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2019/05/12

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  • それでも八重は復活する・鎌倉殿の13人スピンオフ小説あらすじ風

    途中で「小説風」になります。あと史実のネタバレがありますが、「ごく少ししか史実のネタバレさせない。誰でも知っていること。」なので、多分読んでも大丈夫だとは思います。ガイドブックとか見ていないので、どんな情報にも基づいていません。「草燃える」でも八重さん相当の娘(大庭の娘、松坂慶子さん)は金剛を生んでのち、壇ノ浦で死に、「そっくりさん」(一人二役)として復活するのです。でも新垣さんはもう「クランクアップした」という情報もあります。しかしながら、復活するのは最終回前の2話ぐらい、というのが私の予想なので「もう撮っている」かも知れません。史実という視点から北条義時の死の詳細は書きませんが、それなりに急なことでした。義時には他に「正妻の子」とかいまして、金剛ちゃん(北条頼時のちに泰時)が北条を「継げる」という保証はなか...それでも八重は復活する・鎌倉殿の13人スピンオフ小説あらすじ風

  • 「#後白河院のスマホ」・保元の乱まで3話

    1,なりたくなかった男後白「舞え、舞え、かたつむり♪、やりだせ、つのだせー」鳥羽「後半歌詞違わないか。雅仁、相談あるんだけど」後白「あっ父さん。大丈夫すか」鳥羽「いつまでも死んだ近衛のことで、泣いていてもしょうがない」後白「まあ、そうすね。世は無常ですからね。諸行無常の響ありってね」鳥羽「それ平家物語だろ。時代考証的におかしくないか。まあとにかく、それでさ、美福が育てているお前の子、守仁を帝にしようと思ってな」後白「ああ、そうすか」鳥羽「リアクション薄っ!もっと驚けよ」後白「政治興味ないんすよ。面倒くさそうだし。武士とか怖いし」鳥羽「じゃあそれでいくから、ヨロシク。あっ、電話だ。ああ忠通っちゃん。えっ。何。親より先はおかしいから、とりあえず雅仁を中継ぎで帝にする!」後白「ちょ、ちょ、ちょ、待ってよ。ぴえん超えて...「#後白河院のスマホ」・保元の乱まで3話

  • 上総介広常の「大疑問」・一つの仮説・鎌倉殿の13人関連

    上総介広常は「草燃える」では、小松方正さんが演じて、とにかくガラの悪いおっさんでした。「おい武衛ふざけんじゃねえぞ。佐竹が先だろ」とか言ってました。「おい武衛、パン買ってこい」とか言いそうな勢いだったのを覚えています。私は歴史のシロウトの上に、「大先生の本でも一旦は根底から疑う、基本的に信じない」という「癖」があるので、頭の中はいつも疑問で一杯です。上総介広常は「上総の介で、上総全土をほぼ勢力下においていた」(上総は介が最上位)と言われても、1,上総介という「世襲でもない官職名」が「そのまんま本名」なの?千葉氏は千葉介とも「名乗る」けど、千葉〇〇で、介はつかないじゃん。2,勢力下においていたって「具体的にどういうこと」。3,それほどの権力を持った人間が、源義朝(頼朝のおやじ)の「郎党」だったの?「郎党」って何な...上総介広常の「大疑問」・一つの仮説・鎌倉殿の13人関連

  • 「貴族から武士へ」と「公武政権?」の問題

    貴族から武士の世へという構図は間違っている、という本が多くあります。ふと「そうかな」と思いかけたのですが、色々考えて「貴族から武士へ」は間違っていないと思うようになっています。大河ドラマのOPでも「武士が貴族に挑んでいる兵馬俑」みたいのが描かれます。「日本史への間違ったイメージを増長する」という方もいるでしょうが、いや「合っている」と思うのです。個人的には。どうして「貴族から武士の世へ」が「成立しない」可能性があるのか。もっとも重要なのは「荘園という同じシステムに乗っかった収奪者である」という点です。荘園には公家寺社本家とか下司とか武士地頭とか、複数の人が利権を持っていて年貢(コメとか労役とか)を「ぶったくって」います。だから「武士が新時代のヒーローなんて図式は成立しない。同じ穴のむじなだ。」というわけです。「...「貴族から武士へ」と「公武政権?」の問題

  • 短編小説「九郎義経のハッピーエンド」・フィクションです

    小説「九郎義経のハッピーエンド」鎌倉殿の13人「史実のネタバレ」を含みます。九郎義経と足利義氏のこと、鎌倉殿禅譲のこと、以外は「少しだけ史実に近い感じ」で書いていますが、完全なフィクションです。「承久の乱の大筋」を知らない方は、史実ネタバレするので読まないことをお勧めします。健保6年、1219年、頼朝の挙兵から既に39年がたっていた。多くの人々が鬼籍に入った。名前を挙げればきりがないだろう。そして源頼朝も、もうこの世にない。頼家、実朝と「鎌倉殿」は移り変わった。その実朝が甥の鎌倉八幡宮別当(長官)公暁によって殺された。公暁は頼家の忘れ形見である。ほんの二年前、京から鎌倉に舞い戻り、北条政子のはからいで別当職についた。政子にとっては公暁は孫であり、実朝は次男である。その日、実朝の右大臣昇進を祝う鶴岡八幡宮拝賀の日...短編小説「九郎義経のハッピーエンド」・フィクションです

  • 鎌倉殿の13人・源義経の鎌倉攻略計画は新田義貞のものに非ず。

    変な題名ですが、「ジンギスカンは義経にあらず」という大正13年に出た本の題名のパクリです。大正13年に義経ジンギスカン説がブームとなり、それを「いさめる」ために書かれた本です。まあ新田義貞の作戦に似ているし、「新田義貞のもの」でもいいのです。ただし難癖をつければ「新田義貞は船を持っていなかった」はずです。刀を持って海に祈ったら、海の水が奇跡的に引き、海岸を馬で渡って鎌倉に乱入した、、とまあこれも「伝説のたぐい」ですが、そうなっていたと思います。陸上に敵を引き付けて、船を使って長距離移動し、敵拠点を攻める。「これをやられていたら、とても勝てない。」「鎌倉は間違いなく滅びていたことだろう」。それで私が思いつくのは幕末の幕府対官軍の戦いです。「花神」という作品でおなじみです。「花神」は三谷さんが好きな大河の筆頭として...鎌倉殿の13人・源義経の鎌倉攻略計画は新田義貞のものに非ず。

  • 「鎌倉殿の13人」から「日本史」を考える。1185年勅許。文治勅許。

    義経勢力に対して頼朝追討の宣旨が出されたのは1185年です。1185年勅許。文治勅許といいますが、それでは歴史の流れが掴みにくい。頼朝の挙兵は1180年です。たった5年。この「たった5年」という感覚が「文治勅許」では理解しにくいのです。元号に反対とか賛成とかいうことでなく「日本史の用語はわかりやすく」するべきだと思います。だから1185年勅許。1185年勅許によって守護地頭の設置が認められた、、、となりますが、そもそも現物はありません。「玉葉」の記事をもとに復元すると1,五畿内、山陰、山陽、南海、西海諸国の北条時政以下の頼朝家人への分与2,荘園公領を論ぜず、段別五升の兵糧米の徴収3,田地知行の権限となるようです。正直意味がつかみにくい。ただこれとは別の史料で「守護地頭の設置を申し入れて許可された」というのもある...「鎌倉殿の13人」から「日本史」を考える。1185年勅許。文治勅許。

  • 昭和革命幻想とリアル革命「承久の乱」

    昭和40年代を「革命が起こりそうだった時代」と思っている方がいますが、それは幻想です。私が子供だった1970年代、日本にそんな雰囲気はありませんでした。自民党はロッキード事件等で、議席を減らしましたが、それでもずっと政権与党でした。その後もほぼずっと与党です。高度成長に浮かれていた時代です。むしろ資本主義バンザイという時代だったのです。ただ60年代は分かりません。その頃の運動家である吉本隆明氏の文章などを読むと「明日にでも革命を起こそう」というノリで書かれいます。実際は「戦後」と「貧富の差が究極の拡大を見せた昭和初期」の方が、ずっと社会主義革命の可能性は高かったようにも思いますが、実際の「雰囲気」は、生まれていないので分かりません。社会主義革命とは別に、「昭和維新」とかいう右翼の方々もいました。これはちょっと怖...昭和革命幻想とリアル革命「承久の乱」

  • 北条二世の歌(バビル二世の替え歌)・承久の乱編

    北条二世の歌(バビル二世の替え歌)・承久の乱編切通しと海に守られた鎌倉小町亭に住んでいる武家の世開いた北条義時御家人守護職守るため3つのしもべに命令だ!ヤア泰時時房、東海を行け朝時武田は別ルート政子変身!名演説だー後鳥羽よ、アンタは怖くないたたりも追討も恐れない勇敢な老人北条義時武士の世、地固め行うぞ3つのしもべに命令だ!ヤア3人の上皇は、配所へ行け泰時時房、六波羅だオイラも変身!得宗だー元ネタ(元歌の一番)砂の嵐に守られたバベルの塔に住んでいる超能力少年バビル二世地球の平和を守るため3つのしもべに命令だ!ヤア怪鳥ロプロス空を飛べポセイドンは海を行けロデム変身!地をかけろ北条二世の歌(バビル二世の替え歌)・承久の乱編

  • 鎌倉殿の13人・「義経花神説」の構想

    題名を含めて「ふざけて」います。「ふざけて」いますが、内容は「そこそこ真面目」です。前回の最後、なぜか逃げているはずの義経が、北条親子の前に現れる。会話を交わす。時政は全く捕まえる気がない。で、最後にこういいます。「まるで平家を倒すためだけに生まれてきた」ような人間だと。で、思ったわけです。三谷さんは大河「花神」が好きです。好きな大河を4つぐらい挙げていて、その筆頭が「花神」でした。1977年ですから、40年以上前の作品です。司馬遼太郎さんの原作。原作の方は「村田蔵六、つまり大村益次郎」が単独で主人公ですが、大河の方は3人主役で吉田松陰→高杉晋作→村田蔵六と移り変わっていきます。よい作品ですが、視聴率は悪かった。たった19パーセントです。1977年だと私はまだ子供です。が「最高の作品だ」ということは分かりました...鎌倉殿の13人・「義経花神説」の構想

  • 「鎌倉殿の13人」から「源義経・鎌倉幕府」を考える。

    日本史の学者さんは、単純化すれば2種類に分かれます。「京都や京都文化、朝廷、天皇に重きを置く学者」と、「さほど重きを置かない学者」です。大雑把に言えば前者は西に多く、後者は東に多い。しかし例外もいくらでもあります。そしてどうも「西」の方が「学閥の力」が強いようにも感じます。東の学者はどっちかというと「個人主義」ですが、西は「数の力にモノを言わせる」ことも多いように思います。集団でものを言いがち。まあ偏見かも知れません。私自身は学者ではないので、本を読んでの感想です。「京都中心思考の学者」は「権門体制論を支持」、「非京都中心の学者」は「東国国家論を支持」とされることもあります。しかしこれも例外は多い。そもそも「今風の権門体制論」も「東国国家論」も少しも「体系化」されていませんから、こういう区別は意味ないとも思えま...「鎌倉殿の13人」から「源義経・鎌倉幕府」を考える。

  • 大河「平清盛」・「王家の犬」を再考する。

    大河「平清盛」、視聴率は低かったですが、一部熱狂的なファンを持つ作品です。特に「歴史好き」に評判がいいと言われます。10年経って、初めてきちんと見てみたのですが、なるほど良い作品です。特にオープニングの白拍子の舞などは実に美しい。もっとも歴史認識は正直古典的です。「平家物語」に改編を加えたという感じ。今は「脱平家史観」とかが流行です。重盛の評価(いい評価)などは見直されて、清盛がやった「いわゆる悪事」の半分以上は「重盛のやったこと」じゃないかと言われます。そこから見れば「古い」感じはしますが、私自身は特に「脱平家物語」をしたいとは思っていないので、さほど気になりません。都のカオスや「王家」のカオスが良く描かれています。この20年の大河では、もっとも見ごたえがあるかも知れないとも思っています。さて、この作品では「...大河「平清盛」・「王家の犬」を再考する。

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