私の当時の感覚(記憶)ではFF大型セダン(日本車で言う大型)の先駆者で、プチブームが起きような印象です。
10. レガシィツーリングワゴンBH5 1998年-2003年
レガシィに乗り出したきっかけは、夏休みの男二人での車での旅行でアテも無く車出かけた旅行です。レガシィですが、一番下のグレードの2Lのシングルカムのエンジンの非常に非力なグレードでしたが、一般道、高速道をただ走るという作業に対して、もくもくと正確に仕事をしてくれる車、そんな印象で一目ぼれでした。
9. セリカGT-FOUR ST205 1993年-1999年
GT-FOUR(ST205)は、今も変態的ファンがいる車です。当時もちろん買えなくて、カタログをたくさんん持っていました。Q'Sも含むとシルビアよりはかなり価格が高く、あこがれというより、高嶺の花でした。
フェラーリF355についての思い出です。ココでフェラーリを扱う(語る)のはチョット違うかもしれませんが、あこがれの車の一つであることは確実なので、挙げさせてください。
スープラも、当時、何度もカタログをもらった車の一台ですが、当然のごとく学生だった私には、購入できるものではありませんでした。NAとターボがあって、ターボには大きなリアウイングがついていて、そのウイングにあこがれました。当時のモータージャーナリストは、あのリアウイングは空力には寄与しない、と書いていましたが、ド素人の私にはそんな言葉はまったく響きません。あのリアスポがかっこいいのですよ。
ホンダのNSXです。もちろん、インターネットでカタログ請求を何度もした車の一つです。記憶では当時800万円以上したように思います。ココまで来ると、もう、フカキョンと付き合いたいとか真剣に思わないのと同じレベルで、欲しいとも思いませんでした。
シーマ1が社会現象を起こした当時、それより小さくて、それより価格が高い車を父は選びました。それがメルセデスベンツ190E2.6でした。
アルファロメオ156は、兄が所有していました。セレスピードが出る前の5MT車両で、後部座席のパワーウインドウもありませんでした。2L直4と2.5LV6がありましたが、兄のアルファは2Lでした。しかしこれが本当によく走ります。
ミゼットⅡは今見ても秀逸なデザインで、欲しくなってしまいます。
当時、セリカGT-FOURと並んで欲しかった車です。 カタログも何度ももらいに行きました。 結局、ディーラーで試乗すらしなかったように思いますし、周りで所有している知人すら見かけなかったため、少し運転させてもらう機会もなかった車で、まさに高嶺の花でした。 シルビアは同じ2ドアと言っても四人乗れますが、MR2は完全に二人乗りなので、いくら無謀な若者にとっても敷居が高かったのでしょうか。 私が億万長者
郷愁車の一台目は、RX-7です。RX-7は憧れではなく、2台続けて所有したのですが、私のカーライフの原点です。RX-7はとにかく萌えました。結局、新車で2台購入したほどです。
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