『法華玄義』現代語訳 36 ②「因」の段階の高低の四つの難点について 次に、『般若心経』(注:現在広まっている玄奘訳ではなく鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒経』)にあるように、「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ・最高の智慧という意味)」は、「無上明咒。無等等明咒(この上ない呪文であり比べるものがない呪文という意味)」である。仏道の高みを目指す者はこの上ない教えを求めるべきである。したがって『法華経』以前の経典の「因」である修行者に対する教えは低いということはない。『大智度論』に「大乗仏教の求道者である菩薩はこの世の人間の次元を超えて、肉体を持たない霊的存在として菩薩の行を行なう」とある。このように…
『法華玄義』現代語訳 35 (注:ここからは、先にあげられた光宅寺法雲の説を批判する内容となる。光宅寺法雲の解釈でも『法華経』を最も優れた経典とするということは、天台大師と同じように見える。しかし、『法華経』以前の経典を「麁」、つまり妙ではない不十分な教えとして、『法華経』を完全な教えの「妙」としており、この「麁」と「妙」が相対関係にある。天台大師の悟りに基づく教えは、真理は相対関係によっては表わすことができないとするものであり、そのため、『法華経』だけが優れており、他は不十分な教えだとするものではなく、『法華経』によって他の経典もすべて優れた教えであることが明らかとなる、ということなのである…
『法華玄義』現代語訳 34 A.2.「前後」を定める 次に「妙法」という名称の「前後」を定めるとは、「妙法」についてわかりやすく述べるために、先に「法」について解釈し、次に「妙」について述べるということである。『法華経』に「私の教えは妙であり人間の思慮分別で知ることは難しい」とある。もし言葉の本来の順序からすれば、先に「妙」次に「法」となるはずである。ある人をほめようと「良い人だ」と言い、「良い」という言葉が先に来るようなものである。しかし、もしその人がいなければ、どうやって「良い」という言葉が生じるであろうか。まずは「人」であり次に「良い」である。『法華経』の題名は、言葉本来の順序に従って、…
『法華玄義』現代語訳 33 第二章 各論 第二に各論をもって「五重玄義」について述べる。 A.釈名 はじめに、各論における「A.釈名」を四つに分けて述べる。1.「通」と「別」を判別する。2.「前後」を定める。3.「旧(く)」を出(いだ)す。4.「正(しょう)」を解説する。 A.1.「通」と「別」を判別する 『妙法蓮華経』という経典名について見るならば、「妙法蓮華」という部分は経典ごとに違うということは「別」であり、「経」という部分は各経典に共通するということは「通」である。この二つの部分について、「教」「行」「理」という三つの面から見ることができる。聴衆の能力に応じて説かれたため、経典名に「別…
『法華玄義』現代語訳 32 7.j.通経(つうぎょう) 「四悉檀」を解釈するにあたっての十種類の項目の第十は、「通経」である。 問う:「四悉檀」を用いて『法華経』を解釈すると言うが、『法華経』のどこに「四悉檀」について記されているのか。 答える:『法華経』の多くのところにこの意味が記されている。ひとつひとつをあげることは不可能なので、今、略して「迹門(しゃくもん・『法華経』の前半」と「本門(ほんもん・『法華経』の後半」を代表する文を引用する。 「迹門」の「方便品(ほうべんぽん)」に「仏は、衆生のあらゆる行ない、心の深い所にある念、過去行なってきた業、欲性精進力(よくしょうしょうじんりき)、およ…
『法華玄義』現代語訳 31 7.i.開顕(かいけん) 「四悉檀」を解釈するにあたっての十種類の項目の第九は、「開顕」である。「権」を開いて「実」を顕わすことを「開権顕実」といい、略して「開顕」という。「開権顕実」とは、すべての存在はみな、言葉に表現できない真理の表われであり、「妙」でないものはない。認識の対象となるすべての存在の中の一つでも、空でもなく空という在り方で存在するのでもなく、真理そのものである。しかし、人間の常識的判断が、その「妙」を知ることを遮っているのである。 仏は人々を哀れみ、あえて世の常識に逆らわず、それに合わせて「権」と「実」の区別された教えを説いた。このために『無量義経…
『法華玄義』現代語訳 30 7.h.権実(ごんじつ) 「四悉檀」を解釈するにあたっての十種類の項目の第八は、「権実」である。「権」とは仮(かり)という意味であり、「実」とは真理そのものという意味である。 「四諦」のひとつひとつに「四悉檀」があるということは、全般的な視点から述べたのであり、各教えにおいてはそうではない。『大智度論』には、「あらゆる経典には「四悉檀」のうちの三つを説くだけであり、四番目の「第一義悉檀」は説かない」とあるのは、「三蔵教」を指すのである。しかし、「三蔵教」はすべての存在は因縁によって生じていると説くが、もしそれによって、自分が先ずあって自分の周りに自分以外のものがある…
『法華玄義』現代語訳 29 7.g.用不用(ゆうふゆう) 「四悉檀」を解釈するにあたっての十種類の項目の第七は、「得用不得用」であり、略して「用不用」という。そもそも「四悉檀」は、如来のみがそれを完璧に得て、完全に用いるものである。これを「得用(とくゆう)」という。如来以下の位の者たちは、その「得用」は同じではない。そこに四種類(①~④)ある。まず「四悉檀」を得ることもなく用いることもないことであり、これは「①不得不用(ふとくふゆう)」である。また、得ても用いることはないことであり、これは「②得而不用(とくにふゆう)」である。また、得ることはないが用いることであり、これは「③不得而用(ふとくに…
『法華玄義』現代語訳 28 7.f.説黙(せつもく) 「四悉檀」を解釈するにあたっての十種類の項目の第六は、「説黙」である。「説」は人々に教えを説くことであり、「黙」は言葉によらず人々に真理を示すことである。このことについて、『思益梵天所問経(しやくぼんてんしょもんぎょう)』に「仏は多くの修行僧に語った。『あなたたちはふたつのことによって修行すべきである。ひとつは「聖説法(しょうせっぽう)」、もうひとつは「聖黙然(しょうもくねん)」である』」とある。この「聖説法」とは、ここまで述べて来た言葉に表現された説法のことである。「聖黙然」とは、たとえば先に述べた四種の「四諦」は、これは釈迦の弟子や一人…
『法華玄義』現代語訳 27 〇十二部経について すべての経典を十二種類に分類したものを「十二部経(じゅうにぶきょう)」というが、「四教」の中にそれぞれ「十二部経」があり、またそれらは「四悉檀」によって説き起こされている。 まずは、「三蔵教」に属する「十二部経(下記①~⑫)」についてである。 ①もし十因縁によって生きるようになった人々が、正しく因縁によって成り立っているこの世について知りたいと願うならば、如来はただちに「陰界入(おんかいにゅう・「五陰」「十八界」「十二入」(注:これらの説明は前述の通り)の三つを省略した名称)」などの相対的次元における教えを説く。これを「修多羅(しゅたら・経典を意…
『法華玄義』現代語訳 26 ◎起観教において、観心を述べたので、次に教え起こす起教について述べる。 『大智度論』には、「仏は常に黙っていることを願うのであって、説法は願っていない」とあり、『維摩経』には、真理は言葉にできないので黙っていたということが記されており、『法華経』には、「言葉をもって述べるべきではない」とあり、『涅槃経』には、「すべての存在の究極的真理は言葉で表現できない」とある。 しかし、この文に続いて、「また説くことはできる。『十因縁(じゅういんねん)』の教えはすべての存在が表われる因についてである」とある。「十因縁」とは、「十二因縁」における「無明(むみょう)」から「有(う)」…
『法華玄義』現代語訳 25 7.e.起観教(観心と教えを起こすことについて「四悉檀」を解釈する) ◎起観教において、まず観心を起こす起観について述べる。 玄妙な霊的真理は観心によらなければ明らかにすることはできない。その真理を明らかにする観心は、「四悉檀」によらなければ起こらないのである。三観(さんがん)の最初の観心である「従仮入空観(じゅうけにっくうかん・相対的なこの世のものを通して空を観じること)」を行なう時には、まず正しく因縁の真理を感じるのである。この観心は、その対象と内なる迷う心が複雑に対峙しているので、正しい因縁を観じることは難しい。そのため、熱心に行なおうとする意志を持たなければ…
『法華玄義』現代語訳 24 (注:これより再び天台大師の講述となる)。 7.c.釈成(四随によって四悉檀の解釈を深める) 「四悉檀」は竜樹の『大智度論』の所説であり、四随(しずい)は禅を説く経典に記されている仏の教えである。ここで、この仏の教えをもって『大智度論』の「四悉檀」を解釈すれば、さらにその意味が明らかになるのである。四随とは、「随楽欲(ずいぎょうよく)」「随便宜(ずいべんぎ)」「随対治(ずいたいじ)」「随第一義(ずいだいいちぎ)」である。 「楽欲」は原因に基づいた名称であり、「世界悉檀」は結果に基づいた名称である。『大智度論』には「すべての善悪は欲をその本としている」とあり、『維摩経…
『法華玄義』現代語訳 23 j.また、天台大師が『大智度論』の記述を引用しつつ「四悉檀」について述べたそれぞれ四つの解釈の中に、さらに「四悉檀」が含まれている。 大師は「世界悉檀」の解釈の中で、「五陰」「十二入」「十八界」のことを説いているが、それらが別々であることが「世界悉檀」である。そして、それらが合わさって人がいると説いていることが「各各為人悉檀」である。また世界に対しての真理の教えによって、世界に対する間違った考えを破ると説いているのが「対治悉檀」である。そして、正しい世界に対する教えによって、正しい世界の真理を悟ることが「第一義悉檀」である。 k.また大師は「各各為人悉檀」の解釈の中…
『法華玄義』現代語訳 22 私、灌頂が十五の段落(a.~o.)を設けて、四悉檀についての理解の助けになることを目的として述べる。 (注:ここから、筆者の灌頂の記述となる)。 a.この世の具体的な事柄の真理を説いて、聞く者を喜ばすのは、「世界悉檀」である。各人の能力が違うのは、過去世に積んだ精進の違いであるから、それぞれにその能力を引き出すのが「各各為人悉檀」である。その過去世からの積み重ねに、この世において悪を積まないようにさせるのが、「対治悉檀」である。真理を悟ることが「第一義悉檀」である。 b.この世の常識に合わせて、仮の存在とその実体を並べて説くのが「世界悉檀」である。『大智度論』に「各…
『法華玄義』現代語訳 21 b.弁相(べんそう・四悉檀の各項目を解釈し説明する) ①世界悉檀(せかいしったん)について 「世界悉檀」の「世界」とは相対的次元を表わすものである。それは車に喩えられる。車はさまざまな部品がそろって車となる。その部品の集まり以外に車はない。同じように、人とは、五陰(ごおん)である色(しき・まず自分という主体がいて、その周りに認識すべきものや事柄があるということ)と受(じゅ・自分という主体以外のものを感受しようとする心の動き)と想(そう・感受したものが何であるか判断する心の動き)と行(ぎょう・その判断によって次の行為や想念が起こる心の動き)と識(しき・それまでの心の動…
『法華玄義』現代語訳 20 ◎「四悉檀」について 「四悉檀」を解釈するにあたって、十種類の項目を立てる。まずその名称だけをあげると、a.釈名、b.弁相、c.釈成、d.対諦、e.起教観、f.説黙、g.用不用、h.権実、i.開顕、j.通経である。 a.釈名(しゃくみょう・「四悉檀」という名称について解釈する) 悉檀(しったん)という言葉は古代インド語「シッダンタ」の「音写(おんしゃ)」である。すなわち、たとえば「経」という意味の「スートラ」をそのまま修多羅(しゅたら)とするように、意味が深いので、あえて翻訳せずに音を漢字に当てただけの言葉である。また翻訳すれば、「宗」「墨(ぼく・建築の時に基準とな…
『法華玄義』現代語訳 19 7.会異(えい) 「七番共解」の七番目は、7.「会異」である。 問う:『大智度論』には、「仏の教えはさまざまであるが、すべて「四悉檀(ししっだん)」に分類できる」とある。この「五重玄義」と「四悉檀」は一致するのか。 (注:「四悉檀」は、すべての経典の教えを「①世界悉檀(せかいしっだん)」、「②各各為人悉檀(かくかくいにんしっだん)」、「③対治悉檀(たいじしっだん)」、「④第一義悉檀(だいいちぎしっだん)」の四つに分類するものである。ここでは、「五重玄義」と「四悉檀」と、項目の数も名称も異なっているが、同じ意味なのだ、ということを説く。「四悉檀」は仏教学において最も基…
『法華玄義』現代語訳 18 6.観心(かんじん) 「七番共解」の六番目は、6.「観心」である。 第六の「観心」とは、心を観察することであり、「七番共解」の最初の「標章」から「料簡」までのそれぞれを、「観心」の観点から説明することである。 (注:「五重玄義」の各項目を「七番共解」によって説明してきたのであるが、この第六の「観心」では、さらに「七番共解」のこれまでの五つの各項目を「観心」という観点から説明するというのである。したがって、その各項目にさらに「五重玄義」の五つの項目があることになる。この畳みかけるような説き方は、何でも簡潔を好む現代には、決してなじまないものであろう。それだけ、この心を…
『法華玄義』現代語訳 17 5.料簡(りょうけん) 「七番共解」の五番目は、「5.料簡」である。 第五の「料簡」とは、「五重玄義」について検討することである。 (注:この「料簡」では、問答形式で進められる。この問答は、「五重玄義」の五つの項目のひとつひとつに対して述べられているのではなく、ひとつの項目についてであったり、全体に対しての論述であったりする。なお最初の問答においては、「問う」という言葉が原文にはないが、それは補って記す)。 問う:「A.釈名」に説かれていたところの、「蓮の実のために花がある」ということならば、蓮の花と実は同じということになり、仏教からは異端と見られる思想、すなわち、…
『法華玄義』現代語訳 16 4.開合(かいごう) 七番共解の四番目は、4.開合である。 第四に開合について説明すると、「五重玄義」によって各経典を解釈するということは、わかりやすくするためである。すなわち、その教えの内部を開いて整理し調和させるという意味で「開合」という。 (注:すでに述べているように、「五重玄義」はすべての経典の解釈法である。一般的に、解釈方法、分析法などと言えば、なんら前提条件なく、すべての対象を平等に分析して結果のデーターを出す、というものでなければならないはずである。しかし、「五重玄義」は、最初から『法華経』が第一の経典であるという大前提に立って組み立てられている解釈方…
『法華玄義』現代語訳 15 ③生起(しょうき) 七番共解(ななばんぐうげ)の三番目は、③生起である。 (注:「生起」とは、一般的にはほとんど聞かない言葉であるが、真理が表現されることである。そして、その表現には順序がある。まさに、「五重玄義」は、その目に見えない真理を目に見えるものとして順番に示すものである、つまり「生起」させるものなのだ、ということが、ここで述べられる)。 第三に生起とは、生じさせる働きを「生」といい、生じたものを「起」という。そこには、明確な前後の順序があり、微塵もそこに乱れはない。僧肇(そうじょう・中国の後秦の僧侶。『法華経』を翻訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の優れた弟子…
『法華玄義』現代語訳 14 ②E.引証判教(対象となる経典の全経典における位置を判断することの重要性を、経文を引用して証明する) 『法華経』は、他の経典を包括して、仏の真意を明らかにする経典である。このことを、『法華経』の「薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)」では、十の譬喩を用いて、『法華経』の教えを讃えているが、ここでは、そのうちの六つの譬喩を引用する。すなわち、海のように大きく、山のように高く、月のように丸く、太陽のように照らし、梵天王のように自在であり、仏のように真理を極めている。 海はあらゆる川が流れ込み、どこも同じ塩味である。『法華経』も同じく、仏の悟り得たすべての徳が帰入し…
『法華玄義』現代語訳 13 ②引証(いんしょう) 七番共解(ななばんぐうげ)の二番目は、②「引証」である。 (注:「引証」とは、経文を引用しながら論証する方法である。「五重玄義」に五つの項目を立てて、その項目によって経典を理解するにあたって、その五つの項目ひとつひとつが正しいのだ、ということを、経文を引用しながら証明するというのである。したがって、「五重玄義」の釈名、弁体、明宗、論用、判教のひとつひとつに対する文を引用していくわけであるが、原文では、この箇所における五つの見出しに相当する言葉はない。しかし、わかりやすくするために、A.釈名、B.弁体、C.明宗、D.論用、E.判教とアルファベット…
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