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2019/04/13

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  • イスカリオテ・ユダの背信

    マタイの福音書26:14-16『そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。』こういうことをする人の神経が分からないですね。世界には多くの犯罪がありますが、人身売買をする人ほどひどい人間はいないと思います。売られる人が自分から頼むことはほとんどないですね。騙されたり強制的に売られたりすることが多いです。すべてが金のためです。そしてその金も大金でもなく僅かなお金です。僅かなお金のために1人の人生を破滅と地獄に陥れる人間は、主のことばのように生まれて来なければ良かった人間です。主の弟子として選ばれた特権があっ...イスカリオテ・ユダの背信

  • 自分の命を保つために

    マタイの福音書10:39『自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。』自分自身のため生きるために、キリストに従うことを拒む者たちは、しばらくは自分の肉体のいのちと安全は得ると思いますが、永遠のいのちである魂の救いは失います。イエス・キリストのために自分のいのちを捨てる覚悟が出来ている人は、この世ではもしかしたら命を失うことがあるかも知れませんが、永遠のいのちを得る祝福は必ず受けます。永遠のいのちを選択する人が自分のいのちを愛する人です。その人たちは神の栄光のためにその人生をささげます。【祈り】主よ。永遠のいのちほど大切なものはないので、それを得るために励みます。【聖句をノートに書きましょう】-永遠のいのち-マタイの福音書19:29ヨハネの福音...自分の命を保つために

  • 敵を踏みつける主

    詩篇60:12『神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。』勝利する人は勝利の秘訣を知っています。ダビデはすべての戦いで勝利しましたが、彼が勇士だからでしょうか。そうではないです。ダビデは勝利の秘訣を知っていました。彼は戦う前に勝利を確信し、勝利の祈りをささげ、勝利のために神に頼り、そして勇敢に行動しました。考え過ぎて行動しない人、考えずに行動する人は敗北することが多いです。また神との関係が遠い人も敗北します。しかし神との関係を回復した後に、人間的な手段や方法に頼らず、『勝利の確信、勝利の祈り、勝利の行動』をしながら神に頼るならば、神はその人と共に戦って下さり、勝利を与えて下さいます。神は戦いに強い方です。力ある神と行動を共にする時に敵が踏みつけられるのを見ることが出来ま...敵を踏みつける主

  • 気を付けるべき人

    ピリピ3:2『どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。』悪い働き人を犬と表現しました。人間なのに、なぜ犬と呼んでいるでしょうか。特に働き人に対して犬と言われたことに、注目しないといけないです。聖書の他の箇所も見たいと思います。イザヤ書56:10-11『見張り人はみな目が見えず、知ることがない。彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りをむさぼる。この貪欲な犬どもは、足ることを知らない。彼らは、悟ることも知らない牧者で、みな、自分かってな道に向かい、ひとり残らず自分の利得に向かって行く。』マタイの福音書7:6『聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなた...気を付けるべき人

  • 神の目にはすべてが裸同然

    へブル4:13『造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。』忘れてもならないです。無視してもならないです。知らん顔してもいけないです。自分は忘れてもそのことが消えたわけではないです。無視したから無くなるわけでもないです。自分で自分がしたことを忘れても、すべてを覚えておられる方がおられます。被造物である私たちのすべての行動、心の中にある思い、信仰の従順または不従順までも、創造主なる神の前ではすべてがさらけ出されてあります。万物は神の前ではすべて裸です。隠せるものは何一つないです。隠せたと思うことが愚かな考えです。ですから神を軽く考えたり、無視してはいけないです。むしろ恐れなければならないです。いつか自分がしたす...神の目にはすべてが裸同然

  • 善を求め、悪は求めない

    アモス書5:14『善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。』善とは神との正しい関係で生まれる良いことを意味します。善を求め、善を行う人は、神に立ち返った人であるので出来ます。従って神のことば通りに行い、神の前に正しく立つことが善です。善を求める者に神は恵みを与えます。箴言11:27『熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。』神の恵みを受けたいならば、必ず善を求めないといけないです。悪は求めてはいけないです。悪に対しては憎むように言われてあります。聖書で言う悪とは、神を裏切り、神に背を向ける行為です。悪はどんな悪でも捨てないといけないです。悪を愛する者には神の怒りしかありません。命を愛する者は善を求め...善を求め、悪は求めない

  • 敵を恐れず、主に頼る

    申命記3:22『彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、主であるからだ。」』クリスチャンの人生は、霊的戦い抜きでは考えられないです。なぜならば、私たちの敵であるサタンが、聖徒たちを黙って見ないからです。妬みを持って苦しめ、あらゆる誘惑をし、また信仰から離れるように妨害します。聖徒たちには希望があるからです。クリスチャンは弱いように見えても絶対に弱い者ではないです。なぜなら神が共におられ、力ある神のことばを受けてあるからです。霊的戦いで勇気を持って戦うことが出来るのは、神が与えたことばがあるからです。また神が共におられるので戦って勝利することが出来ます。神が下さることばを握って、信仰によって進む時に連戦連勝することが出来ます。【祈り】主よ。神がサタンよりも力があります。主が共におられ...敵を恐れず、主に頼る

  • 永遠に償うことが出来ない罪

    第1サムエル記3:14『だから、わたしはエリの家について誓った。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない。」』エリは祭司で、その息子たちも祭司でしたが、息子たちは神の前でとんでもない罪を犯しました。それを知っていながらエリは、自分の息子たちを叱ったりすることもありませんでした。神に礼拝をささげる立場の祭司なのに、それをないがしろにし、祭壇を汚し、神を侮辱する行為を平気にしました。自ら呪いを招く行為をしました。彼らは霊的に誰よりも堕落していました。神が指摘した彼らの罪の部分を聞きながら、自分たちの行動も調べたいと思います。救われたからと言って何をしても大丈夫だと思ってはならないですね。第1サムエル記2:29-30『なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、...永遠に償うことが出来ない罪

  • 主の軍の将が来た理由

    ヨシュア記5:14『すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」』イスラエルの民が40年間荒野にいた時、神は火の柱、雲の柱で彼らを導きました。民はそれを見て、神が自分たちと共にいて、自分たちを導いておられることを認識していました。しかし荒野が終わり、カナンの地に入った時から雲の柱、火の柱は消えました。今まで神が共におられるという象徴的なものが消えたことは、イスラエルの民には大きな心配でした。その時、神が送ったのが主の軍の将でした。イスラエルの民に、神は変わらず彼らと共にいることを知らせました。神はある特定の場所、時間だけ共におられる方ではなく、いつでもどこでも選んだ民と共におられ導いて...主の軍の将が来た理由

  • 悪者に対してもあわれみ深い主

    イザヤ書55:7『悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。』『義人はいない。ひとりもいない』神の前に罪のない人間はひとりもいないです。しかしその中でも神が忌み嫌う悪を行う者がいます。多くの人は、それなりにまともに生きようと頑張っていますが、ある人たちは平気に悪を行います。人を騙し、滅ぼし、殺します。悪者はサタンと同じことをします。悪者によって被害を受ける人も多いです。すると、悪者は消えてほしいという思いが沸いて来ます。『あの者さえいなければ平和なのに、自由なのに、良くなるのに』と思われます。しかし神は悪者さえも憐れむ方です。彼らの罪は忌み嫌いますが、その者たちが死んでから行く地獄の悲惨さを思い、憐れみ...悪者に対してもあわれみ深い主

  • 今も働いておられるキリスト

    へブル7:25『したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。』地上に来られ、十字架を通して救いのみわざを成し遂げたキリストは、いま休んでおられるでしょうか。そんなことはないです。今も主は働いておられます。77億人いる世界の人口の中に、主の救いを受けている人が何人いるでしょうか。未だに多くの人が、救いが何かも知らずに生きています。イエス様は救われていない人々のために絶えずとりなしをしておられます。主の祈りがないと、サタンに捕らえられて霊的無知になっている人々が目覚めることがないです。サタンの激しい抵抗を打ち破るためにも主のとりなしが必要です。再臨なさるその時まで、主は休むことなく働いておられます。【祈り】主...今も働いておられるキリスト

  • あわれんで下さい

    ミカ書7:19『もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。』前後左右どこを見ても、希望というものがまったく見えない時に出た嘆きのことばです。社会全体に不義がはびこると社会は腐敗し堕落します。神と人間の関係、夫婦関係、親子の関係までも揺れ動きます。正義と公正が崩れると裁きしか残らないです。救いの光が見えない時に、ミカ預言者は宣言しました。ミカ書7:7『しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。』絶望の中にも希望があります。世を見ると希望はないですが、目を上げて天を見上げるならば希望が生まれます。主による希望です。希望であり、救いであり、罪を赦して下さる神に悔い改めて立ち返るならば、主は罪によって下った災いから救い出して下さ...あわれんで下さい

  • 愚かさを喜ぶ者

    箴言15:21『思慮に欠けている者は愚かさを喜び、英知のある者はまっすぐに歩む。』思慮に欠けている者は愚かな者です。正しい理性的な判断能力もなく、心が空っぽで、人間として当然行うべき道理からも離れています。本能的に感覚的に生きています。信じる者の中にも愚かな者と呼ばれる人たちがいます。「主よ、主よ」と呼びながら、その心に神のことばがとどまっていない人、礼拝には出席し、主の恵みも求めていますが、十字架の恵みに対しては感謝もなく、神の約束に対する信頼もなく、何を食べるか、何を飲もうか、何を着るかに人生の目的を置き、そればかりを求める人です。その愚かさによって得るものは何もないです。英知のある者は、神のみこころを理解し、神のみこころを行うために行動し、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにします...愚かさを喜ぶ者

  • 心を慰め、強めて下さい

    第2テサロニケ2:16-17『どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。』迫害と患難の中にいる人たちに必要なものは何でしょうか?神の慰めが一番必要です。迫害は追いかけながら害を与えることで、すぐに終わることもないです。今日も迫害の中で信仰生活をする人も多いです。家族が迫害する例も多いです。心理的な圧迫も多いので、神の慰めと潰されないために心が強くなる必要があります。神はどのように慰めて下さるでしょうか。共にいて下さいます。私たちには乗り越えなければならない患難があります。その時、神は手を出すことはしませんが、私たちのそば...心を慰め、強めて下さい

  • 義人は信仰によって生きる

    ローマ1:17『なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』福音のうちには神の義が啓示されてあります。神の義に至るために、人間がどんなに努力しても、人間の義は神を満足させることは出来ないです。それなら何によって神の義に至ることが出来るでしょうか。第2コリント5:21『神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。』イエス・キリストの死と復活を信じるその信仰によって、神の義に至ることが出来ます。そして神の義に至った人は信仰によって生きます。元々この世には義人は一人もいません。義人になろうと努力する人たちはいます。神は、それで義人になることは出来な...義人は信仰によって生きる

  • 不信仰な私をお助け下さい

    マルコの福音書9:23『するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」』弟子たちの所に悪霊に憑りつかれた子どもが来ましたが、弟子たちも他の人たちも悪霊を追い出すことが出来ませんでした。イエス様はそのことを知って『ああ、不信仰な世だ』と言われました。子どもの父親は主のことばを聞いて、『もし、おできになるものなら、私たちを哀れんで、お助け下さい』とお願いしました。信仰は力を使う者と、その力を受ける者になくてはならないものです。神は、私たちの中で今日も力ある働きをします。神に力がないでしょうか。そんなことはないです。それならば私たちに信仰がないでしょうか。子どものお父さんは主のことばを聞いて、主に求めました。『信じます。不信仰な私をお助け下さい』と。私たちも不信仰で...不信仰な私をお助け下さい

  • 愛を受けたならば

    第1ヨハネ4:11『愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。』神はなぜ私たちに御子を与えるほどに愛したでしょうか。愛される資格があるからでしょうか。神の前では誰ひとり愛も恵みも受ける資格がないです。罪人に過ぎないからです。愛される資格もない者を愛するからこそ、その愛は真の愛です。神は愛がどういうものかを見せて下さいました。人々は見ないと信じないです。ですから神はキリストを通して、その愛を私たちに見せて下さいました。主の愛を思う時に、私たちも他の人を愛することが出来ます。誰に向かってあなたは愛される資格がないと言えるでしょうか。神から計り知れない愛を受けた者は、神の命令通りに互いに愛し合うべきです。愛する時だけ、愛は花を咲かせます。【祈り】主よ。主の大き...愛を受けたならば

  • 神を愛し、熱心に求める

    箴言8:17『わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。』ここでの“わたし”とは誰のことでしょうか?神様、キリスト、また神の知恵とも言えます。箴言は知恵の書なので、多くの部分で知恵を語ってあります。それも人間の知恵ではなく、神の知恵を言います。神の知恵を愛する人がその知恵によって神の愛を受けるようになります。神を愛する人は神の知恵も愛するし、その知恵を愛する人は、熱心に神を求めます。熱心に探すことは、まるで生死が懸かってあるかのように切実な思いで探すことを意味します。神はいつも熱心に主を探す人に自分を現し、神の愛を見せて下さいます。神への関心がない人は神の愛を知ることが出来ないです。【祈り】主よ。心から主を愛しています。なぜなら滅びの中にいた私を愛して救い出して下さったからで...神を愛し、熱心に求める

  • 戸を叩くのは誰

    ヨハネの黙示録3:20『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』戸の外に立ってたたく方はイエス様です。優しく人格的な方です。無理矢理こじ開けて入る方ではないです。あるクリスチャンは、自分で間違った道に入ってひどい目に会った時に、なぜその時に自分を留めなかったのか主に文句を言いました。自分が悪いことをしたので、留めてくれなかった主のせいにしていました。間違った道に行く時に主は止めたはずです。しかしその声を無視したのは本人です。イエス様は私たちの許可なしに勝手に手を出す方ではないです。人の家に勝手に入る人は泥棒であって、良い人ではないです。普通はまずチャイムを鳴らして話をします。イエス様は心を...戸を叩くのは誰

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