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タクボンのお遍路日記 https://ohenro.prodigal04.site/

2016年、車で逆打ちで遍路を廻り 2017~2018年に休日歩き遍路で結願しました その時の記録等を残しています また、お遍路に役立つ情報も書いています

タクボン
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2019/11/04

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  • 新四国曼荼羅 56番 石見寺

    新四国曼荼羅 56番四国88ヶ所霊場 39番 元札所 山号:浄瑠璃山院号:東光院宗派:真言宗豊山派本尊:薬師如来ご詠歌:いくたびも まいるこころは 石見寺(いしみでら) 瑠璃の光も あらたなるらん住所:高知県四万十市安並4288 往古は四国八十八ケ所霊場の随一であり第39番札所であったが城下に遍路が入るのを嫌い札所を返上したと伝えられる。また、一条氏の時代には、この寺を比叡山延暦寺にみたてた鎮守寺であった。 縁起によれば、創建は大同年間と記されている。旧中村市を一望出来る場所にあり、山内一帯に、ミニ八十八ケ所があり桜の名所である。 かなり急勾配の登り坂を登ったところの駐車場から階段の上に山門山…

  • 白皇神社

    白皇神社:四国八十八箇所第三十八番札所金剛福寺の奥の院。元来は金剛福寺が創建されたとされる平安時代初期の弘仁13年(822年)に、白皇山真言修験寺として創建された。現在地の北方にある白皇山(標高433m)の山上にあって、白皇権現を本尊として祀っていた。明治初期の神仏分離令により廃寺となり、白皇神社と称した。大正5年(1916年)に白山洞門にある白山神社と合祀され現在地に遷座した。以後、足摺岬集落の氏神となっている。 白山神社:もと白山権現と称し、加賀の白山神社から勧請され、白山洞門の上に祀られていた。大正5年(1916年)、白皇権現と合祀され、現在の位置に社殿が造営された。白山神社はもと金剛福…

  • 月山神社

    番外札所 月山神社(守月山月光院南照寺) 住所:高知県幡多郡大月町月ヶ丘1443 白鳳時代、役の行者(役小角)が山中で三日月の霊石を発見し月夜見命、倉稲魂命を奉斎したことに始まる。その後、空海(弘法大師)が巡錫し、霊石の前で二十三夜月待の密供を行ったと伝えられている。明治の神仏分離以前は「守月山月光院南照寺」と号する勢至菩薩を本尊とする寺であったが、それ以降は月山神社と改称された。月山神社社務所月山神社の隣には大師堂

  • 新四国曼荼羅 55番 鳳彩寺

    山号:栄松山宗派:曹洞宗本尊:如意輪観世音菩薩ご詠歌:父母の恵みも深き 鳳彩寺参りて拝む南無観世音住所:高知県宿毛市小筑紫町伊与野474 宿毛湾を臨み、南へ下った小筑紫の山麓に天満宮がある。延喜元年(901)大宰府に配流となった菅燥道真公が漂着した。この勝緑に因んで社殿が造営された。地名の由来も筑紫野に依るという。国道に沿った部野の集落に鳳彩寺がある。観音信仰を皷吹し、寺門興隆の萌芽が窺えた。地方にあって曹洞禅提唱の道場である。寺号の起りは群馬県という。中世に高知市内へ移り、初代山内可氏の代に宿毛の地を与えられたようである。理由は定かでないが、始祖・伊賀氏の緑に依るものか,伊賀氏は美濃の豪族で…

  • 新四国曼荼羅 10番 自性院

    正式名:微雲窟 自性院 常楽寺宗派:真言宗善通寺派本尊:不動明王住所:香川県さぬき市志度1105 志度寺の塔頭である自性院の御本尊は不動明王であるが、正面は弘法大師をまつっている。これは、本堂の場所は、元志度寺の御影堂の跡とも伝えられている。自性院は、天正年間に志度に来往し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建になる。さぬき良寛さんと呼ばれている竹林独雄上人は、天明4年(1784)に第七代目の住職となった。上人は、人に衣食を分け与え、子供ともよく遊び、蟻を踏まなかったり、蚊に自分の血を供養したりした。また、純無垢な上人の書画にも見るべきものがある。平賀家は自性院の檀家である。源内さんは本…

  • 86番 奥の院 地蔵寺

    山号:如意山院号:文殊院本尊:文殊菩薩宗派:真言宗善通寺派所在地:香川県さぬき市志度545 ご詠歌:ももたびも もおでおがめよ じぞうでら 大悲のちかい ふかきしどうら 志度寺を建立した凡園子(おおしそのこ)尼により飛鳥時代に創建されたとされる。 また、寺院には下記の伝承も残っている。景行天皇の時代、日本武尊の子(または弟)讃留霊皇子(さるれおうじ)が天皇より土佐の海で船を襲い人を食して暴れる大魚の退治を命じられた。これを知った大魚は瀬戸内海に逃げ込み志度浦に隠れた。これを見つけた霊子の軍は攻撃を行ったが一同は大魚に飲み込まれた。霊子は一計を案じ、もろともに飲み込まれた軍船に火を着け大魚を退治…

  • 新四国曼荼羅 11番 田村神社

    新四国曼荼羅 11番 田村神社83番 元札所 正式名:讃岐国一宮 田村神社主祭神:倭迹々百襲姫命 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)・五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(別名 吉備津彦命(きびつひこのみこと))・猿田彦大神・天隠山命(あめのかぐやまのみこと)・天五田根命(あめのいたねのみこと)を祭神とし、これを「田村大神」と総称する。 田村大神については、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命のこととされ、近世には、神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社伝創建前は井戸の上に神が祀られていたことから、元々は当地の水神であったとする説もある。 社伝に…

  • 新四国曼荼羅 14番 観音寺

    山号:綾艮山宗派:真言宗御室派本尊:十一面観音菩薩ご詠歌:誓ひおば 千尋の海に たとふなり 露もたのまば 数に入りなむ住所:香川県坂出市高屋町879 観音寺は、崇徳上皇の菩提を祈るお寺で、本尊十一面観音は上皇生前の御念時仏 五色台山麓、坂出側からの登山口にある鳥居の向こうに高家神社(血の宮) 随神門「崇徳天皇 高家神社」の額が架かっている階段の上が高家神社の拝殿古代、高家首の一族がこの地に住み、その祖神・天道根神を勧請して氏神として祀ったことに始まり、依って「高家神社」と称していた。長寛2年(1164)讃岐に流刑された崇徳天皇が薨去されたとき、棺を白峰に運ぶ途中、高屋村阿気の地に御棺を休め奉っ…

  • 新四国曼荼羅 13番 鷲峰寺

    新四国曼荼羅 13番 鷲峰寺82番 奥の院山号:圓通山宗派:天台宗本尊:千手千眼観世音菩薩御詠歌:鷲の山 谷の流れも 松風も 御法の声と 聞くぞうれしき住所:高松市国分寺町柏原632-3 寺伝によれば、奈良時代の天平勝宝6年(754年)唐僧・鑑真により建立されたという。鑑真は寺院がある山がインドの霊鷲山に似ていることから釈迦如来像を安置し鷲峰寺と名付けたと言われる。 平安時代前期の貞観2年(860年)円珍により智証大師十七檀林の一つとして清和天皇の勅願寺となった。 戦国時代の天正年間(1573年 - 1593年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭い焼亡した。その後、寺院は荒廃し仏堂が置か…

  • 新四国曼荼羅 12番 菩提院

    山号:五池山院号:菩提院宗派:真言宗御室派本尊:阿弥陀如来ご詠歌:住所:香川県綾歌郡綾川町北1033-1 古来よりこの岡には、地域の祖先の霊が鎮まり、一体を治めた富豪の墓「延命古墳」が残されている。又、今より1100年前、菅原道真公は讃岐の国司に任ぜられ、仁和三年に巡察の折り、三野郷が五穀豊穣・風雨順時でとこしなえに栄えんことを祈って、「一」の字を奉納された。そして、南北朝時代には(城)塁を構えていた。このように、古来より歴史的に存在価値のある大地である。当院は天正年間、長宗我部元親の兵火にあい灰塵に帰した。その後、再興され天正十五年、国主生駒親正公は讃岐十五カ院(真言宗)を設定、延命院勝楽寺…

  • 79番 奥の院 不動の滝

    79番 奥の院 不動の滝 『四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】』に場所は記載されているがルートの記載が無く、行き方が分からなかったので天皇寺の納経所で、奥の院の御朱印を頂いた時に、行き方を教えてもらった。 国道11号金山トンネルから、高松よりに「高松カントリクラブ城山コース」の看板がある場所を曲がる 未舗装道を50mのところに車を止めて登っていく 登山道は整備されていて歩きやすい 不動川沿いを登っていくこの川は天皇寺の参道を横切って瀬戸内海に流れる 段々、勾配がキツくなってくる 途中、砂防ダムがあり、さらに30分ほど、自然石の石段をつづら折に不動川沿いに登り切った所に建物が見えてきた。 下か…

  • 79番 元札所 白峰宮

    保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺りから神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。 江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の七十九番札所であった。 摩尼珠院は行基が創建し、空海(弘法大師)が再興したと伝えられ、崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからしばらく後、後嵯峨天皇…

  • 新四国曼荼羅 15番 顕正寺

    新四国曼荼羅 15番 顕正寺 山号:藤井山院号:九品院宗派:真言宗大覚寺派本尊:大日如来ご詠歌:住所:香川県丸亀市土居町2丁目10-9 丸亀城の濫膓は慶長二年に起った。生駒親王が入封し、五年の歳月をかけて完成した。その嫡男一正の代に一国一城制の武家法度によって廃城となる。顕正寺は丸亀城の鬼門除けに建立された。慶長二年(1597)のことである。憶うに、顕は験に通じ、親正の一宇を冠したことに丸亀城との関わりを垣間みた。 生駒氏四代のあとを嗣いだのが山崎家治である。寛永十八年に城を築き、高松藩における西讃の要とした。こうした挙措は松平を名乗る御家門が幸いしたのだろう。顕正寺も頗る子熾盛した。秘伝の像…

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