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2018/07/29

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  • 出会いの不思議

    昨日の続きですが、何気ない2人の出会いの背後には、重々無碍な因縁の世界がある。その因縁の世界の一つを、一つの物語で示したのが「君の名は。」だということです。海で一匹の鯛(他の鯛と区別された固定魚)を釣る確立と、その鯛を海に逃して、もう一度、その鯛を釣る確率は同じです。そのようなことは現代では不可能なので、釣った鯛に発信器を付けて、世界中の船が協力してその鯛を探す。それでもその鯛をつることは不可能でしょう。しかしその鯛が釣れるとして、その鯛を釣るためのエピソード・物語を一つの象徴的な物語としてビジュアル化する。同ます。鯛を釣ったという結果が、「君の名は。」で「2人が住宅地の階段にすれ違い、振り返り、2人は同時に「君の名は。」と告げ」た場面です。その鯛を釣るためのエピソード・物語を一つの象徴的な物語としてビジ...出会いの不思議

  • 「君の名は。」

    2016年8月26日公開、アニメ映画「君の名は。」をアマゾンの無料配信で見ました。田舎暮らしの宮水三葉と東京の街で父と暮らす高校生の立花瀧。出会ったこともない2人がある日夢の中でお互いの身体が入れ替わっていることに気付く。戸惑いながらもお互いの生活を体験する2人、しかし、ある日を境にその入れ替わりは無くなってしまう。三葉の身を案じた瀧は、おぼろげな記憶を頼りに山奥にある糸守町にたどり着く。三葉はたしかにそこで暮らしていたが、3年前に巨大な隕石の直撃を受けたことで町はクレーターと化し、住民500人以上が犠牲になっていた。瀧は3年前の三葉とつながっていたのだ。そして三葉の住んでいた社を訪ね、三葉が仕込んだ、口噛み酒を手に取り飲むと、目が覚めると三葉の心の中にいました。それは、この町に隕石が落ちる前でした。今後...「君の名は。」

  • あらゆるものは毒である

    『「いただきます」の人類史:ヒトの誕生から生活習慣病の現代まで』(2022/10/31・蒼井倫子著)から一題転載します。あらゆるものは毒であるこれは、研修医だった頃に経験した症例です。もうすぐ1歳になる男の子が、けいれんで病院に救急搬送されてきました。小さい子どもの場合、熱がある「熱性けいれん」は多く見られますが、熱のない場合は、様々な原因が考えうるので診断は難しくなります。男の子に熱はなく、血液検査で血液の中のナトリウム(塩分濃度)がかなり低くなっていることはわかりました。しかし、その原因かわかりません。改めて、お母さんに話を聞くと、最近ミルクを飲むのをやめた代わりに、ミルクと同じ位の量の水を哺乳瓶であげていたことがわかりました。診断がつきました、「水中毒」です。水の飲み過ぎで血液が薄まっていたことが、...あらゆるものは毒である

  • 餓死者よりも肥満が原因の死者の方が多い?

    最近読んだ本の中に「餓死者よりも肥満が原因の死亡者のほうが多い」とあった。どの本か忘れてネットで検索してみました。世界の饑餓人口は「国連報告書」世界の飢餓人口年4600万人増え8億2800万人2021年2007年「シリーズ国際協力1飢え食べものをつくり不公平をなくそう」(リブリオ出版)p34には、「「飢え」が原因となって死んでいく人は毎年2000万人いて~」との記述があり。肥満人口は年代が違いますが、BMI(肥満指数)が25以上の過体重の成人や子どもの数は、全世界で2015年の時点で約22億人、全人口の30%を占めており、全世界のBMIが30以上の肥満の人口は、小児で1億770万人、成人で6億370万人に上る。そして、2015年には、肥満が関連する疾患により400万人が死亡し、全死因の7.1%を占めている...餓死者よりも肥満が原因の死者の方が多い?

  • さようならの言葉②

    『日本人のものの見方―〈やまと言葉〉から考える』(2015/9/29・山本伸裕著)続きです。英文学者の荒木博之(一九二四一一九九九)は、『やまとことばの人類学』という本の中で、「さらば」には、それまでの「こと」が終わって、これから新しい「こと」に立ち向かうのだといった心構えが表現されているとの見方を示しています。「日本人が古代から現代に至るまで、その別れに際して常に言葉して、「さらば」をけじめとする、「そうであるならば」という意のご言い方を使ってきたのは、日本人がいかに占い「こと」から新しい「こと」に移っていく場合に、必ず一度立ち止まり、古い「こと」と訣別しながら、新しい「こと」に立ち向かう強い傾向を保持してきたのかの証拠」だ、と言うわけです。なるほど言われてみれば、確かに日本人は、口々「さらば」を口にし...さようならの言葉②

  • さようならの言葉①

    『日本人のものの見方―〈やまと言葉〉から考える』(2015/9/29・山本伸裕著)からの転載です。「さようなら」についてです。一日のうちになすべきことを仕来たして別れる際には、しばしば「さようなら」という言葉が使われてきました。「さよう」は「そのよう」、「なら」は「ならば」の「ば」が省略されたかたちです。したがって、「そのよう(である)ならば」というのが、この挨拶言葉によって直接的に表現されてきた意味だと理解されるのですが、こうした言葉を別れ際に交わすことに、日本人はいったいどのような意義を認めてきたのでしょうか。世界中の言語には、それぞれに固有の別れ言葉が存在します。それらを大別すると、おおよそ次の二系統に分類できるように思われます。一つは、神の加点を祈る「ご加駿系」の別れ言葉、もう一つは、再会を期する...さようならの言葉①

  • 自己実現主義

    少し古い本ですが『日本の新たな「第三の道」』(2009/11/28・アンソニ-・ギデンス著)を借りてきました。少し転載しておきます。21世紀の新しい社会モデルである低炭素産業社会においては、ポストモダン的価値観の一部は持続するが、他の部分は変化する。つまり脱物質主義、自己実現主義、反権威主義、自然共生主義といった性向は析しい社会モデルと方向性を具有している。しかし獲得型個人主義、権利主張主義といった性向は低炭素産業社会の新しい社会契約とは相容れないで、撤収を求められることになるだろう。さらに低炭素産業社会では、自然共生主義が強力な性向となるであろう。持続する価値観・‐-自己実現主義価値観のポストモダン化現象の一つの重要な局面は、人々の仕事や組織に対する考え方の変化である。その中心的な要因が、自己実現主義の...自己実現主義

  • 『サピエンス全史』をどう読むか③

    「『サピエンス全史』をどう読むか」(2017/11/27・河出書房新社編集部編集)、『サピエンス全史』の大いなる掲示長沼毅神を相手にしない宗教がある。共産主義や資本主義、自由主義などのイデオロギーを修辞的心に「宗教」と呼ぶのと似たもあるが、もうワンランク上の話である。「サピエンス全史」では、第12章「宗教という超人間的秩序」において、神を相手にしない宗教という点で仏教を特別視した。本文から引用すると「仏教の中心的存在は神ではなくゴータマーシッダールタという人問だ」(下P27)、「仏教は神々の存在を否定しないが…宇宙の神々が全員揃っても、その人を苦しみから救うことはできない」(下P31)と解説している。さらに第19章「文明は人間を幸福にしたのか」でも、下巻P237~240の4ペーシにわたって、仏教の考え方か...『サピエンス全史』をどう読むか③

  • 『サピエンス全史』をどう読むか②

    「『サピエンス全史』をどう読むか」(2017/11/27・河出書房新社編集部編集)、認知革命派ゆっくりと進行した福岡伸一認知革命は突然変異か?ただ私か少し不満なのは幻想や虚構をつくり出す能力がサピエンスをしてサピエンスたらしめたという主張です。それを彼は認知革命と言って、だいたい七万年くらい前に起きたのではないかと考えています。七万年くらい前に人間はアフリカから出て世界中に広がり出して、そのときからいろいろな文化活動を急速に広めたので、このときに大きな転換があったのではないかということです。その転換は幻想、虚構をつくる能力を身につけたということによってもたらされたとハラリさんは考えます。そこで彼は「たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにないかたちで考えたり、まったく新...『サピエンス全史』をどう読むか②

  • 『サピエンス全史』をどう読むか①

    「『サピエンス全史』をどう読むか」(2017/11/27・河出書房新社編集部編集)、冒頭の池上彰とユヴァル・ノア・ハラリの対談や、大澤真幸氏、福岡伸一氏らが『サピエンス全史』に対する批判・別視点からみた疑問点が書かれている。興味深い所を拾ってみます。池上彰とユヴァル・ノア・ハラリの対談から池上お金自体は単なる紙です。例えば日本なら一万円と書いてあれば、これが単なる紙であるにもかかわらず私たちは一万円と信じています。私はよく、学生たちにこれは共同幻想であると教えます。みんながお金はお金だと思っているからお金なんだよということです。論理学でいうとトートロジーです。お金というのは非常に不思議なものですね。今のお話しですと、「これはお金だよ」と言っている人たちは詐欺師ということになりますか?ハラリいいえ、詐欺では...『サピエンス全史』をどう読むか①

  • サピエンス全史②

    『サピエンス全史(上)(下)文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ)仏教について記述しているので、その部分を転載します。なかでもとくに興味深いのが、仏教の立場だ。仏教はおそらく、人間の奉じる他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えられる。二五〇〇年にわたって、仏教は幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた。科学界で仏教哲学とその瞑想の実践の双方に関心が高まっている理由もそこにある。幸福に対する生物学的な探究方法から得られた基本的見識を、仏教も受け容れている。すなわち、幸せは外の世界の出来事ではなく身体の内で起こっている過程に起因するという見識だ。だが仏教は、この共通の見識を出発点としながらも、まったく異なる結論に行き着く。仏教によれば、たいていの人は快い感情を幸福とし、不...サピエンス全史②

  • サピエンス全史①

    『サピエンス全史(上)(下)文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ)1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。世界で1200万部売れた本だ。2011年ヘブライ語でイスラエルで初めて出版され、2014年に英語版が発売され、日本では、2016年9月に発売された7万年前にホモ・サピエンスに起きた「認知革命」によって、架空の事物について語る能力を身につけた、人間は大規模な協力体制を築き、急速に変化する環境に対応できるようになった。その後、「農業革命」と「科学革命」が起きた。「認知革命」とは、「現実には存在しない虚構(フィクション)を信じ、語ることのできる能力」で、次々と新しい神話やイデオロギー...サピエンス全史①

  • ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常③

    『ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常』(2022/11/4・エドガー・カバナス原著・ヱヴア・イルーズ原著、高里ひろ翻訳、山田陽子解説)の続きですが、ほんの最後に「解説」として山田陽子氏が、本の内容を要約しあります。本書は、新自由主義的資本主義社会において「幸せ」の追求がもつ意味やそれが権力を行使する仕方について分析しているる(「序」)。一九九〇年代の終わりに登場した「幸せの科学」、別名「ポジティブ心理学」、「幸せ」を「誰もが追求する目的、測定可能な概念」とみなし、「健康で社会的に成功し、最適に機能する個人のしるし」であるとした(第1章)。高水準の心の知能指数、自主性、自尊心、楽観主義、レジリェンス、自発性、感情のセルフコントロールなどは、活躍する人びとに共通の心理的特徴である。「幸の科学」は...ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常③

  • ハッピークラシー―「幸せ」願望に支配される日常①

    『ハッピークラシー―「幸せ」願望に支配される日常』(2022/11/4・エドガー・カバナス原著・ヱヴア・イルーズ原著、高里ひろ翻訳、山田陽子解説)解説に次の様にあります。「幸せの追求はじつのところ、アメリカ文化のもっとも特徴的な輸出品かつ重要な政治的地平であり、自己啓発本の著者、コーチ、[…]心理学者をはじめとするさまざまな非政治的な関係者らの力によって広められ、推進されてきた。だが幸せの追求がアメリカの政治的地平にとどまらず、経験科学とともに(それを共犯者として)機能するグローバル産業へと成長したのは最近のことだ」(「序」より)。ここで言及される経験科学とは、90年代末に創設されたポジティブ心理学である。「幸せの科学」を謳うこの心理学については、過去にも批判的指摘が数多くなされてきた。本書はそれらをふま...ハッピークラシー―「幸せ」願望に支配される日常①

  • ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常②

    『ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常』(2022/11/4・エドガー・カバナス原著・ヱヴア・イルーズ原著、高里ひろ翻訳、山田陽子解説)、「ポジティブ心理学」の何が問題なのかという記述です。以下転載。ポジティブ心理学者が幸せを概念化し測定する方法がそもそも個人主義ベースなのだから。実際、人の幸せを測るうえで境遇が果たす役割をまったく無視することはなくても、それを軽視することは、ポジティブ心理学が生まれてからずっと、この分野の顕著な特徴だった。彼らが文化の異なる対象を研究する場合や、幸せを数値化する測定方法の多くに、その特徴が見うけられる。たとえばよく知られた人生満足感尺度(SWLS)では、質問が個人主義的また主観的な要素を過度に強調し、社会や経済、文化そして政治などのより客観的な要素がその分過...ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常②

  • 近代とホロコースト

    『近代とホロコースト』(ちくま学芸文庫・2021/4/12・バウマン著)数百万人の殺害には激情にかられた暴徒ではなく、合理的な意思決定を行う官僚が必要である。ホロコーストがサディストや狂信者による激情的犯罪ではなく、有能・忠実な官僚による行政的犯罪であったことは今日では常識となっている。官僚制を特徴づける合理主義や効率主義、社会工学的思考、組織的分業は個々人の責任と道徳を周縁に押しやり、大量殺戮を技術的に可能にする。バウマンはこうした点をふまえながら、ホロコーストが前近代的な野蛮への退却ではなく、近代そのものの必然的な帰結であったと主張するのである。近代文明こそ、ホロコーストの必要条件であったー。官僚制、合理主義、進歩主義、分類といった近代的諸要素が、暴力を独占し、社会的制約を受けない権力のもとで結びつい...近代とホロコースト

  • 日本語からの哲学―なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?

    『日本語からの哲学―なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?』(平尾昌宏著・2022年9月)日本語の「です・ます」と「である」について、〈です・ます体〉は「その本質において二人称に対する語りかけの文体である」と述べ、両者の本質的な差異を「二人称の読者を認めるか認めないかであ」るととらえ、ここから二つの異なった世界・原理というとらえかたに展開していく。そして、最終章は「私の言おうとしていることは伝わっていますか?」という著者の〈です・ます体〉での呼びかけで終わる。本から転載します。「『です・ます』を用いているから紀要に載せられない」とするものであった。つまりここには、「です・ます」では学術論文にならないとの前捉があることになる。このことは重大である。簡単におさらいしておこう。話し甘葉の〈です・ます目...日本語からの哲学―なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?

  • 根源的自尊感情

    昨日「自尊心には、条件的自尊感情と、基本的自尊感情と、根源的自尊感情があるようです。条件自尊感情とは、社会的優越性からくる自尊感情であり、基本的自尊感情とは、常に私を認めてくれる人があるという自尊感情であり、根源的自尊感情とは、認めてくれる、くれないという感情の劣化性を打ち砕いて見いだされる自尊感情です。」と書きました。根源的自尊感情とは、私の造語ですが、浄土真宗の信心によって恵まれる自尊感情です。以前、『不登校児が教えてくれたもの―3000超の症例が発する日本の父母へのメッセージ!。』(森下一)を紹介したことがあります。強(ツヨシ)君は中学1年の時から不登校に傾き、森下先生の診療所を訪ねました。真面目すぎるほど真面目な彼は、登校できない自分を卑下し苦しみます。中学卒業後の仕事も長続きせず自殺を考えるよう...根源的自尊感情

  • 孤独と居場所の社会学

    『孤独と居場所の社会学~なんでもない〝わたし″で生きるには』(2022/10/21・阿比留久美著)からの転載です。書評に次の様にあります。社会は「自由」で「多様」なはずなのに、なんでこんなに息苦しい?能力主義と自己責任、家族の多様化、ジェンダー不平等、承認欲求とアイデンティティ……。現代の閉塞感に風穴をあけ「誰もが息のしやすい社会」を構想する希望の論考。(以上)私たちは自分自身裸のまま何もない自分では価値がないと思っているからこそ、なんでもない自分ではなくて、「OO大学出身のわたし」だとか「素敵なパートナーがいるわたし」というかたちで、価値のある人間になるための様々な努力を四方八方におこなってしまいます。そして、時には「どのように生きたいか」ということよりも「どのような人間に見えるか」、「うらやましいと思...孤独と居場所の社会学

  • 自尊心の構造②

    『自尊心の構造』森口兼二著、かなり古い本(1993.2)です。少し転載してみます。1.半社会的(家族的)自尊心発達初期の自尊心は、自己評価の基準の空間的な出所および代表者が、保護者に代表されるごく狭い範囲に限られているとともに、時間的には依存する他者の存在やその場の批評に直接左右される即時的な短さを特徴とし、また、他律的なものであること、そのことから、安定も著しく低いものであるような姿で出発する。自尊心は、人間の成長とともに、評価基準の時間的・空間的代表性においても、内面化(他行性⇒自律性)の程度や安定性についても、発達をとげるが、これら発達初期の特性は、何も家族の中の幼児についてのみ通用する類型と考える必要ない。たとえば、成人でも、生活空間か著しく限定されていたり、社会変化が極めて急激である場合、その代...自尊心の構造②

  • 自尊心の構造

    『自尊心の構造』森口兼二著、かなり古い本(1993.2)です。少し転載してみます。筆者が自尊心と呼ぶのは、「自己の全体、もしくは、みすがら価値を認める自己属性について、自己評価を維持し、高めたいと欲する心」である。このようか自己評価の維持・向上を危うくするようなことは「自尊心が許さない」のであり、現実にみずから、あるいは他者によって、このような自己評価にひびを入らせるような結果を招いたとき、自尊心は傷つけられるるのである。ところで、すでに述べたように、自己評価は他者に認められ、評価されることの必要に関連して発達し、また、自己評価は原則的に他者の前に自己をさらし、他者から受ける反応を確認機会とし、これらの反応を介して得られるものである。したがって、先に定義した自尊心は、しばしば、「全体としての自己、もしくは...自尊心の構造

  • 見えないものを見る「抽象の目」-「具体の谷」からの脱出

    『見えないものを見る「抽象の目」-「具体の谷」からの脱出』(2022/10/7・細谷功著),今年、初めて購入した本です。一日で読み切りましたが、あまり興味を持てない内容でした。ただ「VUCAの時代」という初めて接する用語が出て来ました。下記のネットからの引用です。VUCAとは何か。VUCA時代を生き抜く企業に必要なこと:i-Learning株式会社アイ・ラーニング現代は、新型コロナウイルス(COVID-19)といった感染症などの疾病や台風、地震などの災害、AI技術の急激な進化により世の中の変化を予測しにくくなっています。この先もどのように変化していくのか、予測が難しい状況といえるでしょう。このように今後の予想がしにくい状況をVUCA(ブーカ)という言葉で表すことがあります。VUCAとは、Volatilit...見えないものを見る「抽象の目」-「具体の谷」からの脱出

  • 自己責任の時代

    『自己責任の時代―その先に構想する、支えあう福祉国家』(ヤシャ・モンク著)著者は、ユダヤ系ドイツ人の政治学者です。著者は、新自由主義的な政策の背景にあるのは「自己責任」を絶対視する考え方でありう、そこには「自分の責任で困難な状況に陥った人は救わなくてもよい」「自己責任以外の理由で困難な状況に陥った人だけを救済すればよい」という発想があるという。本からの転載です。近年の改革が支払った主要な代償の一つは、誰がどれほど受け取るかではなく、各人は何をすれば理論上受給資格のある給付を得られるのかという問いに関係している。責任に以前より大きな役割を与えたため、国家は、「責任ある」行動をとったと思しき人と「無責任に」行動したと思しき人とを峻別するように求められている。その結果、責任追随的な諸制度はつねに、福祉申請者に対...自己責任の時代

  • 上級国民/下級国民④

    『上級国民/下級国民』(小学館新書・橘玲著・2019/8/6)からの転載です。「リベラル化」が進んだ後期(再帰的)近代では、労働者は一人ひとりが自由な意思を持つ「個人」になり、自分を「労働者階級」とは見なさなくなります。そうなると、経済的な成功と同じく失敗(失業)も個人の責任で、かつてのプロレタリアートは階級や社会階層を構成しない「プレカリアート」と呼ばれるようになります。経済的な苦境は個人の生き方の問題とされ、本人たちも「自己責任」を内向化していきます。「社会」から「個人」へと視点が変わる再帰的近代では、「自己」を正しく把握・管理することが重要になってきます。これが「自己分析」「自己コントロール」で、自己の価値の最大化を目指すのが「キャリアビルディング」です。このように現代社会のさまざまな現象は、「自分...上級国民/下級国民④

  • 上級国民/下級国民③

    『上級国民/下級国民』(小学館新書・橘玲著・2019/8/6)からの転載です。リベラルな社会の負の側面は、自己実現と自己責任コインの表裏あることと、自由が共同体を解体することです。リベラルは、人種、出自、宗教、国籍、性別、年齢、性的志向、障がいの有無などによるいっさいの差別を認めません。なぜならそれらは、本人の意思や努力ではどうしようもないことで自己実現を阻むからです。しかしこれは逆にいうと、「本人の意思(やる気)で格差が生じるのは当然だ」「努力は正当に評価され、社会的な地位や経済的なゆたかさに反映されるべきだ」ということになります。これが「能力主義(メリトクラシー)」であり、リベラルな社会の本質です。自己分析と自己コントロールイギリスの社会学者アンソニー・ギデンスは1990年に『近代とはいかなる時代か?...上級国民/下級国民③

  • 上級国民/下級国民②

    『上級国民/下級国民』(小学館新書・橘玲著・2019/8/6)からの転載です。第二次世界大戦後の西側諸国は、アメリカを中心とする自由主義諸国間の貿易によって空前の繁栄を実現します。1960年代になると、ごくふつうの庶民まで、数百万年の人類の歴史のなかで王侯貴族ですら想像できなかったようなとてつもないゆたかさを手にすることとなりました。こうして、ゆたかさを背景に価値観の大きな転換が起こります。それを一言でいうなら、「私の人生は私が自由に選択する」です。「そんなの当たり前じゃないか」と思うでしょうが、それは私たちが「後期近代」に生きているからです。中世や近世はもちろん、日本では戦前(前期昭和)ですら、「人生を選択する」などという奇妙奇天烈な思想を持つひとはほとんどいませんでした。長男は家業を継ぎ、次男や三男は...上級国民/下級国民②

  • 超高層のバベル③

    『超高層のバベル見田宗介対話集』(講談社選書メチエ・2019/12/12・見田宗介著)からの転載です。見田今の学生は、物心ついた頃にはバブルが崩壊していて、それ以来ずっと日本は不景気。二〇〇〇年代前半の好景気も、人々が恩恵を感じられるようなものではありませんでした。彼らにとっては、一九八〇年代の華やかな文化は、神話的な夢なんですね(笑)。三浦私などは、インストゥルメンタル(手段的)に働くよりも、コンサマトリー(自己充足的)に働くほうが楽しいと思って生きてきましたが、そもそもコンサマトリーな生き方には(ウツーがなく、自分で生き方を見つけるしかない。ゆとりのあった時代には若者の試行錯誤を許容できたのですが、コンサマトリーに生きたい人は「自己責任でがんばって」となる。他方、今は割り切ってインストゥルメンタルな生...超高層のバベル③

  • 上級国民/下級国民①

    『上級国民/下級国民』(小学館新書・橘玲著・2019/8/6)を興味深く読みました。「人口爆発」と「ゆたかさの爆発」だとしたら、紀元前1万年前後の「農業革命」は人類になんの変化ももたらさなかったでしょうか。もちろんそんなことはありません。農業は、サピエンスの生存環境に劇的な変化をもたらしました。それは「人口爆発」です。諸説あるものの、10万年前の世界人口は現生人類(サピエンス)とユーラシアの旧人類やネアンデルタール人などを合わせて50万人ほどしかいなかったとされます。それが、農業という巨大なイノペーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前1万年から西暦1年までのあいだに世界人口は100倍まで増加します(推定値は40~170倍)。これにともなって世界全体の富は大きく増えましたが、そのぶんだけ人口...上級国民/下級国民①

  • ご門主の行為

    昨年12月7日、本願寺のご門主がご臨席で午後6時からの拓心会(首都圏居住の若手リーダー)、翌7日午前8時からの聞真会(国会議員の聞法会)、17時から、あすなろ会(首都圏居住の財界人の集い)での法話をしたことはご紹介しました。その折りのご門主の行動が記憶にあります。いづれもお勤めは正信偈です。私は講師なので、特別席に着座、相対してご門主な総長、宗務長が座っておられました。ご門主の行為が立派だと思ったのは、正信偈の経本を参拝者と一緒に頂き、開いて読まれたことです。私を初め本願寺の者は、正信偈は無本です。覚えているので開く必要は無いからです。ご門主も、本願寺のお勤めでは無本なので、もちろん覚えています。そこを敢えて、参拝者と一緒に経本を見ながらお勤めされた。,自分の事よりも、いまどう振る舞う事がご自身の役割かと...ご門主の行為

  • 謹賀新年

    謹賀新年今年もよろしくお願い申し上げます。6時からの「正信偈六首引」の勤行を終え、総代さんの車に乗せていただき、6時53分、手賀沼大橋の上から、日の出を拝しました。写真を撮ろうとすると「ライトプロテクト」と表示され、シャッターが押せない。帰って来て調べると、sbメモリーが書き込み禁止になっていた。したがって写真は撮れませんでした。アップした写真は昨年撮影した写真です。帰りは寒風の中80分かけて歩いて帰ってきました。8時20分帰宅です。今年もよろしくお願いします。西原祐治拜謹賀新年

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