「自分とは何なのか」「生命とは」「人間とは」など医学や科学では解明できない「よくわからない謎」を探求していきます
この世は自分という不完全な生命を少しでも完全な方向に近づけていく、そういう場所です。 「自分はなんとダメな人間なのか」・・そう思っている人もいると思います。 霊的視点で見ると、そういうふうに自分を客観的に見れるという目を持っている人は、有望です。 なぜならば、人間ほど不完全極まりない生き物はいないからです。 この地上に誕生した人間は、この地上で自分という生命として初めて自由意志というものを持ちました。 今までも生命としては生きてきましたが、自由意志はありませんでした。 それが初めて自由に決められる意志を持ったのです。 と言いましても、自由には範囲が決められています。 その範囲は自分の霊の完全性がどれほどの位置にいるのかという霊性というものによって決められています。 霊性というものが向上すればするほど、自由意志の範囲は広がります。 勝手気ままに自分が思った通り..
第二次世界大戦が終わって74年が経ちました。 私たちは一体なんのために戦争をしたのでしょうか。 原爆で数十万の人が亡くなり、数百万の人が負傷しました。 そして私たち日本人は多くの人を傷つけました。 こんなに酷いことなのに、なぜ戦争は起きるのでしょうか。 それは私たちの内に、もっと自分がよくなりたいという欲や感情があるからです。 自分と人は違うという思いがあるからです。 みなさんは、自分と人は同じだと思いますか? それとも違うと思いますか? 正解をいうと、個としては違いますが、全としては同じなんですよね。 個というのは肉体という物的視点で見たときのお話です。 これに対して、洞察力という霊的視点で見たときには、個でもあり、全でもあるわけです。 自分のことを肉体であると思っている間は、人と自分が同じ命であると思うことはできません。 自分のことを霊であると思うこ..
私は戦争は人殺しだと思っています。 ところが戦争では、いくら人を殺しても罰せられません。 どのような理由があっても戦争をしてはいけません。 こう書きますと、「じゃあ、一方的に攻めてこられたらどうするのか」と反論されます。 こういう時は「生命の法則」を説きます。 生命には法則があります。 生命というのは読んで字の如く、「生きているいのち」のことです。 私たち人間は生きています。 生きている者はいつか必ず死にます、そう私たちは教えられていますし、私たちもそう思って生きています。 しかし、真理(本当のこと)は違います。 そのことがわからないから、私たちは間違いを犯すのです。 その根本的な原因は、人間が「いのちとは何か」ということが理解できていないからです。 なぜ理解できないのかというと、まだ人間がそこまで進化していないからです。 ここでいう進化というのは..
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