【マタイによる福音書11章28~30節】中心聖句11:28「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」先週、5月23日は、聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝でありました。そして、それに続く今日の聖日は、教会暦では「三位一体主日」と定められ、今日からアドヴェントまでの約半年間は「三位一体節」と呼ばれています。これとは別に、前週のペンテコステからアドヴェントまでの期間を聖霊降臨節とも呼び、最近はこちらの方が一般化しているようです。いずれに致しましても、待降・降誕から十字架の受難、復活と昇天、そして聖霊降臨に至る半年間がキリストの生涯を覚えて歩む「主の半年」と呼ばれるのに対して、今日からの半年間は、聖霊の導きと支配のもとに宣教に励む「教会の半年」と言われています。新型コロナウイルスの蔓...至福の安息への招待
【浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち不遜な者は不遜であることを好み】箴言1章22節みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、箴言1章22節です。「浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち、不遜な者は不遜であることを好み」私たちは誰もが「浅はかでないように生きたい」と願っています、出来るならば思慮深く生きたいと願っています。ところがなかなかそう生きていけないところもあります。金のガチョウの話があります。一日一個、金の卵を産むガチョウによって金持ちになった農婦が、欲を出して、ガチョウのお腹には沢山の金があるに違いないと思い、ガチョウのお腹を裂いてみたら、何も入っていないし、ガチョウは死んでしまうし、もとの貧乏になりましたという話です。私達も気を付けなければなりません...元気の出る言葉
詩編112編1~10節使徒言行録2章14~21節「闇の中に昇る光」今日は聖霊降臨日、ペンテコステ礼拝となりました。昨年のペンテコステ礼拝は5月31日、5月最後の礼拝でした。7週間に亘る第一回目の緊急事態宣言が終了して、最初の会堂での礼拝がペンテコステ礼拝でした。昨年は「聖霊を受けると人生が変わる」という説教題で話をしています。主イエスと共に歩んだ弟子たちでしたけれど、思いがけなく主イエスが捕らえられ、十字架刑に処せられる。これで全てが終わったと思っていたのに、三日後に復活された主イエスが弟子たちの前に現れてくださった。なんという奇跡、弟子たちは驚きと共に、多いに力付けられたでありましょう。主は40日に亘り、弟子たちと共におられましたが、その後天に昇っていかれます。この時も、弟子たちは随分と力を落としたであろうと...闇の中に昇る光
【使徒言行録2章1~4節】英語に限らず、ほかの国の言葉を勉強する際に、お勧めは口に出すという勉強法です。特にアルファベットを使用する言語は、強弱の波を気にしたり、川が流れるような感じになるまで読み続けたりすると、いつの間にか文章を理解出来る!ということがあります。脳の中には日本語を司る箇所があるそうですが、英語を覚えて来ると英語を司る別の箇所が出来るそうです。同じ箇所で考えているわけではないようです。日本語を話して疲れている時、英語で話すと元気が出る!ということもあります。脳の違う場所が活性化してリフレッシュするからでしょう。いずれにしても、どの国の言葉でも、話せるとしたらどんなに嬉しいことでしょうか。昔、フランスのある家庭にホームステイをしたことがありました。全然話せませんでしたが、単語でやり取りするうちに知...言葉が通じ合う時
【わが子よならず者があなたを誘惑してもくみしてはならない。】(箴言1章10節)説教を考えている時に、急に思いたったことがありました。それは、人は皆、「そうだね~」と言ってもらいたいのだということです。殆ど確信的にそう思いました。家に帰って、食事をしながら、妻や子どもたちに話しました。「人は誰もが、そうだね~」って言ってもらいたいだよ。そしたら、家族が一斉に、「そんなの当たり前じゃない、お父さん、今頃気が付いたの」と言って来たのです。その言葉に、私はより確信をもって、「人は誰もがそうだね~」と言ってもらいたいのだと思いました。分かりますでしょうか。でも、自分の周りに「そうだね~」というイエスマンだけがいるのも良くないようです。聞いた話ですが、今の総理大臣の周りにはイエスマンしかいない。なぜなら意見した人は他所に飛...元気の出る言葉第3回
【詩編111編1~10節】【使徒言行録2章43~47節】十字架刑の三日後、復活された主イエスは40日間に亘って弟子たちと共におられました。パウロが記した文章によれば、主は「ケファに現れ、その後十二人に現れ、次いで五百人以上のもの兄弟たちに同時に現れました。次いで、ヤコブに現れ、その後全ての使徒に現れ、最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」とあります。復活された主は、40日に亘り、弟子達を励まし、神を愛し、人を愛することを宣べ伝えたと思います。それから40日後に、弟子たちが見守る中で、主は天に昇られていきました。今、私達は礼拝で唱えることをしていませんが、使徒信条には「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり」とあります。主と共におられる方となられた。昇天された日は、2021年の今年の暦によれば...知恵の正体
「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。」(箴言1章8節)私の母は84歳です。認知症を長く患い、更に昨年の暮れに転倒し、足を骨折して、今年は病院にずっと入院しています。コロナ禍で、お見舞いにも行けない状況でしたが、先週の木曜日、ワクチン接種の紙を持っていきましたら、お見舞いが叶いました。息子が来たよ!というと、驚いて泣いてくれます。悲しいことに泣くのも認知症の症状です。本当は誰が来たのか、よく分かっていません。でも、やっぱり嬉しいのでしょう。30分程話しました。話したと言っても母親がずっと話し続けていました。内容の半分は何を言っているのかよく分かりません。母親の記憶は自分が子どもの頃の記憶です。今日がいつで、ここがどこかも分かっていません。でも、30分も話すと次第に頭が回転してくるのでしょう...元気の出る言葉
【詩編110編1~7節】【ルカによる福音書20章41~44節】今日は五月の第二日曜日です。週報にも記してありますが、「母の日」の礼拝となります。既に多くの方がご存知のように、母の日と大塚平安教会とは、深い関わりがあります。幼稚園の門に、像が立てられています。ウイニフレッド・ドレーパー先生の像です。ドレーパー先生が幼子の手を引いています。像の台には石板がありまして、文字が記されています。「信仰・希望・愛」と記され、その下にはマルコによる福音書から「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と記されています。更にはドレーパー先生の簡単なプロフィールが記されています。ギデオン・ドレーパー宣教師夫妻の娘として日本で生まれ、昭和初期より神奈川県県央地域にてキリスト...主の御言葉
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。【マタイによる福音書4章19節】GW中、この地域は「まん延防止重点措置」圏内ですから家で自粛していました。でも、あまりにも天気が良く、涼やかな風の中、散歩しようと家の近所を歩き回りました。住宅街は、どの家も布団や洗濯ものが干してあり、それを見ていると、なんとなくその家の家族構成を想像したりして楽しいのですが、布団を叩いていたおばさんにジロリとにらみつけられ、完全に不審者と思われたかも!とそそくさと速足で通り過ぎました。ますます、怪しいと思われたかも(汗)。でも、こんなに家が立ち並び、それぞれに家族がいて、どれだけの人々が生活しているかと思うと、きっと果てしない数となり、こんなに人が住んでいても、教会にやってくる人は僅かだなとつくづくと思った次第です。...人間をとる漁師にしよう
「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」【箴言1章7節】北海道恵庭市の教会からお便りを受け取りました。そこに「相槌の打ち方」とありました。相槌とは鍛冶職人が絶妙なタイミングで交互にハンマー(槌)を打ち合う事で、親方が上手く打てるように弟子が応じるところから来ているそうです。「なるほど~」と思いました。昔、偉い先生から大事なことは、「良く聞くこと」よりも、相手が「良く聞いてもらっている」と感じてもらうこと、と教えられましたが、それには相槌の仕方、タイミングが重要だと改めて思います。多分、話している人は答えや助言を求めているわけではありません。より優れた相槌を求めているのだと思います。「よく分かる~」と言ってもらいたいのです。思えば、私が大好きな芸人のかまいたちや、サンドイッチマンなどは、相槌...元気の出る言葉
【詩編109編21~31節】【ペトロの手紙一3章8~12節】先日、4月に大学生になった娘が、歯医者で親知らずを抜く、という日がありました。近くの歯医者から大和の歯医者を紹介されまして、午後に出かけていきました。心配していましたが、手術は20分程で終わって順調だったようです。それで、今から帰るとメールで連絡があり、帰宅を待っていましたが、なかなか帰って来ないのです。どうしたかなと思いましたら、途中で通学定期を落としたらしい。今はパスモというカードが定期券になっているわけで、詳しくは分かりませんが、定期を探して、病院から駅までの道のりを歩き、また、駅で探していたのかもしれません。でも見つけられず、ほとほと疲れたから家に帰るというのです。大和の駅に行って駅員に説明して、相談したら良いと家内もメールしたようですが、メー...口をもって、感謝を献げ
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイによる福音書4章16節)時々、ニンテンドーの「あつ森」をしています。無人島に自分の好きなように街を作っていくゲームです。ある時、都会から猫のジャックがやって来て住みつきました。一か月位住んでいますが、ジャックから手紙が届きました。「田舎だと思っていたけど、だんだん気に入ってきたよ。住めば都だからね」とありました。ちょっとイラっとしました。一生懸命に街づくりしているのに!今日の聖書箇所に「暗闇に住む民」とか「死の陰の地に住む者」とあります。そこってどんなとこなの!って思います。住んでいる人たちは、絶対そんなふうには思っていないはずです。でも、きっと寒かったり、山の中だったり、何もなかったり、かもしれません。イエス様がやって来ると、そこに光...「暗闇」とか「死の陰」とか
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