書くことは辛い。思っているほど簡単なことではない。それでも身を削って書いた内容を理解してくれている人がきっといる、と想像してパソコンのディスプレイをじっと見つめるのだ。書くことは孤独だ。黙々と文章を紡ぐ自分ひとりきりの作業だ。それでも、メッセージをきっと受け取ってくれる人がいる、と信じて記事を記すのだ。書くことは苦しい。ゼロから文章を組み立ててゆく作業は決して楽ではない。それでも、読み手の笑顔を期待してキイを叩くのだ。書くことは辛い。書くことは孤独だ。書くことは苦しい。だが、それにもかかわらず、読者に内容が伝わったことが判ると嬉しい。読者からの好意的なコメントを頂戴すると元気づけられる。執筆は子供の遊びではないので、はじめから終わりまで楽しい楽しい、というふうにはゆかない。そう、書くことは大人に許された知性的な...苦しくて楽しいこと
この先、確実に経験する死について人々はなぜ真剣に考えないのか、ということがわたしの長い間の疑問であり不満でもあります。死ぬなんてまだ先のこと、今を一生懸命に生きよう、と吾人は言いがちです。けれども繰り返しになりますが、皆、必ずいつかは死ぬのです。なぜ真摯に死の問題と今、取り組もうとしないのか。そういうふうに先延ばしにして今日、交通事故で他界しない、という保証はないのです。もしかしたら、すでに重篤(じゅうとく)な病気に罹患し始めていない、と誰も断言することはできません。死の問題の緊急性は高いのです。死は我々にとって喫緊(きっきん)の課題なのです。「不吉なことを言うな!この罰当たりがっ!」とお叱りを受けそうですね。しかし、わたしは悲観主義者とは違います。現実主義者です。わたしは現実から目を逸らしていない。なぜなら誰...現代の迷信
数年前に、りなさんという中学生の女の子に五科目を教えていた時期があります。教え始めて間もない頃に彼女に手紙を出したことがあります。その経緯(いきさつ)はこうです。ある日、りなさんのご家庭を授業のために訪れたら、りなさんが自分の部屋に閉じこもったきり出てこようとしません。その時は、お母様の機転で、りなさんの代わりに高校生のお兄さんの英語を見て事なきを得ました。わたしは即座に「これはヤバイ!」と考えて、その当日、授業を終えて帰宅してから間を置かずに、りなさんに宛ててパソコンで手紙を書きました。心を込めて書いたつもりです。その夜のうちに切手を貼って手紙を入れた封筒を郵便ポストに投函しました。翌日には仕事を控えていましたが関係ありませんでした。正直それどころではない、というのがわたしの偽ることのない気持ちでした。その当...女生徒への手紙
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