昨26日から29日迄、築地本願寺において「親鸞聖人誕生850年、立教開宗850年記念慶讃法要」です。昨日、10人で団体参拝、庭儀があり荘厳さな法要でした。満堂で700人といった参会者でした。記念冊子が無料で配られましたが、その冊子の中に、当日、ライブ配信されているE映像を参拝しながら見られるようにQRコードでも印刷してあれば、ラジオを聴きながら野球観戦するように楽しめたと思いました。築地の慶讃法要
法話メモ帳より母と子のにおいの絆(22.1.1朝日新聞掲載)おかあさんなあにおかあさんていいにおいせんたくしていたにおいでしよしゃぼんのあわのにおいでしよ作詞家の田中ナナさん(84)は、童謡「おかあさん」を生むきっかけになった50年前の出来事を、今もはっきりと覚えている。帰国したばかりの妹の式子さん(79)と、その娘ルビーさんが1年ぶりに再会する場に立ち会った。夫の仕事でフランスに渡った母。そして、伯母にあたる田中さんと、おばあちゃんのもとに残った娘。自宅の玄関で、久々の対面。なのに、母親の顔をすっかり忘れたルビーさんは、泣きながらおばあちゃんに抱きついた。耳元で、おばあちゃんは優しく語りかける。「ほら、ママよー。いいにおいがするでしょう」おそるおそる、式子さんに鼻を近づけるルビーさん。ほのかな甘いにおい。目を...母と子のにおいの絆
法話メモ帳より名がそのまま勝山善譲(1865-1951福岡県西応寺。本願寺派勧学)という方がおられたんです。その人が、第七華座観だけを講義されたことがありました。その時に一ついいことを教えてもらいました。それは、「第七華座観のはじまりに、お釈迦さまが、韋提希よ、苦悩を除く法を教えるぞよ、とおっしやっている。これが名号のおこころだ」と。南無阿弥陀仏は、苦悩を除く法です。そこで名号の意味を説いているもんだから、こんどは光明を放った仏さまが出てこられたんです。第十八願は紙幣みたいなもので、金貨でない。あ冊なんだ。けれどもお札というものは、金貨一万円といつでも換えるという保証づきのもんだ。(紙幣を金貨と引き換えるというたとえ)。便宜上お札なっておる。お札も金貨も同じ値打ち。お札ほうが便利がいいので、お札ということになっ...名がそのまま
法話メモ帳より大映映画「妻の日の愛のかたみに」(1965)若尾文子,船越英二,映画あらすじ歌人の池上三重子が記した同名手記をもとに、木下恵介が脚色し富本壮吉がメガホンをとった愛の物語。難病に冒された若妻が愛をまっとうするために下した決断とは。正之と千枝子は昭和28年に見合い結婚をした。千枝子は九州の柳川に嫁ぎ、小学校の教師として働いていた。しかしある日、千枝子は指に痛みを感じチョークを取り落としてしまう。痛みはやがて全身に広がり、関節リウマチと診断される。正之の母は世間体を気にして離婚を勧めるが、正之は別府国立病院に入院した千枝子を必死に看病した。九州では子供を産めない嫁とは離縁するという風習が根強く、千枝子は自分が妻にふさわしくないのではと思い悩む。千枝子は正之に離婚を申し出るが、正之はそれを拒み続けるのだっ...妻の日の愛のかたみに
法話メモ帳より太田信隆(奈良・誓興寺住職、*龍谷大学講師)*当時30年前の『大乗』掲載数年前のことです。ある放送局の人が奈良の唐招提寺へ取材に行き、「鑑真の坐像はどこにありますか」「鑑真の墓はどこですか」というようなことを尋ねました。応待した坊さんは「鑑真和上は私たちの寺のご開山です。鑑真和上を呼び捨てにするような人の取材には応じかねます。どうぞお引き取りください」といったそうです。私はこの話を聞いて、これがまともな坊さんであると思いました。歴史の本や伝記には「日蓮」と書かれてはいましても、日蓮聖人の教えを信じている人たちは、めったに尊称をつけずにその名を呼びません。たいてい「日蓮大聖人」といっています。天理教の信徒は中山みき教祖のことを「親さま」といいます。天理教の本部に行って「中山みき」と呼び捨てにしたら、...父の涙
法話メモ帳よりある日のこと。白隠禅師がお寺で法話していたときのこと。その聴衆の中に、一人の念仏信者のお爺さんがありました。禅師の話を聞きつつ、しきりに小声で、お念仏を称えていた。禅師は法話を終えてから、その老人を自分の居間に呼んで、試みに念仏の功徳を尋ねてみた。「いったいお念仏はなんの呪いになるか」その時に老人は、「禅師、これは凡夫が如来になる呪ないです」といった。白隠は、「その呪いはいったい誰が作られたか、阿弥陀さまはどこにおられる仏さまか。いまでも阿弥陀さまは極楽にござるかの」といって、いろいろと念仏信者の老人を試した。老人は、「禅師さま、阿弥陀さまは、いまお留守です」と答えた。留守だという不思議な答えを聞いた白隠は、さらに、「しからばどこへ行ってござるか」と追及しました。その時老人は、「衆生済度(しゅじょ...白隠禅師の念仏問答
法話メモ帳より親孝行江州にすむ、近所でも評判の孝行むすこが、遂に殿さまに見出されて、御ほうびをうけた。江州一の親孝行という折紙がついたのである。ところが、信州の方に日本一の親孝行なるものがいるといううわさを聞いた。そこで、「日本一とはいったいどんな男だろう」と江州の男は信州へその男をたずねてみることにした。やっとのことでたずねあてると、年老いた母親だけがいて、むすこは不在だった。山へたきぎをとりにいっているが、まもなくかえるから、よかったらかえるまで待てと母親はいう。そこでしばらく待っていると、むすこがたきぎを背負ってかえってきた。毋親はむすこを見るといそいで土間にとびおり、だきかかえて背中からたきぎを下ろしてやり、わらじをぬがせて足を洗ってやる。終ると今度はゆかに寝かせて、つかれたであろうとせっせと足腰をもん...親孝行
法話メモ帳より餅の値引き落語の「こんにゃく問答」の原型の話。ある禅寺へ行脚僧がやってきて、和尚に面会を乞うた。これは何だか怪しい奴と思った取り次ぎの小僧、「和尚さんはいま留守ですが。御用なら私が承りましょう」というと「小僧ではしょうがない。また出直すか」と立去りかける。小僧は「馬鹿にしないでください。なりは小さくとも。知恵は大きい。大概のことは間にあいますよ」とおっかけた。そこで、その行脚僧、小僧をちょうとからかってみたくなり、小僧の前に手をぬっとつき出し、人さし指と親指で丸い輪をつくって見せた。すると小僧すかさず、大手を拡げて見せる。「むむ、これは面白い小僧だ」とばかり、その僧、調子にのって、今度は指一本を前に出すと、小僧はすかさず五本の指を出す。「うーむ」と内心感心しながら、つづいて指を三本出すと、小僧間髪...餅の値引き
法話メモ帳より良寛の句にみる安らかな死良寛は腸ガンのために死んだといわれている。それも200年も昔,医療設備のない越後の山村で,しかも他人の家の離れで,他人に看とられて息を引きとった。それに死んだ時期が正月であった。越後の寒波がどんなにきびしいものか,わたしには実感がないが,激しい下痢の身には,南国の寒夜だって耐えられるものではない。その北国の寒夜を,臨終目前にして,どのように過ごしたか,その一端を彼の病中吟のうたで知ることができる。・ぬば玉の夜はすがらに屎(くそ)まり明かしあからひく昼は厠に走りあえなくに・この夜らの明けなむこの夜らの明けはなれなば女(いみな)きて屎を洗はむこひ転(ころ)び明かしかねけりながきこの夜を・言に出でて言へばやすけしくだりばらまことその身はいやたえがたしこれらのうたから推して,良寛の...良寛の句にみる安らかな死
法話メモ帳より利井興弘述木辺の錦織寺の前門主木辺孝慈猊下は、お若い頃、祖父鮮妙に学問の手ほどきをお受け遊ばした関係上、私の方へは父が亡くなりましてからでも、続けて毎年の「夏季講座」には御出講下さいました。七十年近くなりましたでしょう。毎年の御親教も、私の方の「夏講」の時は、いつも御讃題は「論題」を選ばれたありがたい御親教でございました。はじめの御言葉はきまったように「不常のいのちをながらえて、今年も又夏溝に参詣をいたしました」と二年以上の学生や先輩は皆この御言葉を覚えておりました。やさしいお声と品のある温顔は今でも眼底に焼きついておりました。ある夏講の時、猊下がとつぜん、「利井、お前はうちの(木辺派)辻の書いた木を読んだことがあるか」実はありません、辻円証碩学(勧学)はお顔も存じておりましたし、天文学の家で、そ...攝はささやく
法話メモ帳より甲斐和里子さんの述懐「私はご信心を頂こう、ご安心を貰おと、長い間悩み悶えて苦しみましたが、仏さまが、和里子にご信心持せたら怪我するから危ない、だからご信心はくださらなかったが、かわりに南無阿弥陀仏のお六字さまをくだされた。…」と、喜んだとありますが、南無阿弥陀仏に腹のふくれた姿が、ご信心をいただいた姿であります。真宗の教義についての非難。1.往生浄土、これには現実性がない、苦悩の人生からの逃避ではないか2.他力本願、これでは自主性がない、自律性がないではないか3.悪人正機、これでは倫理性・道徳性・社会性がないではないか(以上)法話等で「浄土真宗の三本柱」が語られることがある。往生浄土、他力本願、悪人正機だ。その三本柱を語るよりも、上記のような「三つの非難」という語りかけの方が、興味を持って話に接す...浄土真宗への非難
法話メモ帳より中学生の作文米沢英雄著「信とは何か」より元服ぼくは、今年三月、担任の先生からすすめられてA君と二人〇〇高校を受験した。〇〇高校は私立ではあるが、全国の優等生が集まってきているいわゆる有名校である。担任の先生から、君たち二人なら絶対大丈夫だと思うと強くすすめられたのである。僕らは得意であった。父母も喜んでくれた。先生や父母の期待を裏切ってはならないと、僕は猛烈に勉強した。ところが、その入試で、A君は期待通りにパスしたが、ぼくは落ちてしまった。得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまったのだ。何回かの実力テストでは、いつもぼくが一番でA君がそれに続いていた。それなのに、そのぼくが落ちてA君が通ったのだ。誰の顔も見たくないみじめな思い。父母が、部屋にとじこもっているぼくのために、ぼくの好きなものを運んでくれて...元服
法話メモ帳より[才市の歌](木村博士の法事に際して)「才市が病気は南無阿弥陀仏を飲み込めば直るか」「いいや」「そんならどうすれば直るかへ」「才市が病気は南無阿弥陀仏さまに飲み込まれるで直るであります」才市は六字の丸薬に丸で飲まれて、六字の中で御礼報謝。報謝するのも不思議なものよ。不思議不思議で報謝するのよ。ご恩嬉しや南無阿弥陀仏。法然さまは六万遍、才市は時々。六万遍も時々も一つこと。ご恩嬉しや南無阿弥陀仏。才市の歌
死線をさまよって東昇(昭和57年10月26日『大乗』掲載)今年の四月二十四日、わたしはいつものように元気よく京都大学ウイルス研究所の自分の研究室へ出かけました。研究所へつきまして、自分の部屋のドアをひらいたとたんに、わたしは倒れてしまったのです。午前十時のこと、それはまったく突然のことで、倒れた直後はしばらく意識がはっきりしておりました。冷い脂汗、ねばっこい脂汗がとめどもなく吹き出て、キリキリと刺すような、剔られるような、いいようのない胸の痛み、はり裂けるような背中の痛み、今にも息が止まりそうな苦しさでした。医学をおさめたものとして、わたしは直感したのです。これはしまった、これは循環系の中枢部の突発的な変化からきた痛みにちがいない。間髪を入れずに、わたしの周囲の人たちはわたくしをすぐ隣の京大病院へ運びこみました...死線をさまよって東昇
『「ボケたくない」という病』(健康美活ブックス・2020/3/26・和田秀樹著)から、数字の部分だけ転載します。国立長寿医療研究センターの調査(20代から70代の男女約2000人の調査2004年)では、「高齢者になるのは不安」と答えた人は8割以上、その不安の内訳は、「病気になること」(72%)、「収入がなくなること」(68%)を抜いて「寝たきり言認知症になって介護が要になること」(78%)が1位になっています。また、ご心配な病気は、「がん」(77%)と「認知症」(70%)が大多数で、約4割の人が長生きしたくない」とも回答しています。内閣府が行った「高齢者の日常生活に関する意識調査(60歳以上の男女約4000人の調査2014年)でも、日常生活でもっとも大きい不安は「健康や病気」(約68%)、「寝たきりで介護が必要...『「ボケたくない」という病』
『依存症が分かる本』(松本俊彦著)に掲載されていたネズミの実験です「ネズミの楽園」実験が示すもの1978年.カナダの心理学者ブルース・アレクサンダー博士らによっておこなわれた実験植民地ネズミ(一匹でとじこめられた空間にいるネズミ)大半が普通の水より好んでモルヒネ水を飲み、うつらうつら。砂糖を加えて甘くしたものから、砂糖なしの苦いままのものに変更しても、モルヒネ水を飲み続けた。楽園ネズミ(数匹で自由に楽しむネズミ)モルヒネ水はほとんど飲ます、交尾をしたり遊んだりと、活発に動きまわっていた孤独な環境に置かれると薬物依存になりやすい?薬物依存と環境との関係を示す、「ネズミの楽園」と呼ばれる有名な実験があります。三二匹のネズミを二つのグループに分け、対照的な居住環境に置き、それぞれにモルヒネ入りの水と普通の水を用意し、...孤独が依存症を生み出す実験
法話メモ帳より昔、あるところに盲の人がいたう。この人はただの盲ではなく、相当な哲学者だった。が彼の住んでいる村では、村全体が彼のために悩まされていた。というのは、彼は光などというものは、この世に無いと論理的に立証してしまうからだった。彼が言うには、「私には手があって、ものに触れ、それを感じることができる。だから、光がどこにあるか私に示してほしいものだ。もし何か存在するものがあるとしたら、それは必ず触れることができるはずだ。もし何か存在するとしたら、それは味わうことができるはずだ。それを打ったら私にその音が聞こえるはずだ。」村人たちは、彼の主張に反論することができないものだから大いに困ってしまった。彼には四つの感覚しかなく、こう言うのだ。「私には感覚が四つある。光を私のところに持ってきてくれさえすれば、私はこの四...盲目の哲学者
法話メモ帳より刑務所の囚人藤原正遠先生のお話。先生がある日、刑務所の囚人にお話にいらした。お話がすんだとき、若い囚人が先生に食ってかかった。「あんたは偉そうに、ぼくらにお説教をしているけれども、あんたはねえ口目先がうよくて、世の中を適当にごまかして生きてきたから、刑務所に入らないですんでいるのだ。おれなんかは若くて、口も下手で、ごまかすことができなかったから、こうして刑務所に入っているんだ。おれは正直者だから、刑務所に入っているんだ。」そのことばが、先生の胸にこたえた。それで、「そうだ。あんたの言うとおりだ。今のところ何とかごまかして、刑務所に入らないですんでいるけれども、そのうち、ごまかしがきかんで刑務所に入るようになったら、よろしくたのむよ」と、おっしゃった。そして続けて、「しかし、あんたの言うことを聞いて...藤原正遠先生の話。
法話メモ帳より頭巾なしの大黒さんある男、仙崖和尚を困らせようと計った。「和尚さん、大黒さんはどれを見ても頭巾をかぶっている絵ばかりです。どうか頭巾をかぶらぬのを描いていただきたいものです」と注文した。仙崖が、大黒天の頭の毛を描くかどうか、和尚もこれにはちょっと困るだろうと考えたのである。しかし、和尚はいっこうに困ったようすもなく、「造作もないことじゃ。明日までに画いておこう」と答えた。翌日、再び和尚を訪ねると、絵ができていた。見れば、大黒が鳶に頭巾をさらわれて、ハッと驚き、右手を頭上に伸ばしているところが描いてある。頭はやっぱり隠れていたのである。絵を頼んだ男もこれには口をあんぐりであった。ぐるりっと家を取り巻く貧乏神仙崖和尚が、ある壇家の新築祝いに招かれた時である。祝宴の席で、その家の人から、「和尚さん、新築...天突く、天突く
柏市の図書館で新しく入庫した本の検索で『バイアスとは何か』(ちくま新書・2021/6/10・藤田政博著)がありました。バイアスとは認識の歪みのことですが、「バイアスもとは、私たちが祖先から受け継いだ身体と情報処理の仕組みを使いながら、なんとかこの世界でうまく生き延びていこうとする努力の(副)産物ともいえます」(本書256ページ)とあります。バイアスがあった方が、人類は生きのび、そして生存競争で、バイアスという特性は、排除されずに、現在形で機能しています。その辺りが興味深いところです。本を読みながら、人類にとって、人は「罪悪深重」のほうが生存競争に有利であり、「罪悪深重」という特性は排除されることなく今日に至っている。浄土真宗との関連で考えるところがありました。だいぶ飛躍しますが、信心獲得した人は、この世に迷いの...『バイアスとは何か』
法話メモ帳より加藤弁三郎ラジオ放送で「地獄極楽について私の考えに四つの段階がありました。第一は幼年期で絵にかかれた地獄極楽をそのまま信じていました。第二は、科学知識旺盛な青年期で、この頃は宗教を否定しておりました。第三は壮年期で、社会にでて色々な矛盾を感じていたころで、地獄極楽はなけねばならないと考えていました。悪いやつは地獄へ、正直でまじめな人はやがて極楽がやってくるのだと信じました。第四は現在の心境で、前の三つの段階のいずれでもありません。地獄も極楽も只今のお念仏の中に味われてくるのです。心の内側をかえりみると、我欲や憎悪や愚痴など煩悩をたたえているところに地獄へのむくいがやどされています。このようなあさましい煩悩罪障を救うて必ず仏のさとりにあらしめんとの阿弥陀仏の本願をかみしめるとき、そこに浄土の世界がは...地獄と極楽
法話メモ帳より有名な白隠禅師がおられたころ、近くにありがたい老女の念仏者がいました。雲水の若僧であった禅師の寺のまえを通りすぎて、いつも向うの真宗の寺へまえりにいっていたのです。ある日、禅師が老女にたずねました。「おばあさん、あなたはなぜ向うのお寺へ参るのか」「はい、向うのお寺には親様がおられるからですわい」「親様とは阿弥陀さんのことかい、阿弥陀さまは、西方十万億の遠い極楽におられるのではないのかね、そんな遠いところの仏さまをおがんでどうするかね」すると、老女は腰をのばして禅師の耳もとまで口をもってゆき、大きな声で、「南無阿弥陀仏」ととなえて、「親さまは、ここに来ておられるわい」とこたえたのです。禅師はびっくりしましたが、内心、この老女の念仏はほんものだと感じました。しかし、さらに老女をいじめるようにききただし...阿弥陀さまの本籍
法話メモ帳より大乗2009年6月号安芸教区浄土寺住職朝枝思善“おまえはダイヤモンドだった”先日、門徒の夜伽(広島では通夜のこと)にお参りしたときのことであります。夫を失った妻君が、にこにこ顔で対応しているので、とてもびっくりしたのです。不思議に思って話しかけてみました。「どこが悪かったの?」「はい、直腸がんで入院していました」「よく看てあげたのだそうですネ」「でもとてもわがままなところがあって、金曜日の夕方には自宅に帰り、月曜日にまた病院に行く生活だったんです。どうしてかというと、それはご院家(住職)さんのお世話で新しい仏壇を購入したとき、『仏壇は飾り物ではない。お浄土の出店だから朝夕必ず仏参し、阿弥陀さまにごあいさつをし、時にはお寺に参って聴聞をする』とかわした約束を守るためでした」と言われるのです。このわが...おまえはダイヤモンドだった
法話メモ帳より「袈裟」栗山一思作ある村に律儀な老夫妻がいました。二人は、田畑の仕事の合間に,汗もふかずに何やら話しています。「ばあさんや、私どもが救われるというありがたい教えがあるそうだぞ」「そんな教えがあるじゃろうか」「いや、確かにあるそうだ。村の衆から聞いたからまちがいない。なんでも、南無阿弥陀仏という仏さまに救われる教えだそうじゃ」「でも、おじいさん、私たちは無学で、仏さまの教えがどっちを向いているやら、何も知らないんですよ。仏教の修行もしたことがない。朝から晩まで一日中、土と一緒で、一鍬一鍬に虫を殺して生きとります。そんな私たちが助かるようなありがたい教えがどこにありましょう。」「阿弥陀仏という仏さまは、そのような罪の深い、愚かな凡夫を特に哀れみたもうて、戒律もいらず、行もいらず、ただ信ずる1つで救うて...「袈裟」栗山一思作
『四十八願講説』(山崎教正著)に、小倉遊亀(おぐらゆき、1895-2000・日本画家、女性として初めて日本美術院同人、文化功労賞。)に逸話が掲載されていました。以下転載です。美人画家として有名な小倉遊亀さんは次のようなことを話しておられました。近ごろ観音菩薩など仏画をかいているけれども俗の姿も画いてみたい気持があって、京都先斗町で踊りを見、多くの舞妓さんたちと遊びました。その中で未だ女らしさも生れてないような一人の舞子が側に居たので興味をおぼえてその少女を描いてみようと思い、「そのうちに」と約束をしました。一ヶ月程して、また先斗町に行ってその妓に会いましたら、こんな輝くような美しさが一体何処からきたかと思う程に美しく変っていました。その時、その待合のお女将さんが出てきて言いました。「先生、不思議どっせ、えらいも...小倉遊亀さんの逸話
法話メモ帳より『阿弥陀経』に「少善根福徳の因縁を以って彼の国に生ずることを得べからず」とあって、この文に引きつづいて「名号を執持すること」とつづきます。「少善根福徳の因縁を以って彼の国に生ずることを得べからず」につづいて「念仏は多善根」とあれば、収まりが良いのですが、経文にはありません。法然聖人は、選択集をお書きになる時に、当時、中国の襄陽にあるという石に刻んだ阿弥陀経の文「専ら名号を持す牡は、名を称するを以っでの故に諸罪消滅す。即ち是れ多善根福徳の囚縁なり」をもってきて其の証拠とした。その㐮陽の石刻のご文は、現在、九州福岡県の宗像神社に保存されているという話を耳にします。九州福岡県の宗像神社に保存されている㐮陽の石刻のご文について『四十八願講説』(山崎教正著)に記されていました。以下転載して紹介します。その石...㐮陽の石刻のご文
夏の甲子園、同じユニホーム姿の二つの智弁学園の決勝戦で話題となった。智弁学園は、宗教法人辨天宗が設立した学園です。日本には、宗教法人立の学園が意外と多い。私の所属する浄土真宗本願寺派でも大学8校、高校が24校あります。その一校に北九州市門司区に鎮西敬愛学園鎮西高校があります。以前、その鎮西の校長先生が卒業生の作文を紹介されていました。「私の席を奪った人」私は第一志望の国立大学に合格しました。有頂天になり両手を高々と上げて、万才三唱をしたい思いですが、鎮西に学んだ私にはできません。私は高校受験で第一希望の一公立高校を失敗しました。くやしくて悲しくて、みじめな思いで涙が涸れて出なくなるまで泣きました。私が失敗した高校の制服を着た人たちをうらみとねたみの思いで見たこともあります。私を落として、私の席を奪った人たちだと...私の席を奪った人
『誰かに話したくなる摩訶不思議な生きものたち』(岡部聡著)からの転載です。新型コロナウイルスでわかった耐性の違い新型コロナウイルスについては、年齢や持病の有無などによって、重篤になる人とならない人がいることが、発生の初期からわかっていた。そして、世界的に流行が広がるにつれて、欧米人に比べ東アジア人のほうが、比較的軽い症状で済むケースが多く、世界的な重篤患者の分布に偏りがあることが明らかになった。その原因については様々な憶測か流れたが、2020年10月に「ネイチャー」に発表された論文で、ヨーロッパの人々が重症化しやすいのは、ネアンデルタール人の遺伝子を多く持っているからだ、との研究結果が発表されたのだ。新型コロナウイルスで入院した重症者と、入院しなかった感染者3000人以上の遺伝子を調べた結果、感染者の重症化に影...ネアンデルタール人滅亡の理由
法話メモ帳より平常心白隠さんがあるとき、四国に渡るため、船に乗った。夕刻兵庫を出発して、朝讃岐に着くという夜行便だったが、折からの満月。皆大喜びで船ばたに出て、酒を飲んだり談笑したり大にぎわい。酔うほどに声高に自慢話をするものも出てくる。自隠さんもそれを、皆の中に交って二コニコしながら聞いていたが、一刻もするうちにどうしたことか一天にわかに曇って雨がパラパラ落ちてきた。「おや雨か?」と空を見上げる間もなく、風はゴウゴウ。雨はザアザアの大しけ模様。「ワーツ。こりゃあ大変だ。桑原桑原」船ばたで騒いでいた連中も、しけとの闘では生きた心持もなく、みんな一目散に船底に駆けこんで、隅の方で真っ青な顏をして震えている。「うーむ。これは大分ひどい風雨になった」白隠さんも笠で雨を避けながら、船室に入ろうとしてふと見ると、ともの方...平常心
法話メモ帳より30年前の本願寺新報虚仮霊山勝海“許す”とは傲慢です弟子の子貢(しこう)が「生涯行うに足ることを一言で教えてください」とたずねたとき、孔子は「他の言動を許すこと」と答えました。社会を生きるものにとって、最高の善行として、許すという心の姿勢が指示されているのです。他の非を責め、裁き、そして報復しようとする修羅さながらの人間関係の中で、私にむかって悪意に満ちた言葉をなげかけ、さげすみの態度で対する彼をも許せというのです。何と崇高な心でしようか。しかし、このような崇高な心も、よく観察してみると、おかしな構造でなりたっています。すなわち、許すという考えの前提に、彼が一方的に悪者であるときめつけている私の傲(ごう)慢があります。私には何ひとつ非難されるものはないという自己絶対視の上に、許すという心情は成立し...“許す”とは傲慢です
法話メモ帳より五兵衛の一計昔、常陸国に鍋屋五兵衛というものがいたが、その妻は姑と大変仲が悪く、いわゆる犬猿の仲。五兵衛も大いに困り、いろいろ説得するのだが一向に聞き入れない。さてどうしたものかといろいろ考えた末、遂に一計を案じた。そこでその夜妻をまねき、「おれもいろいろ考えたが、これはどうも母者に無理か多いようだ。老人は実に頑固なので困る。おれもほとほと愛想がつきた。ついては極く内密の相談だが、どうかお前、二十日ばかりのあいだできるだけ念をいれて孝行してくれぬか。そのうちおれが、夜、毋を裏の池へおびき出し、突き落して殺してしまう。世間の人はお前が孝行を尽くしたあとだから、さすがの鬼婆も後悔して申し訳のために身を投げた、というに違いない。そうなったら、おれたちは邪魔者が居なくなってスッキリする。どうだ」と相談をも...五兵衛の一計
「ブログリーダー」を活用して、仏教を楽しむさんをフォローしませんか?
昨26日から29日迄、築地本願寺において「親鸞聖人誕生850年、立教開宗850年記念慶讃法要」です。昨日、10人で団体参拝、庭儀があり荘厳さな法要でした。満堂で700人といった参会者でした。記念冊子が無料で配られましたが、その冊子の中に、当日、ライブ配信されているE映像を参拝しながら見られるようにQRコードでも印刷してあれば、ラジオを聴きながら野球観戦するように楽しめたと思いました。築地の慶讃法要
『思考停止という病理:もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』(平凡社新書・023/5/17・榎本博明著)からの転載です。アメリカの教科書の209篇、日本の教科書の211篇を分析の対象としているが、「強い個人」というテーマはアメリカでは53篇もあるのに対して、日本ではわずか7篇にすぎなかった。細かく見ていくと、「自己主張」というテーマはアメリカの7篇に対して日本では皆無、「自立心・独立心」というテーマもアメリカの7篇に対して日本では皆無、「強い意志」というテーマはアメリカの15篇に対して日本ではわずか1扁であった。アメリカの教科書で多く取り上げられている「自己主張」というテーマが、日本の教科書ではまったく取り上げられていない。このように、「自己主張」をよしとするアメリカ文化と「自己主張は慎むべし」:とする日本...思考停止という病理②
『思考停止という病理:もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』(平凡社新書・023/5/17・榎本博明著)からの転載です。相手を信頼すぺきで疑うのは失礼だ、と思う心理日本で生まれ育つと、当たり前のようになっており、とくに意識しなしことも、海外の人と接すると強烈に意識せざるを得なくなるということがある。その一つが、人を疑ざず信頼しようとする心理傾向だ。私たちは、生まれ落ちた社会の文化にふさわしい人間につくら行く。これを社会化と言うが、日本に生まれれば日本人らしく自己主張を慎み、謙虚さを身につけ、相手を尊重し、思いやりをもって相手の気持ちを汲み取ろうとするようになるとともに、信頼すれば相手ば必ずこちらの気持ちに応えてくれるはずと信じ、人を疑うのは失礼だといった感覚を身につけてしく。アメリカに生まれれば、アメリカ人...思考停止という病理①
『パラサイト難婚社会』(朝日新書・2024/2/13・山田昌弘著)からの転載です。古くを振り返れば、平安時代の貴族階級は紫式部の『源氏物語』に見られるように、女性は親元に住み続け、そこに夫が通ってくる「妻問」、いわゆる「通い婚」が一般的でした。男性が3日問続けて女性のもとに通い続けると、4日口に女性の両親も含めて会食をし、それで「結婚が成立した」とみなされる時代だったのです。実際に、『源氏物証』のストーリーの核ともなる男女の恋愛模様は、(主に貴族階級に限ってですが)1人の夫に複数の妻という「一夫多妻」の慣習があったればこそ。あの時代に現代的一夫一婦制が確立されていれば、日本文学の革たる名作もこの世には生まれなかったはずです。光源氏は、葵の上という正妻がいながら父の後妻と関係を持ち、のちに正妻格となる紫の上...パラサイト難婚社会
本日、午前11時から西方寺本堂・庫裏建設の起工式です。設計は長野県の中村建築研究所、施工は松井建設です。設計に3年かけて、本日に至りました。表白(起工式)敬(うやま)って光(ひか)りといのちきわみなき、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)のご尊前(そんぜん)に申(もう)し上(あ)げます。如来(にょらい)は、われら凡夫(ぼんぶ)を、無量(むりょう)の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とをもって育(はぐく)み、金剛(こんごう)不壊(ふえ)の信(しん)を恵(めぐ)んで無明(むみょう)の長夜(ちょうや)に、無碍(むげ)の一道(いちどう)をお示(しめ)しくださいました。いまここ柏市(かしわし)布施(ふせ)の地(ち)に、諸(しょ)縁(えん)ととのい、法(ほっ)照山(しょうざん)西方寺(さいほうじ)、本堂(ほんどう)建設(けんせつ...西方寺本堂・庫裏建設の起工式
この3月まで「本願寺派仏教婦人会総連盟講師」でしたが、定年です。この2年間は、各教区への研修会出講が、コロナのため少なく、西方寺にとってが、助かりましたが、個人的には、燃焼不足でした。この4月からは「本願寺監事」に就任しています。本日が、初会合で京都出張です。本願寺派の監事は、「宗派監事2名」「本願寺監事2名」「築地本願寺監事2名」おり、指名されて初めて、そのような事後とがあることを知りました。本願寺監事
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。鎌倉での一切経校合に参加する関東時代の親鸞の行実としては、鎌介での一切経校合もしばしば注目される。覚如撰述の『囗伝鈔』によると、北条時氏が鎌倉で政治を執っていた頃、北条氏が願主となって一切経(大賊経)の書写が行われた。このときテキストの校合のために学僧を招請することになったが、そこで親鸞が尋ね出されて推挙され、親鸞は招請に応じて一切経の校合を行ったのだという。『親鸞正明伝』には、親鸞は六十余歳のとき相模国江津(神奈川県小川原市出府津)にしばらく滞在したが、ちょうどこのとき北条泰時(時氏の父)が鎌介で一切経書写の校合慶讚の怯要を催していて、優れた利者ということで親鸞はその法要に招かれ、校合の責任者(京匠)になった、と書かれている。『親鸞伝絵』...鎌倉での一切経校合
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。坊守のモデルとされた玉日姫親鸞と玉日姫の結婚については、あくまで伝説とみて、そもそも玉日姫の実在を疑う研究者も多い。たしかに、法然が親燃の六角堂夢告のことをあらかじめ知っていたというくだりなどは、できすぎた話であるように思える。また、下級貴族出身の遁世僧と摂関家の娘では身分が違いすぎて結婚することなどありえない、という見方もある。江戸時代には、玉日姫の法名が恵信尼だとされて、両者が同一人物と考えられたこともあった。だが、親鸞と玉日姫の結婚譚は、関東門徒系の親鴬伝である『親鸞因縁』にも、『親鸞正明伝』とほぼ同じような内容をもって書かれている。しかし結局、『親鸞正明伝』が語る親鸞とに玉姫の結婚譚がなによりも興味深いのは、親鸞がなぜ妻帯に踏み切っ...坊守のモデルとされた玉日姫
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。『親鸞正明伝』が記す九条兼実の娘玉日姫との結婚譚現代では親鸞の妻というと忠信尼のイメージが根強いだろうが、「親鸞は恵信尼と一緒になる前に別の女性と結婚していた」とする伝承も真宗教団では古くからみられた。その女性というのが、第1章でも言及した、関白九条兼実の娘とされる玉日姫だ。親鸞と玉日姫の結婚について詳述するのはり「親鸞正明伝」である。親鸞は法然の門下に入っておよそ半年後の建仁元年(1201)十月、すなわち二十九歳のとき、法然の指示によって玉日姫と結婚したのだという。同書のそのくだりを、要約して記してみよう。〈建仁元年十月上旬、九条兼実が法然の吉水の禅房を訪ね、仏法談義をかわした。そのとき、兼実が「出家の念仏と、私のような在家の念仏とでは、...玉日姫との結婚譚
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。親鸞の師、慈円次は親鸞出家の師となった天台憎慈円である。慈円は摂政・関白を務めた藤原忠通の子で、久寿二年(1155)の生まれ。源平合戦期に政界の中枢に身を置いて摂政(1186~91)・関白(1191~96)を歴任し、かつ政界引退後は法然に深く帰依した九条兼実は、同母兄である。慈円は永万元年(1165)、十一歳のときに比叡山延暦寺に入り(入室)、覚快法親王(鳥羽天皇皇子)の弟子となる。仁安二年1167)に出家し、当初は道快と袮して密教を学んだ。養和元年(1181)に慈円と改名。建久三年(1192)、三十八歳のときに天台座主(延暦寺のトップ)に就任し、後鳥羽都連の優の護持僧となった。関白兼実の後押しもあったのだろう。この後にも、慈円は三度、天台...親鸞の師、慈円
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。日野範綱は親鸞の父有範の兄、つまり親鸞の伯父であった。後白河法皇の近臣であったので、平清盛が後白河を制して覇権を握っていた時期は苫渋をなめたとみられるが、治承五年閏二月、つまりちょうど親鸞が出家した「春」(旧暦で1~3月)に含まれる時期に清盛が没し、後白河の院政が再開されている。この時期の範綱の眼前には久々に光がさしていたのではないだろうか。その範綱が親鸞の養父となっていたのはなぜか。かつては、「親鸞の実父有範が早世したため、範綱が父親代わりとなっていたのだ」と考えられていて、『親鸞正明伝』は有範だけでなく親鸞の母親も早世したと記している。しかし、近年ではこの見方は支持されていない。昭和戦後に、親鸞の弟で、僧侶になっていた兼有が有範の中陰の...有範の中陰の供養
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)執筆者は古川順弘氏、小本ながら内容のある本です。からの転載です。たとえば、西本願寺が所蔵する親鷺自筆の六字名に、「康元元年十月二十八日」という揮毫した年月日と、「八十四歳」という当時の年齢(数え年)が明記されたものがある。六字名号とは「南無阿弥陀仏」と書かれた掛軸のことで、真宗教団ではこれが本尊となる。康元元年は西暦一一五六年にあたるので、ここから逆算すると、承安三年(一一七三)という生誕年が導かかる。誕生日を四月一目とする伝承があり、現在の西本願寺はこの日を新暦に換算した五月二十一日に親鷺降誕会を行っているが、四月一口生誕は江戸時代に広まったものであり、確たる根拠があるわけではない。(以上)(つづく)親鸞聖人の誤誕生日は、歴史的には定かではありません。親鸞聖人の誕生日
本願寺出版社刊『大乗』に、この4月号から「なるほど仏教ライフ」を、署名入れで連載することとなりました。2024.4月号連載原稿です。能登半島地震から三か月が経過した。「今日、交通事故で死ぬかもしれない命」。法座で良く聞く言葉だが、聴衆に、災害で肉親を失った方がおられたら、その言葉は重すぎて説くことができないだろう。本来、諸行無常は、自分を安全な場所におきて語ることできないみ教でもある。元本願寺派総長で故豊原大成氏(2022.1.23亡)は、阪神・淡路大震災(H7.1.17)で三人の肉親を失われる体験をされた。その豊原氏がNHKテレビ『宗教の時間』(「この命を未来につないで。阪神・淡路大震災から22年」)に出演され、次のように語っておられた。「諸行無常はいわば建前、涙こそ本音。私は今もこの建前の無常と本音の...なるほど仏教ライフ①
本願寺出版刊月刊誌『DAIJO』に2022年4月号から毎月、執筆者無記名のコラムに執筆しています。出版社から三か月は掲載しないでとのことで、期限切れから掲載しています。24年12月号掲載文です。現状維持バイアス言葉には、人間の性質や情念、社会のあり様などを可視化するはたらきがある。三十数年前、幼稚園の講演会に児童精神科医の佐々木正美(1935~2017)先生をお招きしてお話を伺ったことがある。講演の中で、文化人類学者の我妻洋氏(1985年没)の話を引用しておられた。それは「他罰化」のことで、地球上、どのような民族であっても、経済的、物理的に豊かな地域や文化圏に住んでいる人間ほど、外罰性とか他罰性という感情を強くもつ。豊かさと外罰性、他罰性、貧しさと内罰、自己罰という感情は結びつきやすい。これは、人類として...現状維持バイアス
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。ウォーミングアップのためにまず、紀元後第二千年紀にヨーロッパで確立された公式制度に多大な影響を及ぼした可能性の高い、WEIKD心理の四つの側面について考えよう。①分析的思考密接な社会的つながりを欠いた個々人からなる世界をうまく渡っていくために、人々はしだいに、関係性を重視して包括的に考えるのではなく、もっと分析的に世界を捉えるようになっていった。分析的にものを考える人は、個人と個人、あるいは事例と事例などの関連性に焦点を当てるのではなく、個人、事例、状況、あるいは物体をそれぞれ別個のカテゴリー(たいてい独特の性質をもっている)に割り振ること...WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源④
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。これは、次のような三要素をもつ宗教団体の出現をほのめかすものだ。①互助を提供する相互依存ネットワーク、➁聖なる規範への献身の共有、そして③実存的不安や人生の無常に対処しやすくしてくれる儀式や超自然的信念。戦争やその他の災難が絶えない世界では、集団間競争の作用を受けて、この三要素を備えた宗教パッケージが普及していく。なぜなら、こうした宗教こそが、この重要な特質を欠く宗教との競争に勝利するからである(こうした宗教が「真実」だからではない。実際に、自然災害や戦争はいずれも、人々の宗教的信仰心を深め、儀式への参加を促すことを示す多数の証拠が得られて...『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』③
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。一例を挙げよう。ネパール内戦が終結してから10年後に実施された調査では、多くの戦争関連の暴力にさらされた共同体ほど、(共同体の成員同士で行なう)公共財ゲームで協力行動が多く認められた。また、選挙で投票する人達、地域団体に加入している人の割合も高かっか。実際のところ、戦争の被害を受けていない共同体には、任意団体が全くなかったのに対し、戦争の被害を受けた共同体の七〇%に、農業協同組合、婦人会、青年団のような組織が設立されていた。ここでもやはり、戦争が、任意・体に加入しようとする人々の動賺づけを高めていた。戦争がなぜ、ヒトの心理にこのような効果を...『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』➁
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)、英語タイトルの『WEIRD』は、「奇妙な」という意味であるとともに、W:Western(西洋の)/E:Educated(教育水準の高い)/I:Industrialized(工業化された)/R:Rich(裕福な)/D:Democratic(民主主義の)次の言葉の頭文字を取ったものとあります。世界16ヵ国で刊行されているそうです。以下転載です。翻訳者のあとがきからの転載です。ヒトにはもともと、他の霊長類と同様に、子どもを養い、配偶者と絆を形成し、近親個体を助けようとする本能が備わっており、人類社会の最も基本的な諸制度は、はるか昔からずっと、血縁関係やその拡大...WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』(中公選書・2023/10/10・竹沢尚一郞著)からの転載です。ところで、集団規模を拡大することは、危険な敵からの防御や食物獲得の観点では有利だが、集団内の緊張を増加させるという点ではマイナスに作用する。そのことは、うまく対処できなかったなら集団の分裂につながる危険かあるだけに重大な課題といえる。ヒトの先祖とおなじように集団で生きる類人猿はそれに対処する手段を講じており、チニパンジーの場合には、緊張緩和の手段は複数の個体が接触しておこなう毛づくろいであり、これによって脳内に「脳内麻薬」と呼ばれるエンドルフィンが分泌され、幸福感が増大ことが確認されている。しかし、ヒトの先祖のように集団規模がさらに拡大されたケースでは、これだけでは緊張緩和の手段と...ホモ・サピエンスの宗教史③
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』(中公選書・2023/10/10・竹沢尚一郞著)からの転載です。ヒトのつかい、つまり婚姻関係の形成についてのモリスの解釈が妥当か否かは不明だが、チンパンジーは雑婚をするのに対し、すべての人間社会は婚姻制度をもつことが確認されているので、社会が生物学的な適応の過程で生じたことは確実だろう。つがいの形成の問いは別にして、ここで確認しておきたいことは、ヒトの固有の特徴である乳幼児期の引き延ばしと母親や周囲の人間に対する依存関係の延長が、ヒトが進化する過程で生じた生物学的適応にほかならないということだ。私たちは先に、二足歩行を始めたヒトの先祖が、ぶざまで、脆弱で、無防備な身体をもっていたことを見てきた。そして、ヒトがそれほど脆弱で無防備な身体をもつ存在...ホモ・サピエンスの宗教史➁
『「ココロ」の経済学:行動経済学から読み解く人間のふしぎ』(依田高典著)からの転載です。内的動機の持続性人間の内的動機に訴えかけて、節電のような、社会的行動を促進させることが、行動経済学の分野ではよく知られています。しかし、どの程度、その効果が長続きするものか、完全には分かっていません。そこで、私と共同研究者は、1012年夏、東日本大震災後の京都府南部で、経済産業省プロジェクトの一環として、一般家庭に、節電をお願いする介入と電気料金を1㌗あたり25円から最大100円程度まで時間帯別に変動させる介入の2種類を導入して、その持続効果を比較検討しました。その結果は、とても興味深いものでした。平均的な節電効果は、節電要求が3%、変動型電気料金が20%と大きく開きましたが、最初の数日に限れば、節電要求も8%とそれな...内的動機の持続性
『「ココロ」の経済学:行動経済学から読み解く人間のふしぎ』(依田高典著)からの転載です。幸福度研究の可能性経済的富と幸福の直接的関係に対する興味関心が高まったからでしょう。幸福調査で観察される定型的事実があります。国のなかでは所得と幸福の間で相関関係が見られますが、異なる国の間の比較では所得と幸福の間に相関関係がみられません。これを発見者の名をとって、「イースタリン・パラドックス」と呼びます。イースタリン・パラドックスを考えてみると、2つの説明が可能です。第一に、人間が気にするのは自分の絶対所得ではなく、他人との相対所得である。第二に、所得が上がれば、一時的に幸福度は増すが、すぐに慣れて幸福は元に戻る。そのように考えると、パラドックスをうまく説明できます。幸福調査で得られたデータをつぶさに検討することで、...イースタリン・パラドックス
『中外日報』(2023.4.19日号)新しい「領解文」の続報です。新しい「頷解文」本願寺派新しい「領解文」の問題点下新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に関する多岐にわたる問題点について、今回は拝読・唱和の問題と背景にある組織的課題について取り上げる。(渡部梨里)総局は2023年度宗務の基本方針にのっとり、新しい「領解文」の拝読・唱和を進めている。第321回定期宗会で「理解か深まるまで拝読・唱和を待ってほしい」との請願書が提出されたり、これまで関係諸会議で出席者から現場の拝読・唱和に対する違和感や再検討を求める声が幾度も直接総局に伝えられたりしてきたが、施策に反映されていない。新年度を待たず早急に拝読・唱和を進めた背景には3月29日から始まった親鷺聖入御誕生850年・立教開宗800年慶讚法要での全体唱和を...新しい「領解文」の問題点下
『格差という虚構』(ちくま新書・2021/11/10・小坂井敏晶著)、一点だけ転載します。労働による収入を資本収益が上回り、金持ちがどんどんと富む。一方で庶民はますます貧しくなる。だから累進課税・富裕税・相続税などを通して富を財配分する必要があると論じる。だがメリトクラシーは正しいのか。米田の政治哲学者マイケル・サンデルが指摘する。メリトクラシーの思想は社会移動に関するのであり、平等ではない。それにます気づくべきだ。富者と貧者の深い溝が悪いとは言わない。金持ちの子も貧乏人の子も時問の経過とともに、能力に応じて地位が変わる、つまり彼らの努力と才能の結果て上昇下降も可能でなければならない。偏見や特権により底辺に折り付けられたり、頂上に安住できたりしてはならないと主張するだけだ。[……]メリトクラシーの究極の目...格差という虚構
21日、未明、深夜便「明日へのことば」を聴きながら、「やっぱりそうか」と思ったことがあります。ゲストは脚本家・東京芸術大学大学院映像研究科客員教授の大石みちこさん、「マダム・バタフライの「声」に耳をすませて」というテーマでのインタビュー形式のお話でした。大石さんは、映画が好きなこともあって39歳で受験、合格して映像研究科脚本構成一期生となり、2010年の映画「ゲゲゲの女房」の脚本を手掛けるなど、理論と実践を同時に学びながら後進に育成れている方のようです。お話の中で、次のような話がありました。大学に新しい映像研究科が設立されるという事を知って、入ることを決意しました。監督コース、脚本コース、プロデュースコース、技術パートがあり、撮影、照明、サウンドデザイン、美術、編集など7つのコース、7つの領域があって、監...結論から始まる物語
昨21日は京都、本願寺、前日から入りました。仏教婦人会総連盟の総会でしたが、私の仕事は、2時間、ひな壇の上で座っているだけでした。あたらめて「こんな仕事もあるよなー」と思いました。連盟講師は7名ですが5人参加で、一緒にひな壇の上に坐っていて、連盟講師○○さんと紹介されたとき、立って頭を下げる。それが唯一の役割でした。ネット配信での総会なので、現地参加者はほとんどが役員の人だけです。仕事としては、講師がひな壇にすらることによって「総会の権威付け」と、何か突発的な質問があったときに受け答えることです。無駄なようにも思えますが、考えてみると、自分の人生は大方、無駄なことに喜びを感じたり生き甲斐を感じたりしているので、これも良いかなと思った一日でした。無駄なこと?
『ポジティブ病の国、アメリカ』(バーバラ・エーレンライク著)、「ポジティブシンキングについては、アメリカ独特の無邪気な考え方だと思われがちだが、アメリカ独特とはいえないし、無邪気などという可愛らしいものでもない。アメリカとは大きく異なる環境でも、ポジティブシンキングはさまざまな国で政治的抑圧の道具になっている。」(本文より)本書は、19世紀からキリスト教の一別派として生まれ、20世紀にじょじょに浸透し、大衆化し、今やアメリカ合衆国の国民的強迫観念になり、現在の経済恐慌の要因のひとつでもあるpositivethinkingの弊害を論じています。ポジティブシンキングという心的態度が、人々に期待され押し付けられる「規範」となると、それは抑圧となり、現実把握の失敗、現実遊離、現実逃避へと導かれていく。本書の最初に...ポジティブ病の国、アメリカ
『中外日報』(2023.4.14日号)に「新しい領解文」問題をまとめています。その「上」です以下転載。本願寺派新しい「領解文」の問題点を探る上浄土真京本願寺派で1月16囗に発布された「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)についての消息」に対し、これまで勧学や司教、宗会議員や布教使、一般寺院僧侶、門信徒らから様々な声が上げられてきた。それらの声から、教学面、制定の経緯・手続き、拝読・唱和の推進など多岐にわたる問題点と、背景にある組織的な課題が浮かび上がってきた。上下2回の連載で今回は教学面と制定経緯について取り上げる。(渡部梨陽)法義大きく誤る懸念石上総長は発布経緯を説明新しい「領解文」は、2021年4月に大谷光淳門主が示した親教「浄土真宗のみ教え」に師徳の内容を加えた形で発布された。当初から教学面で疑問視...新しい「領解文」の問題点を探る上
「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(二)過日、勧学・司教有志の会は、このたび「ご消息」として発布された「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」(以下、「新しい領解文」)について、その文言全般を通じて、宗祖親鸞聖人のご法義に重大な誤解を生じかねないものであることを「声明(一)」において指摘した。この「新しい領解文」の文章表現について、石上智康総長の著書のなかに酷似する表現が多数見出されることは、すでに宗会等で指摘されているように周知の事実であるが、制定の経緯についても、宗会の質疑その他を聞く限り、極めて透明性を欠いている。そして総局の強引な方針によって、全国の僧侶・門信徒は困惑し、混乱は広がり続けている。ことに三月二九日から始まった親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要では、「新しい領解...「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(二)
『中外日報』(2023.4.12日号)に「本願寺派聖教に基づく伝道をー新しい領解文勧学.司教ら声明第2弾」という記事が掲載されていました。以下転載します。浄土真宗本願寺派の学階最高位の勧学とそれに次ぐ司教ら19人が8日、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する第2の声明を発表した。総局が、伝統的に定められた「聖教」ではない新しい「領解文」に基づく法話や唱和を要請していることや、現代版「領解文」制定方法検討委員会の答申と反する名称を定めたことなどに対して「宗門の根幹を突き崩すもの」と強く批判し、新しい「領解文」の取り下げと、聖教に基づく伝道に立ち戻るよう求めた。声明は「勧学・司教有志の会」から出され、深川宣暢勧学を代表に、森田眞円氏、普賢保之氏、宇野恵教氏の4人の勧学と15人の司教か名を連ねる。(勧学と...勧学.司教ら声明第2弾
金の価格が高騰しているという。金Ⅰグラム9,406円とあり、1970年代以前における金の価格は、現在価格の7分の1程度とある。先般、たまに線香を購入する京都のお香の老舗から、「特価販売」というカタログが届いたので、拙寺報恩講導師用、また正月に供える線香を頼みました。30年前に伽羅を購入したときは、1グラム何千円だったかと思います。この度、購入したら品は伽羅1グラム30.000円、2グラム届きました。伽羅の線香は10本27.000円、線香は1本で充分、本堂を香りで満たします。沈香でもピンキリで、最近は法事に行った折、そのお宅にある抹香ではなく、自分で持参した沈香を使っていただいています。伽羅が高くなった
『アニミズム時代』(法蔵館文庫・岩田慶治著)、は、ほとんど読んでいませんが、ふとアニミズムと一切草木悉皆成仏は似ていると思いました。一切悉有仏性でもそうですが、「仏」という理想的世界によって統一されているが、アニミズムは、いのちのありようがバラバラになっているので、そのいのちに接する人の情念によって、悪になった善になったりするのかも知れません。以下、少しですが本から転載します。朝、庭におりたって木々にあいさつする。「今口は、木蓮さん」、「今日は、泰山木さん」。もちろん、木は返事をしない。しかし、泰山木の枝にぶらさがり、木蓮の肌に触れていると、ゴツゴツした、ザラザラした肌ざわりをとおして、木々の返事がかえってくる。自然のなかの応答、感覚のやりとり、そこにアニミズムの出発点があるのではなかろうか。あの枝にカミ...アニミズム時代
宗派から『新時代の浄土真宗』(浄土真宗本願寺派総合研究所編集、浄土真宗本願寺派情報メディアセンター本部編集)が送られてきました。PHPからの発刊です。ざっと目を通しましたが、みな宗報に掲載されていたことで、そう目新しいものがありませんでした。目新しいと言えば、読者「この商品をレビュー」つ次のようにありました。言い得ています。有難い指摘です。本願寺派は歴史と信用のある組織。ゆえに、親鸞の説く教義をもとに、時代に合う理念や行動が語られる本だと想像して、購入。しかし、読んでみると、社会経験が少ない教団のトップが、時代に合うわけでもない、仏教でもない事を語っている内容だと感じました。教団としては、行動理念を大谷光淳門主説かれる各言葉とし、念仏者の社会活動を模索したいようです。社会活動の内容として、地球温暖化、孤独...新時代の浄土真宗
土門拳の埋葬されている八柱霊園のお墓にご縁を頂いている。墓碑に「昭和22年8月土門真菜」とあり、それから浄土真宗とのご縁が出来たのではないかという話を書いた。土門拳は滅多にわが子のことを記していない。そのような興味から図書館から『土門拳のこどもたち』という写真集を借りてきた。以下、二つのことが記されていた。土門拳と「こども」の写真岸哲男(写真評論家、二松学舎大学名誉教授)の最後に、次の様にある。終戦直後の昭和21年-もう遠いむかしのことになったから、書いてもよかろう。当時6歳のかわいいさかりだった上門拳の次女の真菜ちゃんが、築地明石町の自宅近くの防火川水池で、あやまっておぼれ死んだ。その忘れようにも忘れられない不幸な思い出が、こどもにカメラを向けずにはいられない土門拳の深層意識下にきっとあるにちがいない。...土門拳のこどもたち
引き続き『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。子どもの攻撃性を肯定的行動につなげるそれでは、子どもの攻撃性を肯定的行動につなげていくためには、親や教師の関わりとして何か求められるのでしょうか。子どもの攻撃性の肯定的側面をもっとも強調したストー「『人間の攻撃心』は、親は子どもが外界の危険や内部の攻撃的感情を適切に処理することができるという確信を持って養育すべしと述べています。つまり、子どもを「信じている」かどうかということです。これらの学説を一言でくくれば、家裁調査官と非行少年との関わりをテーマにしたNHKドラマ『少年たち3』(2002年8月放送)で上川隆也演じる家裁調査官が語った、゛”信じること、希望を持つこと、人間はつながっている”という台詞に集約...悪さをしない子は悪人になります④
4月9日(日)、中仏通信の講義で築地本願寺へ行くと「今日は花まつりで駐車できません」とのこと。何とか入れて貰いましたが、境内は1000位の人がいて、出店も「広島お好み焼き」など、屋台の出店と違って、本格的な店が20店舗くらい出店していました。大型の消防車も2台来ていて、お子さんを運転席に乗せて写真を撮るコーナーが人気でした。30年前の築地本願寺の「花まつり」は、銀座三越から築地本願寺まで、作り物の像を引いてのパレードと、子ども向けイベントをしていましたが、人を集めるのには、今の様な飲食を提供することが一番効果的なようです。「やっぱり人は、飲食など煩悩を満たしてくれるものが流行る」と思いながら境内をウロウロしてきました。築地本願寺の花まつり
引き続き『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。「悪」と攻撃性子どもの「悪」は、やんちゃ、いたずら、わるさ、反発、反抗などの攻撃性として表れます。ここで、「悪」と攻撃性について説明します。「攻撃」は意図的になされる危害行為で観察可能であり、「攻撃性」はその行動が生じる心理的な過程であると説明されることがあります。このように定義する限り、攻撃性は「悪い行為を生じさせる心的過程または心的エネルギー」となります。値かに、凶悪事件、粗暴事件などの反社会的非行は他者に危害を及ぼす攻撃行動であり、自傷、薬物乱用、援助交際などの非社会的非行は自分を傷つける攻撃行動です。非行、犯罪やいじめなどの問題行動のほとんどは、攻撃性の歪んだ発動によるものです。そして、それぞれの...悪さをしない子は悪人になります③
『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。悪理学「悪」について説明します。動物行動学、生態学をもとにしながらさまざまな観点から「善」と「悪」について考察したL・ワトソン(『ダーク・ネイチャー悪の博物誌』は、善良なものが腐敗して邪悪なものに転じる契機を「悪理学の三原理」として次のように提示しています。第1原理一よいものは、場所を移されたり、周囲の文脈からはずされたり、本来の生息環境からはずされりすると悪いものになりやすい。どのようなことであれ、もっともよく生きられる場所から移動させられたり切り離されたり遠ざけられたりすると、よいものの安定性が乱され悪くなりやすいのです。そし、元の場所にも移された場所にも問題が生じてきます。ものにはそれぞれに応じた「居場所」...悪さをしない子は悪人になります②
『中外日報』(2023.3.31日号)に本願寺前執行長の武田昭英しが「新しい領解文」について、問題点を投稿していた。新しい「領解文」が全の僧侶・門信徒の間で念が沸き起こっています。宗会でも議論になったようですが、将来の本願寺教団の法義相続に大きな禍根を残すことに気いていたのは、一部の議員のみだったようです。いや、気付いていても、人事権を持った総長の気配りがあったのでないかと思われます。しかし、宗祖親鸞聖人のみ教えが捻じ曲げられることこそが一大事であり、浄土真宗にとって致命的なことです。宗会がこれを座視したことは今後の宗門の衰退に拍車をかけることになる可能性を危惧します。新しい「領解文」の問題点を簡潔に指摘してみます。「後生の一大事」という響きがない。「後生の一大事」は浄土真宗の要です。る。②機の深信が欠如...「新しい領解文」について、問題点
『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)、興味深いタイトルの本です。図書案内に次の様にあります。「悪」は排除するべきものではない。悪と善は相対的なものに過ぎない。大事なのは、総体としての生身の人間の中に「悪」を正しく位置づけることだ。罪を犯し、非行に走った少年であっても、「悪」を正しくその子の中に位置づけてやれば、それは人生をプラスの方向に導くためのエネルギーともなるのだ以前、このブログで〝ハトの喧嘩〟について紹介したことがあります。http://satukirou.hatenablog.jp/entry/2013/10/03/202215転載。鳩を籠に入れて喧嘩させると、際限なく殺し合う。相手が無様に倒れ伏してもその皮を剥ぎ続け、容赦のない追撃を加える。これが平和の...悪さをしない子は悪人になります①