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田中 将大駒大苫小牧(北海道)57年ぶりの夏の選手権2連覇を達成し、甲子園の中心で雄叫びを上げた男が再び“同じ場所”へ帰ってきた。あの瞬間から1年間、全国が目標に掲げ続けた駒大苫小牧の中にあって、常にその話題の中心に田中将大がいた。マウンド上から鋭い眼光で相手打者を威圧し、打者を仕留めたときには気合いの雄叫び。北の怪物、世代最強投手と呼ばれ続ける中で自分を見失うことなく勝って勝って勝ち続け、チームは公式戦...
王 貞治早稲田実(東 京)世界のホームラン王は、早稲田実の投手(2年生エース)として昭和32年春を制している。左中指の爪を割りながら血染めのボールで完投。紫紺の大旗が箱根の山を越えた。3試合連続完封 初戦の寝屋川(大阪)を10奪三振の1安打完封1対0、準々決勝も柳井(山口)を11奪三振・無四球の完封4対0、準決勝も久留米商(福岡)を無四球で完封6対0、見事な3試合連続の完封で決勝の高知商戦にコマを進めた。しかし、王をアクシ...
斎藤 佑樹早稲田実(東 京)WASEDAのエースが甲子園に帰ってきた。初登場の北海道栄戦で4安打完封、荒木大輔以来24年ぶりにもたらした選抜1勝は早実にとって節目の甲子園通算50勝目だった。奇しくも駒大苫小牧の代替出場だった北海道栄戦から斎藤の甲子園伝説がスタートしているのも何かの因縁か。“荒木二世”として真価を問われた関西との2回戦で大立ち回り。片鱗を見せながら、この選抜大会の覇者・横浜に準々決勝で完敗した斎藤...
板東 英二徳 島 商(徳 島)常にストレート1本真っ向勝負というその投げっぷりにマンモスが唸った。昭和33年夏の83奪三振は選手権の大会記録。準々決勝、魚津・村椿輝雄との延長18回、息詰まる投手戦は名勝負として語り草になっている。昭和31年夏にはじめて甲子園出場を果たしたときは、まだ1年生投手だった。1回戦で名門・平安(京都)と対戦、0対4で初戦敗退している。引き分け規定の新設 昭和33年、徳島商・板東投手は春季四国大...
小川 正太郎和歌山中(和歌山)「甲子園の創世期」(大正末~昭和初期)に現れた不世出の豪腕サウスポーが和歌山中の小川正太郎である。この和歌山中(現・桐蔭)の活躍で、和歌山県勢は創世期から「野球王国」として君臨してきた。和歌山中(現・桐蔭)が優勝3回、準優勝4回、その後を継いだ海草中(現・向陽)が優勝2回、準優勝1回である。海草中の夏連覇から30年の年月を経た昭和45年春、名将・尾藤の箕島が初優勝から10年足らずの間に4...
柴田 勲法 政 二(神奈川)法政二の夏春連覇の立て役者で、投げても打っても走っても、そして守っても「どれをとっても超一級品」といわれたのが柴田勲である。当時の法政二は強力打線を兼ね備え、戦後最強の超高校級チームといわれた。戦後最強の超高校級チーム昭和35年夏、初戦の御所工(奈良)には全員安打の猛攻で14対3で大勝、2回戦以降は剛球・柴田とカーブ・加地の継投で4試合すべてをシャットアウト。浪商(大阪)との最初の対...
平松 政次岡山東商(岡 山)後にカミソリシュートを武器にして大洋のエースとして活躍した平松政次は、岡山東商時代に甲子園に出場、昭和40年春の選抜優勝投手になっている。4連続完封勝利という球史に残る輝かしい記録を作り、決勝で藤田平(のち阪神)のいた市和歌山商に初失点を奪われるが、延長13回サヨナラ勝ちで初優勝。39回連続無失点は、今でも選抜大会の最多イニング無失点記録である。4連続完封勝利 初戦のコザ(沖縄)を完...
平古場 昭二浪 華 商(大 阪)戦後はじめて開催された選手権大会で、快速球を武器に4試合ですべて二桁奪三振を記録して、合計62奪三振。準決勝で選手権大会タイの1試合19奪三振を記録した名投手だったが、それでもプロには進まなかった。開催中止の27回大会 昭和16年夏の27回大会は日中事変のため直前に開催中止となり、それ以後の5年間は第二次世界大戦で甲子園大会は開催されていない。中止となった27回大会の主な選手には、海草...
前岡 勤也(井崎) 新 宮(和歌山)昭和30年当時、あの大明神・坂崎一彦をしても歯が立たなかった剛球左腕がいた。新宮(和歌山)の前岡勤也である。ホップする直球を持ち、低めを突くと、その球の回転で地面から「砂塵が舞った」という伝説が伝わるのは、この前岡と浪商の怪童・尾崎行雄だけである。三重県の井崎家に生まれたが、新宮の前岡家に養子となっていたため、甲子園大会では前岡姓を名乗っていた(のち井崎姓を名乗る)。...
沢村 栄治京 都 商(京 都)日本球界が生んだ「天才投手」沢村栄治は、甲子園に3回出場している。三重県宇治山田市(現・伊勢市)に生まれ、明倫小学校高等科時代に全国大会で優勝の後、創部間もない無名の京都商(現・京都学園)に進学する。藤村富美男、楠本保との投げ合い昭和8年の春に甲子園初出場を果たす。初戦、優勝2回の強豪・関西学院中(兵庫)を相手に四球10個と制球を乱しながら14奪三振の完投、6対2でまず初勝利を挙げる。2...
松井 栄造岐 阜 商(岐 阜)岐阜県勢は過去、春夏合わせて4回、優勝旗を持ち帰っている(すべて岐阜商=現・県岐阜商)。その内の3回(昭和8年春、10年春、11年夏)すべてで優勝投手になった左腕投手がいる。その大きな縦のカーブから「三尺」というあだ名で呼ばれた、岐阜商の
福島 一雄小倉中小 倉小倉北(福 岡)戦後再開された昭和21年夏の大会では控えでベンチ入り(登板なし)。初登板を果たした翌春の選抜大会で挨拶代わりの3連勝。いきなり準優勝を飾ったのを皮切りに6季連続で甲子園のマウンドへ。夏の選手権では、嶋清一(海草中)以来、史上2人目の5試合連続完封で連覇を達成。流れるような投球フォームで速球はホップしたと称された。まさに甲子園は昭和22年から小倉中(22年夏から小倉)の福島一雄の...
桑田 真澄PL学園(大 阪)主砲・清原和博とのKKコンビで甲子園に一時代を築いた。昭和58年夏から5季連続で出場しての通算20勝は戦後最多であり、不滅の金字塔である。旧制中等学校時代(5年制)に6季出場で23勝した吉田正男(中京商)がいるが、現在の3年制の高校野球で1年生夏からエースで甲子園のマウンドを踏み、常に注目される環境下で、打倒PLを目指す全国の強豪校を敵に回しながら、結果を出し続けたその精神力と勝利に対する...
池永 正明下 関 商(山 口)下関商の2年生エースとして春夏連続出場。決して大きくない体をフルに使って大上段から投げ込む、既に文句のつけようがないほど完成されたフォームで度胸満点のピッチングを展開、男気のあるマウンドだった。 池永正明の傑出した運動能力は、野球だけではなく陸上競技にも発揮されている。走り高跳び、砲丸投げ、80mハードル競走のいわゆる三種競技で、当時の山口県中学記録を樹立、全国大会3位に入賞し...
野口 二郎中 京 商(愛 知)昭和13年春にノーヒットノーランを含む全4試合完封という快挙で夏春連覇、中京商の第2期黄金時代を築いた名投手である。プロ入り後もシーズン30勝、40勝は当たり前、名古屋(現・中日)の西沢投手と延長28回を投げ合ったり、投げるサイボーグとでもいうべき、とにかくタフな投手だった。野口が喫した唯一の黒星 野口二郎の甲子園初登場は、4年生エースだった昭和12春の選抜大会だった。初戦(2回戦)は慶...
楠本 保明 石 中(兵 庫)昭和初期に「世紀の剛球投手」といわれたのが明石中の楠本保である。旧制中学2年(昭和5年)の春選抜大会に初登場以来、昭和8年までの4年間に6回甲子園に出場(新制高校の現在ではあり得ないことである)、通算で甲子園15勝(内8完封)を記録している。史上初の全員奪三振 楠本がその真価を発揮するのは4年生になった昭和7年から。春選抜大会の初戦で広陵中(広島)を3安打完封、3対0で勝利するが、この試合で楠...
尾崎 行雄浪 商(大 阪)戦後の名投手で、低めを突くと「砂塵が舞った」とされる豪速球で頂点に立ったのが、浪商の怪童・尾崎行雄だ。地元大阪でしかも名門浪商にあって1年生からエースだった尾崎に注目が集った。尾崎を語るとき欠かすことの出来ないのが、因縁のライバル柴田勲(法政二→巨人)の存在である。昭和35年~36年頃の法政二は投打のバランスがとれ史上最強とまでいわれた超高校級チームだったが、尾崎の浪商はよりによっ...
松坂 大輔 横 浜(神奈川)嶋清一(海草中)以来、史上2人目の選手権決勝ノーヒットノーラン、史上5度目の春夏連覇。150kmの速球とスライダーで近年の高校野球では図抜けた存在感を示した。 平成の怪物・松坂大輔は、平成10年春、関西の強豪・報徳学園(兵庫)を相手に最速151kmの豪速球で甲子園デビューを飾る。最終回、投球が単調となったところを報徳・米田、鞘師に打たれて2点を失ったが6対2で初戦を突破した。3回戦は東福岡の村田...
吉田 正男 中 京 商(愛 知)昭和6年、7年、8年と中京商を一人で夏の選手権3連覇に導いたのが「大車輪」吉田正男だ。3連覇は高校野球史上唯一の大記録であり、その後中京商は甲子園史上最強チームとして永く語り継がれていく。驚異の甲子園最多23勝3年間で春夏6季連続の甲子園出場、通算成績が23勝3敗というのは甲子園の最多勝であり、夏の14連勝(無敗)は驚異的な成績だ。まさに甲子園で勝つために生まれて来たような名投手だっ...
嶋 清一 海 草 中(和歌山)甲子園の大会史上初めて5試合連続完封の全国制覇を果たし、しかも甲子園史上唯一となる、準決勝・決勝の2試合連続ノーヒットノーランを達成。戦前の名投手の中でもひときわ輝いた「伝説の大投手」が海草中の嶋清一である。常勝・中京商の壁 旧制中学1年(昭和10年)の夏に一塁手として甲子園の土を踏み、翌年から投手に転向する。3年(昭和12年)の夏に投手として甲子園初出場。2回戦から登場し、徳島商を完...
江川 卓 作新学院(栃 木)「怪物・江川」のストレートは既にプロレベルに達していた。時速150kmを越す球速で打者の手元で高めにホップするため、高校生にはバットに当てることすらままならなかった。ファールチップすると観衆からどよめきが沸いたものだ。予選36イニング無安打 県予選では2度の完全試合を含む9度のノーヒットノーランを達成しているが、とにかく味方打線の援護がないので、勝つためにはひたすら完封し続けるしか...
204 2019年 特別 脇村 春夫 わきむら はるお203 2019年 競技者 権藤 博 ごんどう ひろし202 2019年 競技者 立浪 和義 たつなみ かずよし201 2018年 特別 瀧 正男 たき まさお200 2018年 競技者 原 辰徳 はら たつのり199 2018年 競技者 金本 知憲 かねもと ともあき198 2018年 競技者 松井 秀喜 まつい ひでき197 2017年 特別 鈴木 美嶺 すずき みれい196 2017年 特別 郷司 裕 ごうし ひろし195 2017年 競技者 平松 政次 ひらま...
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