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残された人生の生き方を求めて https://thinking-about.hatenablog.com/

平均寿命まではまだまだですが、50代後半に差し掛かって、残された時間で、本当に知りたかったこと、そしてその答えを探していくなかで、お念仏に出会いました。私の考えたことや、その手助けになった本や体験を書いていきたいと思います。

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2019/11/06

  • がんばること

    念仏をとなえる生活をするなかで、いくつもの気付きがありました。「がんばること」についての気付きも、私にとって大きなものでした。 * * * この三年ほど、私は毎朝、正信偈を読み和讚を読む、いわゆる浄土真宗でいう「勤行」というものを行っています。もっとも、私は今も、どこかのお寺とお付き合いがあるわけでもなく、誰かに勤行を勧められたわけではありません。お寺へお参りをする中で、見よう見まねで始めたのです。何か日々のルーティンのようなものがあれば、念仏がもっと日常的になるのではないか、念仏をとなえる心を忘れないため、勤行もひとつの手段になるのではないか、と思ったのです。 今では正信偈にもだいぶ慣れてき…

  • 京アニ放火殺人事件に思う

    京都アニメーション放火殺人事件の青葉被告に死刑判決が言い渡されました。(2024年1月25日) やはりというか、当然だろうという思いはあります。あれほどの凄惨な事件なのですから。しかし、この事件は私にとっても、とても大きなできごとでした。それは、この事件以後「私も青葉被告と同じなのだ」という思いが頭から離れないからです。 * * * それには根拠があります。この事件が起きたとき、私の妻は子供を連れて家を出て、離婚の協議中でした。そして妻と共同で行っていた事業も行き詰まり、多額の負債を抱えて、破産を回避するために無我夢中の状態でした。(結局はその後、離婚、破産をして、家庭も財産も仕事も、全て失う…

  • バカは死ななきゃ…

    浄土の教え、念仏とは。今の私の理解は以下の通りです。 煩悩具足の私は、生きている間に煩悩を離れることは不可能です。そのため、我が名を称えるものは死後、必ず我が国「極楽浄土」へ生まれさせる、という阿弥陀仏の誓願を信じ、念仏を称える。私が煩悩から離れるために残された道は、それしかありません。 なぜ、煩悩から離れたいのか、それはその煩悩が私自身を苦しめているからだ、と身に染みて感じたからです。煩悩とは、ただ単なる「欲望」ではないのでしょう。自分を「我(われ)」と感じている、その意識そのものではないかと思います。それがあるがゆえに、欲望を起こすことはもちろん、他人と比較して妬んだり苦しんだり、思い通り…

  • 『親鸞』五木寛之

    五木寛之さんの小説『親鸞』を初めて読んだのは四年ほど前です。色々感じるところはあり、前々から感想を書き留めておきたいと思ってきたのですが、なかなか書くのが難しく、結局これまで六回ほど読み返してしまいました。 書くのが難しい理由のひとつは、この本が実に多彩な側面を持ち、様々な要素を含んでいることにあると思います。つまり、色々な読み方ができるのです。 例えば、エンターテイメント小説として、冒険やアクションシーンを楽しむことができます。一方で、歴史小説として、舞台となった時代の風俗や人々の生活を知ることができます。そして、宗教を扱った本として、人の内面を深く掘り下げていくところもあります。 そのよう…

  • 一本の糸 ~念仏をとなえる生活~

    今私は、念仏をとなえる生活を送っています。その心は 本願を信じ念仏をまうさば仏になる(『歎異抄』第十二章) という『歎異抄』にある一節を、そのままいただいています。なぜ、その言葉をいただくのか。それは、やはり同じ『歎異抄』の一節、親鸞聖人の語った言葉 いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(『歎異抄』第二章) と感じたからです。 私は親鸞聖人のように、「いづれの行」を行ってきたわけではありません。ただ単に、充実した人生を送ろう、そして周りの人とともに幸せを手に入れよう、と私なりに精一杯考え、行動して、これまで生きてきただけです。ですが、結果は虚しいことばかりで、むしろ…

  • 映画『福田村事件』を見て

    映画『福田村事件』を見ました。まず強く感じたことは「このような映画が、まだまだ上映できる日本でよかった」ということでした。 映画自体は、大変衝撃的で、考えさせられる内容でした。ネットで調べてもらえれば事件の概要や、映画の情報もすぐに見つかるので、ここで色々書くつもりはありません。ただ、大々的に宣伝されている映画ではないので、一人でも多くの人に見てもらいたく、全く力にはならないとは思うのですが、このブログでも取り上げさせてもらいます。 私がこの映画を知ったのは真宗教団連合が特別協力ということからです。そして実際に足を運んで見てみようと思ったのは、森達也監督のインタビュー記事を見たからでした。森監…

  • 欲生我国

    『無量寿経』には阿弥陀様の本願が書かれていて、その第十八願に、私たちを阿弥陀様の国、極楽浄土へ生まれさせるための願いが書かれています。そこには、念仏が私たちを極楽浄土へ生まれさせる根拠になる、こういう記述があります。 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念<読下し>十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念せん (読下しは『浄土三部経』本願寺出版社 仏説無量寿経 上巻より) この中の「欲生我国」について、私は単純に、わが国(極楽浄土)へ生まれたいと願いなさい、ということだと受け取っていました。事実そう書いてあるので、その捉え方は間違っている訳ではないと思うのですが、最近…

  • 前回の記事「私とピアノ」を書いた後

    つい先日書いた前回の記事で、私が約4年ぶりに楽器を手にしたことを書いたのですが、その後、改めて気が付いたこと、考えさせられたことがありました。 以前このブログで紹介した、阿満先生の本、『『歎異抄』講義』(ちくま学芸文庫)を最近また読み返していました。 thinking-about.hatenablog.com そして、前回の記事「私とピアノ」をアップした後、次のような阿満先生の言葉が目に留まったのです。 私は最近つくづく思うのですが、「煩悩」という言葉を仏教から教えてもらったけれども、実際、私たちは「煩悩」がどれほどに分かっているのでしょうか。言葉として「煩悩」は欲が深いとか怒りやすいというの…

  • 私とピアノ ~再び楽器を手にして~

    今回はかなり個人的な内容です。まあ、いつもそうなんですが…。 私はかつて音楽が好きで、20代の頃は自分でバンド活動をしつつ音楽関係の仕事をしていました。といっても、そんなにメジャーな仕事ではありません。一般の人が知らないような裏方的な仕事は音楽業界にも色々あるのです。そして30代から10数年間は音楽学校で働いていました。 弾いていた楽器はピアノ、キーボードでした。好きだったのはジャズですが、ロックやポップスも好きでした。もっとも弾くのはそれほど上手くなかったので、演奏の仕事はほとんどしませんでした。30歳を過ぎてからは、人前で演奏したり毎日練習することはなくなりました。それでも時々、自分の楽し…

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