2021年3月
「為すすべがあるかないかで天地の差」最近気がついたことがあります。それは、ある瞬間に同時に一つ以上見ることができないということです。人間は昆虫の複眼のように同時にいろいろなものを見ることは出来ません。なので今見る一つを自分で選択します。それに反して自分でどうしようも出来ないことがあります。歳をとるというこは自分ではどうしようもなりません。だから歳をとることに為す術もなくただ不安しかありません。でも、歳をとるのは仕方の無いことだとして、常に誰かが何かがそばにいてくれたらどうにか耐えられるのではないかな、とずっと思っています。だから、誰かって何かって何なんだろうと、一番切実な問題としてずっと考えていました。その何かって、歳をとることはどうしようもないことだけれども、一瞬一瞬は何をみるか選択は自分に委ねられていると言...「為すすべ」
(梅の花何を言おうとしてるかな)福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』のなかに次のような言葉があります。生命を生命たらしめるバイタルなもの、それは「生気」である。生物はミクロな部分から成り立っている。そこにプラスαとしての「生気」が加わって初めて生命現象が成立する。名づけてバイタリズム。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもたらす効果にこそある。上記の解釈からすると、梅の花を例にとると、梅の花そのものに焦点をあてるのではなく、梅の花が私に与えた影響こそに焦点をあてるということではないでしょうか。梅の花に焦点をあてるのと、梅の花が私に与えた影響に焦点をあてるのではどう違うのでしょうか。目の前にある梅の花は一つですが、その...「梅の花何を言おうとしてるかな」
(梅の花何を言おうとしてるかな)福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』のなかに次のような言葉があります。生命を生命たらしめるバイタルなもの、それは「生気」である。生物はミクロな部分から成り立っている。そこにプラスαとしての「生気」が加わって初めて生命現象が成立する。名づけてバイタリズム。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもたらす効果にこそある。上記の解釈からすると、梅の花を例にとると、梅の花そのものに焦点をあてるのではなく、梅の花が私に与えた影響こそに焦点をあてるということではないでしょうか。梅の花に焦点をあてるのと、梅の花が私に与えた影響に焦点をあてるのではどう違うのでしょうか。目の前にある梅の花は一つですが、その...「何を言おうとしてるのかな」
2021年3月
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