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  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 涅槃(ニルヴァーナ)への道

    ●涅槃(ニルヴァーナ)への道欲望や不満.愚痴.憂い.哀しみ.怒り.苦悶といった煩悩は、自分の利得を渇望する処から生じているのです…それを正しい修養を通じて[諸行無常]の真理を覚り.この大宇宙には永遠普遍の実体も[私]という実体的存在もない事を覚らるべきなのです…そのような自覚を以って内面や外界と向き合うならば、意のままにならない世の中や思うようには運ばない人生に苦しむ事もなくなり、[自分が.私は.]といった自我意識(エゴ)は次第に影を潜めて.安らかな心が現れてくるはずなのです…正しい人生観.正しい生活.正しい修養などにより、誰でもが苦しみ(ドゥッカ)と縁を切り、安らかで悦楽に満ちた境地へと到達…

  • 一水四見

    [釈迦尊(ブッダ)の言葉] 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも汚れた心で話したり.行ったりするならば.苦しみはその人に付き従う.荷馬車を引く牛に.車輪が付いてるゆく如く… 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも清らかな心で話したり.行ったりするならば.福楽はその人に付き従う.影がその身体から離れない如く… 苦しみや悩みから脱却する為に必要なのは、対象の排除などではなく、物事を正しく見ることが大切なのですが… しかし人間にとって.物事を正しく見る事が案外と難儀であり、中々出来ないものなのです… 社会にあっても学校の中でも或いは仲間達との間に於いても…

  • 欲望の充足.心の充足

    世俗の人が喜びだと言うものを、真理を見透した如来は苦しみと言う…世俗の人が苦しみだと見るものを、真理を見透した如来は喜びと言う…どちらも.充足(満足.喜び)を求めてゆく道なのに[心の充足]と[欲望の充足]とは.実は真逆の方向の道であり、しかも[心の充足]は無明の闇を晴らしてゆくと現れる堅固な実相なのですが、[欲望の充足]は永遠に到達できない夢の国なのですから…人は誰もが充足を求めて生きています…この求めている充足とは.言い換えれば幸せ.満足.喜び.安らぎ.安定…など[スカ]への欲望ですから、通常はドゥッカ(不安定.不完全.不満.苦.悩み.心痛.迷い.悔い.憂い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.虚しさ…

  • 負のスパイラル

    ●負のスパイラル 人生とは平坦な道ばかりではなく.山もあれば谷もあるものですね…折角の人生.平坦な道ばかりを歩いているのも又.苦(ドゥッカ)なのであり、それは飽き.変化のなさ.刺激のなさ.感動のなさ.顕貴(ときめき)のなさなども苦(ドゥッカ)に他ならないのですから、例えば人が無刺激な状態に置かれた時に.果たして人間はどうなるのかという実験を過って科学者がした時に、約そ一ヶ月の内に気が狂ったり.死んでしまったそうですし、また宇宙飛行士が至極.負担のない数日間の無重力状態の時に負荷運動を欠かすと帰還し地上に降り立った時に足腰が立たなくなるそうです…例を挙げれば切りがない話なのですが、要は[苦(ドゥ…

  • 祈 り

    日々是好日、人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 如来の出世

    私たちの生活を大きく一変させて、社会.経済.娯楽.教育.文化.芸術.思想に至るまで深刻な影響を与え続けています…当たり前にあったものが脆くも崩れていくような怖さ.不安.ストレスを多くの人達が強く感じながら毎日を過ごしています…社会的距離を保つことは大切ですが、心の距離までもが離れていくとエゴと怒りと心の貧しさに監視された生きづらい世の中を造り出していく事とも成りかねません… 今はそういう[大きな選択]の時を迎えたのです 邪教が世に栄えると…大災害は頻発し.疫病は蔓延し.社会が破壊されてゆく.悪が世に蔓延ると…人心は荒廃し.社会は乱れ疲弊してゆく.騙る如来を崇め、真の如来を謗るは…運気尽きて.世…

  • 承認と期待

    最大の味方であると共に…最大の敵でもあるもの…それは自分なり…世の中の毀誉褒貶に、塗れず.気を取られず.惑わされず.捉われず.拘らず.執着せずに.在るがままに.善の法香を放ち続ける… 多くの人は毎日の生活の中で.或いは仕事の中で[私のこの努力を人に認めて欲しい]と他人からの承認を欲したり期待したりしながら[貪瞋痴思考]で生きているのですが、それは期待が外れたり、理解が得られないと、[自分はこんなに頑張っているのに人は何で解ってくれないんだ]とか[こんな筈じゃないのに…]とか、ドゥッカ(苦しみ.不満.怒り.哀しみ.悩み.虚しさ.憂い...)を生み出し続け.しかもそんな思いを積み上げながら生きてい…

  • プラパンチャ(戯れ言)

    仏陀の前に仏陀なく、仏陀の後に仏陀なし…真理の法は一法なれば...一因に縁らず.一法に立せず、然し明々歴々、一因一法を晦まさず...仏教とは偏った極端な修行を避けるよう戒めています…その一端は怠惰な道であり、もう一端は苦行の道です…しかし中道とは苦行と怠惰の中頃と言う意味ではなく、それは両極を乗り越え超越した究極の道の存在を示しているのです…その為には釈迦尊(ブッダ)は、実践に依らない[プラパンチャ]という単なる論理.能書き.戯れ言.観念論.空論.綺麗事に陥らないよう注意するよう仰ったのです…それは世の中と言うものは実践による事実を素直に受け入れて認める性格を有して居ないものであり.論理.観念…

  • ドゥッカ(不安定)とスカ(安定)

    生きるとは不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動であると言え、この不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動が、幸せや喜びを欲するのです…この安定.幸せ.安楽.喜びを意味するスカ(sukka)とは、車輪(チャクラ)の軸穴を意味し、良く造られた軸穴(スカ)によって回転してゆく車輪は、円滑に.そして快適に自分を運んでいってくれるのです… 例え、ためになる事を多く語るにしても、それを実践しないならば、その人は怠惰な愚者に過ぎない…牛飼いが他人の牛を幾ら数えても、自分の牛とはならないように、その人は修行者の部類にも入らない…いくら修行を積んだ徳の高い僧侶と尊称され徳の高い説法をしていても、その…

  • 宗教と宗教観

    宗教と宗教観言うなれば.ここが仏教の真骨頂でもあり.仏教を仏教たらしめている処でもあるのですが、ここが一番.理解し辛い処でもあると言え、その為に多くの仏教を名乗る異端の教えを生み出してきた所縁でもあるのです…宗教と宗教観とは本質的には天と地ほども違うものなのです…それは[拠り処]の章でも述べている通り、神や仏とは人間の持つ根深い生きていく事への恐れ.不安.虚しさ.無明さが、子供が親に縋るように保護.安全.安心.恩恵を求めて妄想したものであり、そんな妄想的な物への信仰.崇拝を否定した宗教こそ仏教なのですが、それは仏教の成立当時に於いて迷信的.隷属的に人々を脅しこみ.縛りつけていたバラモン教の神々…

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