またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
『枕草子』を読む4-中納言参りたまひて2-藤原隆家という人-(新米国語教師の昔取った杵柄45)
いつもながら冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 なるほど。 『枕草子』に登場する「中納言」について調べてみた。 面白い人物である。 名前は藤原隆家(たかいえ)。清少納言が仕えていた中宮定子の弟である。 定子は歴史上有名な藤原道長(みちなが)の
『枕草子』を読む3-中納言参りたまひて1-自慢話以外の何なんだろう-(新米国語教師の昔取った杵柄44)
さて、そろそろ夏休みも終わり、二学期の始まりである。 今これについて私は夏休みが終わりかけの小学生のような気分なので、多少でもモチベーションが上がるような文章を取り上げてみたい。 それが何で『枕草子』なのか、ということなのだが、正直この随筆は言葉の壁が
お盆熊本小旅行11-熊本の古い街並み-(河童日本紀行652)
最後は私の旅行記・紀行文の例によってオムニバス風に取り留めもなく。 子飼の商店街。早朝だからまだどこも開いていない。 昔は正月の買い物と云えばここだったが。 亡くなった祖父も父も大晦日になると「子飼の商店街に行ってくる」と云って出かけていた。小さい頃か
さて、この小旅行の真の目的地である新町停留場にやってきた(今思いついたんだけどね)。 私はこの電停の存在を知った時から是非一度写真を撮りたいと思っていたのだが、慌ただしい日常に紛れて延び延びになっていたのだ。 この電停はそれだけ取れば特にこれといった特徴
大一高校(仮名)の正門前に設置されている古町医学校と熊本洋学校の石碑を読んでいるとき、「何時もの奴」がやってきた。 そう。父から受け継いだ「急な〇意」である。 日本の近代化についての思考はどこかに行ってしまい、頭の中を占めるのは「トイレどこ?」という切迫し
熊本洋学校は古城医学校と同じく明治初年に御雇い外国人を指導者に据えて官立として作られた学校である。 大一高校(仮名)の正門前に記念碑がある。 指導者の名はジェーンズといった。 設立の目的は日本の近代化を担う人材の育成である。 当時近代化と云
洗馬橋電停から「大一高校(仮名) 」に向かっていくとそこが古町である。 何せ「古い町」と書くくらいだから熊本でも最古の街並みなのだろう。 もちろん城下町である。 大一の構内からは熊本城の姿を見ることが出来る。 細川藩の家老屋敷などがあったそうだ。 正門近く
隈本大学(仮名)にある五高記念館を外側だけ、あるいは周辺にある銅像・石碑だけ見学した私は、そこから自転車で20分ほどの距離にある洗馬橋電停付近までやってきた。 熊本では洗馬橋といえば狸である。 これは「あんたがたどこさ」という童謡(手毬歌)に由来している
隈大(仮名)のキャンパス内には夏目漱石の他にもう一人、国民的な文学者と第五高等学校の関係を示すモニュメントがある。 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)である。 なぜ左を向いているかといえば、幼少の頃失明した右眼を嫌い、写真に写らないようにしていたということ
隈本大学(仮名)キャンパスの中にはあちらこちらに第五高等学校の痕跡が残っている。 この、「漱石」と書かれた銅像もその一つである。 銅像の隣には記念碑がある。[碑文] それ教育は建国の基礎にして、師弟の和熟は育英の大本なり。明治30年10月10日 教授 夏目金
熊本お盆小旅行3-武夫原頭に草萌えて→易水流れ-(河童日本紀行643)
やはり旧五高の校舎は良かった。 私はその周辺をもう少しウロウロしてみることにした。 「武夫原頭に草萌えて」と書いてある石碑を発見。 これは第五高等学校の校歌だったと思う。 また弊衣破帽の学生のレリーフが。 ところがこの歌、校歌ではないのだ。 元々日本の
連休が始まってから3日後、私は停めてある自転車を熊本駅まで返すため、立田口駅に降り立った。 この駅までの交通手段は勿論電車である。私は自宅近くの駅から熊本駅まで通勤定期を持っているのだ。 最近は本当に便利な世の中で、この定期は「スゴイカ(仮名)」というカ
熊本お盆小旅行-地震と衝動により小旅行決定-(河童日本紀行641)
それは全く偶然に始まった小旅行だった。 話は3日ほど前に遡る。 夏休みの長期休暇を前にして、私は休み明けに困らないよう、その準備に追われていた。 定時ちょっと過ぎて、どうにか帰れるかな、と思っていた矢先、スマホが今まで聞いたことのないような不気味な警戒音
「土佐日記」を読む3-哀悼と諧謔と、そして卑猥-(新米国語教師の昔取った杵柄43)
結局のところ紀貫之が『土佐日記』において女性を装っているのは、実際にあった面白い話を皆に知ってもらいたいのだが、それが酔狂だったり卑猥だったり駄洒落だったりするために実名にする訳にいかなかったという事情からだということが、全文を読んでみて分かった。 つ
「土佐日記」を読む2-正月十三日-(新米国語教師の昔取った杵柄42)
取り敢えず「土佐日記」全文をつらつらと読むことにして読み流していくと、「あっ!」という個所を発見した。 なるほど、これもまた女性目線で書いたものでないと公表できないだろうな、という部分である。[原文] 十三日の暁にいささか小雨ふる。しばしありて止みぬ。男女
「土佐日記」を読む1-馬のはなむけ-(新米国語教師の昔取った杵柄41)
さて、これまた『方丈記』と同じく若い頃読んでどうしても面白いと思えなかった古典文学について語らなければならない(別に義務じゃないけどね)。 「土佐日記」である。 そもそも冒頭の一文から意味が分からない。[原文] 男もすなる日記というものを、女もしてみむとて
さて、「徒然草」「枕草子」と来たら「方丈記」に触れない訳にはいくまい。 何せこの3つの随筆は「日本三大随筆」に数えられているからだ。 だが、どうにも気が重い。 私はまだ18歳くらいの頃にこの3つの随筆を読んだのだ。 そして、前2者は言葉の壁さえ突き崩せば面
「枕草子」を読む2-にくきもの-(新米国語教師の昔取った杵柄39)
「枕草子」は随筆であるから、作者である清少納言のその場その場で感じたことが書かれている。 基本的にそれは趣があったり美しかったりものが多いのは、彼女の仕えた中宮定子が不幸な生涯を送った反動であるという人が多い。 いわば、「光と影」の「影」を書かなかった
「枕草子」を読む1-ありがたきもの-(新米国語教師の昔取った杵柄38)
「徒然草」ばかり取り上げて「枕草子」のことを忘れていた。 ちと失礼な云い方をすれば、「徒然草」が中高年男性の云いたい放題だとすると、「枕草子」は女性の云いたい放題である。 「中高年」かどうかと云えば、「枕草子」の執筆は清少納言の30歳前後から始まっているよ
河童簡単韓国料理27-さっぱりポッサム進化形-(いやしんぼ117)
この文章は元々5年前に書いたものだが、当時食べていたポッサムよりもっと美味しいものを現在の私は食べているので是非紹介したい。さっぱりポッサム進化形である。 ポッサムという韓国語はもともと「風呂敷で包む」という意味である。 この料理はその名の通り茹で豚をい
次の文章は「ディスカバー柳川19-柳川古文書館-(河童日本紀行59)」という題で2012年に紀行文として発表したものである。 私は2024年現在高校生相手に古文を教えているが、古文読解の一助となればと考え、再掲する。 三宮神社(仮名)を出た私は、柳川古文書館(実名)に向
「捜神記」を読む-連理の枝-(新米国語教師の昔取った杵柄36)
次の文章は2013年に旅行記として書いた文章だが、大部分が「捜神記」という怪異物語の解説であり、漢文学習者の参考になりそうなので再掲する。 長崎県諫早市の轟峡で甘くて美味しい水を汲んだ私たち夫婦である。 「森林の創造の神が育んだ不思議スポット!!」という写真
「伊曽保物語」を読む-序文-(新米国語教師の昔取った杵柄35)
以下の文章は「天草下島おかえり旅行6-コレジヨ館でイソップに会う-(河童日本紀行317)」という題名でちょうど10年前に掲載したものである。 「伊曽保物語」について教科書などで初めて触れる人が誤解しそうなことについて触れているので有用ではないかと思い再掲する。
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またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
以下の文章は4年ほど前にある言語聴覚士県士会の会報に掲載されたコラムである。定年に伴って県士会理事を引退したので改めて個人的なブログとして掲載する。 なお、まだパンデミックの最中に書かれた文章であるため、現在では変化している情報が含まれていることをお断り
バーチャル博物館「沢村栄治記念館」http://sawamuraeiji.yomibitoshirazu.com/で再開しています。 公立学校から学習塾、そして医療の世界へと渉り、さらに学校教育へと戻ってきた私は、最近学校と塾との関係性について改めて考え直している。 この文章は10年以上前に書い
以下の文章は過去にある学会誌に掲載されたものです。 一旦医学の世界から離れ教育職として働いている私の原点になる部分だと思うのでブログとして再掲載します。 ここに書かれている情報は5年以上前のものであることをお断りしておきます。言語聴覚士(ST)としての私~デ