知り合いの看護婦に聞いた話。 彼女が勤務していたのは個人病院。ターミナルケアの老人が 半数を占める病院だったそうだ。 ある夜、彼女の担当している病室からナースコールがあった。 呼び出ししたのは老婆。痴呆が進み、ほとんど植物人間状態の 患者だった。
俺弓道やってるのね、その通り道の途中を曲がると鳥居があるのよ、 多分奥に神社があるんだろうけど見えてるのは鳥居だけ。 で、鳥居の一直線上には暗いと何も見えないわけ。 あ、多分神社は一直線上にはないよ、右にそれる階段があったから。 ちょっと行ってみようと思って、今日の6時ぐらいに鳥居まで行ったの、 もう最近はこの時間でも明るいから大丈夫だと思って。
学生の頃、練馬の木造ボロアパートに住んでた。 そこで一年くらい暮らしたある日、初めて友人が泊まる ことになった。 飲んでるうちに終電過ぎてしまい、仕方なく俺のアパート に来たのだ。 散らかり放題の部屋で、何とか友人の眠るスペースを作ると、 深夜二時くらい横になった。
若い男が旅をしていました。 その日は日が暮れるまでに宿のある町まで到着するつもりでしたが 男は道を間違えて淋しい山奥に入りこんでしまいました。 男は仕方なく野宿を覚悟しました。 そんな男の前に農作業の帰りらしい老婆が現れ声をかけてきました。 「良かったらうちへ泊まりませんか?孫娘に食事の用意でもさせますから」 疲れきってた男は孫娘という言葉に少し惹かれた事もあり 老婆の家に泊めてもらうことにしたのです。
鏡の中の話だ。 小さい頃、俺は何時も鏡に向かって話し掛けていたという。 もちろん、俺自身にはハッキリとした記憶は無いが、親戚が集まるような 場面になると決まって誰かがその話を始める。 近所には同じ年くらいの子供が居なかったので、寂しくて鏡の自分に 語りかけていた。そういう事になっている。
【洒落怖】ふすまの隙間からこちらの部屋をじっと覗いている誰かの顔
小3の時、祖母が亡くなった。 お通夜、お葬式は祖父の自宅でやった。 お通夜の時、普通は誰かしら起きてるもんだけど その時はみんな寝てしまったのね。 頭のすぐ上に祖母の遺体。 母が「じゃ、豆電球だけ付けとくね」と言って電気を消してしまった。 すごく怖かったけど、眠くて眠くて、しばらくすると寝てしまった。
何年か前に、テレビのニュースで アパートで餓死した親子の報道があったのですが、 その母親の日記が本になっていました。 先日図書館でぼんやり本棚をみていたら、古い本と本の間にそれはありました。
九州南部の、いくつかの役所が入居しているとある合同庁舎。 隣接していた空地は、戦時中に空襲を受けた女学校の跡地、といった噂があったが、 この空地にスーパーマーケットが建てられた頃から、 合同庁舎に奇怪な事件が起こるようになった。
【洒落怖】行方不明だった友人の友達が彼女と車の中で死んでいた
友人から聞いた話。 行方不明だった友人の友達が彼女と車の中で死んでいたらしい。 その車は森の中にあったため発見されたのは死後一週間以上経っており、 ひどい腐臭がしたそうだ。
心霊話って訳でもないんだけど、彼女の話。 俺の彼女は都内の美術大学の出身で、付属中学からそこに通ってた。 彼女が中3の時、その大学の校舎屋上で焼身自殺があった。 深夜3時ごろに、灯油の入ったポリタン二つを持って 校門を乗り越えて校舎に侵入。
着替えは関係ないけどリアル厨房だったときの話。 家からちょっと離れた古本屋からの帰り道、 徒歩でテクテク歩いていた。 車の通りは多いけどあんまし人は歩いていない田舎の道(舗装済) 交差点で信号待ちをしていた俺は視線を感じてそちらを見ると レッカー車(?)のような車の後部に4台ほど乗用車を載せてあるトラック(?)・・・
【洒落怖】「いいもの見せてあげる」そう言うと、むこうの部屋から大きな人形を持ってきた
T君が転校してきたのは小学五年の五月か六月くらい、一学期の中途半端な 時期で、どこといって目立つところのない、おとなしい奴だった。すごく色白 だったのが印象に残っている。別にアルビノとかそういうんじゃなかったけど、 九州の田舎の、子供はみんな黒々と日焼けしている土地だったので、 なんか珍しい感じだった。友達を作るのは苦手なようだった。イジメってほど じゃないが、なんとなく仲間の輪から外されてた。いつも教室の隅に独りで いるような、そんなタイプの子供。
東京近郊のとある駅には気味のよくない噂があるんだそうです。 正確にいうと、駅のエレベーターに。 目立たない、死角にあるそのエレベーターに乗ろうとボタンを押すと、 ガラス張りの窓がついているから箱が降りてくる様子がよく見える。 まず目に入るのは暗い縦穴であり、音もなく降りてくるケーブルの一部だ。
【洒落怖】昔、全国の農家にダイオキシンを含んだ農薬が配布された
昔、ダイオキシンを含んだ農薬が農作物に使用されていて、 廃止になったことを知っている人はいると思いますが、 その当時、国家政策レベルで全国の農家にダイオキシンを含んだ農薬が配布され、 水田に大量に使用されていたそうです。 現在はもちろんその農薬は禁止されていますが、現在もその田畑で作物が栽培され、 農家や都市で皆さんの口に入っています。 ・・・が、ダイオキシンの土中残留濃度は?大丈夫なのでしょうか?
いつも見てるだけなんで・・・。 長いけどゴメンね。神戸の牛女の伝説はご存知ですか?西宮の鷲○寺が有名で すが、神戸の六○山にも噂があります。凄まじいスピード車やバイクを追って くる牛頭人体の妖怪の話です。これのルーツになったのは第二次大戦中に発見 された屠殺業の娘が牛頭人体であったという噂のようですが、こちらの方はと くに人を襲うといったものではないようです。これらの噂の真偽についてはネ ットで検索すればすぐに見つかると思いますので、リンクは致しません。
26年生きていて1番恐かった体験を書きます。 僕は4年前に入社して以来、2年間社員寮で暮らしていました。 そこは社員寮とは言っても、70年代風の普通の一軒家で 同僚のYが一緒に住んでいる以外は寮長もいない住まいでした。
4~5歳くらいまで、父親が2人いたんだよ。 それも、浮気とかじゃなくて、同じ父親が2人。 意味がわからないと思うけど、顔かたちはまったく同じなんだけど、 目つきだけが異様な感じがする、とにかくこの世のものとは思えない存在だった。
【洒落怖】旅館のトイレで若い女性が切り刻まれた惨殺死体で見つかった
うろ覚えなんだけど、どこかの旅館のトイレで若い女性が切り刻まれた 惨殺死体で見つかったんだけど、そこの旅館の馬鹿息子が仕掛けた隠し カメラに犯行の一部始終が映っていた、ってやつ。
怖いといえば、 少年時代に神隠しにあったヤツがいたな。 ある日近所にある大きめの神社で、6、7人の友達と遊んでた時の話だ。 でかい御神木の隣にしめ縄の張ってある小さめの御神木があってな。 そのかたわらに墓か記念碑みたいなモンがたってて、ちょっと土が盛り上 がってる部分があった。
俺の体験談。 2ヶ月くらい前に、酒飲んで少し酔っ払って帰宅して、 風呂に入ってたときのこと。 髪を洗おうと思ってお風呂椅子に座って頭にシャワーをかぶってると 足元に敷いてあるお風呂用スノコの隙間に何か白い物が見える。 ゴミかなと思って、よく見ようと顔を近づけると、なんとそれは目玉。 スノコの隙間から誰かがこっちを覗いてる。
【洒落怖】「ズルッ、トン、ズルッ、トン」というように階段を上がってくる音が聞こえた
荷物を中に運び込み、とうに日が暮れた頃 「荷解きは明日でいいや」という事で、皆で酒を飲み始めた。 この家は一見何の変哲もない一軒家だったのだが 少し変わった間取りになっていて、階段の途中に中二階のような物置があった。 戸には鍵が付けてあって、階段の手摺がドアをジャマするようにはみだしている。 妙と言えば妙だが殆どの人間は大して気にも留めていなかった。
【洒落怖】上庭の端のほうに当時でさえ古く誰も使わないようなトイレがあった
俺が行っていた小学校は山際にあり、グラウンドも校舎より高い位置に あって「上庭」と呼ばれていた。 そこの上庭の端のほうに当時でさえ古く誰も使わないようなトイレがあった。 一応小の方は使えるが、大の方は完全に板で封鎖されていたのね。 話によるとそれは父親がガキのころからあるトイレでそのころから すでに大の方は封鎖されていて「開かずのトイレ」と呼ばれていたらしい。
【洒落怖】1人霊感の強いという女の子がその家を見て顔色が変わった
昔の職場の同僚から自分の実体験として聞いた話なんだけど 心霊体験話の型にはまりすぎているので本当のところはわからない。 (この話を聞いたのは十年位前) その同僚が大學に行ってた頃、美術系のサークルに所属していた。 そいつの先輩が結婚するとか同棲するとかで引越しをする事になった。
【洒落怖】何が起こるかわからない呪文「パルプンテ」を唱えた時
信じてもらえないと思いますが書かせてもらいます。 昔、小学生の頃、友人のコウセイが泊まりにきたので 深夜まで二人でドラクエ3をやってました。 バラモスがどうしても倒せず、最後の賭けで、 何が起こるかわからない呪文「パルプンテ」を唱えた その時です!
先輩から聞いた話。 日本のどこかに、呼び辻っていう十字路があるらしい。 目印は真っ赤なポスト。 んで、そこを通りかかると後ろから呼ぶ声がする。 誰だろうって振り返ると何もない。声をあげてみても返事がない。 よくみてみるとなんかおかしい事に気づく。
駅のホームで見ちゃったよ。 線路側から手がヌーっと出てきて、ピタッピタッって感じでホームに張り付いた。 その手は体を引き上げようと爪を立てて。 頭が少し見えたところで力尽きたのかズズズズ……って沈んでいった。 誰も気づいてないのか?
俺ってひどい近眼なんだよね。 この前職場でこけてメガネ壊したんだけど、 その日は半日メガネなしで何とかやってたんだ。 メガネ修理の為、早めに仕事上がって地下鉄に乗った。 有楽町線だけど、最初は周囲がぼやけるわ、遠近感は うまく掴めないわで、ちょっとびくびくしてた。
漏れも新聞配達ネタ あんまり恐く無い上、差しさわりがありそうな気もするが・・・ 漏れが高校生の時、新聞配達のバイトをしていたのだが区域内に×神病院があった
オヤジがガキのころチャリで道走ってたら、車道はさんで向こうにあるプラモ屋の前に店長のおちゃんが立ってたから 「おっちゃん!また買いに行くから」 って手を振ったら振り返してくれたんだって。
一昨年くらい都内の某古着屋で皮のコートを買った。 何か気に入って、その冬結構着て歩いた。 ある週末、友人と会う約束をして六本木へ。 当然そのコートを着て出掛けた。
3年前の夏休みに親戚の家に家族で泊まりに行った日の夜 その家から少し離れた服屋にバイクが突っ込む事故があって その事故当時深夜だったんだけど俺の親とか親戚の親とかおじいさんとかは 徹夜麻雀で盛り上がってて俺、兄、妹、親戚の子供(俺とタメ)は違う部屋で映画を見てた。
台湾のご神木から出来たお風呂に入ったことがある。 入る前に線香をたいて。 入った時は何ともなかったけど、お風呂のドアのすりガラス越しに 脱衣所でなにか肌色の物体がゆっくり動くのが確かに見えた。 後で聞くと、脱衣所には誰もいなかった。 当時は受験を控えてたんだけど、すべて合格。 台湾の神様だったと思う
心霊と違うというかそもそも板違いかもしれなくて申し訳ない 息子の出産を控えて、かかりつけの産科に入院した 陣痛がまだ弱いので病室待機のはずだったのが 急速に進行して、陣痛室に入らず直接分娩室に運ばれた カーテンを挟んで反対側のベッドには、もう先客がいるようだった
祖父の七回忌だったと思う。 実家は海に近い田舎町。近くには漁港があり、 潮の流れが速くて海水浴はできなかったが、 景色のいい砂浜もあった。 さて、法事は朝から坊さんが来て始まり、午後は親戚一同で 酒を飲みながらの食事になった。 大人たちは盛り上がっていたが、僕はすぐに退屈した。
昨年10月に、おっちゃんの霊に助けてもらった話を書き込んだ者です。 (1年以上経ってるから覚えてない人の方が多いと思うんで、>>1のまとめサイトのPart15にある 「剥がれるポスター」を読んでくれ。) 今住んでいる地域は月に一度有志による清掃ボランティアがあり、私も仕事が忙しい時以外はほぼ毎月参加している。 今年の5月はあるお寺の草取りと掃除をしたんくだが、境内の一角にとても小さな(30センチくらい)お地蔵様が 置かれているのにこのとき初めて気付いた。
中途半端に感覚が鋭くなってた数年前、関西から東京に移住してた時、妹と 一緒に上京したんだが、妹のバイト先の話しを聞いてた時、急にすんごい 強烈なものが視えた。 女性なんだけど、上半身が緑の鱗にびっしり埋め尽くされた蛇の様な姿で、 顔は完全蛇なんだよ。しかも歌舞伎の隈取の様なメイク?がされている。
母:直感的霊能力タイプ 観る話は滅多に聞かない 実家:窓からの景色は『神社』、その向こうに小学校が見える 家に神棚はない、その見える神社があるなら 年の瀬の話
まとめサイトから来ました。 私がまだ小学生の頃、20年以上前の話です。 毎年お年始参りしている神社が心無い人に放火され、 本殿が全焼してしまい、お正月になっても再建途中のままでした。
俺と沙織の結婚式の時。早くに父を亡くした俺と母を助け、とても力になってくれた叔父貴と久し振りに会う事ができた。叔父貴はすでに八十を超える高齢だが、山仕事と拳法で鍛えている為とても年齢相応には見えなず、沙織の親族からは俺の従兄弟と勘違いされるほどだった。
俺が中学を卒業し、本格的に修行を始めた頃。親方の補助として少し離れた山の頂上にある湖の畔に立つ社の修繕に出かけた。湖の周りには温泉も有り、俺達は温泉宿に泊まっての仕事となった。そのお社は湖に突き出した小さな岬の突端にあり、社といっても小さなものだったが、妙に厳粛な雰囲気を漂わせていた。見積もりと計画は親方が予めして有ったので、親方の指示に従いながら初日の準備作業は順調に進んでいった。
十年程前、親方の親友でやはり宮大工の棟梁であるKさんが病気で倒れてしまった時の事。親方とおかみさんは急遽お見舞いに行き、俺は親方の代理で現場を取り仕切った。三日ほどして親方達は帰ってきたが、Kさんの所の手が足りなくて非常に困っているので、俺が助っ人として行く様に親方から頼まれた。俺は自分の仕切っている現場を親方と晃を中心に引き継いでもらい、地元から千キロ近く離れているKさんの所へと向かった。
オオカミ様が代わられてから数年が経った。俺も仕事を覚え、数多くの現場をこなして自分でも辛うじて一人前の仲間入りを果たす事が出来たと実感するようになった。また、兄弟子たちも独立し、または職を変えるなどしていつの間にか俺が一番の古弟子となった。弟弟子も多くの者が入れ替わり、古くからのヤツは三人ほどとなった。その中で、俺と一番息が合い、本当の兄弟のようになった晃はかつてお狐様に憑かれて昏倒した男だ。
俺が初めてオオカミ様のお社を修繕してから永い時が経過した。時代も、世情も変わり、年号も代わった。日本も、日本人も代わったと言われる。しかし俺を取り巻く世界はそれほど大きく代わっては居ない。昔からの気持ちの良い仲間。家族。そして見守ってくださる神仏。俺の生活は、仕事を中心に穏やかに過ぎて来た。一度、縁を得て所帯を持ちかけたが、諸事情により断念した。しかし、その時にも心の中にはあの方が居り、乱れる事は無かった。いや、だからこそ断念したのかもしれない。今だから、そう思えるだけなのかもしれない、が。
お伊勢参りの翌年、梅が開き始める頃。山の奥にあるお稲荷様の神主さんから、お社の修繕依頼が入った。そう、弟弟子の一人が憑かれたあのお稲荷様の社だ。親方に呼ばれ、「まあ、おめぇにやってもらおうか。」と任される事になった。とりあえず久しぶりに様子を見に行くと、昨年の台風で結構痛んでいる。一通り見積もって、一休みしようとお社の縁に腰を下ろすと左横に女が座っていた。
年末旅行から帰り、正月を迎える。仕事納めまでは忙しく、オオカミ様のお社へ行く暇は無かった。大晦日の夜、俺は除夜の鐘が鳴り始めるのと同時に家を出てオオカミ様のお社へ向かった。色々と想う事は有るが、とりあえずは伊勢から無事に帰ってきた報告と新年の挨拶を兼ね、またもしかすると戻って来られているのではないかとの淡い期待も込めて新酒と髪飾りを持って来た。
オオカミ様のお社を修理し終わった後の年末。親方の発案で親方とおかみさん、そして弟子達で年末旅行に行く事になった。行き先は熱田神宮と伊勢神宮。かなり遠い所だが、三種の神器が一つずつ納められている場所であり、また自分たちの仕事上一度くらいは見て置きたい所だということで勉強と慰安を兼ねて、の旅行だ。オオカミ様のお社も無事奉納できた事だし、オオカミ様の総本社でも有るので丁度良いだろう、と言う事もあった。
ある年の秋。季節外れの台風により大きな被害が出た。古くなった寺社は損害も多く、俺たちはてんてこ舞いで仕事に追われた。その日も、疲れ果てた俺は家に入ると風呂にも入らずに布団に倒れこんで寝てしまった。
ある年の秋。 友人がハマッたのに感化され、中型二輪免許を取った。 そして俺は発売されたばかりのヤマハ・セロー225というオフロードバイクを買った。 元々山好きな俺は「ヒマラヤカモシカ」という名を持ち、 どこまでも山の中に入り込んでいけそうなこのバイクを一目で気に入ってしまった。 仕事場に乗っていくと親方が 「なかなかハイカラなバイクだな。だがホンダじゃないのが気にいらねぇ」 と感想を漏らしていた。
年号が変わる前年の晩秋。 とある街中の神社の立替の仕事が入った。 そこは、幼稚園を経営している神社で、立替中には園児に充分注意する必要が有る。 また、公園も併設しているので、遊びに来る子供たちやお母さんにも気を付けねばならない。 この現場は親方から全面的に任せられているので、弟子たちにしっかりと通達しておいた。
晩秋の頃。 山奥の村の畑の畦に建つ社の建替えを請け負った。 親方は他の大きな現場で忙しく、他の弟子も親方の手伝いで手が離せない。 結局、俺はその仕事を一人で行うように指示された。 その社は寺社のような大掛かりな建物ではなく、こぢんまりとした 人一人が入るのがやっとの大きさで、中に親子の狐の石像が祭られている社だ。
とある秋の話。 俺の住む街から数十キロ離れた山奥に有るA村の村長さんが仕事場を訪れた。 A村の氏神である浅間神社の修繕を頼みたいという。 A村は親方の本家が有る村であり、親方は直ぐにその仕事を引き受けるかと思いきや、 なにやら難しい顔をしている。村長さんが必死で頼み込んでいるのを横目にしながら、俺は欄間の仕上げをしていた。 村長さんが帰った後、俺は親方に呼ばれた。ちょうど担当の現場を終えた所で手が空いていたので、 きっとA村の仕事を指示されるんだなと思いつつ親方の前に座った。
俺が宮大工見習いを卒業し、弟子頭になった頃の話。 オオカミ様のお堂の修繕から三年ほど経ち、 俺もようやく一人前の宮大工として仕事を任されるようになっていた。 ある日、隣の市の山すそにある神社の神主さんが現れ、 その神社で管理している山奥の社の修繕を頼みたいと依頼してきた。 俺は親方からその仕事を任され、弟弟子を連れて下見に出掛けた。
俺が宮大工見習いをしてた時の話。 だいぶ仕事を覚えてきた時分、普段は誰も居ない山奥の古神社の修繕をする仕事が入った。 だが親方や兄弟子は同時期に入ってきた地元の大神社の修繕で手が回らない。 「おめぇ、一人でやってみろや」 親方に言われ、俺は勇んで古神社に出掛けた。
長いと怒られたんで分ける。 半年位前のことなんだが。 今のアパートは所謂「出る」という噂のあるワケアリ物件。 だが私は自他共に認める0感体質、恐怖より破格の家賃に惹かれて一年前に入居した。
俺にも語らせてくださいヽ(`Д´)ノ 今でも夢みたいだけど、ほんとの話。2年前のこと。 俺が高校3年生の時、既に俺はセンター試験に合格し、あとは卒業までの時間を潰すのみになっていた。 学校は2月から自由登校になっており、ほとんど毎日が休みだった。そこで俺は、気心知れた悪友と一緒に泊りがけのツーリングに出かけた。 俺のバイクはSV400無印、ダチのバイクはインパルスだ。
わたしの弟から聞いた本当の話です。 弟の友達のA君の実体験だそうです。 A君が、子供の頃A君のお兄さんとお母さんの田舎へ遊びに 行きました。 外は、晴れていて田んぼが緑に生い茂っている頃でした。
すいません、確かここの過去ログだったと思うのですが、 「天皇陛下の為に」と書かれた紙と、誰かの髪の束?みたいなものの 呪いの話があったと思うのですが、過去ログみても見当たりませんでした。 どなたかご存知の方転載していただけないでしょうか。 過去ログにそれっぽいのがあったのですがログが壊れてるみたいで…
うちの母方の実家が熊本県にあるんですけど、 ずっと実家に住んでいる母のお姉さんが先日遊びにきました。 ちょうど「ターミネーター2」がやっていて、皆で見ていたんです。 その中のシーンで、核が落ちた瞬間かなんかの想像のシーンで、 遊んでいた子供達が焼けちゃうシーンありましたよね。 あれみながら、「瞬間で皮とかもズルっといっちゃうんだね、コエ~」とか話していたら、 おばちゃんがテレビ見ながらさりげなく、とんでもないことを言い出しました。
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