杯を交わす時、父は決して、目を合わせまい、としていました。拗ねているように、視線を外し、何かを必死で耐えている様子。多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と、口から出るのを耐えていたのでしょう。両親にとって、一番辛い時だったのかもしれません。少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や、禿げ具合、シワの数までしっかりと瞼に焼き付け、刻々と迫る別れが辛く、この世で一番長い夜を過ごしました。石垣島の港は遠浅のため、沖縄本島行きの大型船が港に入れません。7、8隻の橋渡船が、沖の本船まで荷物や人を運び、最後に見送り人を運びます。本船は、一度目の汽笛でゆっくりと走り出し、見送り船は、別れを惜しむかのように、周りを追走。覚悟の上とはいえ、親との生き別れは、これが最後で、2度と会う事が出来ないのかと思うと...1011拗ね顔
経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は、誰が考えても無理な相談。心の内を父に相談すると、「自分の思った通りやればいい・・」と一言。しかし周りは大反対、年老いた両親と、足の悪い妹を島に残し、なんで東京に出るんだ!せめて、沖縄本島位にしたらどうだ・・無口な父は、ただ黙っているだけ・・人間は、一度不幸のどん底に落ちると後がなく、怖いものがなくなるのだろうか・・これから先、一家は離散、それぞれの幸せをコツコツと築き上げて行ったのです。空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには、黒島から朝一便の船で石垣島まで行き、夕方、石垣を出港し、翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで、3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。もし、危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一...1010一家離散
島では見た事も、聞いた事もない、初めての発病。小児マヒに関する知識がなく、周りの子供達に伝染するのではないかと見られ、精神的には、完全に隔離状態。母は、物の怪に取り憑かれたように、祈祷師を回り、西の方角にある木が災いしている、と聞けば必死で切り押す。父は、直さなければ、手術をしなければ、金を作らなければ、と毎晩、財布を広げ、わずかばかりの、増えもしない金を数えるばかり。米国の統治下、勿論、保険制度もなく、手術や渡航滞在費など、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ、小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。11歳の多感な少年は、この大きな試練に、家族が押しつぶされるのではないか...1009隔離状態
ひかる11歳、妹が3歳の、昭和29年夏。父は、漁へ出かけ、母は野良仕事、やっと走りまわれるようになった、妹の遊び相手をしていると、元気がなくなり、そのうちグッタリ倒れてしまいました。急いで、母を呼び戻した頃には、泣き声一つ出す力さえなく、痙攣の合間に、断続的にひきつけを起こす程の異常な高熱。40度以上の高熱が続いているのだろうか。火照った体は、風呂上がり状で、体内はそれ以上の高温でしょう。解熱剤なるもの、薬と呼べるものは何一つなく、助けを求めるにも近所には、誰一人いません。母は、知恵熱やカゼ、普通の発熱でない事を咄嗟に感じ取っていたのでしょう。取り乱し、「助けて欲しい!」と叫ぶ、その只事でない形相に、命に危険が迫っている事が感じられます。次々と他界した子供達の事が、脳裏をよぎっているのだろうか。脈をとったまま、...1008小児麻痺
情報の全くなかった島、電波など考えられなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が有るはずがない!魔法使いにでも、出来ないはずだ、と思えるのでした。しかし、何度読み返しても、5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。以後、テレビの3文字は、少年の脳裏に焼き付けられたのです。どうしても、映画が観たい・・この映画が、家に居ながら観られる・・だったら、テレビを勉強してみたい・・何時の間にか、ひかるは、5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたい、と行動を起こすのでした。10073文字
昭和18年8月、八重山地区の黒島に、ひかる誕生。出産設備や病院のない島で、生まれた子供が次々と3人も他界した後、3歳違いの長女に続く男子、ひかる誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生します。妹は高齢出産の子、特別可愛がられ、幸せな五人家族でした。小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。情報と呼べるものは、特にありません。飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間、すくって飲む、ボウフラとの協同生活。ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので、子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく、毎日拭かされ、何度かホヤを割り、叱られて育ちました。サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。1005挑戦!TV界
またこの地区は郷土芸能の宝庫とも言われ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる。沖縄県を代表する、安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習など、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさ等でも、世界屈指の群棲地として注目の的となっています。現在、テレビは全国の家庭に入り込み、生活の一部となっている事は言うまでもありません。信じがたい事ですが、この地区は、5万人もの人口を有するにも関わらず、平成5年末迄、NHK以外の民放テレビの電波が、届きませんでした。現在でも民放は、二つのチャンネルしか映りません。沖縄本島との間に中継局が作れず、テレビの最後の未開地である。45年前、この地区の周囲12キロ、人口二百数十人という小さな島から、ひかる少年がテレビにロマンを求め、風呂敷包とパスポート...1004貴重な財産
知床半島や釧路湿原など、日本でも、世界遺産に登録されているところはあるが、まず一番目に、この西表島が、自然世界遺産に登録されるべきではなかっただろうか。国連環境問題等で、環境大臣が、世界に誇れる、ネコ科の原種が日本に生息している事をアピールすれば、絶賛されるのではないだろうか。隣りの石垣島は、沖縄県最高峰の於茂登岳、526メートルが有り、この地区の人口4万6000人の内、4万2000人、90%以上の人口が集中。台風情報を一番先に捉える、日本南端の石垣島気象台で知られ、空港拡張では、サンゴ礁破壊問題を抱えています。南の島々は空から見下ろすと、すべてサンゴ礁で縁どられ、そこへ打ち寄せるさざ波は、白くリング状に取り巻く。鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化。まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだので...1003TV少年、南の島から東京へ
60年を過ぎた今、やっと沖縄も少しは注目されるようになって来たのである。沖縄本島より450キロ南、県2番目に大きな西表島、3番目に大きな石垣島を中心とした、19の島々からなる、八重山地区は、日本最南端、波照間島、および最西端、与那国島を有する、日本の最南西地区。また、今は無人島ですが、以前はカツオ漁が盛んに行われた魚釣り島もこの地区にあり、海底にはかなりの石油が埋蔵されているとの、調査結果があり、中国、台湾も帰属を主張し、国際的にも関心が寄せられています。西表島は起伏に富んだ山だらけ、人口二千人の島で、周囲75キロの90%以上が、マングローブや亜熱帯の原生林に覆われ、東洋のアマゾンと呼ばれる生まれたままの自然が残された日本最後の秘境の島である。またこの島には、天然記念物の西表ヤマネコが生息。この猫は、中国大陸と...1002埋蔵石油
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