長崎県松浦市福島町。この町には幾つかの炭鉱があった。北部の鯛の鼻炭鉱、南部の福島炭鉱、そして中部の徳義炭鉱だ。
海に沈む炭鉱跡として知られる。1963年に閉山。海岸沿いに巨大なコンクリート跡が残るほか、海上に浮積込桟橋の跡が見られる。
国際情勢が慌ただしい1918年、佐世保海軍で製造された魚雷を試験発射するために開設された。戦後に同様の施設が解体されるなか、数々の遺構が残る観光地でもある。
昭和22年頃に建てられた古い木造校舎。写真の二階に注目。な…なんと屋根が崩落しているのだ。どんな世界が待っているんだろう。
駅としては1929~75年まで運用された。1978年に善宝寺鉄道記念館として再出発するも、駅舎の老朽化及び入場者の減少で、1999年に閉館となった。
通称「Z美術館」 全和鳳(チョン・ファフォン)という美術家の作品を展示していた。住宅地の中にありながら、全体が蔦に覆われインパクト抜群。朽ち果て具合が凄まじく、屋根に崩落物が落下する等で、近隣住民は迷
1916年に完成し1969年まで煉瓦や屋根瓦を焼成。ドイツ人のフリードリッヒ・ホフマンによって開発されたホフマン窯が現存する。
1957年に設立され、1987年に閉校となった。地域の高台にある校庭から、さらに急な石段を登ってゆく。
1988年に設立。通称「バイオハザード研究所」として知られる。未承認の犬型血液型判定薬を販売したとして、2007年に社長らが逮捕され、翌年に倒産した。
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1970年代から存在する二階建ての小規模建築。蔦に覆われ朽ちた様相を呈している。裏側にも同規模の建物があり、渡り廊下で繋がれている。
昭和10年に小学校が、昭和22年に中学校のそれぞれ分校が創立された。現存するのは昭和27年に建てられた校舎。昭和48年に統合により廃校となった。
1994年にオープン。20レーンの中規模施設で1ゲーム500円であった。いつ閉業したかは分からないが、相当の年月を経て朽ち果てている。
明治から国内産業を支えてきた日本屈指の鉱山。1993年に大規模な鉄鉱石の採掘は終わり、長い歴史に幕を閉じた。2007年に近代化産業遺産に認定されている。
経営母体の破産により2000年のシーズンを最後に閉鎖となった。巨大なセンターハウス跡が、内戦さながらに朽ち果てている。
2000年頃に廃墟となった全面ガラス張りの巨大ホテル。垂直にそびえ立つ分厚いガラスが空の青を際立たせる。時に眩しい。
思わず車を停めた。水彩画から飛び出したかのような風景。この先にお目当ての校舎は確かにあった。
1989年に閉校。シャキーンってしてる石膏が微笑ましい。元気マンと名付けよう。
バブル期に建設された祭りをテーマとした博物館的施設。1999年に閉業。3階建ての大きな建物とドーム施設のほか、ヘリポートやポルシェ展示場跡などの遺構が残る。
1905年に設立。1991年に廃校となった。木造平屋建ての校舎がやや朽ちた状態で残っている。
長かった。素堀のトンネルや落石、ガードレールの無い断崖絶壁といった恐怖を感じる道を延々と走ってきた。左に見える石垣から軽い登山だ。
京都の市街地にありながら、森の中にひっそりと佇むウォーターライダー付きのプール施設。1991年に開業し、2007年に閉業した。
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