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2018/07/29

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  • 母と子のにおいの絆

    法話メモ帳より母と子のにおいの絆(22.1.1朝日新聞掲載)おかあさんなあにおかあさんていいにおいせんたくしていたにおいでしよしゃぼんのあわのにおいでしよ作詞家の田中ナナさん(84)は、童謡「おかあさん」を生むきっかけになった50年前の出来事を、今もはっきりと覚えている。帰国したばかりの妹の式子さん(79)と、その娘ルビーさんが1年ぶりに再会する場に立ち会った。夫の仕事でフランスに渡った母。そして、伯母にあたる田中さんと、おばあちゃんのもとに残った娘。自宅の玄関で、久々の対面。なのに、母親の顔をすっかり忘れたルビーさんは、泣きながらおばあちゃんに抱きついた。耳元で、おばあちゃんは優しく語りかける。「ほら、ママよー。いいにおいがするでしょう」おそるおそる、式子さんに鼻を近づけるルビーさん。ほのかな甘いにおい。目を...母と子のにおいの絆

  • 名がそのまま

    法話メモ帳より名がそのまま勝山善譲(1865-1951福岡県西応寺。本願寺派勧学)という方がおられたんです。その人が、第七華座観だけを講義されたことがありました。その時に一ついいことを教えてもらいました。それは、「第七華座観のはじまりに、お釈迦さまが、韋提希よ、苦悩を除く法を教えるぞよ、とおっしやっている。これが名号のおこころだ」と。南無阿弥陀仏は、苦悩を除く法です。そこで名号の意味を説いているもんだから、こんどは光明を放った仏さまが出てこられたんです。第十八願は紙幣みたいなもので、金貨でない。あ冊なんだ。けれどもお札というものは、金貨一万円といつでも換えるという保証づきのもんだ。(紙幣を金貨と引き換えるというたとえ)。便宜上お札なっておる。お札も金貨も同じ値打ち。お札ほうが便利がいいので、お札ということになっ...名がそのまま

  • 妻の日の愛のかたみに

    法話メモ帳より大映映画「妻の日の愛のかたみに」(1965)若尾文子,船越英二,映画あらすじ歌人の池上三重子が記した同名手記をもとに、木下恵介が脚色し富本壮吉がメガホンをとった愛の物語。難病に冒された若妻が愛をまっとうするために下した決断とは。正之と千枝子は昭和28年に見合い結婚をした。千枝子は九州の柳川に嫁ぎ、小学校の教師として働いていた。しかしある日、千枝子は指に痛みを感じチョークを取り落としてしまう。痛みはやがて全身に広がり、関節リウマチと診断される。正之の母は世間体を気にして離婚を勧めるが、正之は別府国立病院に入院した千枝子を必死に看病した。九州では子供を産めない嫁とは離縁するという風習が根強く、千枝子は自分が妻にふさわしくないのではと思い悩む。千枝子は正之に離婚を申し出るが、正之はそれを拒み続けるのだっ...妻の日の愛のかたみに

  • 父の涙

    法話メモ帳より太田信隆(奈良・誓興寺住職、*龍谷大学講師)*当時30年前の『大乗』掲載数年前のことです。ある放送局の人が奈良の唐招提寺へ取材に行き、「鑑真の坐像はどこにありますか」「鑑真の墓はどこですか」というようなことを尋ねました。応待した坊さんは「鑑真和上は私たちの寺のご開山です。鑑真和上を呼び捨てにするような人の取材には応じかねます。どうぞお引き取りください」といったそうです。私はこの話を聞いて、これがまともな坊さんであると思いました。歴史の本や伝記には「日蓮」と書かれてはいましても、日蓮聖人の教えを信じている人たちは、めったに尊称をつけずにその名を呼びません。たいてい「日蓮大聖人」といっています。天理教の信徒は中山みき教祖のことを「親さま」といいます。天理教の本部に行って「中山みき」と呼び捨てにしたら、...父の涙

  • 白隠禅師の念仏問答

    法話メモ帳よりある日のこと。白隠禅師がお寺で法話していたときのこと。その聴衆の中に、一人の念仏信者のお爺さんがありました。禅師の話を聞きつつ、しきりに小声で、お念仏を称えていた。禅師は法話を終えてから、その老人を自分の居間に呼んで、試みに念仏の功徳を尋ねてみた。「いったいお念仏はなんの呪いになるか」その時に老人は、「禅師、これは凡夫が如来になる呪ないです」といった。白隠は、「その呪いはいったい誰が作られたか、阿弥陀さまはどこにおられる仏さまか。いまでも阿弥陀さまは極楽にござるかの」といって、いろいろと念仏信者の老人を試した。老人は、「禅師さま、阿弥陀さまは、いまお留守です」と答えた。留守だという不思議な答えを聞いた白隠は、さらに、「しからばどこへ行ってござるか」と追及しました。その時老人は、「衆生済度(しゅじょ...白隠禅師の念仏問答

  • 親孝行

    法話メモ帳より親孝行江州にすむ、近所でも評判の孝行むすこが、遂に殿さまに見出されて、御ほうびをうけた。江州一の親孝行という折紙がついたのである。ところが、信州の方に日本一の親孝行なるものがいるといううわさを聞いた。そこで、「日本一とはいったいどんな男だろう」と江州の男は信州へその男をたずねてみることにした。やっとのことでたずねあてると、年老いた母親だけがいて、むすこは不在だった。山へたきぎをとりにいっているが、まもなくかえるから、よかったらかえるまで待てと母親はいう。そこでしばらく待っていると、むすこがたきぎを背負ってかえってきた。毋親はむすこを見るといそいで土間にとびおり、だきかかえて背中からたきぎを下ろしてやり、わらじをぬがせて足を洗ってやる。終ると今度はゆかに寝かせて、つかれたであろうとせっせと足腰をもん...親孝行

  • 餅の値引き

    法話メモ帳より餅の値引き落語の「こんにゃく問答」の原型の話。ある禅寺へ行脚僧がやってきて、和尚に面会を乞うた。これは何だか怪しい奴と思った取り次ぎの小僧、「和尚さんはいま留守ですが。御用なら私が承りましょう」というと「小僧ではしょうがない。また出直すか」と立去りかける。小僧は「馬鹿にしないでください。なりは小さくとも。知恵は大きい。大概のことは間にあいますよ」とおっかけた。そこで、その行脚僧、小僧をちょうとからかってみたくなり、小僧の前に手をぬっとつき出し、人さし指と親指で丸い輪をつくって見せた。すると小僧すかさず、大手を拡げて見せる。「むむ、これは面白い小僧だ」とばかり、その僧、調子にのって、今度は指一本を前に出すと、小僧はすかさず五本の指を出す。「うーむ」と内心感心しながら、つづいて指を三本出すと、小僧間髪...餅の値引き

  • 良寛の句にみる安らかな死

    法話メモ帳より良寛の句にみる安らかな死良寛は腸ガンのために死んだといわれている。それも200年も昔,医療設備のない越後の山村で,しかも他人の家の離れで,他人に看とられて息を引きとった。それに死んだ時期が正月であった。越後の寒波がどんなにきびしいものか,わたしには実感がないが,激しい下痢の身には,南国の寒夜だって耐えられるものではない。その北国の寒夜を,臨終目前にして,どのように過ごしたか,その一端を彼の病中吟のうたで知ることができる。・ぬば玉の夜はすがらに屎(くそ)まり明かしあからひく昼は厠に走りあえなくに・この夜らの明けなむこの夜らの明けはなれなば女(いみな)きて屎を洗はむこひ転(ころ)び明かしかねけりながきこの夜を・言に出でて言へばやすけしくだりばらまことその身はいやたえがたしこれらのうたから推して,良寛の...良寛の句にみる安らかな死

  • 攝はささやく

    法話メモ帳より利井興弘述木辺の錦織寺の前門主木辺孝慈猊下は、お若い頃、祖父鮮妙に学問の手ほどきをお受け遊ばした関係上、私の方へは父が亡くなりましてからでも、続けて毎年の「夏季講座」には御出講下さいました。七十年近くなりましたでしょう。毎年の御親教も、私の方の「夏講」の時は、いつも御讃題は「論題」を選ばれたありがたい御親教でございました。はじめの御言葉はきまったように「不常のいのちをながらえて、今年も又夏溝に参詣をいたしました」と二年以上の学生や先輩は皆この御言葉を覚えておりました。やさしいお声と品のある温顔は今でも眼底に焼きついておりました。ある夏講の時、猊下がとつぜん、「利井、お前はうちの(木辺派)辻の書いた木を読んだことがあるか」実はありません、辻円証碩学(勧学)はお顔も存じておりましたし、天文学の家で、そ...攝はささやく

  • 浄土真宗への非難

    法話メモ帳より甲斐和里子さんの述懐「私はご信心を頂こう、ご安心を貰おと、長い間悩み悶えて苦しみましたが、仏さまが、和里子にご信心持せたら怪我するから危ない、だからご信心はくださらなかったが、かわりに南無阿弥陀仏のお六字さまをくだされた。…」と、喜んだとありますが、南無阿弥陀仏に腹のふくれた姿が、ご信心をいただいた姿であります。真宗の教義についての非難。1.往生浄土、これには現実性がない、苦悩の人生からの逃避ではないか2.他力本願、これでは自主性がない、自律性がないではないか3.悪人正機、これでは倫理性・道徳性・社会性がないではないか(以上)法話等で「浄土真宗の三本柱」が語られることがある。往生浄土、他力本願、悪人正機だ。その三本柱を語るよりも、上記のような「三つの非難」という語りかけの方が、興味を持って話に接す...浄土真宗への非難

  • 元服

    法話メモ帳より中学生の作文米沢英雄著「信とは何か」より元服ぼくは、今年三月、担任の先生からすすめられてA君と二人〇〇高校を受験した。〇〇高校は私立ではあるが、全国の優等生が集まってきているいわゆる有名校である。担任の先生から、君たち二人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。ところが、その入試で、A君は期待通りにパスしたが、ぼくは落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。何回かの実力テストでは、いつもぼくが一番でA君がそれに続いていた。それなのに、そのぼくが落ちてA君が通ったのだ。誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が、部屋にとじこもっているぼくのために、ぼくの好きなものを運んでくれて...元服

  • 才市の歌

    法話メモ帳より[才市の歌](木村博士の法事に際して)「才市が病気は南無阿弥陀仏を飲み込めば直るか」「いいや」「そんならどうすれば直るかへ」「才市が病気は南無阿弥陀仏さまに飲み込まれるで直るであります」才市は六字の丸薬に丸で飲まれて、六字の中で御礼報謝。報謝するのも不思議なものよ。不思議不思議で報謝するのよ。ご恩嬉しや南無阿弥陀仏。法然さまは六万遍、才市は時々。六万遍も時々も一つこと。ご恩嬉しや南無阿弥陀仏。才市の歌

  • 死線をさまよって 東昇

    死線をさまよって東昇(昭和57年10月26日『大乗』掲載)今年の四月二十四日、わたしはいつものように元気よく京都大学ウイルス研究所の自分の研究室へ出かけました。研究所へつきまして、自分の部屋のドアをひらいたとたんに、わたしは倒れてしまったのです。午前十時のこと、それはまったく突然のことで、倒れた直後はしばらく意識がはっきりしておりました。冷い脂汗、ねばっこい脂汗がとめどもなく吹き出て、キリキリと刺すような、剔られるような、いいようのない胸の痛み、はり裂けるような背中の痛み、今にも息が止まりそうな苦しさでした。医学をおさめたものとして、わたしは直感したのです。これはしまった、これは循環系の中枢部の突発的な変化からきた痛みにちがいない。間髪を入れずに、わたしの周囲の人たちはわたくしをすぐ隣の京大病院へ運びこみました...死線をさまよって東昇

  • 『「ボケたくない」という病』

    『「ボケたくない」という病』(健康美活ブックス・2020/3/26・和田秀樹著)から、数字の部分だけ転載します。国立長寿医療研究センターの調査(20代から70代の男女約2000人の調査2004年)では、「高齢者になるのは不安」と答えた人は8割以上、その不安の内訳は、「病気になること」(72%)、「収入がなくなること」(68%)を抜いて「寝たきり言認知症になって介護が要になること」(78%)が1位になっています。また、ご心配な病気は、「がん」(77%)と「認知症」(70%)が大多数で、約4割の人が長生きしたくない」とも回答しています。内閣府が行った「高齢者の日常生活に関する意識調査(60歳以上の男女約4000人の調査2014年)でも、日常生活でもっとも大きい不安は「健康や病気」(約68%)、「寝たきりで介護が必要...『「ボケたくない」という病』

  • 孤独が依存症を生み出す実験

    『依存症が分かる本』(松本俊彦著)に掲載されていたネズミの実験です「ネズミの楽園」実験が示すもの1978年.カナダの心理学者ブルース・アレクサンダー博士らによっておこなわれた実験植民地ネズミ(一匹でとじこめられた空間にいるネズミ)大半が普通の水より好んでモルヒネ水を飲み、うつらうつら。砂糖を加えて甘くしたものから、砂糖なしの苦いままのものに変更しても、モルヒネ水を飲み続けた。楽園ネズミ(数匹で自由に楽しむネズミ)モルヒネ水はほとんど飲ます、交尾をしたり遊んだりと、活発に動きまわっていた孤独な環境に置かれると薬物依存になりやすい?薬物依存と環境との関係を示す、「ネズミの楽園」と呼ばれる有名な実験があります。三二匹のネズミを二つのグループに分け、対照的な居住環境に置き、それぞれにモルヒネ入りの水と普通の水を用意し、...孤独が依存症を生み出す実験

  • 盲目の哲学者

    法話メモ帳より昔、あるところに盲の人がいたう。この人はただの盲ではなく、相当な哲学者だった。が彼の住んでいる村では、村全体が彼のために悩まされていた。というのは、彼は光などというものは、この世に無いと論理的に立証してしまうからだった。彼が言うには、「私には手があって、ものに触れ、それを感じることができる。だから、光がどこにあるか私に示してほしいものだ。もし何か存在するものがあるとしたら、それは必ず触れることができるはずだ。もし何か存在するとしたら、それは味わうことができるはずだ。それを打ったら私にその音が聞こえるはずだ。」村人たちは、彼の主張に反論することができないものだから大いに困ってしまった。彼には四つの感覚しかなく、こう言うのだ。「私には感覚が四つある。光を私のところに持ってきてくれさえすれば、私はこの四...盲目の哲学者

  • 藤原正遠先生の話。

    法話メモ帳より刑務所の囚人藤原正遠先生のお話。先生がある日、刑務所の囚人にお話にいらした。お話がすんだとき、若い囚人が先生に食ってかかった。「あんたは偉そうに、ぼくらにお説教をしているけれども、あんたはねえ口目先がうよくて、世の中を適当にごまかして生きてきたから、刑務所に入らないですんでいるのだ。おれなんかは若くて、口も下手で、ごまかすことができなかったから、こうして刑務所に入っているんだ。おれは正直者だから、刑務所に入っているんだ。」そのことばが、先生の胸にこたえた。それで、「そうだ。あんたの言うとおりだ。今のところ何とかごまかして、刑務所に入らないですんでいるけれども、そのうち、ごまかしがきかんで刑務所に入るようになったら、よろしくたのむよ」と、おっしゃった。そして続けて、「しかし、あんたの言うことを聞いて...藤原正遠先生の話。

  • 天突く、天突く

    法話メモ帳より頭巾なしの大黒さんある男、仙崖和尚を困らせようと計った。「和尚さん、大黒さんはどれを見ても頭巾をかぶっている絵ばかりです。どうか頭巾をかぶらぬのを描いていただきたいものです」と注文した。仙崖が、大黒天の頭の毛を描くかどうか、和尚もこれにはちょっと困るだろうと考えたのである。しかし、和尚はいっこうに困ったようすもなく、「造作もないことじゃ。明日までに画いておこう」と答えた。翌日、再び和尚を訪ねると、絵ができていた。見れば、大黒が鳶に頭巾をさらわれて、ハッと驚き、右手を頭上に伸ばしているところが描いてある。頭はやっぱり隠れていたのである。絵を頼んだ男もこれには口をあんぐりであった。ぐるりっと家を取り巻く貧乏神仙崖和尚が、ある壇家の新築祝いに招かれた時である。祝宴の席で、その家の人から、「和尚さん、新築...天突く、天突く

  • 『バイアスとは何か』

    柏市の図書館で新しく入庫した本の検索で『バイアスとは何か』(ちくま新書・2021/6/10・藤田政博著)がありました。バイアスとは認識の歪みのことですが、「バイアスもとは、私たちが祖先から受け継いだ身体と情報処理の仕組みを使いながら、なんとかこの世界でうまく生き延びていこうとする努力の(副)産物ともいえます」(本書256ページ)とあります。バイアスがあった方が、人類は生きのび、そして生存競争で、バイアスという特性は、排除されずに、現在形で機能しています。その辺りが興味深いところです。本を読みながら、人類にとって、人は「罪悪深重」のほうが生存競争に有利であり、「罪悪深重」という特性は排除されることなく今日に至っている。浄土真宗との関連で考えるところがありました。だいぶ飛躍しますが、信心獲得した人は、この世に迷いの...『バイアスとは何か』

  • 地獄と極楽

    法話メモ帳より加藤弁三郎ラジオ放送で「地獄極楽について私の考えに四つの段階がありました。第一は幼年期で絵にかかれた地獄極楽をそのまま信じていました。第二は、科学知識旺盛な青年期で、この頃は宗教を否定しておりました。第三は壮年期で、社会にでて色々な矛盾を感じていたころで、地獄極楽はなけねばならないと考えていました。悪いやつは地獄へ、正直でまじめな人はやがて極楽がやってくるのだと信じました。第四は現在の心境で、前の三つの段階のいずれでもありません。地獄も極楽も只今のお念仏の中に味われてくるのです。心の内側をかえりみると、我欲や憎悪や愚痴など煩悩をたたえているところに地獄へのむくいがやどされています。このようなあさましい煩悩罪障を救うて必ず仏のさとりにあらしめんとの阿弥陀仏の本願をかみしめるとき、そこに浄土の世界がは...地獄と極楽

  • 阿弥陀さまの本籍

    法話メモ帳より有名な白隠禅師がおられたころ、近くにありがたい老女の念仏者がいました。雲水の若僧であった禅師の寺のまえを通りすぎて、いつも向うの真宗の寺へまえりにいっていたのです。ある日、禅師が老女にたずねました。「おばあさん、あなたはなぜ向うのお寺へ参るのか」「はい、向うのお寺には親様がおられるからですわい」「親様とは阿弥陀さんのことかい、阿弥陀さまは、西方十万億の遠い極楽におられるのではないのかね、そんな遠いところの仏さまをおがんでどうするかね」すると、老女は腰をのばして禅師の耳もとまで口をもってゆき、大きな声で、「南無阿弥陀仏」ととなえて、「親さまは、ここに来ておられるわい」とこたえたのです。禅師はびっくりしましたが、内心、この老女の念仏はほんものだと感じました。しかし、さらに老女をいじめるようにききただし...阿弥陀さまの本籍

  • おまえはダイヤモンドだった

    法話メモ帳より大乗2009年6月号安芸教区浄土寺住職朝枝思善“おまえはダイヤモンドだった”先日、門徒の夜伽(広島では通夜のこと)にお参りしたときのことであります。夫を失った妻君が、にこにこ顔で対応しているので、とてもびっくりしたのです。不思議に思って話しかけてみました。「どこが悪かったの?」「はい、直腸がんで入院していました」「よく看てあげたのだそうですネ」「でもとてもわがままなところがあって、金曜日の夕方には自宅に帰り、月曜日にまた病院に行く生活だったんです。どうしてかというと、それはご院家(住職)さんのお世話で新しい仏壇を購入したとき、『仏壇は飾り物ではない。お浄土の出店だから朝夕必ず仏参し、阿弥陀さまにごあいさつをし、時にはお寺に参って聴聞をする』とかわした約束を守るためでした」と言われるのです。このわが...おまえはダイヤモンドだった

  • 「袈裟」栗山一思作

    法話メモ帳より「袈裟」栗山一思作ある村に律儀な老夫妻がいました。二人は、田畑の仕事の合間に,汗もふかずに何やら話しています。「ばあさんや、私どもが救われるというありがたい教えがあるそうだぞ」「そんな教えがあるじゃろうか」「いや、確かにあるそうだ。村の衆から聞いたからまちがいない。なんでも、南無阿弥陀仏という仏さまに救われる教えだそうじゃ」「でも、おじいさん、私たちは無学で、仏さまの教えがどっちを向いているやら、何も知らないんですよ。仏教の修行もしたことがない。朝から晩まで一日中、土と一緒で、一鍬一鍬に虫を殺して生きとります。そんな私たちが助かるようなありがたい教えがどこにありましょう。」「阿弥陀仏という仏さまは、そのような罪の深い、愚かな凡夫を特に哀れみたもうて、戒律もいらず、行もいらず、ただ信ずる1つで救うて...「袈裟」栗山一思作

  • 小倉遊亀さんの逸話

    『四十八願講説』(山崎教正著)に、小倉遊亀(おぐらゆき、1895-2000・日本画家、女性として初めて日本美術院同人、文化功労賞。)に逸話が掲載されていました。以下転載です。美人画家として有名な小倉遊亀さんは次のようなことを話しておられました。近ごろ観音菩薩など仏画をかいているけれども俗の姿も画いてみたい気持があって、京都先斗町で踊りを見、多くの舞妓さんたちと遊びました。その中で未だ女らしさも生れてないような一人の舞子が側に居たので興味をおぼえてその少女を描いてみようと思い、「そのうちに」と約束をしました。一ヶ月程して、また先斗町に行ってその妓に会いましたら、こんな輝くような美しさが一体何処からきたかと思う程に美しく変っていました。その時、その待合のお女将さんが出てきて言いました。「先生、不思議どっせ、えらいも...小倉遊亀さんの逸話

  • 㐮陽の石刻のご文

    法話メモ帳より『阿弥陀経』に「少善根福徳の因縁を以って彼の国に生ずることを得べからず」とあって、この文に引きつづいて「名号を執持すること」とつづきます。「少善根福徳の因縁を以って彼の国に生ずることを得べからず」につづいて「念仏は多善根」とあれば、収まりが良いのですが、経文にはありません。法然聖人は、選択集をお書きになる時に、当時、中国の襄陽にあるという石に刻んだ阿弥陀経の文「専ら名号を持す牡は、名を称するを以っでの故に諸罪消滅す。即ち是れ多善根福徳の囚縁なり」をもってきて其の証拠とした。その㐮陽の石刻のご文は、現在、九州福岡県の宗像神社に保存されているという話を耳にします。九州福岡県の宗像神社に保存されている㐮陽の石刻のご文について『四十八願講説』(山崎教正著)に記されていました。以下転載して紹介します。その石...㐮陽の石刻のご文

  • 私の席を奪った人

    夏の甲子園、同じユニホーム姿の二つの智弁学園の決勝戦で話題となった。智弁学園は、宗教法人辨天宗が設立した学園です。日本には、宗教法人立の学園が意外と多い。私の所属する浄土真宗本願寺派でも大学8校、高校が24校あります。その一校に北九州市門司区に鎮西敬愛学園鎮西高校があります。以前、その鎮西の校長先生が卒業生の作文を紹介されていました。「私の席を奪った人」私は第一志望の国立大学に合格しました。有頂天になり両手を高々と上げて、万才三唱をしたい思いですが、鎮西に学んだ私にはできません。私は高校受験で第一希望の一公立高校を失敗しました。くやしくて悲しくて、みじめな思いで涙が涸れて出なくなるまで泣きました。私が失敗した高校の制服を着た人たちをうらみとねたみの思いで見たこともあります。私を落として、私の席を奪った人たちだと...私の席を奪った人

  • ネアンデルタール人滅亡の理由

    『誰かに話したくなる摩訶不思議な生きものたち』(岡部聡著)からの転載です。新型コロナウイルスでわかった耐性の違い新型コロナウイルスについては、年齢や持病の有無などによって、重篤になる人とならない人がいることが、発生の初期からわかっていた。そして、世界的に流行が広がるにつれて、欧米人に比べ東アジア人のほうが、比較的軽い症状で済むケースが多く、世界的な重篤患者の分布に偏りがあることが明らかになった。その原因については様々な憶測か流れたが、2020年10月に「ネイチャー」に発表された論文で、ヨーロッパの人々が重症化しやすいのは、ネアンデルタール人の遺伝子を多く持っているからだ、との研究結果が発表されたのだ。新型コロナウイルスで入院した重症者と、入院しなかった感染者3000人以上の遺伝子を調べた結果、感染者の重症化に影...ネアンデルタール人滅亡の理由

  • 平常心

    法話メモ帳より平常心白隠さんがあるとき、四国に渡るため、船に乗った。夕刻兵庫を出発して、朝讃岐に着くという夜行便だったが、折からの満月。皆大喜びで船ばたに出て、酒を飲んだり談笑したり大にぎわい。酔うほどに声高に自慢話をするものも出てくる。自隠さんもそれを、皆の中に交って二コニコしながら聞いていたが、一刻もするうちにどうしたことか一天にわかに曇って雨がパラパラ落ちてきた。「おや雨か?」と空を見上げる間もなく、風はゴウゴウ。雨はザアザアの大しけ模様。「ワーツ。こりゃあ大変だ。桑原桑原」船ばたで騒いでいた連中も、しけとの闘では生きた心持もなく、みんな一目散に船底に駆けこんで、隅の方で真っ青な顏をして震えている。「うーむ。これは大分ひどい風雨になった」白隠さんも笠で雨を避けながら、船室に入ろうとしてふと見ると、ともの方...平常心

  • “許す”とは傲慢です

    法話メモ帳より30年前の本願寺新報虚仮霊山勝海“許す”とは傲慢です弟子の子貢(しこう)が「生涯行うに足ることを一言で教えてください」とたずねたとき、孔子は「他の言動を許すこと」と答えました。社会を生きるものにとって、最高の善行として、許すという心の姿勢が指示されているのです。他の非を責め、裁き、そして報復しようとする修羅さながらの人間関係の中で、私にむかって悪意に満ちた言葉をなげかけ、さげすみの態度で対する彼をも許せというのです。何と崇高な心でしようか。しかし、このような崇高な心も、よく観察してみると、おかしな構造でなりたっています。すなわち、許すという考えの前提に、彼が一方的に悪者であるときめつけている私の傲(ごう)慢があります。私には何ひとつ非難されるものはないという自己絶対視の上に、許すという心情は成立し...“許す”とは傲慢です

  • 五兵衛の一計

    法話メモ帳より五兵衛の一計昔、常陸国に鍋屋五兵衛というものがいたが、その妻は姑と大変仲が悪く、いわゆる犬猿の仲。五兵衛も大いに困り、いろいろ説得するのだが一向に聞き入れない。さてどうしたものかといろいろ考えた末、遂に一計を案じた。そこでその夜妻をまねき、「おれもいろいろ考えたが、これはどうも母者に無理か多いようだ。老人は実に頑固なので困る。おれもほとほと愛想がつきた。ついては極く内密の相談だが、どうかお前、二十日ばかりのあいだできるだけ念をいれて孝行してくれぬか。そのうちおれが、夜、毋を裏の池へおびき出し、突き落して殺してしまう。世間の人はお前が孝行を尽くしたあとだから、さすがの鬼婆も後悔して申し訳のために身を投げた、というに違いない。そうなったら、おれたちは邪魔者が居なくなってスッキリする。どうだ」と相談をも...五兵衛の一計

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