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2019/05/12

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  • 「鎌倉殿の13人」・第4回「矢のゆくへ」・感想

    ・面白かった。・当時の兵数がいかに「少ない」かをよく表現していた。史書に出てくる数字は10倍ほど嘘をついているらしい。2万とあれば2千。・女性が歴史を動かす。女性主人公大河はどうやら終了のようだが、女性は大活躍である。素晴らしい。・法皇が「俺だよ」と言っていた。・山木は実は流人である。平氏であるが、親父に流された。目代というのは結構な権力者。流人がそういう位置についている。不思議な時代である。もと検非違使らしい。・八重さんと同じことをする女性は、「草燃える」では松坂慶子さんで、大庭の娘設定だった。むろん義時の思い人である。まあ完全に同じ設定である。リスペクト。ここからは「難しい、まあ、さして難しくはないが」という話になります。「武士とは何か」とかそういう話です。興味のない方はここで読むのをやめてください。(でき...「鎌倉殿の13人」・第4回「矢のゆくへ」・感想

  • 書評・呉座勇一氏「頼朝と義時ー武家政権の誕生」

    呉座勇一氏「頼朝と義時ー武家政権の誕生」数年前に呉座氏の本は4冊ほど読んだ。逆に言えば4年ほど前に4冊読んだだけで、読み返しはしていない。「陰謀否定論」は二回読んだかも知れない。最新刊「頼朝と義時ー武家政権の誕生」は二度ほど読んだが、まだ熟読というほどは読みこなせていない。しかしこの先読み返すか分からないので、記憶のあるうちに書評を書いてみる。なお私は呉座氏のことはほとんど知らない。「騒動」は知っているが、触れる気もない。今回読んでみたのは「13人」関連であるし、「どんな歴史家か」確かめてみたいという気持ちもあったためである。1,思考のベースには「権門体制論仮説」の「武家」「公家」「寺家」の相互補完仮説があるように読める。公武対立史観は明確に否定している。ただ原理主義的思考はとらない。したがって権門体制論のキー...書評・呉座勇一氏「頼朝と義時ー武家政権の誕生」

  • 「権門体制論」「東国国家論」を学ぶ①・「王家」と「天皇」

    「武家と公家は対立せず相互補完」していた。現代の学者さんがよくいうセリフですが、これは昭和38年に黒田敏雄氏によって提唱された「権門体制論」を基にしています。「相互補完」は権門体制論のキーワードです。私は「権門体制論」も「東国国家論」も学ぶべき偉大な概念だと思います。どっちを支持するという問題ではないと考えています。権門体制論はさまざまに解釈されていますが、ここでは黒田氏の「オリジナル権門体制論」のみを「権門体制論」と呼びます。今回は「王家」と「天皇」の「オリジナル権門体制論」における位置づけを考えます。資料は黒田茂雄氏の「中世の国家と天皇」1963年、「中世天皇制の基本的性格」です。黒田氏によれば1,権門とは権門体制期(院政から応仁の乱までの時期)における支配層であり、「私的領地である荘園に権力の源をもつ私的...「権門体制論」「東国国家論」を学ぶ①・「王家」と「天皇」

  • 日本10番目にわかりやすい「権門体制論」の説明

    権門体制論の提唱者は黒田俊雄さんで京都大学出身、大阪大学教授です。提唱した年は1963年。昭和38年です。40歳ぐらいでした。終戦時に22歳だった方です。戦前に教育を受けました。黒田氏の思想を知るために重要なので以下だけは、ウィキペディアからコピーします。黒田氏は、戦後の良心的歴史学者の天皇制解明の重点は、天皇の神性の否定や、社会構成史の観点からの天皇権力の断絶の説明であったとし、しかしそれだけでは彼等(天皇)の詐術を断ち切ることはできないと主張。そして「歴史上の天皇は、ときに生身の実権者であり、ときに権力編成の頂点であり、ときに精神的呪縛の装置であった。」とし、この三つの諸側面を適宜入れ替え組み合わせてきたことが、天皇制を操作してきた権力の真実であり、現代でも詐術師たちは、自分ではこれを使い分けながら、あえて...日本10番目にわかりやすい「権門体制論」の説明

  • 大河ドラマ「どうする織田信長!」が製作される可能性・「天下静謐」とは何か。

    「鎌倉殿の13人」、どうやらすでに「どうする義時」じゃないかという声が出ています。義時はやがて「天下をとったような」感じになりますが、それは最初から狙っていたわけでなく、自分と自分の家族や仲間、誇りを守ろうと、その時々で判断していたら、「いつのまにか天下をとったような感じ」になってしまった。こうなる可能性が大です。そして次の大河は「どうする家康」です。家康は信長が生きている時代、三河、遠江を支配する「信長配下の大名」でした。すでに対等ではなかったのです。武田滅亡後、駿河をもらいますが、それでも信長の支配領土とは格段の差があります。「天下を狙っている」とはどうしても思えない。本能寺の後、秀吉と対立します。この段階の家康の意識は分かりません。やったことは旧武田領土の奪い合いです。しかし結局は秀吉に臣従します。北条が...大河ドラマ「どうする織田信長!」が製作される可能性・「天下静謐」とは何か。

  • 「鎌倉殿の13人」・第二回「佐殿の腹」感想・頼朝のいう「正しい世」って何だろう。

    「史実のネタバレ」がありますからご注意ください。さて第二回「佐殿の腹」の「感想」です。頼朝の言う「正しい世」って何だろう。興味は実はこの一点に尽きます。「清盛の首をとり、後白河院をお支えして、正しい世を作る」と最後に頼朝が言います。「お前だけに話す」と言われた義時は感動しています。頼朝の「お前だけに」は既に当時において頼朝の「癖」として意識されていたようで、「みんなにお前だけにと言った」と「吾妻鑑」に書かれています。学者さんによっては「頼朝をおとしめるため北条がそう書いた」という人がいますが、考えすぎでしょう。「佐殿って、みんなにお前だけにって言ったんだぜ。すぐばれるのに。お茶目で面白い人だった」と御家人たちは愛情をもって伝承したんじゃないでしょうか。佐殿が目指す正しい世は「法皇を支え、武家として朝廷を守り、世...「鎌倉殿の13人」・第二回「佐殿の腹」感想・頼朝のいう「正しい世」って何だろう。

  • 「承久の乱」をゆっくりと考えてみる。北条政子の演説と大江広元の野望。「鎌倉殿の13人関連」

    承久の乱における幕府の勝利、1221年をもって「鎌倉幕府の真の成立」とする。なかなかに魅力的な考えです。まあ「鎌倉幕府の成立」は、「こう考えるとこの年になる」というだけで、「正解を求める必要はない」命題でしょう。ただし、これは歴史学者さんが「説」を出すのは無駄だということではありません。むしろ「何年と考えるか」によって、その人の史観や歴史の見方がはっきりするので、喧嘩しない程度に「行儀よく論争して」ほしいなと思います。今は1185年と教科書にあります。これは「諸国に守護、地頭を設置することを朝廷が認めた年」ですが、さっそく「そんなこと認めていない」「いや守護そのものがこの年にはいなかった」等の意見が出てきています。「行儀よく論争」するなら、どんどんやってほしいものです。承久の乱では有名な政子の演説が存在します。...「承久の乱」をゆっくりと考えてみる。北条政子の演説と大江広元の野望。「鎌倉殿の13人関連」

  • 「鎌倉殿の13人」・第一回「大いなる小競り合い」感想

    「言葉のテンポがいい時代劇もいいな」と感じました。もちろん「間」も嫌いじゃありません。大河「天地人」、「光秀謀反!」から信長が「是非に及ばず」と言うまで30秒の沈黙があります。「国盗り物語」でも10秒ぐらいあって、その間に高橋英樹さんの表情が「怒り」から「悟り」に変わっていく。でもあまり重々しく「間」をとられても疲れてしまいます。「言葉のかけあい」がやっぱり三谷脚本の神髄なんだなと思いました。個人的には「草燃える」のリメイクだと思っています。雰囲気も似ています。「言葉が現代調の元祖」こそ「草燃える」です。時政の雰囲気もなんか似ています。「ちょっとポンコツ」なんです。宗時は「草燃える」では切れ者でしたが、13人ではポンコツです。でも彼の壮大なドン・キホーテ的野心が歴史を動かすわけですから、素敵なポンコツでしょう。...「鎌倉殿の13人」・第一回「大いなる小競り合い」感想

  • 「鎌倉殿の13人」・新垣結衣さん演じる「八重姫」の運命

    ネタばれの「可能性」があります。NHKが発行する「あらすじ紹介ブック」は読んでいませんが、時代考証を担当する坂井孝一さんの「鎌倉殿と執権北条氏、義時はいかに朝廷を乗り越えたか」を読んで書いているからです。ネタバレする可能性が高いということになります。さて、新垣結衣さん演じる「伊東八重」は伊東祐親(すけちか)という平氏側の有力武士の「娘」です。八重さんは源頼朝の「最初の妻」で、子供も産みます。しかしそれを知って怒った伊東祐親は、生まれた子供を殺し、源頼朝とも敵対関係に入ります。八重さんは北条義時と似た名前をもつ「江間小次郎」または「江間小四郎」のもとに嫁にいかされます。「悲劇の人」らしいのですが、どうもそうでもないらしいのですね。なぜなら「北条義時の初恋の人」とも書いてあるからです。ちょっと歴史に興味があって、ネ...「鎌倉殿の13人」・新垣結衣さん演じる「八重姫」の運命

  • 「鎌倉殿の13人」・北条義時の「復権」はありえるか。

    北条義時、「鎌倉殿の13人」の主人公。鎌倉幕府の二代目執権で「北条執権」制を主導した人です。北条政子は姉です。源頼朝の「側近筆頭」で、どうやら「江間」という姓だったようです。承久の乱では「後鳥羽上皇」と戦い勝利します。そして上皇を3人も島流しにしています。上皇が3人もいたのです。「やってることは織田信長より凄い」のですが、「知名度は低く」、人気もありません。江戸期から不人気でした。「源氏の将軍を断絶させた悪いやつ」(徳川は最初は藤原氏だったが、最終的には源氏)、源氏将軍を圧迫したということで評判が悪かった。当然「物語」も作られないし、登場しても悪役です。明治期以後も「天皇家を圧迫した」ということで「悪人扱い」です。後醍醐天皇を圧迫した足利尊氏は「極悪人扱い」でしたが、「極悪人」だと知名度だけは高くなります。北条...「鎌倉殿の13人」・北条義時の「復権」はありえるか。

  • 「鎌倉殿の13人」・北条義時は過去に一度だけ主人公並みになっている。

    1979年(43年前)の大河「草燃える」の主人公は、源頼朝と北条政子です。頼朝は途中で亡くなるので、後半は政子が主人公なのですが、この政子、さほど政治的ではありません。色々な歴史的事件(頼家殺害、実朝暗殺)については「政子は知らなかった」とされます。となると政子の名で幕府を動かしていた北条義時が「実質上の主人公」になっていきます。松平健さんが演じました。1979年、私はまだ子供で、見てはいましたし、非常に強い関心を持ったのも覚えているのですが、内容をはっきりと理解したわけではなかったと思います。その後総集編がDVDになって、「なるほどこういう作品だったのか」と気が付きました。一言でいうと、単純ですが「素晴らしい作品」です。大河の中でも筆頭格の作品だと個人的には思います。言葉遣いがとても平易です。現代語に近い。当...「鎌倉殿の13人」・北条義時は過去に一度だけ主人公並みになっている。

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