カレン・カーペンターが拒食症になった原因は何か?そして死因の謎。カーペンターズが活動休止した原因は?
カレン・カーペンターイメージカレン・カーペンターが痩せ衰えて、 ベッドから起き上がれない状態で亡くなったと 思っているファンの方も多いと思いますが、 事実はカレン・カーペンターの亡くなる直前の体重は、 49㎏迄増えていたのです。 拒食症という病気で亡くなったということだけでは、 そのような思い込みになることは当然です。 私もダイエットの専門家としてカレン・カーペンターを 調べる迄はそう思い込んでおりました。 カレン・カーペンターが世界中に拒食症という言葉を認知させた? カレン・カーペンターが亡くなったというニュースが、 世界中に配信された当時、 拒食症という病気が、 この世にあることすら知らな…
カレン・カーペンターが憧れたオリビア・ニュートン・ジョンイメージ オリビア・ニュートン・ジョンといえば誰もが知る大スターです。日本では『カントリーロード』の曲がスタジオジブリ映画『耳をすませば』の主題歌として知られています。杏里の代表曲「オリビアを聴きながら」で曲の題名にも名前が使われています。 美しい顔とスタイルに美しい声を持つ彼女はまさに“天は二物を与えず”の言葉が信じられないほど全てを持っている感じで当時は眩しいくらいのスターでした。 ジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』は大ヒット! 歌と踊りと演技でファンを虜にしました。 さらにフィットネスブーム時代にレオタード姿で…
カーペンターズのリーダーであるリチャード・カーペンターが睡眠薬中毒に! 1960年代から1970年代はアメリカがベトナム戦争の影響により、ロックが全盛期に入り、反戦運動とヒッピー文化、そしてドラッグが蔓延して国全体が、沈滞ムードの時代でした。カーペンターズのロマンティックでノスタルジックな音楽が人々の心をなごませました。ロックバンドがドラッグのイメージだったの対し、カーペンターズは薬物とは無縁と思われていたのでしたが、実は恐ろしい薬物中毒の魔の手に・・・ カレン・カーペンターの兄 リチャード・カーペンターがハイな気分になれることを発見? 1971年の秋あまりに移動が多すぎて、スタジオで充分な時…
カレン・カーペンターの治療を行っていた ニューヨークの男性心理療法士は 週5日で1年間に渡る治療を行っていたが、 彼女を救うことは出来ませんでした。 拒食症という病気があることを スティーブン・レヴェンクロンが 小説『鏡の中の少女』(1978年)を発表し 大ベストセラーとなったことで、 1981年にカレン・カーペンターの 心理療法を行うことなるのですが、 二人の出会いがもう少し早ければ 運命の歯車は違っていたかも知れません。 様々なエピソードを分析しながら カレン・カーペンターが、 恐ろしい心の病に取りつかれたのは、 カーペンター家での育て方に 原因があったのかを 考えていきましょう。 カレン…
1983年2月4日のカーペンターズのリードボーカルであるカレン・カーペンターの死のニュースは・・・ やせ細った彼女の写真と「拒食症」という 聞きなれない病名で、 世界中に衝撃を伝えています。 1983年当時は拒食症という言葉が 一般に知られていない時代です。 拒食症(神経性食欲不振症)という病気を 世界に広めたのは、 カレン・カーペンターだと言われています。 では、何故カレン・カーペンターが この恐ろしい病にかかり、 32歳という若さで 死ななければいけなかったのか・・・ 亡くなる前の体重は何キロだったのか・・・ カレン・カーペンターの検死報告は? 解剖結果の最初の項目は肺水腫(心不全)。 二…
カレン・カーペンターがカーペンターズ活動停止の原因じゃなかった?
カーペンターズの活動を終わらせたのはカレンの死ではなかった? カーペンターズは今年でデビュー50周年を迎え、『Carpenters With The Royal Philharmonic Orchestra』が 全世界同時発売。 アメリカの望ましい若者の姿で、 麻薬とは無縁であったはずのリチャード・カーペンターがまさかの睡眠薬中毒!
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