chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 敵と味方

    真に自分を助ける味方は、自分だけ… そして真に自分を貶める宿敵も自分なのです。 [戦場に於いて幾千幾万の敵に勝つよりも.己自身に打ち勝つ者こそ真の勝利者なり]自分の生存の素因(生きようとする意志)は煩悩(存在欲に起因する汎ゆる渇望)であり、煩悩の滅尽を説くのは無明なプラパンチャ(戯れ言.能書き.世迷言)に過ぎない.しかし自分の真の敵もまた煩悩(存在欲)に他ならず、肝心なのは煩悩(存在欲)を抑制.制御.コントロールして主従関係を調え煩悩が生み出すエネルギーを活力として有意義に生きるか、煩悩に支配され無価値なものに翻弄されて虚しく生きるかという二択であるとも言えるのです例えば、本当には自分に自信が…

  • 敵と味方

    自分の真の味方は、自分だけ… そして自分の真の敵も自分なのです。 [戦場に於いて幾千幾万の敵に勝つよりも. 己自身に打ち勝つ者こそ真の勝利者なり]自分の生存の素因(生きようとする意志)は煩悩(存在欲に起因する汎ゆる渇望)によるのであり、煩悩の滅尽を説くのは無明なプラパンチャ(戯れ言.能書き.世迷言)に過ぎない…しかし自分の真の敵もまた煩悩(存在欲)に他ならず、必要なのは煩悩(存在欲)を抑制.制御コントロールして煩悩が生み出すエネルギーを活力にして有意義に生きるか、煩悩に支配され無価値なものに翻弄されて虚しく生きるかという二択であるとも言えるのです。例えば、本当には自分に自信がない人は.他人と比…

  • 如来品語録 自選集−1

    ❖凡僧は道におもねり.愚僧は道に惑い. 名僧は道を造り 如来は道を正す❖暮らし貧しくとも 心.貧しくなるなかれ 生まれ賎しくとも 心.賤しくなるなかれ暮らしは質素にあり..心は豊かな者となれ 暮らしは静かにあり..心は躍るものとなれ 社会の灯火は消え去れど.心の灯火は消すなかれ 我れを褒め..他を貶むる者にはなるなかれ 身を慎み、言葉を慎み、心を慎む者は、果報を得る道なり。努め励まん。 ❖人の心のその奥に..仏も住むが鬼も住む仏は慈悲に出現..鬼は貪欲に出現する 六根の六境への執着と誘惑を.悪魔の罠と知り、制御するは神仏にも勝るものなり ❖積善の家は栄え..積不善の家は滅ぶ積善の者は報われ、積…

  • 戯れ言(プラパンチャ)

    釈迦尊(ブッダ)の仏教(仏の教え)により仏教徒となるも、物狂徒となるも仏の教えを理解し実践してゆくか .観念.哲学.見解に貶め.言行不一致なプラパンチャ(戯れ言.能書き.空論.綺麗事)に貶めるかである 仏教とは、後付けた定義である哲学ではなく[生き方]そのものであり.今を生きる人々が.脆いその身を護る剣なのである。 現実世界を見渡せば、我が身.我が宗派の保全を優先する余り:利他を謳いながら自利に忙しく慈悲行不在の日本仏教や、眉唾な力や.他力からの救いを謳い.気休めを提供する信仰への不信感から、宗となる教えさえも喪失してしまい.糸が切れた凧のように欲望(タンハー)に翻弄され苦しみや不満の中を彷徨…

  • 思考と感性

    思考と感性重要なのは、どう思い、どう考えるかではなく、どう納得してるかである… 重要なのは、どう思い込むか.どう信じこむかではなく、どう真実が見えているかである… 凡そ 自己啓発や自己改革の類のものが、無意味に終わってしまうのか…は、無理矢理に納得できてないものを無意識層や潜在意識に繰り返し.繰り返し.送り込んでも、無意識層や潜在意識は納得しては居ないなだから… 社会では、思考が主人で、無意識層や潜在意識が従者だと誤解しているが、実際は無意識層の五集合要素(五蘊)で形成された潜在概念が.表層の思考域(脳域)へ送られ思考や論理を加え言語化させているのであり、明らかに主人は無意識層であり潜在意識で…

  • ブログ記事の一覧

    【 今日も気づいた事がある 】 【 在るがまま・・?】 【 仏教入門講座ー1 】 【 智者の満足、愚者の満足 】 【 所有の輝き、存在の輝き 】 【 解 脱 】 【 万病の元 】 【 即今実存 】 【 本質的無知(無明)】 【一切皆苦(因縁起果報)】 【 喜びの見つけかた 】 【 頂乗仏教 】 【 頂乗への道 】 【 天地の理法 】 【俗事で仏事を疎かにするなかれ】 【 自他同時 】 【 有無同然 】 【 洗脳(染脳)の罠 】 【 悉有仏性 】 【 清 濁 】 【 多々方路傍石 語録ー12 】 【 多々方路傍石 語録ー11 】 【 多々方路傍石 語録ー10 】 【 価値観(心の本音) 】 【 …

  • 今日も気付いた事がある

    ●全体性の把握 輪廻の流れを否定する者は多かれど、 本当は諸行無常が部分的にしか或いは全く.見えていないと.吐露するに同じ輪廻の流れを否定する者は多かれど、 本当は諸法無我が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ輪廻の流れを否定する者は多かれど、 本当は一切皆苦が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ輪廻の流れを否定する者は多かれど、 本当は因果律(縁起)が部分的にしか或いは全く.見えていないと.吐露するに同じ輪廻の流れを否定する者は多かれど、 本当は涅槃(ニルヴァーナ)が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ諸行無常に.諸法無我に.一切皆苦に.因果律に遵って.流…

  • 在るがまま....?

    最近、ある愚かな人が「自分は在るがままに生きている.のだから.これで良いのだ」と盛んに主張してくる…まァ、それはそれで良いのだが・・笑しかしその愚か者をよく眺め.分析し.思惟し.思推してみるならば、それは愚か者が愚かなまま.自己中心的に.自分勝手に生きても世の中からは是認され.自分も幸せに生きられると主張している事に他ならず.しかし苦あれば楽あり、良い事があれば悪い事もある.物事もそうそう自分の思い通りには運ばない.常なく変化生滅してゆく世の中にあって、自我意識と欲望に翻弄されながら生きれば.必ず苦や不満(ドゥッカ)に打ちのめされるのが天地の理法というものであり、自我意識と欲望の赴くままを[在…

  • 仏教入門講座-1 苦は無明より生じる

    前書き 仏教とは約2500年前に、お釈迦さまが見い出された絶対真理(真実)に基づいた[苦からの脱出法]であり、世の中に溢れている仏教を名乗るプラパンチャ(戯れ言.能書き.空論.形而上学.妄想.世迷い言)な観念的なものと異なる深淵で微妙なものであり. では何が深淵で.何が微妙なのかと言えば. 仏教とは、刹那的でも享楽的でもなく.悲観的でも楽観的でもない、唯一の現実的な教えであって、全てが常なく変化生滅しながら移りゆくこの世界の実相… 全ては現れては消える現象的な存在であって.変化生滅して行かない実存的(創造神や常住仏など)なものは存在し得ない世界である実相… 全ての現象は不安定性(苦)の安定化運…

  • 智者の満足、愚者の満足

    愚かな者は、日々の世俗的.感覚的刺激による満足を..幸福だと思い込んでいる。それは本当の美味に気付かず. 雑草を美味しい美味しいと.食べているようなもの…死に直面せずとも、生きている事自体.最高の快楽だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...病み臥せずとも、元気に駆け巡れる事自体.最高の歓喜だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...騒動に巻き込まれずとも、平和な日々自体.最高の安楽だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...ところが凡夫ときたら、幻想に過ぎない名利の為に大切な命を削り、命の意味を捻じ曲げている。煩悩の衝動で、どうでもいいもの事.下らないもの事.つまらないも…

  • 所有の輝き・存在の輝き

    愚か者は所有物の輝きを自らが輝いていると勘違いして、承認欲求により得る事による喜びを、真の喜び.幸せと錯覚しながら常ならず無常な世界を苦と不満と欲望の中に.何も所有できずに人の身を終えそれが為に.輪廻してゆく。 賢者は、その存在性による輝きを磨き高め、その輝きにより成仏してゆく。 [得る事]による喜び(所有の喜び)に依存している心とは.本質的には弱く.不安定で.貧しい心であり、所有の次元の事物への執着(愛着. 渇望.渇愛)により.更に欲深く.貧しく.不浄な心となってゆく。 それは.何かしらを得られた時には.短命で儚い性質のものであっても.喜び(満足.快感)を得るが、もし得られなければ不安定.不…

  • 今日も気付いた事がある

    「 一切皆苦 」 お釈迦様の教えの核心となる三つの法印(宝印)は、明らかに[諸行無常][諸法無我][一切皆苦]であるにも関わらず、無明(無知)な世の人々は意味も解らないままに[涅槃寂静]だと洗脳されているのだが、涅槃寂静とは解脱の結果としてのニルヴァーナの境地をいっているのであり、決して法印ではないのである。 それは[一切皆苦]が法印(宝印)であっては困る連中が存在し、そんな連中が大楽を夢想させる[涅槃寂静]へとすり替え人々に三法印の一つだと人々に信じ込ませたと言う事でもあり、そんな連中とは馬鳴(アシュヴァゴーシャ)を始めとする龍樹(ナーガールジュナ)などであり、詭弁で塗り固められた大乗教を、…

  • 解脱

    無明の闇からの脱出人の心の[無明の闇]を根絶し晴らしたならば、二度と煩悩(全ては存在欲に起因する)は現れない。それは同時に輪廻(連鎖.継続運動)を繰り返させていた執着のエネルギーの消滅でもあり、再生エネルギーの消滅こそ解脱であり、輪廻の激流からの脱出であり、唯一の成仏法である。過ってカルト教祖達が煩悩に塗れながら最終解脱を果たしたと嘯きながら.微生物(生命の根源・無間地獄)へと再生していったのだが、透視した彼等の前世は爬虫類族であり爬虫類族からの転生者は生命の根源から捕食の関係性に則り.輪廻を繰り返す破目に陥り易い業(カルマ)を具している事さえ自覚することが出来ない無明(本質的無知)は憐れでも…

  • 万病の元

    万病の元は.心の使い方であり、最高の根治治療もまた..心の使い方なのである。 不幸への道は.心の使い方であり、最高の幸福への道もまた..心の使い方なのである 得る事(所有の次元の事物)によって生じる一時的で短命な感覚的な小楽(喜び.快感.満足感.愉しさ)が幸せだと錯覚して依存している.本質的には.無明で貧しい心で生きている事に気付く事が出来ない、それはもし得られなければドゥッカ(苦.悩み.心痛.憂い.哀しみ.悔い.迷い.不満.怒り.儚さ.空虚さ.惨め.弱さ.脆さ.無明さ.無常さ.欲望…)へと戻ってしまう不満や貪欲を基軸とした心に他ならず、在るがままに喜び.満足.愉悦.快楽.安定.安心.多幸感を…

  • 即今実存

    甘露の門は開かれた.目あるものは見よ 禅語に[即今.当処.吾]や.[而今]とか[喫茶去]という似たような言葉がありますが、多少お釈迦様の本意から外れた解釈が為されている処も見受けられ.ここに改めて路傍石が「即今.実存」と説きます appamada(不放逸) 多くの人は今、この瞬間を生きていると錯覚しながら、実際は過去の出来事や記憶や先(未来)の事に捉われたり.拘ったり.妄想したり.夢想したり.心配したり.悩んだりしながら.同時に[今]を認識しながら行動しているから、本当は[今]という瞬間を集中して在りのままに見る事が出来ないのです。 本質的には現象に過ぎない存在である[自分]にとり、唯一の実存…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、路傍の如来 多々方 路傍石さんをフォローしませんか?

ハンドル名
路傍の如来 多々方 路傍石さん
ブログタイトル
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎
フォロー
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用