最近どうも我が家が暑い。 「我が家」と云っても妻の実家に寄生しているのだが。 我が家は今全国的にもやたらと人口が増えている町にあるが、郊外であるからまだまだ緑は多い。 実際我が家の隣は金持ちの広い畑である。 だから街中のようなヒートアイランド現象とは無
「十訓抄」を読む-大江山の歌-(新米国語教師の昔取った杵柄34)
歳を取って才能が枯れてきたのを感じるのは寂しい。どう考えても10年前に自分が書いた文章の方が面白かったりする。落日とか黄昏という言葉が実感を以て迫って来る。 今、海の向こうの仏蘭西では若い才能が次々と爆発している。不発のままに終わったり暴発してしまう人も
「徒然草」を読む4-万の事は頼むべからず-(新米国語教師の昔取った杵柄33)
あまりにも面白い「徒然草」、自制して3回で終わらせようと思ったが、読み進めるとどれもこれも面白いので、再開したい。第212段である。[原文] 万(よろず)のことは頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故ゆゑに、恨み、怒ることあり。勢いありとて、頼むべからず。
「古今集」を読む-六歌仙-(新米国語教師の昔取った杵柄32)
以下の文章は熊本地震の直後、復興支援として 熊本へ行こう78-JR三角線で行く三角西港リメイク3 川尻駅-(河童日本紀行550) という題で掲載したものである。 主に酷鉄(仮名)川尻駅のことについての記述だが、そういえば終わりの方で六歌仙のことを紹介していたな、と
「源氏物語」を読む-「源氏物語」のヘンな熊本人-(新米国語教師の昔取った杵柄31)
この文章はもともと2011年に書いた文章である。 「堤中納言物語」と同じく、完全に「国語」から遠ざかっていたときにわざわざ記事にしているので、よほど印象に残っていたのだろう。 ということで、採録したい。 国文科の学生や出身者でも『源氏物語』を読破した人は少
「徒然草」を読む3-出雲に丹波という所あり-(新米国語教師の昔取った杵柄30)
散々文句を云ってすっきりしたところで、如何にも「徒然草」らしい段に行ってみよう。 236段である。[原文] 丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく作れり。しだのなにがしとかや領(し)る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまた誘いて、「いざた
「徒然草」を読む2-九月二十日の頃-(新米国語教師の昔取った杵柄29)
さて、「始まってしまった(キョンキョン調で)」このシリーズだが、作者が何せ私と同じ中高年男であるから、全段を延々と解説、などという非常識なことをしてしまいそうなので、できるだけ感情を抑えつつ、高校の教科書に採用されそうなものだけ取り上げていきたいと思う。
「徒然草」を読む1-序段-(新米国語教師の昔取った杵柄28)
私が文学に親しみ始めた小学校のみぎりからいつの間にか文学から離れた中年期まで、巷には「〇〇徒然草」という題名の本が満ち溢れていた。 そしてその著者の殆どは中高年男性だった。 当時インターネットというものがあって、「徒然草」で検索したとしたら、このテの「
「堤中納言物語」を読む-虫愛づる姫君-(新米国語教師の昔取った杵柄27)
以下の文章は私が12年前に綴ったものである。 既に言語聴覚士として働いていて、所謂国語とは完全に縁が切れたと感じていた時期だ。 それでも色々なネタの1つとしてわざわざ書きたくなって書いたのだから、よほど心に刻まれていたストーリーなのだろう。 では、どうぞ。
「堤中納言物語」を読む-虫愛づる姫君-(新米国語教師の昔取った杵柄27)
以下の文章は私が12年前に綴ったものである。 既に言語聴覚士として働いていて、所謂国語とは完全に縁が切れたと感じていた時期だ。 それでも色々なネタの1つとしてわざわざ書きたくなって書いたのだから、よほど心に刻まれていたストーリーなのだろう。 では、どうぞ。
「戦国策」を読む8-私が戦国武将なら。戦国違い-(それでも生きてゆく私145)
「戦国」で急に思い出した。 戦国違いは承知である。 我が家の婿殿たちにはある共通点がある。 それは戦国時代が好きで、それに関するドラマや漫画やなどのメディアによく接しているということだ。 私は戦国時代はあまりに話が複雑で第一武将の名前や相関が覚えられ
「戦国策」を読む7-虎の威を借る狐3-背景を知る-(新米国語教師の昔取った杵柄26)
「戦国策」によれば、この「虎の威を借りる狐」は魏の使者である江乙(こういつ)が楚の宣王に語った話である。 この部分の前書きは宣王が家臣たちに「昭奚恤(しょうけいじゅつ)が北方の国々から恐れられているのは本当か」と尋ねるところから始まる。 昭奚恤は当時の楚の
「戦国策」を読む6-虎の威を借る狐2-本文を味わう-(新米国語教師の昔取った杵柄25)
さて、それでは本文にかかろう。[書き下し文] 虎百獣を求めて之を食らい、狐を得たり。[現代誤訳] 虎がいろいろな獣を求めてはこれを食糧とし、あるとき狐を捕まえた。 「獅子と虎、どちらが百獣の王か」という論議には未だに結論が出ていないが、生息地が重なっていな
「戦国策」を読む5-虎の威を借る狐1-楚という国-(新米国語教師の昔取った杵柄24)
さて、次のお話は「虎の威を借る狐」である。 これも日本では有名な話であるが、故事成語としては殆どの人が知らず、ほとんど慣用句として「あの〇〇君な、××部長の虎の威を借りてるよな」というように「嫌な奴」を指すのに使用されているような気がする。 高校の教科
「戦国策」を読む4-漁父之利-(新米国語教師の昔取った杵柄23)
「漁夫の利」とは「互いに争っているすきに、第三者が労せずしてその利益を横取りすること」である。「漁父の利」「鷸蚌(いっぽう)の争い」とも云う。 この故事成語は趙の恵王(在位B.C.298~B.C.266)の時に成立したものだと記録されている。[書き下し文] 趙且(まさ)に燕
「戦国策」を読む3-合従と連衡-(新米国語教師の昔取った杵柄22)
少し前回のおさらいをする。 「戦国策」に描かれているのは主に「縦横家」と呼ばれる諸子百家の一派である。 縦横家は主に各国に遊説してその外交についてアドバイスするのが仕事である。 戦国時代の外交の中心になっていたのは西方の強国である秦であり、後にこの国が
戦国策を読む2-「戦国策」とは-(新米国語教師の昔取った杵柄21)
中国で周王朝が衰亡し、秦が大帝国を打ち立てるまでの間の時代を春秋戦国時代という。 中でも春秋五覇の1つ晋が分裂して韓・魏・趙の3国になったB.C.453年から後を特に戦国時代という。 この時代が「戦国時代」と呼ばれるようになったのはこの時代に各国が取った国策や活
戦国策を読む1-故事成語とは-(新米国語教師の昔取った杵柄20)
日本の隣国である中国の歴史は長い。 一般に「中国4000年」と自称し、これはあながち誇張でもないと周辺の民族からも思われている。 そしてそれは数多の王朝の光芒の歴史である。 実在が確実なところから云えば商(殷)に始まり、周、秦、前漢、新、後漢、晋、隋、唐、宋
竹取物語を読む9-かぐや姫の昇天-(新米国語教師の昔取った杵柄19)
人間は生命体であるから、生命維持に必要なシステムに支障が出れば死ぬ。 そしてその確率は加齢にしたがって高くなってくる。 しかし、それが何時来るのかは誰にも分からない。 それは遺伝的な要素と環境的な要素の複雑に絡み合ったせめぎ合いの結果だからだ。 年が若
竹取物語を読む8-帝の恋-(新米国語教師の昔取った杵柄18)
5人の貴公子の求婚を退けたかぐや姫だったが、実は最大の本命が残っていた。 なんとお上が姫に懸想したのである。 私は無学なのでこの方に関して使うべきとされている敬語について十分知らないから、よくわきまえないうちに失礼な言葉遣いをしてしまうかもしれないこと
竹取物語を読む7-燕の子安貝-(新米国語教師の昔取った杵柄17)
さて、かぐや姫の婿取り譚も最後の「中納言石上麻呂」までやってきた。 「竹取物語」の「身分が低いほどひどい目に遭うの法則(今考えつきました)」によれば、石上麻呂は中納言であるから一番酷い目に遭いそうである。 中納言に課せられた難問は「燕の子安貝」。 子安貝
竹取物語を読む6-龍の首の玉-(新米国語教師の昔取った杵柄16)
さて、作者が当時の読者から、「何か似たような話ばかりだね…」と云われたのか、はたまた「リングにこけろ(仮名)」や「禁肉マン(仮名)」のように技のインフレーションが起こったのか、かぐや姫の婿取り譚も残り二人になって急に危険度が高くなる。 次は龍の首の玉を取っ
竹取物語を読む5-火鼠の皮衣(新米国語教師の昔取った杵柄15)
「後3人…」と、「ボルボ13(仮名)」のようなことを呟いてみる。 数多いるかぐや姫の求婚者のうち、主に身分と財力でエントリーされた5人のうち既に2人が脱落した。 次は阿部御主人(あべのみうし)である。 この人は先の二人のような皇族ではないが、なにせ右大臣である。
竹取物語を読む4-蓬莱の玉の枝(新米国語教師の昔取った杵柄14)
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
竹取物語を読む3-仏の御石の鉢(新米国語教師の昔取った杵柄13)
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
竹取物語を読む2-なよ竹のかぐや姫2-かぐや姫社交デビューす-(新米国語教師の昔取った杵柄12)
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
竹取物語を読む1-なよ竹のかぐや姫1-かぐや姫降臨す-(新米国語教師の昔取った杵柄11)
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
伊勢物語を読む10-筒井筒と「大和物語」の沖つ白波-(新米国語教師の昔取った杵柄10)
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
伊勢物語を読む9-筒井筒3-元の鞘に収まる-(新米国語教師の昔取った杵柄9)
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
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最近どうも我が家が暑い。 「我が家」と云っても妻の実家に寄生しているのだが。 我が家は今全国的にもやたらと人口が増えている町にあるが、郊外であるからまだまだ緑は多い。 実際我が家の隣は金持ちの広い畑である。 だから街中のようなヒートアイランド現象とは無
またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
少し前回のおさらいをする。 「戦国策」に描かれているのは主に「縦横家」と呼ばれる諸子百家の一派である。 縦横家は主に各国に遊説してその外交についてアドバイスするのが仕事である。 戦国時代の外交の中心になっていたのは西方の強国である秦であり、後にこの国が
中国で周王朝が衰亡し、秦が大帝国を打ち立てるまでの間の時代を春秋戦国時代という。 中でも春秋五覇の1つ晋が分裂して韓・魏・趙の3国になったB.C.453年から後を特に戦国時代という。 この時代が「戦国時代」と呼ばれるようになったのはこの時代に各国が取った国策や活
日本の隣国である中国の歴史は長い。 一般に「中国4000年」と自称し、これはあながち誇張でもないと周辺の民族からも思われている。 そしてそれは数多の王朝の光芒の歴史である。 実在が確実なところから云えば商(殷)に始まり、周、秦、前漢、新、後漢、晋、隋、唐、宋
人間は生命体であるから、生命維持に必要なシステムに支障が出れば死ぬ。 そしてその確率は加齢にしたがって高くなってくる。 しかし、それが何時来るのかは誰にも分からない。 それは遺伝的な要素と環境的な要素の複雑に絡み合ったせめぎ合いの結果だからだ。 年が若
5人の貴公子の求婚を退けたかぐや姫だったが、実は最大の本命が残っていた。 なんとお上が姫に懸想したのである。 私は無学なのでこの方に関して使うべきとされている敬語について十分知らないから、よくわきまえないうちに失礼な言葉遣いをしてしまうかもしれないこと
さて、かぐや姫の婿取り譚も最後の「中納言石上麻呂」までやってきた。 「竹取物語」の「身分が低いほどひどい目に遭うの法則(今考えつきました)」によれば、石上麻呂は中納言であるから一番酷い目に遭いそうである。 中納言に課せられた難問は「燕の子安貝」。 子安貝
さて、作者が当時の読者から、「何か似たような話ばかりだね…」と云われたのか、はたまた「リングにこけろ(仮名)」や「禁肉マン(仮名)」のように技のインフレーションが起こったのか、かぐや姫の婿取り譚も残り二人になって急に危険度が高くなる。 次は龍の首の玉を取っ
「後3人…」と、「ボルボ13(仮名)」のようなことを呟いてみる。 数多いるかぐや姫の求婚者のうち、主に身分と財力でエントリーされた5人のうち既に2人が脱落した。 次は阿部御主人(あべのみうし)である。 この人は先の二人のような皇族ではないが、なにせ右大臣である。
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと