2015年のネパール地震から4年余り 政府の関心も外国の支援リストからも外れた地域があります。 それでも、自分の可能性を信じて歩む子供たちが暮らしています。 ネパール山岳地帯住民によって発足されたNGOに、あなたの力を。
2015年のネパール地震から4年余り 政府の関心も外国の支援リストからも外れた地域があります。 それでもここに、自分の可能性を信じて歩む子供たちが暮らしています。 未来を切り開くための力を そして、新しい未来を山岳地帯にもたらすために ネパール山岳地帯住民によって発足されたNGOに、あなたの力を。
地震が発生したのが、5月。それからすぐに雨期、それを過ぎると寒い冬がやって来ます。村までの道が土砂崩れにより封鎖され、建築資材も思うように運ぶことができません。だから、山岳地域は住宅の再建もなかなか
この活動が始まったのは、2018年2月。地元の繋がりで、日本大使館を紹介されたのがきっかけでした。現在、日本のODA(政府開発援助)として、地元の日本大使館や総領事館が直接窓口になり、支援を行う取り
地震から1ヶ月たった頃。村の共同水道が枯れてしまったといいます。地割れによってこれまでの水脈から水が漏れ出してしまったようでした。水道が壊れてしまっては、隣村まで水汲みに行かなければいけません。水が
まずは、命を繋ぐための支援が必要でした。しかし、物資はかさばりネパールまで運ぶだけで大変な費用がかかります。毛布や布団などの支援を申し出てくれた団体もありましたが、輸送費が高額になってしまいます。毛
日本に帰国すると、新聞や知人のツテを頼って支援を呼びかけました。帰国する前にも、ネパール大地震の被害状況とビルさんの活動を伝える記事が新聞に掲載されており、ビルさんの安否を気遣う方々から連絡を受けま
2015年5月15日ネパールの内務省報道官によると、地震による死者8,460人・負傷者2万人以上になったことが発表されました。地震は収まって安堵しても、元の生活を取り戻すのが大変でした。怪我をして一
チャリス村へ到着すると、地震当日に怪我を負ったおばあちゃんがまだ病院に行けずに苦しんでいました。早速、衛星電話でヘリを要請しましたが、チャリス村にはヘリコプターが着陸できず、歩いて2時間程のシェルト
ようやく電話が繋がって村の様子がわかってきましたが、依然として厳しい状況が続いていました。地震から5日が経っても政府や諸外国からの支援は届いていませんでした。聞けば、建物のほとんどが壊れてしまい、多
ようやく電話が繋がって、山岳地帯の被害状況が分かってきました。 チャリス村周辺にあるゴルガー郡、ダーデン郡、ヌワコット郡、ラスワ郡、シンドゥパルチョク郡では、壊滅的な被害があったことが分かりました。
地震直後、携帯の中継機が壊れてしまって、携帯電話が繋がらない状況が長く続きました。日本にいる家族ともなかなか連絡が取れませんでした。電話がないと情報収集もままならない状態。混乱の最中、地震当日に予約
地震が発生後、しばらく街はパニック状態だったといいます。10分、15分おきに次々と余震がありました。地震に慣れていないネパールの人たちは、どのように対処すれば良いのかわからないまま恐怖に駆られて、家
2015年4月25日。午前11時56分。ビルさんは、その日夜のフライトで日本へ戻る予定でした。故郷であるチャリス村から移動し、弟のいるカトマンズ滞在中。ビルさんの経営する日本語学校の打合せ中に、被災
2018年1月22日(月)の静岡新聞 特集記事「ワタシ、シズオカ人」で漆職人として紹介していただきました。
地震から約2年が経とうとする中、最初の小学校再建の目処が立ちました。記事にも紹介されているように、地元の歯科医中野和子さんの支援により、小学校低学年用の校舎建築に着工しました。
5月14日に帰国してからすぐに、6月〜9月の雨期を乗り切るための食料や設備に充てるための義援金を募りました。これは、浜北署と警察官友の会浜北支部様より義援金をいただいた時の記事です。
2015年6月下旬。チャリス村に支援物資を届けた時の記事です。ダーディン郡山間部被災地域支援委員会に寄せられた寄付は、150万円。それらでマットレス595枚。雨がっぱや薬などを購入し、届けました。
2015年7月11日。浜松市伎倍小学校で開かれた全校集会へ招かれた時の様子が報道されました。生徒さんに向け、未だたくさん人たちが屋外で生活し、物資も不足していることを写真を交えてお話ししました。そして
地震発生から約1ヶ月が経過した2015年6月。「ダーディン郡山間部被災地域支援委員会」が設立されました。元浜松市長で浜松海の星高校理事長の北脇保之さんが発起人となり、地元浜松で支援の輪が広がりました
2015年5月、帰国後すぐにネパールへの支援を呼びかけました。ネパールで見た被災の様子を静岡新聞でも伝えていただきました。
ビルさん自身も被災したネパール大地震のニュースを伝える地元中日新聞の記事です。
ネパールから帰国後、すぐに中日新聞の取材を受けた時の記事です。2015年4月25日ネパールを襲った大地震。カトマンドゥに滞在中、ビルさん自身も被災しました。その後、実家のあるチャリス村から知らせを受け
行動計画 - 1. ネパールヒマラヤ行動計画の活動の特徴地元に根付いたやり方を尊重します。ミーティングの多くは農作業の終わった夜です。プロジェクトの進め方も村の班や熟練の度合い、個人の要望を公平性を保
活動を支援をするには - NHASへの支援について
支援者と成果 - NHAS 活動履歴
活動地域について - 活動地域についてネパールの首都カトマンズから200km余り、ダーディン郡ルビーバレー地方自治体(旧シェルトゥン地区)が主な活動地域です。山岳地帯のため、標高1300~2000m内
NHASについて - NGO Nepal Himalayan Action Society
被害状況 - ようやく電話が繋がって、山岳地帯の被害状況が分かってきました。 チャリス村周辺にあるゴルガー郡、ダーデン郡、ヌワコット郡、ラスワ郡、シンドゥパルチョク郡では、壊滅的な被害があったことが
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