であります。 生涯 3代将軍・家光の4男として江戸城で生まれます。 家光が亡くなると、兄の家綱が後を継ぎ、4代将軍になりますが40歳で死去します。 家綱には子が無く、他の兄たちも生存していなかったため、綱吉が5代将軍に任ぜられます。 将軍になると、さっそく4代将軍である兄の時代に下落していた権威を取り戻しにかかります。 まずは能力の高い人物を大老に任命し、諸…

  • ソクラテス

    紀元前470年~399年 出身 アテナイ(ギリシャ共和国アテネの古名) 「無知の知」で知られる哲学会の巨人ですね。 彼自身は文字を一つも残してはいないけれど、弟子であるプラトン達が書き残す著書を通じ知られています。 人物 アテナイで生まれた彼は、背は低く、太り気味であり、鼻は上を向き、いつも無愛想な顔をしていたとされています。 当時のギリシャには「ソフィスト」と呼ばれる頭の良い人たちがいました。 ソフィスト達は、弁論が上手くどんどん出世していきます。 人々は、ソフィスト達に学ぼうと家庭教師を頼んだりしていました。 そのことが、ソフィストであれば何でも知っている。と増長させていきました。 しかし…

  • 菅原道真(すがわらのみちざね)

    845年8月1日~903年3月26日(享年59歳) 出身 奈良県奈良市 「学問の神様」菅原道真。 しかし、実在の人物が天神様と呼ばれ、各地に天満神社が建てられ祀られるのはなぜか? このあたりについてをご紹介しますね。 生涯 菅原家は代々学者の家柄です。 三男として生まれた道真も優秀な頭脳を持っており、神童と呼ばれておりました。 若いうちからその才を発揮し次々と出世していきます。 その頃、朝廷の中枢で絶大な権力を持っていたのが藤原家でした。 道真は、言うべきことは言ってしまう性格でしたので、天皇に次ぐ権力者であった藤原基経にも堂々と意見を言ってしまうのです。 その事が原因で讃岐の国へと左遷させら…

  • 空海(くうかい)

    774年~835年4月22日(享年62歳) 出身 香川県善通寺市 空海は弘法大師と呼ばれ、書の達人として「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」ということわざにもなっていますね。 各地に伝説を残す空海は、いったいどういった生涯だったのでしょうか。 生涯 空海は讃岐国で郡司である父親の次男として生まれました。 幼少の頃から神童と呼ばれ、学問において地元では敵なしでした。 さらなる知識をもとめ11歳の時、京へ上ります。 時代は、奈良時代の末期です。 その頃の世の中は、強くなりすぎた仏教の僧が政治へ口出しするようになっていました。 危機感を覚えた朝廷は、京都へ遷都する時代の変わり目でした。 平城京と呼ば…

  • 大久保利通(おおくぼ としみち)

    1830年9月26日~1878年5月14日(享年47歳) 出身 薩摩藩(現在の鹿児島県鹿児島市) 改名歴 大久保正助→大久保一蔵→大久保利通 「維新の三傑」と称され内閣制度発足前の明治政界のリーダー(実質上の首相)でした。 しかし、世間のイメージはあまり良いとは言えず「親友の西郷隆盛を殺した冷徹な政治家」という一面だけが広まっているのではないでしょうか。 とんでもない。西郷と大久保は、最後まで海より深い愛で繋がれていたのですよ。 生涯 薩摩藩の下級武士の子として生まれ、幼馴染には西郷隆盛らがいました。 武術は苦手だった代わりに、討論や読書などの学問はトップでした。 20歳の頃に藩のお家騒動に巻…

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