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  • 存在

    存在何れは朽ち果て、消え去る我が身かな…笑って生きるも一生ならば、泣いて生きるもまた一生なり…諸行無常を覚り.欲望から離れ自由と喜びに満たされて生きるも一生ならば、欲望に身を焦がし.空しさと失望の内に消え去るもまた一生なり… 何れは朽ち果て、消え去る我が身かな… 無明の闇を打ち払い.目覚め乗り越え生きるも一生ならば、無明の闇の中を手探りで.盲目的に生きるもまた一生なり…自分という存在を探求し続け.見い出すも一生ならば、世間という存在を探求し続け.見い出すもまた一生なり…歴史に名でも残さんと.生きるも一生ならば、路傍で民草に寄り添って.生きるもまた一生なり…芭蕉は、船の上に生涯を浮かべ、馬の口を…

  • 運不運

    世界は常なく変化生滅しながら流れゆく…そこには幸運も不運もなく、ただ捉える者が.その都合によって分別しているに過ぎない…万事は.そうそう何時々々も思い通りに運ぷべきもないものであるのに、それを受け入れる事が出来ない無明さが不運なのであり、そうした負のエネルギーを連鎖させてゆく人を不幸な人というのです…重要なのは何が生じ、何が滅し、何がどう変化してゆこうとも現実を正面から受け入れて前向きに智慧を働かせて対処してゆく事が、運気を上げてゆく秘訣なのです…本当の幸運とは.励んだ努力の運気が積み上がってゆき、その努力が報われる事であり、その一方.一生懸命に努力を重ねても運気が積み上がらすに途中で崩れてし…

  • 一信懸命

    それが例え.愚かな先達が興した偏った信仰であったとしても盲信することなく、信念を以って懸命に一信するならば心の平安を得ることが出来る…それが.無明の闇を晴らし、目覚め覚醒し、乗り越え超越し、解き放たれ解放され、真理を依り処(精神的支柱)とする頂乗仏教であったとしたら尚更、堅固である…懸命とは命懸けの意味でありますが、一生を命懸けで生きるのは些か骨が折れそうであり、一処で懸命に生きるのも狭っ苦しそうでもあり、人間、自由に.自分の信念に殉じて懸命に生きてこそ報われるのではないでしょうか…人間は.無明(本質的無知)に生まれ付いている…それに気付かず煩悩(存在欲)が創り出す自我意識(エゴ)に翻弄されて…

  • 自業自得と因果応報

    一切万象 自業自得一切万法 因果応報実は[運不運]を書いている途中だったのだか、今回のコロナ禍に関連した記事の中に.看過出来ない記事を見つけたので急遽、[自業自得と因果応報]に付いて記そうと思いたった次第である…それは自粛警察と揶揄される人達がコロナ風邪の罹患者を間違った正義(本当は不満の解消)で.非難中傷したり攻撃したりする時の論拠が[自業自得]という自己責任論であり、諸外国と比べて突出しているという記事である…何を言いたいのかと言えば、コロナ禍を含めた全ての現象(結果)には原因があり、自業自得とは[偶然による発生][原因もなく突然に生じる事][神仏の意志による現象]などないのだという否定と…

  • ホームページ

    ♥うつ病.パニック障害などで苦労されていた方々から、依存症や副作用もない頂乗仏教の超越瞑想(安寧の瞑想)が、最良だという報告を多数.頂戴しています。 メンタルの悩みを抱えていらっしゃる方は是非、お気軽にご相談下さい。 如来品聖師 多々方路傍石 純粋仏教ブログへはこちらから 頂乗仏教学舎ブログ https://bongteng.hatenablog.jp ラインブログ https://lineblog.me/bongteng.jp 如来品正師.多々方路傍石です貴方の幸せ.平安.安楽.静逸のお役に立てる事を心掛け本欄とブログを作成していますご意見.ご質問.ご相談など有りましたら是非お気軽にご相談下…

  • 生命は死なず

    お米はいつ死んだの?秋に実って.頭を垂らした稲穂から刈り取られたとき…?玄米から精米されたとき…?研がれて炊飯されたとき…?食され消化されたとき…?汚物として排泄されたとき…?でも食した人の生命力となり生きていたし…地の縁.水の縁で.土壌を肥やしたり.やがて新たな生命となり生きている…お米の姿は滅しても生命は確かに生きている.見えるから[有る]ということならば、見えなければ[無い]ということになる…見えずとも今まさに土中では実りの秋に向かって稲籾が発芽し始めている頃だろうが、見えなければ[無い]とい思う人は、たぶん夏の終わり頃になると稲穂がポン!と無から生じたと思うのだろう…空とは絵空事を説く…

  • 俯瞰と大観

    人は自分を基準とした尺度でしか物事を見ることが出来ず、その尺度に沿った物事に対して感覚.感情.主観は興味を抱いたり.気に入ったり.捉われたり.無闇に信じたりしながら.自分の認識.判断は正しいと思い込んでしまい.一歩下がって.一歩離れて客観的.理性的に俯瞰し大観することが不得手なのです…人間とは、多くの先入観.思い込み.錯覚.誤解.自己暗示.染脳(洗脳).固定観念.既成概念.迷信.妄想.仮説.偏った情報.知識.記憶の残滓に晒されているのです…無常な現象でしかない感覚.感情.主観を尺度として物事を測れば、視野の狭い自我意識に翻弄されることとなり、それが苦を造りだすのだから…喩え金財に満たされようと…

  • 酔生夢死

    幸も不幸も.その人の満足度しだいであり、満足も不満も.その人の納得度しだいなのである… 例え.酔っ払らったように生き.夢想.妄想の中に死ぬような酔生夢死な人生であったとしても.その人自身が.真に満足し.真に納得して死ぬるのであれば、それはそれで幸せな人生だとも言えるのだが、現実はそうは問屋が卸さないものであり、煩悩(存在欲)の要求に従い.生へ執着.愛着しながら.尽きぬ欲望に真の満足を知らず… 自我の妄想に誑かされ.単なる五蘊作用(精神作用・現象)過ぎない感覚.感情.主観に翻弄されながら、自分勝手な自分は正しく.自分は特別な存在だという妄想により真に納得する事を知らず… 渇愛の衝き動かされ.もっ…

  • チチンプイプイ

    真理の布施に勝る布施なし 仏教の本質とは.真理(真実.現実.事実.摂理. 実相)の発見と理解する事であり、私が真理に(真実.現実.事実.摂理.実相)と.一々.書き加えるのは、真理という言葉は.正義を振りかざす悪人達の如く.カルト集団や新興宗教に汚され.毀損され.真理の本来的意味(ダルマ.ダンマ.自然法則.理法.存在の構成要素)とは異質な認識を生じてさせているからでもあるのです… 人は無明に生まれついています… 無明な存在の本質とは、不安定.不安.恐怖.不満.迷い.欲望.渇き.無知(ドゥッカ)であり、何かしら依存する依り処(精神的支柱)を必要とし、依り処に支えられて辛うじて安定(スッカ)を得てい…

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