chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
八戸ノ里キリスト教会
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/04/13

arrow_drop_down
  • 一年の感謝を主にささげる

    詩篇23:1-6『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』一年間守って下さった主に感謝をささげることは、主が喜ぶことです。恵みを受けたならば、きちんと主に礼儀をもって感謝をささげることです。人間同士でも感謝する人...一年の感謝を主にささげる

  • 迫害が来た時には

    マタイの福音書10:18-19『また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。』キリストご自身も迫害によって十字架につけられました。主に従った者たちも、多くの迫害を受けました。なぜ迫害を受けるでしょう?主の敵であり、信じる者の敵であるサタンによるものです。サタンが一番恐れる相手は、キリストとキリストを信じる者です。自分よりも強いし、自分の招待をよく知っているし、すでにキリストに負けたからです。キリストを殺せば、すべてが終わると思いましたが、キリストは死後三日目に死から復活したので、その時にサタンは自分が...迫害が来た時には

  • 何も思い煩うな

    ピリピ4:4-7『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』主から言われたことばに私たちがすべて従順するならば、私たちの生活はどう変わるでしょうか?思い煩いから解放され、感謝と喜び、平安に満ちた生活になると思います。神は主のことばに従う者には恵みを備えておられます。しかし従わない人はその不従順によって恵みを受けられないです。神を信じると告白する者の中にも、自分の思いが優先で、神のことばを無視して生きる...何も思い煩うな

  • 永遠に朽ちることのない希望

    ヨハネの福音書11:25-26『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」』『世界人口白書2021』によると、世界の総人口は78億7500万人です。2050年には97億人に達すると予測しています。アフリカとアジアを中心に増加していますが、日本は毎年減っています。死なないから人口が増え続けるのではなく、生まれた人間はいつか必ず死にます。へブルにあることばです。『そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。』このことばは真理です。しかし復活の初穂になったキリストを信じる者には特別な祝福が用意されてあります。キリストのように復活の恵みを受けるよう...永遠に朽ちることのない希望

  • 救いと永遠のいのちの祝福

    使徒の働き4:12『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」』あなたはイエス・キリストを知っていますか?聞いたことがありますか?または信じていますか?初めて聞く人もいれば、何回か聞いたことがあるかも知れないです。イエス・キリストについて聞くことは、神からの良い知らせを聞いていることになります。聖書のローマにあることばです。ローマ10:9-17『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人と...救いと永遠のいのちの祝福

  • この方がなさることを来て見なさい

    マタイの福音書4:23-24『イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。』来て見なさい「comeandsee」とは神の招待のことばです。来て神の国の福音、いのちのことばを聞いてたましいが救われ、あらゆる病気の人も来て癒されなさいという神の招待です。昔だけではないです。今も主は生きて働いておられます。そして人々の様子を見ておられます。主の目に哀れな魂があまりにも多いです。さまよう人、弱い者、病んでいる人、希望のない人、悪霊に取りつかれた人など問題だらけの人ばかり...この方がなさることを来て見なさい

  • 恵みとまことはイエス・キリストから

    ヨハネの福音書1:15-17『ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。』クリスマスです。誰を祝う日ですか?イエス・キリストです。この方は神の御子であり、創造主、救い主、助け主です。誕生の700年前に預言者イザヤによっても預言されました。イザヤ書9:6-7『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と...恵みとまことはイエス・キリストから

  • 神の子どもが受ける特権

    ヨハネの福音書1:12-13『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。』親子関係がすぐに分かるのは呼び名です。子どもが「パパ、ママ」と呼ぶならば親子であることは明確です。神は神の子どもになった人に許したものがあります。それは神への呼び名です。ガラテヤ4:6-7『そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。』そして子どもであるならば相続人です。奴隷には相続権はないですが、子どもであるならば相続権があります。親...神の子どもが受ける特権

  • 光であるイエスを信じるならば

    ヨハネの福音書12:45-46『また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。』闇の中にいた時は受けることが出来なかった多くの祝福を、イエス様を信じてから受けました。それはいのちの光でした。闇であった自分の心に光の主が入って来て、心の中に光が出来ました。明るくなりました。そしてその光は、いのちの光でした。それから闇の衣を脱ぎ捨てて光の衣に着替えました。光の主を信じてから受けるものです。使徒の働き10:43『イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」』ヨハネの福音書3:18『御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御...光であるイエスを信じるならば

  • 闇を愛した人々

    ヨハネの福音書3:19-20『そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。』長い間、闇の中にいると目が暗くなり、光を嫌います。闇に慣れています。悪い行いをやっている人は、光によってその行いが明るみに出されることを恐れます。ひたすら闇に隠そうとします。それを見ると闇を愛していることがよく分かります。イエス様よりも世を愛するので、神の愛が彼らの中に留まることは出来ないです。聖書で「闇」をこのように描写しています。苦しみ、悲しみ、暗黒、わざわいです。闇に良い点はないです。闇の中にいて闇を愛した人たちは、神の恵みを受けることが出来ず、反対に神のさばきに会うように定め...闇を愛した人々

  • 光を拒んだ人々

    ヨハネの福音書1:9-11『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。』この世界は罪によって暗闇の世界に変わりました。暗闇の世界に主イエスは真の光として来て下さいました。闇の中にいる人々に光を照らすために光の主が来て下さったのに、なぜか人々は光のほうに来ませんでした。それどころか受け入れようとしませんでした。なぜでしょうか。彼らは悟りませんでした。光がいのちであることを。そして光である主を信じると、神の子になる特権が得られることも。今も多くの人が光である主を知りません。自分たちが闇の中を歩んでいることも、また闇の子であることすら知らないです。この光...光を拒んだ人々

  • みことばはすなわち神である

    ヨハネの福音書1:1-3『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』天地創造には創造主という存在がいました。その方が天地を創造した時に、何によって創造したでしょうか。ことばによって創造したことが創世記1章に記録されてあります。そしてイエス様の誕生に当たって言われたことがありました。ヨハネの福音書1:14『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。』神と共にあったことばが人となったのがイエス・キリストでした。イエス・キリストは神の御子です...みことばはすなわち神である

  • パンくずでも欲しいと求める女

    マタイの福音書15:26-28『すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。』愛があふれるイエス様なのに、ここでは女に向かって『子どものパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことだ。』と言いました。女の人を犬に例えて言いました。多くの人はこれに対して腹を立て、イエス様を非難したと思います。しかしカナン人の女は賢く答えました。『主よ。その通りです。ただ小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。』...パンくずでも欲しいと求める女

  • 主の栄光を見せて下さい

    ヨハネの福音書17:24『父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。』イエス様は天の父の元から世に遣わされ、父の計画通りに人類の贖いのために働き、十字架の死で贖いを完了しました。いつでも主は父なる神に従順でした。父なる神とイエス様は常に一致していました。ですから神の栄光がイエス様を通して現れました。私たちが主の栄光を見るためには、主のことばに従わないといけないです。従う時に、主の栄光が現れます。主に従わない者に、主は栄光を現しません。主に従う者は鋤に手をつけてから後ろを見ないで、自分を捨て、自分の十字架を負って主について行きます。マタイの福...主の栄光を見せて下さい

  • 主と福音のためにいのちを失うならば

    マルコの福音書8:35『いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。』この逆説の真理は主を愛し、福音を伝えることを最優先に設定しなさいという意味です。いのちを二つも三つも持っている人はいないです。一つしかないです。ですから人々は自分のいのちを守るために必死です。しかし生まれた人間は必ず死を迎えます。どんなに自分のいのちを大切にしても、死を避けることは出来ないです。しかし主は永遠のいのちが先にあることを教えて下さいました。肉体の死はだれも避けることが出来ないですが、永遠のいのちがあることを教えました。主を信じる者、主や福音のためにいのちを捨てる者には、永遠のいのちを与えられると約束して下さいました。パウロの告白です。ピリピ3:8『それどころか、私の主であるキリスト・...主と福音のためにいのちを失うならば

  • 一粒の麦になって死んで下さった主

    ヨハネの福音書12:24-26『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』一粒の麦が地に落ちて死ねば、豊かな実を結ぶと主は言われました。そして主ご自身が一粒の麦になって死んで下さいました。主は、私のために一粒の麦になって死んで下さいました。そしてあなたのために主は一粒の麦になって死んで下さいました。もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ一つのままです...一粒の麦になって死んで下さった主

  • あなたもこのようにしなさい

    ルカの福音書10:36-37『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』昨日の続きの話ですが、主は『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか』と聞きました。すると『あわれみをかけてやった人です。』と答えました。その時、主は『あなたも行って同じようにしなさい。』と言われました。私たちも主の質問を受けたら同じ答えを出すと思います。それならば私たちに対して、主は『あなたも行って同じようにしなさい。』と語るに違いありません。そのように困った人を見たら助けなさいという意味よりも、そのように困った人がどこにいるか捜して助けなさいという積極的な意味があります。...あなたもこのようにしなさい

  • あわれみ深いサマリヤ人

    ルカの福音書10:33-35『ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』主のことばを聞く者は幸いです。しかし聞くだけで何も行動しないならば、それは主のことばに対して不従順することになります。『あなたの隣人を愛しなさい。』と主は命じましたが、その命令を受けた者は従いませんでした。昨日話した祭司とレビ人は、人々には主の命令を教えながら、自分たちは従いませんでした。しかしサマリヤ人はどうでしたか?彼は主からことばを受けたこともないです。それなの...あわれみ深いサマリヤ人

  • 同情心も倫理意識もない者

    ルカの福音書10:30-32『イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。』道端に倒れている人を見たら、あなたはどうしますか?驚いて逃げるかも知れないし、心配して助けるかも知れないですね。ロシアでわざと道端に倒れて、人々がどのような反応をするのか実験したYouTubeを見ました。残念ながら助ける人よりは、チラッと見て避ける人の方が多かったし、ある人は倒れた人の財布を盗む人までもいました。人間の醜さを見ました。イエス様が話した内容に登場した祭司とレ...同情心も倫理意識もない者

  • 五つのパンと二匹の魚の奇跡

    マタイの福音書14:19-21『そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。』このパンの奇跡は四つの福音書に記録されてあります。それは主が全能なる力をもっておられる方であることを知らせるためです。荒野でイスラエルの民は40年間神が与えて下さった不思議なマナを食べました。しかしその食べ物に飽きた民は、神の前につぶやきながら肉を求めました。困っていたモーセに、主が語ったことばでモーセはこのように反応しました。民数記11:21-22『しかしモーセ...五つのパンと二匹の魚の奇跡

  • 一番すぐれた賜物は愛である

    第1コリント12:31-13:1『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。』神は愛です。神は創造の時からすべてを愛によって創造し、人間には限りない愛を注ぎました。しかし人間は神の愛を裏切り、神を痛めつけました。それでも神の愛は消えることがなく、罪人になった後でも、愛し続けています。ですから神が人間に対して求めているものも愛です。ヨハネの福音書15:12『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。』第1ヨハネ4:8-11『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わ...一番すぐれた賜物は愛である

  • 信仰の賜物

    エペソ2:8『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。』神様が私たちに与えて下さった一番基本的な賜物は、誰でも信じたら救われるという救いの賜物です。救われるのに難しい条件があるならば、すべての人が救われてほしいと言われた神の救いは矛盾していると思います。条件が揃わない人の方が圧倒的に多いからです。しかし救いには、まず神が恵みとして備え、救いの恵みを欲しがって主のことばを聞いて信じる者にはもれなく与えて下さいます。主はこのように救いに対して語って下さいました。ヨハネの福音書3:18『御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。』救いは神からの恵みの賜物であって、私たちの行いとは何の関係...信仰の賜物

  • 御霊の賜物を分け与える

    ローマ1:11-12『私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。』神を信じ、聖書を読んでから初めて分かったことがたくさんあります。御霊の賜物も初めて知りました。もし神を知らなかったなら、神が与えて下さる最高のプレゼントを受けることもなく、大きな損をしたと思います。神が罪によって霊的に死んだ者に一番与えたいと願っている賜物は、永遠のいのちの賜物です。この永遠のいのちの賜物は、イエス・キリストによるものです。ヨハネの福音書3:16『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることな...御霊の賜物を分け与える

  • 霊的飢饉のために備える

    コロサイ3:16『キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。』教会に集まってすることは、みことばを聞き、祈り、賛美を主にささげることです。本文のことばにそれが出てあります。聞いたことばは霊の糧として自分の中に蓄え、必要な時にはみことばを霊の力と知恵として使います。今は世界中で資源の奪い合いが激しいです。石炭、天然ガス、石油、また食料に至るまで、多くの国が確保のために働いています。産業や国民生活に大切だからです。将来それらが不足することを知っています。霊の糧はどうでしょうか?霊的飢饉が来ると預言されてあります。アモス書8:11『見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この...霊的飢饉のために備える

  • みことばを聞くために集まる

    ルカの福音書21:37-38『さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。民衆はみな朝早く起きて、教えを聞こうとして、宮におられるイエスのもとに集まって来た。』福音はみことばを通して伝えられています。みことばを聞く時に信仰が生まれ、信仰によって生まれ変わります。信仰もみことばを聞く時に成長します。イエス様の所には、朝早く人々がみことばを聞くために集まって来ました。とても熱心な姿でした。飢え渇く魂に主はいのちのパンを与えました。集まった人々は主の口から出る権威あることばに驚きながら喜んで聞いていました。皆さんは日々どこから力を受け、どのようなことばで導かれていますか。私は主のことばで力を受け、導きを受けています。詩篇119:105『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光で...みことばを聞くために集まる

  • これが本来の教会の姿

    使徒の働き2:46-47『そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。』教会は組織があって出来たものではありません。最初から組織など存在しませんでした。イエス様は弟子訓練をしましたが、組織は作りませんでした。聖霊に満たされた信仰ある人たちが自然に集まって神に礼拝をささげ、喜びと真心で交わりをしました。これが彼らの毎日の生活でした。聖徒たちは互いに交わりをしながら、祈りに専念し、奉仕の働きに燃えていました。その中にいつも主が働いていました。彼らは人間的な楽しみのために宮に集まったのではなく、祈るため、聖徒の交わりのために集まっていました。神の目にどんなに美しい姿でしょうか。喜んだ主は救...これが本来の教会の姿

  • 古い人と新しい人

    ルカの福音書5:37-39『また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い』と言うのです。」』世的な人は、何に興味をもって生きているでしょうか。世的な人は、世から出たものに興味を抱いて生きています。次のようなものです。第1ヨハネ2:16『すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。』古いぶどう酒は世的なもので、古いぶどう酒を好む人は古いぶどう酒の味を好み、そればかり求めます。福音...古い人と新しい人

  • 新しい人として生きた人が受ける祝福

    マタイの福音書19:28『そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。』新しい人として生まれ変わった人は、新しい着物を着て、新しい生き方をするのが当然です。制服を着ると、その人の職業が分かります。警察が制服を着ると、警察としての働きをします。警察の制服を着て強盗を働く人はいないです。人はその制服にふさわしく行動します。聖徒も主から新しい制服が与えられました。それを着ていない人は聖徒ではないです。エペソ4:23-24『またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。』新しい人として生きる...新しい人として生きた人が受ける祝福

  • 新しい着物に古い着物の継ぎは合わない

    ルカの福音書5:36『イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。』キリストを信じて救われることは、罪が赦され、天国に行くことだけと理解するならば、それは救いの一部しか理解してないことになります。救われることは、古い人が死んで新しい人に生まれ変わったことも含まれてあります。イエス様が語るまでは、人々は救いがどういうものか正しく理解出来ませんでした。分かりやすく説明するために『新しい着物と古い着物』のたとえ話をしました。新しい着物を切って、その布切れで古い着物に継ぎをするような愚かな人はいないですね。それをするならば...新しい着物に古い着物の継ぎは合わない

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、八戸ノ里キリスト教会さんをフォローしませんか?

ハンドル名
八戸ノ里キリスト教会さん
ブログタイトル
今日の「いのちのパン」
フォロー
今日の「いのちのパン」

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用