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2019/04/15

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  • -200年に及ぶイギリスの介入による支那の崩壊-(GHQ焚書図書開封第129回)

    GHQ焚書図書開封第129回-200年に及ぶイギリスの介入による支那の崩壊-支那大陸の黒船来航は、1635年のイギリス船4隻によるウェッデルの寄航であった。それまでは、葡萄牙(ポルトガル)が澳門(マカオ)での交易により独占的利益を得ていた。その後、阿蘭陀との交戦もあり、イギリス貿易が復活するのは1664年になったが、海関に関わる極端な賄賂要求にイギリス商人は悩まされることになる。広東(カントン)においては、独占的利益を侵された葡萄牙は英吉利の進出を妨害した。海関税は海関監督(ホッポ)の独自裁量によって決定されており、賄賂分が圧倒的に多かった。1703年以降はホッポの制度がコホン(公行)制度に変わった。しかし、賄賂体質は依然として残った。18世紀中頃になると、清国政府は排外的になり乾隆帝は禁圧令を下した。貿易港も...-200年に及ぶイギリスの介入による支那の崩壊-(GHQ焚書図書開封第129回)

  • -イギリスのインド攻略の原点 プラッシーの戦い-(GHQ焚書図書開封第128回)

    GHQ焚書図書開封第128回-イギリスのインド攻略の原点プラッシーの戦い-「亜細亜侵略史」高橋勇イギリスのインド侵略は、1400~1500年代の大航海時代のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見から始まる。最初は、半官半民の東インド商会の仕事としてなされ、進攻して見通しがみえてくると国家がその侵略の姿をあらわした。南インドのカルナチックで起きた「ブラックホール事件」や、その後の「プラッシーの戦い」が、インドの内乱を生み、インド人によってインドが亡ぼされるという運命に導かれていった、そこにはいくつもの英仏の陰謀があった。特に、ベンガル王スラジャ・ドーラにとってかわろうとするミルジャフィルの野心を利用し、内乱を起こさせたイギリスの陰謀が決定的なものとなった。イギリスの産業革命は、インドの富を奪うことから始まった。自然科学...-イギリスのインド攻略の原点プラッシーの戦い-(GHQ焚書図書開封第128回)

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