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  • パレスチナぼんやり回想(9)~東エルサレムのシルワン地区(とシェイフ・ジャッラーハ地区)のこと~

    6月に入ってから、日本は真夏日が続くようになってきたが、皆様はいかがお過ごしだろうか。うちは昼間の室温が32度に達し、身の危険を感じ始めた今日この頃だ(しばらく我慢してから、こりゃヤバいと思ってエアコン付けた)。でも、窓から見える公園では、子供たちが元気に遊び、お母さんたちがベンチに座っておしゃべりしている。ベンチは日陰だとしても、けっこうな温度だと思うんだが。なんという勇者たちであろうか。32度でも厳しいのに、エジプトでは日が沈んでも40度あったりするそうだし(そして1日2時間、計画停電がある)、トルコもヨルダンも猛暑だというし(きっとシリア、レバノン、パレスチナあたりも同様)、みんな、どうやって生き延びてるの?脳みそ煮えない??私はだいぶ脳が煮詰まってる気がする・・・ガザの人達なんて、暑くてもエアコン...パレスチナぼんやり回想(9)~東エルサレムのシルワン地区(とシェイフ・ジャッラーハ地区)のこと~

  • 日付不明まとめ書き日記2024年5月~2024年6月初旬

    今回は、パレスチナ滞在記の追記を一回お休みして、久しぶりにまとめ書き日記。パレスチナのブログ、あと少しで終わりなのに、なぜ一気に書けないのだろう。いたずらな魔法使いの仕業かしら、それともイス・・・某月某日朝10時に起きた。我ながら早起きだ。私は元来夜型で、特に仕事がなくなってからは朝寝て午後遅く起きるのが常だったが、それだと起きてから夜ベンチ飲みに出かけるまでの時間が短く、あまり何も出来ないため、最近は夜ごはんの後すぐ寝て(食べ終わるのが夜中1時頃で、満腹になるとすごく眠くなる)、午前中に起きるようにしているのだ。早めに寝ても、朝方ふと目が覚めて、スマホを見て何時間も過ごしてから二度寝して、昼過ぎに起きることも多いが、この日のように、一気に寝て午前中に起きるのに成功する時もある。午前中起きられた時は、自分...日付不明まとめ書き日記2024年5月~2024年6月初旬

  • パレスチナぼんやり回想(8)~西岸地区の諸都市・マルコポーロ風~

    今回は、2010年10月~12月にパレスチナ自治区・西岸地区の諸都市を訪れた時の話。東エルサレムの下宿を拠点として日帰りか一泊でさらっと見て回っただけだし、例によってぼんやりとした記憶しかないので、大したことは書けないのだが、それを補うために、というわけではないが(なんやねん)、今回はちょいとマルコ・ポーロの「東方見聞録」風に書いてみようと思う。私は少し前から、マルコ・ポーロの「東方見聞録」を原文でちびちび読み進めているのだが(原題は「ilMilione」)、これが滅法面白いのだ。古いイタリア語で書かれているが、文章が短く簡潔にまとめられているので、比較的読みやすい(でもたぶんせいぜい6~7割しかわかってない)。というわけで、今回はマルコ(とジェノヴァの牢獄で彼の話を書き取ったルスティケッロ)の霊に取り憑...パレスチナぼんやり回想(8)~西岸地区の諸都市・マルコポーロ風~

  • パレスチナぼんやり回想(7)~イスラエル領内への旅・後編~

    今日はお天気が良くて、風が爽やかだけど肌寒いというほどでもなく、昼寝していて幸せな気分になった。穏やかで完璧な幸福感。起きたら、一瞬で過ぎて行ってしまったが。幸せって、そんなものよね…ふっ(目を覚ませ)最近なるべく午前中に起きるようにしているのだが(活動時間を増やすため)、2時間くらいしたら眠くなるので、午後はお昼寝タイムになるのだ(結局活動時間短い)。昼寝するために朝起きているのかもしれない、という気さえする。夕方まで寝ていると、当然昼寝は出来ないのでね。昼寝は朝起きる人(そして暇な人)の特権ですね。気候のいい今のうちに、せっせと昼寝しなければ…(出かけるという発想はない)さて。前置き(?)はこれくらいにして、今回はイスラエル領内への小旅行の話の続き(前回のお話)。ハイファ観光を終えて、ナザレに移動する...パレスチナぼんやり回想(7)~イスラエル領内への旅・後編~

  • パレスチナぼんやり回想(6)~イスラエル領内への旅・前編~

    今回は、いわゆる「イスラエル」(1949年の停戦ライン=グリーンライン=国際社会で認知されているパレスチナとイスラエルの境界線、のイスラエル側の地域)を旅した時の話。ほんの小旅行だし、例によって、もうろくに覚えていないんで、大したことは書けないが。私は2010年9月末から12月下旬までの約3か月間、東エルサレムの下宿を拠点として、西エルサレムでヘブライ語講座を受けたり、西岸地区のデモに参加したりしていたのだが、やることがなくて一人で暇をもてあましていることも多かった。もともと引きこもり体質なので、昼過ぎに起きて家でだらだらしていることも多かったが(外国暮らしの中年の引きこもり)、遠出することもたまにはあった。せっかく苦労してイスラエルの執拗な尋問を突破して入国したんだし、一度出たら二度と戻れない可能性もあ...パレスチナぼんやり回想(6)~イスラエル領内への旅・前編~

  • パレスチナぼんやり回想(5)~ナビー・サーレハのデモの続編~

    気が付いたら、更新が3か月以上も空いてしまったが(ネウロズの告知はカウントせず)、皆さんはいかがお過ごしだろうか。私はその間、ずっとガザ情勢を追っていたのだが、それ以外にも、ペルシア語のオンラインレッスンを受けて(週一)予習復習宿題にアホほど時間をかけたり、使うアテはないけどやり始めちゃったからしょうがなく続けているフランス語をじみじみ独習したり、新しい言語に上書きされてアラビア語トルコ語イタリア語を忘れてしまわないようにリフレッシュのためのトレーニングをしたり(シャドーイングとか翻訳とか)、ネットばかり見ていてはイカンとほんのちょっと読書をしてみたり、毎日家に座るか寝るかしてばかりで筋肉が衰えていずれ寝たきりになるんじゃないかという懸念があるため気休めにラジオ体操をしたり、日課となっている夜のベンチ飲み...パレスチナぼんやり回想(5)~ナビー・サーレハのデモの続編~

  • クルドの新年のお祭りネウロズ2024

    気温の変化に付いて行けないという口実でだっらだらだらだら過ごしていたら、いつの間にか春が来たり、また冬が戻って来たりしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか・・・今回は、クルドの新年の祭り「ネウロズ」(春祭り)の祝賀イベントについて、フェイスブックの「一般社団法人日本クルド文化協会JapanKurdishCulturalAssociation」のページの告知をコピペしただけの内容です。「NEWROZ「新しい日」を祝うクルドの音楽と踊りの祭典が、3月20日(祝)秋ヶ瀬公園三ツ池グラウンドで開催されます。新しい(NEW)日(ROZ)をクルドの音楽と踊りとクルドの料理で日本の方、日本に暮らす様々な方々に楽しんでいただきたいです。是非ご参加ください。ネウロズ(Newroz)はクルドの人々にとって最も大切な日であ...クルドの新年のお祭りネウロズ2024

  • パレスチナぼんやり回想(4)~西岸地区ヘブロン遠征~

    (エルサレム旧市街のやさぐれ猫さん)今回は、エルサレムから西岸地区の南端の都市ヘブロンにちょいと旅した時の話。(2010年秋頃の話です)ヘブロンはここ(アラビア語ではالخليلアルハリール)エルサレムから西岸地区のラーマッラー以外の都市へはバスで直接行けず、検問所を越えてラーマッラーに入ってから、別のバス(乗り合いバス)に乗り換えて行くのが通常なのだが、ヘブロンはちょっと行きにくくて、一旦ベツレヘムまで出てから、ヘブロン行きのバスに乗り換えた。30分ほど乗ったと思う。乗り合いタクシーなら直接行けたようだが、当時私はそれを知らなかった。(参考)西岸地区はあまり広くないので、行こうと思えばどこでもエルサレムから日帰りで行けるのだが、ヘブロンは少し遠い上に行きにくいし、ISM(パレスチナ支援の国際ボランティア...パレスチナぼんやり回想(4)~西岸地区ヘブロン遠征~

  • 日付不明まとめ書き日記2023年12月下旬~2024年1月上旬

    大掃除も何もしていないのに慌ただしく年が明け、2024年も、もはや1月下旬に入ってしまった。なんてことだ…一昨年の旅行記もパレスチナ滞在記の追加分もまだ終わっていないのだが、それはそれとして、今回は久しぶりにまとめ書き日記。年末年始の時期って、なぜか日記を書きたくなる。なぜだろう…某月某日毎日寒い日が続く。うちのアパートは風通しが良く(婉曲表現)、エアコンをつけてもあまり室温が上がらないため(13度とか14度とかそんなん)、コタツを併用している。コタツというものは、一度入ると出るのが億劫になると相場が決まっているので、それを防止するために、「コタツから出たら酎ハイを一口(か二口か三口)飲んでもいい」というご褒美ルールを設定することにした。このため、起きてからすぐに缶酎ハイを開けて、冷蔵庫に入れておき、コタ...日付不明まとめ書き日記2023年12月下旬~2024年1月上旬

  • パレスチナぼんやり回想(3)~西エルサレムのヘブライ語教室で出会った人々~

    東エルサレムのオリーブ山に住居を見つけて少し落ち着いた頃、ISMのトレーニングに参加してみたりしつつ(前回の記事)、アラビア語の学校を探し始めた。3か月だけではあるが、せっかくパレスチナに滞在するのだから、できればアラビア語パレスチナ方言を少しでも勉強してみたかった。アラビア語コースがありそうな西岸地区ラーマッラー近郊のビルゼイト大学や、東エルサレムのアルコッズ(エルサレム)大学に出向いて聞いてみたが、一般人が参加できるコースは見つからなかった。プライベートレッスンをやってくれる人を見つけるのも面倒だし、お金の余裕もなかった。そこで発想を転換して、イスラエルで話されているヘブライ語(現代ヘブライ語)をやってみることにした。ヘブライ語を習得したいとは思っていなかったが、教室に通って、他の生徒たちと共に多少な...パレスチナぼんやり回想(3)~西エルサレムのヘブライ語教室で出会った人々~

  • パレスチナぼんやり回想(2)~ISMのトレーニング~

    エジプトのターバ国境から、国境検問所のイスラエル側での執拗な尋問をなんとかクリアして入国した後は(過去記事)、リゾート地エイラートのなんとなくうさん臭い宿で1泊してから、バスで北上してエルサレムに出て(到着したのが金曜夕方のシャバット開始後だったので色々苦労した)、旧市街のムスリム地区にあるこ汚い安宿に泊まった。確か、ネットで見つけた「アル・アラブ」とかいうホステルだったと思う(たぶんここ)。そこを拠点に家探しをしていて、たまたま東エルサレムのオリーブ山の自宅の1階を間貸ししているパレスチナ人のタクシードライバーに出会い、彼の家に住むことになって、新しい生活が軌道に乗り始めた。(過去記事)少し現地の生活に慣れてきたタイミングで、ISMのトレーニングに参加することにした。ISMというのは、「Internat...パレスチナぼんやり回想(2)~ISMのトレーニング~

  • パレスチナぼんやり回想(1)~前書き~

    最近は私は、時間があれば(誰よりもいっぱいある)アルジャジーラやぺけ(旧ツイッター)を見て、ガザの最新情勢をチェックして過ごしているのだが、先日ふと、かつてパレスチナに滞在した時に書いたブログを見直していて、書いてないことがいっぱいあることに気づいてしまった…当時すでにくたびれた無気力なおばちゃんだったので、大して活動していないのだが、やはりパレスチナという特別な場所で3か月生活していたのだから、向こうで経験したことや考えたことをもう少し記録に残すべきだったのではなかろうか。もうあんまり覚えてないけど、今からでもなんとか思い出して、ちょっとぐらい書けるかも…?というわけで、去年の旅行記は後回しにして(いつ終わるねん)、今から何回かに分けてパレスチナブログを追記しようと思う。しかし、当時は日記もつけず、写真...パレスチナぼんやり回想(1)~前書き~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(27)~トルコ・シワスからエラズーに移動~

    アンカラからバスでシワスに入って1泊した翌日は、またバスに乗ってエラズーに向かった。私は原則的に1か所に2泊以上するのだが(1泊で移動するのはしんどいから)、シワスは中継地点として泊っただけなので、例外なのだ。エラズー(Elazığ)はシワス(Sivas)の右下(東南ともいう)シワスからエラズーは比較的近く、バスで5時間程度なので、朝はゆっくり起床するつもりだったが(早起きして観光するという選択肢は私には存在しない)、なぜか7時に目が覚めた。前日のバスでけっこう寝たせいかもしれない。部屋のWi-Fiは、PCでは使えなかったが、なぜかスマホでは使えたので、ツイッターの更新などをする。通りに面していない部屋で、周りの部屋からの物音も聞こえず、穏やかな気分で作業が出来た。荷物をまとめてから10時頃に朝食会場に行...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(27)~トルコ・シワスからエラズーに移動~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(26)~バラの花咲く優しい町シワス~

    トルコでは、まずアンカラに2泊してから、バスで7時間ほどかけてシワスに移動し、一泊だけしてエラズーに向かった。シワス(Sivas)はアンカラの真右本来シワスに行く予定はなかったのだが、アンカラからエラズーにバスで直接行こうとすると11時間半かかり、夜行バスに乗る以外の選択肢がない。私は年齢も年齢だし、もともと体力がないので、夜行バスに乗るときっと寿命が縮む。というわけで、夜行バスを避けるため、中継地点のシワスで一泊することにしたのだ。その分交通費も宿泊費も余分にかかるが、旅行中の健康維持のためには止むを得ない。もう無理が出来ないお年頃ですのでね。この日は、夜中までワインを飲みつつツイッターなどをやっていたせいで、3時間半しか眠れずに8時過ぎに起床。友人が8時45分にロビーに来てくれる約束だったので、朝食を...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(26)~バラの花咲く優しい町シワス~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(25)~アンカラのシリア人街~

    アンカラ滞在2日目、現地在住の友人に連れられて旧市街ウルスで市場やその周辺地域を見物した後は、バスでシリア人街に出かけた。けっこう距離があって、30分くらいかかった気がする。アンカラのシリア人街は、アルトゥンダー郡(Altındağİlçesi)のオンデル地区(ÖnderMahallesi)というところにあり、近くに有名な家具屋街(Siteler)がある。私たちはその中のセルチュク通り(SelçukCaddesi)という商店街を散策した。埃っぽい道路の両側にシリア人経営の商店や飲食店が連なっているが、端から端まで歩いても大して時間がかからない長さだ。平日の午後の中途半端な時間だったせいか、人通りはさほど多くなかった。イスタンブールのシリア人街のような賑わいや、キラキラした感じの高級菓子店などはなく、一見普...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(25)~アンカラのシリア人街~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(24)~アンカラ旧市街の市場見物~

    アンカラ滞在2日目は、市場やその周辺の歴史的地区などを見物した後、シリア人街に足を延ばした。アンカラに観光に行く人はあまりいないと思う。アンカラはトルコの首都で、国の政治の中枢ではあるが、古くから国際的な大都市として栄えたイスタンブールと違って、見どころが少ないからだ。私も過去に一度だけ、バスの乗り継ぎのため1泊したのみだった。今回も友人に会うことが目的で、特に観光する予定はなかったのだが、せっかくアンカラに来てくれたのだからと、友人が私の好きそうな場所を案内してくれることになったのだ。自分で何も調べず、彼女の後を付いて行っただけなので、詳しい行き方や地名などはよくわからないが、悪しからず…というわけで、今回は市場を見物した話。シリア人街のことは次回に書く。(まとめて書こうと思ってたけど、市場の話が長くな...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(24)~アンカラ旧市街の市場見物~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(23)~トルコでの旅について前置き~

    前回の記事では、ヨルダンのアンマンからトルコのアンカラに移動した日のことを書いたが、今回はトルコでの旅について概観する。2022年の旅行では、まずイタリアのローマで3泊、次にヨルダンのアンマンで7泊してから、トルコに11泊し、その後に最終目的地(休養地)であるイタリアのフィレンツェに移動し、10泊してから帰国便に乗った。トルコでは、行きたいところを回るために、かなりの距離を移動することになった。ヨルダンは小さな国なので(日本の約4分の1)、アンマンを拠点にして同じ宿に滞在し、そこから他都市に日帰りで出かけることができたが、トルコは大きな国なので(日本の約2倍)、そういうわけにはいかない。トルコで回ったルートは、アンカラ(2泊)→シワス(1泊)→エラズー(2泊)→ワン(3泊)→イスタンブール(3泊)だ。ワン...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(23)~トルコでの旅について前置き~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(22)~ヨルダンからトルコに移動~

    少し間が空いたが、今回から2022年の旅行記を再開する。なるべく年内に終わるよう努力するが、まあ無理だろうねえ…(悲観的なわけではなく、単に現実的)今回はヨルダンのアンマンからトルコのアンカラに移動した時の話。ちなみに、トルコの首都はイスタンブールではなくて、アンカラだ。(テストに出るよ~)ヨルダンの首都はアンマンだけど、あんまんは売ってません。(テストに出ないよ~)この日は朝8時に起きて荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトして、ダウンタウンからセルビス(白い乗り合いタクシー)で北バスターミナル(مجمعشماليムジャンマア・シャマーリー)に移動した。セルビスの運賃は1JD(現在のレートで約210円)だったが、荷物代として0.5JD余分に払わされた。北バスターミナルにはすぐ着いた。うろ覚えの空港バス乗り...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(22)~ヨルダンからトルコに移動~

  • ヨルダンの軍事・戦略専門家がみるイスラエル・ガザ情勢の行方とガザの猫動画

    今回は珍しく中東ニュースがテーマ。現在のイスラエルとガザをめぐる情勢について書く。10月7日、イスラエルの封鎖下のガザから、ハマースの軍事部門「カッサーム部隊」が境界を突破して周辺のイスラエル南部地域を襲撃し、100人を超える人質を取るという、前代未聞の事態が発生した。これに対する報復として、イスラエルはガザ地区を完全封鎖して水も食料も燃料も入らないようにすると宣言し、市街地の地区が丸ごと瓦礫の山になるような、かつてない激しさの空爆を続けている。13日の段階で、イスラエル側の死者は約1300人、ガザの死者は約1900人に達した。なお、ガザの人口は230万人を超えており、その約半数が子供である。空爆で多くの建物が完全に倒壊ガザの保健省によると、空爆の被害者の約6割が女性や子供(アラビア語の関連記事)この情勢...ヨルダンの軍事・戦略専門家がみるイスラエル・ガザ情勢の行方とガザの猫動画

  • 日付不明まとめ書き日記2023年8月後半~10月初旬

    私の住む世界(おうちヤマンバ地方)では、永遠に続くように思われた夏がようやく去ったと思ったら、もう冬が到来したかのような寒い日が続いたが、皆さんのところはどうだろうか。私は衣替えをし(段ボール1個分しかないので一瞬で終わる)、ホットワイン開きをした。うちの妹はカイロ開きを済ませたらしい。コタツもそろそろ用意するべきかな…今回は旅行記をお休みして、久しぶりにまとめ書き日記。過去ブログを読み返してみると、なんと前回のまとめ書き日記は昨年末の日付だったので、ほぼ十か月ぶりとなる。その間に色々なことが起こったわけだが、私は忘却力が優れているので、もはや最近の事しか覚えていない。というわけで、コロナに感染して回復した後、つまり8月後半から今までで、記憶に残っていることを書く。もはや時期もはっきりしないが、古代メソポ...日付不明まとめ書き日記2023年8月後半~10月初旬

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(21)~ヨルダン最終日後編・アンマンの猫おじさんの家~

    前回、アンマン城(城塞の遺跡)に向かう階段を登っていく三毛猫を見かけ、なんとなく誘われたような気がして付いて行くことにした、というところで終わっていた。(前回の話)アンマン城は丘の上にあり、そこまでかなり急な石段が続いている。私はそこをスローモーションでえっちらおっちら登って行った。少し行ったところで、階段と階段の合間の踊り場のように平らになった部分に出た。ここで一休みしようと思い、しばし立ち止まって辺りを眺めていたら、階段の脇の空き地に子猫が3匹いて、周りの草木の間をちょろちょろして遊んでいるのが目に入った。向こうもこっちに気が付いて、恐る恐る覗いてくる。なんなの、君らのこのかわいさは…天国への階段か?しばらく子猫たちを眺めて目の保養をしてから、また階段の続きを登る。最初に見たミケちゃんはもう見失ったと...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(21)~ヨルダン最終日後編・アンマンの猫おじさんの家~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(20)~ヨルダン最終日前編・アンマンの看板博物館とダウンタウン散策~

    ヨルダン最終日は朝9時半に起きた(やや早起き)。例によって、洗濯やら写真の整理やらツイッターやらをしてから、12時過ぎにようやく出かける。まず、ホテルのすぐ近くにあるのに今まで行きそびれていた「アンマン看板博物館」(متحفآرماتعمّان地図)に出かける。ここは2020年にオープンした時に、ヨルダンメディアで紹介記事を読んで、いずれ行ってみたいと思っていたところだ。なにしろ、無料ですしね(重要)。道行く人をぐいぐい誘う赤い矢印建物の3階まで狭い階段を上っていく。下はグーグルで拾った写真。「入場無料」を前面に押し出してアピールしている。入場無料って、素晴らしい。(有料のところには滅多に入らない私)階段には「マスク着用遵守」と一段一段描かれていた。中に入ってみたら、誰もマスクしてなかったが。ヨルダンは新...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(20)~ヨルダン最終日前編・アンマンの看板博物館とダウンタウン散策~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(19)~ヨルダン6日目・ザルカ日帰り~

    ヨルダン6日目は、日帰りでザルカに出かけた。特に目的はなかった。ザルカはアンマンの右斜め上(AzZarqa'ってやつ)ザルカはザルカ県の県都。アンマンに次いで人口の多いヨルダン第2の都市で、国内の工業の中心地だ。ヨルダン最古のパレスチナ難民キャンプがあり、西岸地区から避難してきた等のパレスチナ人の人口が多いことで知られている。観光名所がほとんどない(ちょっとはあるらしいが見たことない)、ごく普通の街なので、ザルカを訪れる観光客はまずいないと思う。私のような、ヒマで物好きな人以外は…ちなみにザルカは、ISの礎となるサラフィー・ジハード主義のイスラム過激派組織を創設した国際的に有名なテロリスト、アブー・ムスアブ・アッザルカ―ウィー(أبومصعبالزرقاوي)の出身地だ。この写真を見たことある人、けっこう...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(19)~ヨルダン6日目・ザルカ日帰り~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(18)~ヨルダン5日目・知人宅の美猫と猫助けの後日談~

    ヨルダン5日目は、朝10時過ぎに目覚めた。前夜アラクを飲みながら寝落ちして、夜中起きて日記を書いたりして、朝方また寝たせいで遅くなったのだが、どうも日本での昼夜逆転生活に近づいている気がする。旅行中に昼夜逆転すると困るのだが…夜型人間だと言うと、「じゃあ、あちら(中東や欧州)に行ったら朝型になってちょうどいいね!」とよく言われるのだが、別にそんなことはなく、こちらでも数日後には昼夜逆転するのだ。朝食代わりに果物を食べ、洗濯やPC作業などをしていて、気が付いたら午後1時を過ぎていた。旅行者なのに、我ながらのんびりしすぎだろう。1時半頃に出かけて、近くの両替屋で日本円を両替したり、市場付近を歩いて、メロンジュースを飲んだりしてから、ヨルダン人の知人宅に向かった。お茶(コーヒー)の時間にお邪魔する約束だったのだ...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(18)~ヨルダン5日目・知人宅の美猫と猫助けの後日談~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(17)~ヨルダン4日目後編・猫助けの話~

    前回はヨルダン滞在4日目、北部の国境付近の街ラムサとマフラクを訪れ、国境の向こうのシリアを眺めに行った話をした。今回はその続き、夕方にアンマンのラガダーン・バスターミナルに戻って来てからの出来事だ。バスターミナルから近距離バスに乗って、ダウンタウンの中心のフセイニーモスク前の広場で降り、その脇にある青果市場に果物を買いに行った。日本では高級果物のつぶれ桃(蟠桃)がてんこもり絵心のあるディスプレイあんずとさくらんぼを少しずつ買った。私は中東を夏に旅したら、ビタミン補給のためにいつもこの2つを買う。どちらも洗っただけで簡単に食べられるからだ。つぶれ桃も皮をむかなくても食べられるし、甘くて瑞々しいから大好きなのだが、一口では食べられないから汁が垂れる可能性が高く、私にとってはやや難易度が高い。(めんどくさがり)...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(17)~ヨルダン4日目後編・猫助けの話~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(16)~ヨルダン4日目前編・シリア国境へ~

    今回は去年の旅行記の続き。ヨルダン滞在の4日目、北部のシリアとの国境地帯に日帰りで行った時の話だ。私は海外を旅する時、自主的な言語研修を兼ねてトルコとイタリア、そしてどこかアラブの国を回ることが多い。アラビア語・トルコ語・イタリア語が専門だからだ。今回アラブ諸国の中でヨルダンを選んだのは、イタリアから格安のライアンエアーを利用できたことが主な理由。そして、ライアンエアーの便(週2)やトルコでの予定の関係で、ヨルダンに7泊することになったのだが、それにあたって、ずっとアンマンに滞在するか、あるいは移動して違う街を観光するか少し迷った。アンマンはかつて住んでいた街だから、今さら観光する気もしないし、ずっと同じところにいると退屈するかもしれないと思ったのだ。私はペトラや死海、ワディラム等のヨルダンのメジャーな観...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(16)~ヨルダン4日目前編・シリア国境へ~

  • コロナに初めて感染した話

    またまた間が空いてしまったが、皆さんいかがお過ごしだったろうか。私はコロナにかかってました~1か月半外国(中東と仏)をマスクなしで旅してもなんともなかったのに、帰国して2週間で感染した。適宜マスクをしていたし、近所のスーパーや公園に出かける程度で、ほぼ誰にも会わない世捨て人のような暮らしをしていたのに。日本の第9波、おそるべし。最初は、喉が痛くて寒気がするので冷房で寝冷えしたのだと思い、なるべく冷房を付けずに(あるいは温度を高めに設定して)ひたすら寝ていたのだが、いつもと違って、丸2日寝ていてもちっとも良くならないので、「これは普通の風邪じゃないのでは」と疑い始めた。熱も38度ちょっとある。私は平熱が36度いかないので、38度は高熱なのだ。心当たりはないが、もしかしたらこれはコロナかもしれないと思い、ネッ...コロナに初めて感染した話

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(15)~ヨルダン3日目アンマン街歩き編~

    ヨルダン3日目は、ホテルで洗濯したり、まとめてPC作業をしたりしてゆっくり過ごし、近場を散策した程度で遠出はしなかった。旅の疲れを緩和させるための休養日だ。昼近くなってから出かけ、まず日本円を両替しにいった。ダウンタウンの両替所アンマンのダウンタウンには、両替所が数軒集まっているので、4,5所か回ってレートを聞き、一番良かったところで替えた。日本円を扱っていないところもあった。どこも概ね適正レートで、大きな違いはなかった(1万円が50~52ディナールだった)。両替を済ませてから、セルビス(乗り合いタクシー)に乗って、ダウンタウンに隣接する高台のジャバルウェブデに登った。ジャバルウェブデは、ジャバルアンマンのレインボーストリート界隈と同様、オシャレスポットとして知られており、雰囲気の良いカフェが集まっている...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(15)~ヨルダン3日目アンマン街歩き編~

  • 2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(14)~ヨルダン2日目後編・昔のアパートと餌付けおじさん~

    今回から、途中まで書いてそのままになっていた2022年の旅行記をようやく再開する。ヨルダン2日目(旅の開始から1週間も経っていない時点)の話の後編からだ。前編を更新したのは今年の5月7日で、その後旅行の準備で忙しくなり、約1か月後には新たな旅に出てしまったので、ブログを書く余裕などなかったのだ。まあそれ以前も、休み休みの匍匐前進レベルでしか更新してなかったんだが…ヨルダン2日目の前編は、アンマン在住の友人Hinaさんとランチやお茶をした後、私がかつて住んでいたアパートを見に行くのに付き合ってもらった、と書いたところで終わっていた。(2022年の旅日記を最初から読みたい方、おさらいしたい方はこちらからどうぞ)私はアンマンに滞在していた時(2013年~2014年頃)、ダウンタウンに隣接するジャバルアンマン(文...2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(14)~ヨルダン2日目後編・昔のアパートと餌付けおじさん~

  • 海外旅行を終えて、無事に帰国しました~

    約1か月半に渡る長旅を終え、先日ついに帰国した。日本で廃人のような暮らしを続け、気力も体力もなくてへなへな状態だったのに、暑い時期に暑い地域(中東)に敢えて出かけたので、まさか無事に帰れるとは思わなかったぜ…今回訪れた国はトルコ、イラク(クルド人自治区のみ)、イラン、フランス(パリとその近郊のみ)。当初はイタリアにも寄る予定だったが、日程と費用等の関係で厳しくなり、結局行くのを諦めた。まさかの「イタリア飛ばし」である。(新幹線のぞみの「名古屋飛ばし」に匹敵)フランスもどうしようか迷ったが、結局予定通り行くことにした。でも、ヨーロッパは物価が高いから(しかも円安)、今後はなかなか行けないかもしれない。っていうか、仕事を探さないとな…すでに帰国したわけだが、前回と前々回に引き続き、今回もとりあえず旅の写真を適...海外旅行を終えて、無事に帰国しました~

  • 引き続き旅行中です~(まだ生きてます)

    前回「現在海外旅行中です」ということで、取り急ぎ写真だけ適当に選んで載せた。今もまだ旅先なので、引き続き写真だけで失礼する。ちなみに、今回の写真は全てイランで撮ったものだ。旅も後半に入り、山場を越えて(=私にとって難易度の高い国をクリアして)終わりが見えてきた状態だ。暑さが厳しくなる時期だし、年も年だし、元々体力がないので、スローモーションの低空飛行で行こうと思う。皆さまもお体に気を付けて、夏を乗り越えてくださいませ~帰国してもきっと暑さでへなへなだと思うが、なるべく早く旅日記を書きたいものである。去年のやつの続きを…(終わり)引き続き旅行中です~(まだ生きてます)

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外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

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