chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 神の命を受けて豊かに生きる

    【ヨハネによる福音書10章1~18節】ヨハネによる福音書10章からを読んでいただきました。主イエスが「私は良い羊飼いである」と話されるこの聖書箇所は、他の聖書箇所にもまして、よく知られる聖書箇所でもあります。子どもの教会とか、幼稚園などでも、子どもたちに話す聖書個所として用いられる箇所でもあります。イエス様の優しい性格や、優しい話し方を感じる箇所かもしれません。けれど、時として10章のこの箇所だけが独り歩きしてしまうことがあります。その際に忘れられてしまうのは、聖書の前後関係がどうなっているのかという点です。今日はそういう視点から読んでいきたいと考えました。もともと、この一年はヨハネによる福音書に記されている御言葉のその文脈であるとか、背景を考えながら礼拝で話をしてまいりましたけれど、今日もその点を意識し...神の命を受けて豊かに生きる

  • 神の業が現れる時

    ヨハネによる福音書9章1~12節ヨハネによる福音書9章を読んでいただきました。主イエスが「生まれつきの盲人」を癒された場面です。私自身、これまで何度も読んできた箇所の一つですが、何度読み返しても新たな思いにさせられる聖書箇所の一つであると思わされます。先週の礼拝までヨハネによる福音書の8章を読んでまいりました。場所はエルサレム、時は秋の仮庵の祭りの場面でした。一週間も続く祭りも終盤となり、夕方となって神殿の松明に明かりが灯された時、主イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」と告げられました。私は世の光という御言葉がより一層鮮明にされた場面として、本日の9章を読むことが出来ると思います。仮庵の祭りは終わりました。しかし、祭りから幾日も経っていないと思われます。主イエ...神の業が現れる時

  • 自由に生きるために

    【ヨハネによる福音書8章31~38節】先週、2月22日の水曜日から2023年の受難節、レントに入りました。今年は4月9日がイースターとなりますので、4月8日までがレントの期間となります。言うまでもなくこの期間は、主イエスをキリストと信じる者にとって、主の御受難を思いつつ過ごす時期であります。受難節となった2月22日の水曜日、昼の祈祷会で、ガラテヤの信徒への手紙5章を読みました。その箇所は「キリスト者の自由」というタイトルが付けられている箇所でありました。5章11節にこう記されています。「兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害をうけているのはなぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。」ここに「十字架のつまずき」と言う言葉があり...自由に生きるために

  • どこに属しているのか

    【ヨハネによる福音書8章21~30節】ヨハネによる福音書8章21節からを読んでいただきました。この時、主イエスはエルサレムの神殿で話をされていました。なぜ神殿にいたのか。エルサレムではユダヤ教の大切な祭りの一つ、仮庵の祭りが行われていました。この祭りは、これまで話をしてきましたが、「水」の祭りと呼ばれ、「光」の祭りとして知られていました。主イエスは、祭りが最も盛大に祝われている時、水がクローズアップされている時に、立ち上がって人々に宣言されました。「渇いている人はだれでも、わたしのところ来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」夕方となり、神殿の境内に設置してあった巨大な松明に灯が灯され、その光が神殿を越えて、エルサレムの町の隅々を...どこに属しているのか

  • 命の光を与えられる方

    【ヨハネによる福音書8章12~20節】今年度、ヨハネによる福音書を読みながら礼拝を守っていますが、本日は8章12節からの箇所が読まれました。主イエスが「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」と言われた場面であります。その前の箇所にイエスは「再び言われた」とあります。再びですから前にも同様の言葉が話されたことになります。どの言葉がそれにあたるのか、様々な詮索をせずに答えるとすれば、7章37節の御言葉「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」この御言葉がそれだと考えられます。先週の礼拝では...命の光を与えられる方

  • 神の視点と人の視点

    【ヨハネによる福音書8章1~11節】今日はヨハネによる福音書8章1節からを読んでいただきましたが、7章53節に「人々はおのおの家へ帰って行った。」とあります。なぜこのような文があるかと言えば、7章に記されていた場面は、「仮庵の祭り」の場面でありました。7章37節には、「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れでるようになる。』と主イエスは告げられました。人生の中で、生きる中にあって渇きを覚えている者よ、私のもとに来なさいと主イエスが宣言されたです。この御言葉を聞いた人々の中で、「この人は本当にあの預言者だ」という人もいれば、「この人は...神の視点と人の視点

  • 生きた水を飲み続けるために

    【ヨハネによる福音書7章37~52節】2022年度になりまして、教会の礼拝ではヨハネによる福音書を連続して読んで参りました。本日は7章の締めくくりの場面となりました。7章はエルサレムで行われる仮庵の祭りでの場面です。仮庵の祭りは、水と深い関わりがある祭りと言われます。季節は秋、10月です。祭りのその名前から分かりますように、自分達の先祖がモーセに導かれてエジプトを出て40年もの間、荒野を放浪し生活をした。その出来事を子孫がいつまでも忘れないようにと主なる神が律法によって定めた大切な祭りでもあります。祭りは八日間行われました。安息日に始まり、安息日に終わる祭りでもありました。安息日は聖なる集会、すなわち礼拝が祭の中心であったと思われます。その安息日に挟まれた祭りの期間、祭司たちが毎日行わなければならない儀式...生きた水を飲み続けるために

  • 神の栄光を見失わないように

    ヨハネによる福音書7章10~24節先月、年の暮れに私は意決して、兄に電話しました。一つはコロナ禍が続いていますが、それでも入院している母親のお見舞いに行けるようになったことを伝えるために。それは私たちにとって喜びでしたけれど、二つ目はこの3月末をもって教会を辞任することを伝えるためでした。兄は驚いていました。驚いていましたが、すぐに「母親はどうするのか」と聞かれました。私は少しだけですが、淡い期待を持っていました。お前も大変だから、母親のことは、兄の俺にまかせろと言ってくれないかなと思っていたわけです。けれど、結局そのような言葉はありませんでした。勝手にこちらが期待しただけですから特別な思いもありませんでしたが、私はその電話の後に、最後の最後まで私が母親の面倒を見ようと決意した次第でありました。多くの方が...神の栄光を見失わないように

  • 「生きているのか、生かされているのか」

    【ヨハネによる福音書15章15~17節】皆様、新年明けましておめでとうございます。新年1月1日が日曜日となりまして、主なる神に対する礼拝から一年を始められますことは真に幸いだと思います。今日の説教題を「生きているのか、生かされているのか」と致しました。わたしがキリスト教と出会ったのは二十歳を過ぎてからです。池袋から西武池袋線が出ていますが、池袋から一つ目の駅に椎名町という駅があります。私は長くその町に住んでいました。一月一万七千円の床が斜めに傾いているアパートで長く住んでいました。1980年代です。今から思えばその頃の日本社会は景気の良い、幸せな時代であったと思います。けれど、私自身は仕事にも行き詰まりを感じていましたし、将来自分がどう生きていこうとするのか具体的な目的も見つけられず、体調も崩して、具合を...「生きているのか、生かされているのか」

  • 御心に適う人々のために

    【ルカによる福音書2章8~20節】皆様、クリスマスおめでとうございます。コロナ感染前の2019年の夏に、結婚25年を記念して、家内と一緒にスイス、フランスを旅行しました。本当は結婚24年目でしたが、あと一年待っていたら、今でも旅行は実現しなかったと思いますから、行って良かったと思います。その際、スイスのジュネーブに「宗教改革記念館」という建物がありまして、見学しました。宗教改革ですから、プロテスタント教会がカトリック教会から別れた経緯や経過なども記されていましたが、年表のようなものが掲載されていまして、キリスト教が長い歴史の中で、どれほど別れて来たのかというようなことも記されていました。まさにキリスト教のもともとは、ガリラヤのナザレで御子イエスが誕生されたことからその歴史がはじまるわけで、あるいはエルサレ...御心に適う人々のために

  • この世に生まれる神の御子

    【ルカによる福音書2章1~7節】本日は来週迎える2022年のクリスマス礼拝に先だって、御子イエスが誕生された聖書箇所を読んでいただきました。聖書に記されてありますいように、時代はローマの初代の皇帝アウグストゥスの時代でした。アウグストゥスのもともとの名前はオクタビアヌスという名前です。ジュリアス・シーザーの甥っ子です。イエス様が誕生される少し前の時代、ローマ帝国が完成される前夜の時代、まさに日本でいえば戦国時代でありました。権力を求めて身内同士で争うという内乱の時代でした。100年程続いたと言われます。そのような時代に、オクタビアヌスが頭角を現し、もともと親戚でもあったのですが、後に宿敵となったアントニウスと戦争を起こします。アントニウスの奥さんが、エジプトの女王として知られるクレオパトラです。決戦は紀元...この世に生まれる神の御子

  • 神の約束を見る喜び

    【ルカによる福音書1章39~56節】アドヴェント、第3主日となりましたが、今週与えられました聖書箇所は、二人の女性、洗礼者ヨハネの母、エリサベトと、主イエスの母マリアが出会い、共にその喜びを分かち合う場面を読んでいただきました。洗礼者ヨハネの母となるエリサベトとザカリアの間には子供がいませんでした。彼らは歳を取っていましたし、子供については、熱心に願いつつも、しかし、既に諦めていた状況でした。人間的に見れば、身体的には僅かな希望もなく、全くその願いは叶えられるはずがない。希望が諦めへとなってからの時間も大分経過していたでしょう。子どもを神に祈るにしても、そのような祈りさえ空しい祈りであったと思われます。しかし、主はそのような二人に目を留められました。ザカリアがエルサレムの神殿でその役目を果たしている時に、...神の約束を見る喜び

  • 神様の御計画

    【ルカによる福音書1章26~38節】2022年12月に入りました。アドヴェントの第二主日となりました。先週は祭司ザカリアのところに、天の使いガブリエルが現れて「あなたの願いは聞き入れられた」と告げた場面を読みました。あなたの妻のエリサベトとの間に子どもが授かるであろう、名前をヨハネと名付けなさいと言われた箇所を読みました。その際、ザカリアは恐れと不安の中を感じつつも、神様の御言葉を信じられず「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と「しるし」を求めてしまい、その「しるし」としてヨハネの誕生まで口が利けなくなったわけでありました。そのような出来事から、今日の聖書箇所は、数えて六か月目に起こった出来事となります。ザカリアの妻、エリサベトのお腹が妊娠...神様の御計画

  • 1人の信仰者から始まる祝福

    【ルカによる福音書1章5~25節】2022年、クリスマスに向けて今日からアドヴェントに入りました。この年、例年にも増して厳しい社会状況の中を過ごしていますが、私たちはこの年も神の民として礼拝に集い、御言葉を読み、祈りを献げてまいりました。アドヴェントを迎え御子イエス・キリストの誕生という神様の御計画を深く知って、希望を繋いでいきたいと考えます。アドヴェントの時期、ルカによる福音書から御子イエスの誕生に関わる箇所を読み続けて参りたいと考えていますが、今日は1章5節から25節を読んでいただきました。御子イエスの誕生に先立ち、バブテスマのヨハネの誕生が、父親となる祭司ザカリアに知らされた場面です。ヘロデ王の時代とあります。ヘロデ大王と呼ばれた人です。ローマ帝国の支配下にありながら30年以上に亘りユダヤ地域を支配...1人の信仰者から始まる祝福

  • イエスのうちに留まる

    【ヨハネによる福音書6章52~71節】ヨハネによる福音書を読み進めておりますが、来週よりクリスマスを前にしたアドヴェントに入ります。アドヴェントにはその時期の聖書箇所を考えていますので、今日の礼拝がヨハネによる福音書のこの年最後に読まれた箇所となります。少し長く読んでいただきましたが、6章の最後までを読んでいただきました。主イエスが人々に対して御自分を証しし続けている箇所です。「私が命のパンである」このことを心にしっかりと収めて欲しいと願っている箇所となります。ヨハネによる福音書6章は、これまでの礼拝で数回に亘り読んで来ましたが、主イエスは男だけで五千人の人々、女性や子ども年寄りを入れると一万人とも、それ以上とも考えられる人々に対して五つのパンと二匹の魚から、祈りを持ってそのパンを裂き、魚を分け与えて人々...イエスのうちに留まる

  • 永遠に生きるためのパン

    【ヨハネによる福音書6章41~51節】先週の木曜日、綾瀬ホームの職員の礼拝で、主イエスが教えてくださった「天に富を積みなさい」という御言葉の箇所をお話しいたしました。山上の説教と呼ばれる箇所に記されていますが、人々に対して、「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。」と話されました。私たちは地上の富に関しては、ここで説明するまでもなく、良く知っているところです。もともとユダヤ教の教えでは地上の富は神様の祝福でしたし、神は愛する者を富ませると教えていたそうです。分かりやすい教えです。ユダヤ人は商売が上手だとか、お金持ちだと言われることがありますが、それは宗教的な側面からも言えることかもしれません。それでは...永遠に生きるためのパン

  • わたしたちの本国は天にある

    【フィリピの信徒への手紙3章17~21節】11月最初の主日、召天者記念礼拝の時を迎えました。この一年、天に召された方々を偲びながら、また、これまで大塚平安教会において主イエス・キリストを知り、主イエス・キリストを受け入れ、信仰をもって歩んで来られた方々を偲びながらの礼拝となりました。その礼拝において、今日はフィリピの信徒への手紙を読んでいただきました。キリスト教は神の御子として誕生されながら、十字架刑とされた主イエスが三日の後に復活され弟子達に現れたところから始まると言うことが出来ます。復活された主は40日間弟子達と共におられ、その後天に昇っていかれました。しかし、それから10日後、五旬際、ペンテコステの祭りの際に、一つところに集まっていた弟子達に聖霊が降り、神の力である聖霊に励まされて力を得た弟子達が主...わたしたちの本国は天にある

  • 人々に囲まれてしまう主

    【ヨハネによる福音書6章34~40節】ヨハネによる福音書20章には、十字架の死から三日後に復活された主イエスと、弟子のトマスが話をしている場面が記されています。弟子達が祈っているところに、復活の主が現れて「あなたがたに平和があるように」と告げられた。弟子たちは大喜びでしたが、その場面にトマスはいませんでした。ですから、私は信じないと言ったのです。この手で主の傷口を確認しなければ信じないと言ったのです。けれど、一週間後、再び弟子達のもとに、主イエスが現れてくださった。その時、トマスもおりました。主はトマスに話しかけました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」復活の主に出会ったトマスは、自分の思いが...人々に囲まれてしまう主

  • 命を与えるパン

    【ヨハネによる福音書6章22~35節】ヨハネによる福音書6章22節からの箇所を読んでいただきました。22節に「その翌日」とあります。何の翌日かというと、6章1節から記されている、主イエスが五つのパンと二匹の魚によって5千人の人々のお腹を満たしたという奇跡を起こされた日の翌日となります。僅かなパンと魚から、食べて満腹となった人々はどう思ったかというと、6章14節、15節に「そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て「まさにこの人こそ、世にこられる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」とありますように、満たされた人々は、主を王にしようとして集まって来たのでしょう。その様子を察知した主は、一人で山に向かいました。山に向かった様...命を与えるパン

  • 目指す地に着いた

    【ヨハネによる福音書6章16~21節】ヨハネによる福音書を読んでいますが、先週から6章に入りまして、先週の礼拝では主イエスが「五千人に食べ物を与えられた」出来事を読みました。主イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、感謝の祈りを唱え、座っている人たちに分け与えられました。座っていた人たちはその数で男だけで五千人とあります。女性、子ども、年寄り、年寄りと言っても当時は40過ぎぐらいからは皆年寄りですから、私も完全に年寄りの部類に入るわけですが、そういった人たちを合わせて倍の一万人もの人々に分け与えてくださいました。でも、主イエスお一人が、一万人もの人たちを相手にするには大変です。ですから、登場するのが12人の弟子達となるわけで、彼らが主からパンを受け取り、人々に分け与え、そっちだ、こっちもだと忙しく働いたことで...目指す地に着いた

  • 何倍もの祝福が与えられる

    【ヨハネによる福音書6章1~15節】ヨハネによる福音書6章1節からの箇所を読んでいただきました。これまでヨハネによる福音書を読み続けてまいりましたが6章4節に「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」とあります。これまで5章まで読んでまいりましたが、2章に記されていた、所謂主イエスの宮清めの出来事、エルサレムの神殿で、羊や牛を境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、台を倒して「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と告げられた場面、この場面も過越しの祭りの場面でした。その2章の場面から5章まで進み、今日の6章となって二度目の過越祭となります。三度目の過越祭で、主イエスは最後の晩餐、その後捕らえられ、裁判にかけられ、十字架に処せられます。そう思いますと主イエスの地上での宣教、その働きは真に短い働きで...何倍もの祝福が与えられる

  • イエスを信じるためには

    【ヨハネによる福音書5章41~47節】ヨハネによる福音書5章の最後の箇所を読んでいただきました。場面は主イエスを取り囲んで、ユダヤ人、ファリサイ派の人々が問い詰めている場面です。何を問い詰めているかというと、労働してはならない安息日に、あなたは労働した、なぜ安息日違反をしたのか、と問い詰めているわけです。安息日違反をするとどうなるのか、旧約聖書民数記15章には、一人の男が安息日に薪を拾い集めているところを見られて、見つけられた人はモーセとアロンの所に連れて来られるのです。この時モーセとアロンはどう対応すれば良いのか戸惑ったのですが、主なる神は「その男は必ず死刑に処せられる。石で打ち殺さなければならない」と伝え、石打の刑となったという話があります。この話は昔の話しだからと言うわけではありません。イエス様の時...イエスを信じるためには

  • 神が遣わされた方

    【創世記24章1~8節】(創世記24章1~8節】【ヨハネによる福音書5章31~40節】今年度ヨハネによる福音書を読み始めていますが、今5章を読んでおります。出来事の発端はユダヤ人の祭りの際に、主イエスと弟子たちがエルサレムに上られた。しかし5章は祭りとか神殿においてということではなく、エルサレムからわずかに離れた所に「ベトザタの池」と呼ばれる場所がありました。池の水が動いた時に、最初に入れた人の病は治ると信じられていて、大勢の病人がその池に入りたいと願って集まっていたわけでありました。そのベトザタの池を主イエスが訪れ、38年間、病で苦しんでいた人に対して、癒しの業を成されました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」そう言われた彼は突然に健康が与えられたことを感じたのでしょう。元気になり床を担いで歩...神が遣わされた方

  • 神の子の声を聞く

    【ヨハネによる福音書5章19~30節】ヨハネによる福音書の5章19節からを読んでいただきました。「御子の権威」とタイトルが付けられている箇所になります。この箇所は、話しの途中から途中という箇所になります。先週の礼拝は私がコロナに感染しまして礼拝を休みました。急遽、大矢真理先生にお願いしまして5章1節からの箇所を説教して頂きました。ですから話が少し重なるかもしれません。今回与えられている聖書の場面は、場所はエルサレム、祭りが行われていた場面となります。祭りは恐らく「過越しの祭り」であろうと思われますが福音書ははっきりとは記しません。しかし祭りに合わせて、主イエスと弟子たちは、エルサレムに出かけられたのでしょう。でも、この箇所は祭りの場面ではなく、「ベトザタの池」と呼ばれる場所で病人が癒された様子が記されてい...神の子の声を聞く

  • あなたの息子は生きる

    【ヨハネによる福音書4章43~54節】今、私たちの教会ではヨハネによる福音書を読み進めていますが、4章前半の箇所は「イエスとサマリアの女」というタイトルが付けられた箇所でありました。サマリアのシカルという町に住む一人の女が主イエスとの会話を通して、心が解放されて喜びに満たされた。これまで人目を避けていた彼女が、町に戻り喜びに満ちて、「もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と告げた箇所を読んで来ました。彼女の言葉と行動に驚いた町の人々は、主イエスのもとにやって来て、やって来ただけでなく、主との会話を通して、是非自分達のところに留まって欲しいと頼み込みます。サマリアは差別されていた地域でした。ですから、最初はなんで自分達の町にやって来たのかと怪訝に思ったかもしれません。けれど、町の人々も会話をすればする...あなたの息子は生きる

  • 撒く人も、刈る人も

    【ヨハネによる福音書4章27~42節】今年度になりまして、ヨハネによる福音書を読み進めておりますが、今日は4章、主イエスがサマリアの女性と会話をしている場面、そのまとめの箇所を読んでいただきました。主イエスと弟子たちがエルサレムの祭りから自分達のホームタウンであるガリラヤに戻る途中の事です。普段なら通ることのない、いわば差別されていたサマリア地方を通って戻ろうとしていました。直線距離からしてもそのほうが早いと思われます。暑い日だったのでしょう。シカルという町のヤコブの井戸の傍らで主は休んでおられました。そこに一人のサマリアの女が井戸に水を汲みに来まして、その女に「水を飲ませてください」と主が声をかけたところから話が展開されます。主イエスがサマリアの女と会話をする。ただこれだけのことですけれど、ユダヤの人々...撒く人も、刈る人も

  • 霊と真理を持っておこなう

    【ヨハネによる福音書4章16~26節】先週は大塚平安教会の創立記念礼拝、鈴木伸治先生をお招きし、鈴木羊子さんが奏楽を担ってくださいました。多くの方々もお出でいただき、私自身も思い出深い礼拝となりました。コロナ感染拡大が伝えられる中での礼拝、多くの方々が来られるだろう、幾らか混乱があるのではと、心配しておりましたが無事に執り行われまして感謝な一時でした。それから一週間、今日は8月14日の主日礼拝となりました。私たちの国は、この時期はお盆の時期となります。私たちの国はクリスマスには皆がクリスチャンのようになりますが、お正月とお盆は皆が仏教徒のようになるのかもしれません。日本の文化、伝統でもありますから、教会は少々肩身が狭い思いをする時期でもあります。とはいえ、私も子供の頃、親と共に住んでいた時にはお盆という季...霊と真理を持っておこなう

  • 乾かない生き方を求めて

    【ヨハネによる福音書4章1~15節】礼拝においてヨハネによる福音書を読み続けています。今日の礼拝から4章となりました。「イエスとサマリアの女」というタイトルが付けられた箇所です。3章では、エルサレムを離れた主イエスが弟子たちと共にヨルダン川で「新しく生まれるため」の洗礼を授けていました。一方においては、バブテスマのヨハネも人々に「悔い改め」の洗礼を授けていました。主イエスは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けていますから、いわば師匠と弟子といった関係です。ですからそれぞれに洗礼を授けていたとしても、その意味においては大きな違いは無かったかもしれません。けれど、人々は次第に主イエスの洗礼の場所に集まるようになっていきました。なぜか都言えば、違いは一つです。3章31節にありますようにバブテスマのヨハネは「地に属...乾かない生き方を求めて

  • 委ねる勇気

    【サムエル記上1章21~28節】【ヨハネによる福音書3章31~36】2022年度になりまして、4月から礼拝ではヨハネによる福音書を読み始めました。あまり急がないように読み進めていきたいと考えていますが、今日与えられた聖書箇所は、これまで読んで来ましたヨハネによる福音書3章までの一つのまとめとして記されたであろうと思われる箇所です。主イエスはバブテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受け、その後弟子たちを招き、最初のしるしを起こされたカナでの婚礼に出席されます。その婚礼の席で、ワインが足りなくなり、水がめの水をワインに変えてくださいました。その後、ユダヤ人の過越しの祭りが近づいてきたので、祭りを守るために弟子達と共にエルサレムに向かわれます。エルサレムに到着して、神殿に入られると境内で牛や羊や鳩を売っている者...委ねる勇気

  • 喜びで満たされて生きるために

    【ヨハネによる福音書3章22~30節】聖書には主イエスのお働きと、十字架と復活の出来事が記される「福音書」が四つあります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書です。その中で、マルコによる福音書が最初に記されて、次いでマタイ、ルカと続き、最後にヨハネによる福音書が記されたと考えられています。学者の間でもこの順番には異論はありません。ですから、ヨハネによる福音書を記したヨハネは、マルコ、マタイ、ルカによる福音書を読んでいたと思われます。読みながら、ヨハネは主イエスを思い起こしつつ、未だ他の福音書には記されていない大切な出来事を記したいと思ったであろうと推察します。例えば、今日、読まれました箇所などは、ヨハネによる福音書のみが記している事柄です。何が記されているかというと、バブテスマのヨハネと主イエスとが、ヨル...喜びで満たされて生きるために

  • この世を愛し尽くされた方

    【ヨハネによる福音書3章16~21節】毎週水曜日の午前と午後と祈祷会を行っておりますが、午前の祈祷会では、新約聖書のヘブライ人への手紙という箇所を読んでいます。ヘブライ人とはヘブライ語を話す人々という意味ですが、それはそのまま元々ユダヤ教徒であった人々という意味ともなります。主イエス・キリストの十字架と復活、40日後の昇天、更に10日後のペンテコステの出来事により、勇気と力を得た弟子たちが主イエス・キリストこそ真の救い主と福音宣教を開始し、その働きによって、もともとユダヤ教を信じ、ユダヤ教徒として生きていた、特にローマに住んでいたと思われるヘブライ人にも福音宣教活動が行われ、主イエスを神と信じる信仰者が誕生した。ヨハネによる福音書の3章の流れ、イエスとニコデモとの会話から考えれば、主イエスの福音によって新...この世を愛し尽くされた方

  • 霊から生まれていこう

    【ヨハネによる福音書3章1~15節】読んでいただきました、ヨハネによる福音書3章、ニコデモという人が登場します。ニコデモはファリサイ派に属する人でありました。ファリサイ派は、聖書に度々登場する名前ですが、ユダヤ教の律法を大切にする人々の集まりで、ユダヤ人の救いを願う熱心な信仰者であり、民衆からみれば信仰の模範となる人たちであったと言われます。更に、ニコデモはユダヤ人達の議員でした。ユダヤ教社会の国会議員です。サンヘドリン「70人議会」と呼ばれていました。当時のユダヤ教世界は政教一致ですから、大祭司が議長となり、他に70人が祭司、長老、学者と呼ばれる人々の中から選ばれて「70人議会」を構成していたようです。ニコデモはユダヤ世界の最高決定機関の議員でもありました。ですからニコデモはユダヤ社会にあっても良く知ら...霊から生まれていこう

  • 三日で建て直す主

    【詩編69編8~13節】【ヨハネによる福音書2章13~25節】本日は兼ねてから報告していましたように、礼拝の特別賛美奏楽者として、池田宏里兄をお招きし、礼拝において特別賛美の曲を弾いていただきました。これまで2年以上に亘り、コロナ禍、パンデミックの状況が続き、礼拝も停滞というよりは、後退してきたとさえ感じます。その挽回の為だけでもないですが、このような賛美礼拝の時を迎えることが出来ましたのは真に幸いです。コロナ禍により、私たちの教会だけに限るわけでもありませんが、多くの教会が、礼拝を献げることさえままならない、厳しい状況に置かれてきました。そのような中で必然的に多くの教会が、新しい伝道、新しい礼拝のあり方を模索し、礼拝をどう捉えるかを考えて来たと思います。私たちの教会も、時にはオンラインのユーチューブでの...三日で建て直す主

  • 祝福のしるし

    【詩編124編1~8節】【ヨハネによる福音書2章1~12節】本日は、2022年のペンテコステ礼拝です。通常ペンテコステ礼拝では使徒言行録2章に記される、弟子達のところに神の聖霊が降る場面が読まれます。私たちの教会においても多くの年、そのようにして聖書箇所を選んで参りました。今年はイレギュラーにというわけでもありませんが、ヨハネによる福音書2章に記される「カナでの婚礼」と呼ばれる箇所、主イエスが最初の奇跡を行われた聖書箇所をそのまま読むことにしました。また、ペンテコステ礼拝にこの箇所が与えられ礼拝で朗読される、それにも一つの意味があると私は思います。「カナでの婚礼」の特徴は幾つか指摘されています。一つ目は何より婚礼、結婚式なのに、結婚式の中心とも言える花嫁が誰で、花婿が誰であるか記されていません。一体誰と誰...祝福のしるし

  • 見よ、神の小羊

    【イザヤ書11章1~5節】【ヨハネによる福音書1章35~51節】私達キリスト者にとって願うところの一つは、疑り深いトマスではありませんが、一生に一度、いつかの時に、本当に神様と出会えたなら、と思うところがあるのではないでしょうか。皆さんの中には、自分は本当に出会ったという経験をお持ちの方がいるかもしれません。神様の声を聞いたという方がおられるかもしれません。神との出会いの経験を通して信仰生活が始まったという方、私は案外多いかもしれないと思います。でも、神様と出会ったという経験は流石に無いけれど、あの日、あの時信仰を持つ人との出会いが、それが一つのきっかけであったという方はものすごく多いと思います。前におりました町田の教会の私の前任の牧師は、本が大好きで、とにかく本を読まれる先生でした。朝起きてから晩に寝るまで、...見よ、神の小羊

  • 近づかれる方

    【イザヤ書50章4~9節】【ヨハネによる福音書1章29~34節】毎週の木曜日、綾瀬ホームで礼拝を守っております。8時30分から職員礼拝を行い、9時からは利用者の皆さんと礼拝を守ります。先週の木曜日、9時からの礼拝ではルカによる福音書から木に登ったザアカイさんの話をしました。利用者の皆さんは、こちらが気を抜くと、すぐにその空気が流れまして、礼拝がざわめきますので、原稿は見ないで一人ひとりの目を見てお話しを致します。一生懸命に話していましたら、シーンとして来まして、今日は良く聞いてくださっているなと思いながら礼拝が終わったら、ある方が大きな声で「ずっと寝ていた」と言われてしまいました。あら寝てたの、どうりで静かだったと笑ったのですが、寝ているようにして、でも実は起きているのが綾瀬ホームの礼拝かもしれません。他所の教...近づかれる方

  • わたしたちの間に宿られた方

    【出エジプト記25章1~9節】【ヨハネによる福音書1章14~18節】本日は、ヨハネによる福音書から1章14~18節を読んで頂きました。14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と記されています。ヨハネによる福音書は、マタイ、ルカといった福音書とは違い、御子イエスの誕生の物語が具体的に記されているわけではありません。処女マリアも、羊飼いも、博士達も登場しません。けれど、むしろそれらの御子の誕生にまつわる物語以上に、私たちの信仰生活にとって大切な言葉を慎重に選ぶようにして、「言は肉となって」というわずかな表現の仕方で、神の子イエスがこの世に誕生されたと示しています。ガラテヤの信徒への手紙4章4節に「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれたものとしてお遣わしになりました。」と記されてい...わたしたちの間に宿られた方

  • 「神の子となる資格」

    【創世記15章1~6節】【ヨハネによる福音書1章6~13節】今日はヨハネによる福音書1章6節から13節までを読んでいただきました。12節にこうあります。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」そこから「神の子となる資格」とタイトルを付けました。資格(エクソーシア)という言葉は、ギリシャ語から日本語に訳するのが難しい言葉のようで、新改訳聖書では「神の子となる特権」と訳されていますし、口語訳聖書では「神の子となる力」と訳されています。どの訳が良いのかよく分かりません。と言うより、ある説明には、神の子となる資格であり、特権であり、力である、と考えれば良いとありました。中川健一という牧師がおられます。中川先生は私が以前に奉仕していた町田の教会から100mほどしか離れていない...「神の子となる資格」

  • 見ずに信じる人の幸い

    【ヨハネによる福音書20章19~29節】昔、教員の免許取得の為に、高校に教育実習に行きました。フランス語の教員の資格ですから実際は何の役にも立たないのですが、それでも高校でフランス語の授業がある学校に行きまして無事に免許だけは取りました。一応、担当のクラスもありまして、学校の終わりの時間、ホームルームの時間に、急に担任の先生から菊池さん何か話をしてくださいと言われまして、びっくりしました。その時に話しをしたのが人間の感情についての話をしました。クラスの皆さん、もし皆さんに彼氏、彼女がいるとして、その相手に振られてしまったらどう思いますか。と聞いたのです。すると当然のように「悲しい」とか「腹が立つ」とか「学校に来たくない」とった返事がありました。そうですよね。でも出来事には感情がありません、と話しました。出来事に...見ずに信じる人の幸い

  • 神の栄光が現わされる時

    【ヨハネによる福音書20章1~18節】皆様、イースターおめでとうございます。今日の礼拝はヨハネによる福音書20章、少し長い箇所を読んでいただきましたが、主イエスが復活された場面、この箇所には復活された主イエスの他に、メインとして登場するメンバーは、マグダラのマリア、弟子のペトロ、それからヨハネ、この三人が主イエスの復活に際して、どう動いたのかが記されているわけです。その中で、今日はマグダラのマリアに目を向けて、特にマリアの心がどう動いていったのかを見て行きたいと考えています。話は少し変わりますが、私が神学生であった頃に、春になる前の寒い頃であったと思います。私自身北国の生まれですけれど、寒がりで体温も上がりません、そういう体質なのだと思いますけれど、アルバイト先で一緒に仕事をしていた女性がいて、その人が漢方のお...神の栄光が現わされる時

  • 御心に適うことが行われますように

    【イザヤ書50章4~7節】【マルコによる福音書14章32~41節】本日は受難週の礼拝です。先ほど9時からの子どもの教会では、伝統的に受難週の礼拝で読まれるマルコによる福音書11章から、主イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城された場面を読んで礼拝を守りました。今日は、私が説教当番ではありませんでしたが、先日その箇所を改めて読み直しました。読み直す中で、分かっていたようで分かっていなかったなぁと改めて思わされたことがありました。単純なことですが、主イエスは、なぜ子ロバに乗ってエルサレムに入られたのかということです。馬ではなくロバであった、しかもロバの子であった。それは真の「平和の主」という姿を人々に見せるためであった。そのように思っておりましたが、それだけでは足りない、もともと、なぜ、主イエスがエルサレムに入ら...御心に適うことが行われますように

  • 光を見つめて生きていく

    【イザヤ書9章1~6節】【ヨハネによる福音書1章1~5節】先週、長男を車の助手席に乗せて、私が運転していたのですが、突然聞いて来ました。「お父さん、人が死ぬ時でどんな時か分かる」そう聞かれたものですから、ビックリしました。私はびっくりして言葉を失ってしまい。どう答えたら良いのか考えてしまいました。そしたら息子が続けて言いました。「人が死ぬ時は、その人が完全に忘れられた時だよ」その言葉を聞いてちょっと感動しました。でも、お前一体どうした。何かあったのか?と聞きましたら、どうも今読んでいる漫画の中に出て来るセリフのようでした。この場面が気に入っていたようです。どんな漫画なのかは一切わかりません。でもそんな言葉を使っているのかと思うと、漫画も捨てたものではないなと思います。人が完全に忘れられてしまう時、その時人は死ぬ...光を見つめて生きていく

  • 平和の福音を告げていく

    【詩編149編1~5節】【エフェソの信徒への手紙6章10~20節】私たちは今、2022年3月を過ごしています。私たちの国ではこの時期は年度末で慌ただしい時期でもありますが、しかしまた春の頼りである桜の季節となり、新しく希望をもって歩もうとする時でもあります。先週の金曜日にはドレーパー記念幼稚園の卒業式が行われました。今日の礼拝堂の花はその時の花で飾られました。子どもたちが明るい未来を目指して卒業していく、その姿を見守った花は、今、私たちと共に、主なる神を賛美するために、この場に飾られています。豊かな用いられ方だと思います。毎週の事ですけれど、講壇に飾られる花はいつでも、私たちに平安と安らぎ癒しを与えてくれています。けれどまた、この年度末、私たちが生きる社会は実に不安定な状況を過ごしております。日本においてはコロ...平和の福音を告げていく

  • 命の根源である方

    【詩編148編1~14節】【ローマの信徒への手紙8章38~39節】詩編148編を読んでいただきました。詩編は全部で150編記されていますが、146編から150編までの五つの詩編は「ハレルヤ詩編」と呼ばれる詩編、主を賛美する詩編です。ハレルヤで始まり、ハレルヤで終わります。特に148編は、その全てが「主を賛美せよ。」と主なる神を讃え続ける詩編であります。ハレルヤ、天において、主を賛美せよ、御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。日よ、月よ、輝く星よ、主を賛美せよ。7節からも、地において、海において、火よ、雹よ、雪よ、霧よ、嵐よ、11節は「地上の王よ、諸国の民よ君主よ、地上の支配者よ。」と記されています。12節は「若者よ、おとめよ老人よ、幼子よ」と記され、つまりは全ての神に造られたものよ...命の根源である方

  • 主を畏れる人として

    【詩編147編1~11節】【ルカによる福音書7章1~10節】イタリアのミラノに長くヨーロッパの日本人キリスト者のために宣教師として派遣され働かれている内村伸之牧師がおります。内村先生は車に乗って、電車に乗って、ヨーロッパ中を駆け巡りながら宣教活動をされておられる、私がとても尊敬している方です。先日、内村先生がネットで説教をされたビデオを見る機会が与えられました。主の祈りについて話しておられました。私たちの教会では、開会讃美の後に主の祈りを献げます。「天にまします我らの父よ、願わくは御名が崇められますように、御国が来ますように」と祈ります。この祈りは特別な祈りで、弟子の一人が主イエスに祈り方を教えて下さいと願った時このように祈りなさいと教えてくださった祈りだからです。主イエスの心の思いに添った祈りであるからです。...主を畏れる人として

  • 誰に頼るのか

    【詩編146編1~10節】【ルカによる福音書21章1~4節】岩手の教会におりました時、県の北、青森県にほど近い二戸という場所がありまして、奥中山教会という教会に神学校の先輩でもあるM先生がおられました。M先生は御自分のライフワークとして、チェルノブイリ原発事故によって体の具合を崩している子どもたちを日本に招いて、元気にさせるという働きをされていました。それは先生ご夫妻の娘さんが、若くして白血病で亡くされ、その悲しみを悲しみだけとせず、このことをも通して自分達がなせる業は何かを模索した結果であると伺い、感動したことを思います。私自身は、具体的には僅かな関わりしか出来ませんでしたけれど、良い働きをされていると感動をもって三好先生の心の優しさとその歩みを受け止めていました。そのチェルノブイリ原発事故という悲劇が起こっ...誰に頼るのか

  • 神に祈り続ける

    詩編145編1~9節ルカによる福音書18章9~14節「神に祈り続ける」今回、説教を準備する中で気がついたのですが、ルカによる福音書18章1節~8節までの聖書箇所、「やもめと裁判官」のたとえという箇所を先月、1月16日の礼拝で読まれ、また説教をしておりました。その時の説教題は「気を落とさずに絶えず祈る」という説教題でありました。この説教題は18章1節の御言葉から付けたのですが、そこを読みますとこうあります。「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」弟子たちに絶えず祈ることの大切さを教えるために、どのようなたとえをされたかと言うと、裁判官とやもめが登場するたとえでした。「神など畏れないし、人を人とも思わない裁判官」がいて、その裁判官のもとに一人のやもめがや...神に祈り続ける

  • 人間とは何ものなのか

    【詩編144編1~4節】【ヘブライ人への手紙2章5~9節】今日の説教題を「人間とは何ものなのか」としました。詩編144編3節を読みますとこうあります。「主よ、人間とは何ものなのでしょう。あなたがこれに親しまれるとは。人の子とは何ものなのでしょう。あなたが思いやってくださるとは。人間は息にも似たもの彼の日々は消え去る影」この箇所からつけた説教題です。この詩編の御言葉と、ほぼ同じ内容の御言葉が詩編8編4節以降にも記されています。そこにはこうあります。「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは人間とは何ものなのでしょう。人の子とは何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」さらにもう一個所、詩編89編48~49節(928頁)を読ん...人間とは何ものなのか

  • 目標を目指して生きる

    詩編143編1~6節フィリピの信徒への手紙3章12~14節「目標を目指して生きる」本日は、フィリピの信徒への手紙3章から「目標を目指して生きる」というタイトルを付けました。「兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神にキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」とあります。この御言葉が、今日のこの日の礼拝に与えられたのは、何か特別な思いがします。というのも、先日の金曜日から冬の北京オリンピックが始まりました。それぞれの競技で、選手の皆さんは勝利を目指し、金メダルを目指して、それぞれの目標を目指して繰り返し練習し、励んできた結果を出そうとしています。私たちもその様子を見ながら感動...目標を目指して生きる

  • 声をあげ、主にむかって

    【詩編142編1~7節】【ヨハネによる福音書5章1~9節】ヨハネによる福音書5章から「ベトザタの池で病人をいやす」という箇所を読んでいただきました。ベトザタという意味は、明確ではないようで、「慈しみの家」とか「オリーブの家」といった意味があると言われています。言葉の意味ははっきりしていないとしても、この池は、イスラエルの人々からすれば、特別な池であったことは間違いありません。細かい箇所ですが、5章3節の次が5節になっています。4節がありません。なぜ無いのかというと、恐らく後のある時代に、4節に記された御言葉は加筆されたであろうと考えられているからです。その印が小さな♰のような印です。口語訳聖書には4節がカッコに入れられて記されていまして、そこにはこうあります。「彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々...声をあげ、主にむかって

  • 御前に立ち昇る香りとして

    詩編141編1~5節ヤコブの手紙3章1~12節本日は、ヤコブの手紙3章という箇所を読んでいただきました。「舌を制御する」というタイトルが付けられています。私はこの聖書箇所を読む度に思い起こすことがあります。以前おりました教会で、若いご夫妻が礼拝に通って来られるようになった。大変嬉しい思いでよくお出で下さいましたと良い交わりをしておりましたが、彼らには小さな女の子さんがおられて、いつも三人で礼拝に出席されていました。ある礼拝が終わって話をしていた時に、女の子がお父さんに似ているなぁと思ったのです。お母さんに似たら良かったのになぁと、「心の中」で思ったのです。でもそんなことは言えませんから、黙っていようとしたのですが、つい言葉に出して「お父さん似だよね」って言ってしまって、そこまでは良いのですが、その後に「仕方ない...御前に立ち昇る香りとして

  • 気を落とさずに絶えず祈る

    詩編140編1~14節ルカによる福音書18章1~8節「気を落とさずに絶えず祈る」本日は、ルカによる福音書18章からの箇所を読んでいただきました。「やもめと裁判官」というタイトルが付けられた箇所になります。ある裁判官がいて、そこにやもめが裁判を開いてくれるように必死にお願いするという内容です。聖書に親しみ、また礼拝に出席されている方であれば、これまで一度ならず、二度ならず、何度も読んだ方もおられるでしょう。説教で聞いたという方もおられるでしょう。そういう意味では、今日読まれた聖書箇所も、私たちは知っている聖書箇所の一つと言えると思います。けれど、この話はイエス様のたとえ話の一つですが、なぜ、イエス様がこのたとえを話されたのか、あるいは誰に対して話されたのですかと問われたとしたらどうでしょうか。上手く答えられないか...気を落とさずに絶えず祈る

  • 全ては最善に

    【詩編139編11~12節】【ローマの信徒への手紙8章26~28節】今日の説教題を「すべてが最善に」といたしました。木曜日に雪となりまして、大分寒い日が続いておりますが、昨日朝から今日の準備に牧師室にこもっていたのですが、暖房をつけても大分寒い、それで肌着のシャツが薄いのではないかと思いまして、着替えようと家に帰りました。戻りながら歩きながら、「すべては最善に」、「すべては最善に」と考えながら戻りまして、家に入ってマスクを外して、眼鏡をはずして、着替えて、良しこれで大丈夫、と思いながらまた「すべては最善に」と頭で巡らしながら牧師室に戻りまして、改めてさあやるぞとパソコンの前に座ったら気が付きました。眼鏡をしていない。マスクをすると、耳の感覚がメガをしているように感じるものですから、気が付かなかったんでしょうね。...全ては最善に

  • わたしを知る方がいる

    【詩編139編1~6節】【ルカによる福音書2章22~38節】新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願します。新年最初の礼拝で読まれましたのは詩編139編です。「主よ、あなたはわたしを究めわたしを知っておられる。座るのも立つのも知り遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分けわたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだまだひと言も語らぬさきに主よ、あなたはすべてを知っておられる。」新しい年を迎えるにあたり、私たちの心に直接的に訴えかけるような相応しい御言葉だと思います。主なる神がわたしを究める程に、わたしを知っておられる。過ぎるクリスマス、御子イエスが誕生された聖書箇所を私は何度も読みましたが、マリアの夫となるヨセフのもとに現れた天使は、ヨセフに向かって語り掛けました。「...わたしを知る方がいる

  • バビロンの流れのほとりにて

    【詩編137編1~9節】【マタイによる福音書2章1~12節】先週19日にクリスマス礼拝を終え、金曜日の「聖夜礼拝」を過ごし、昨日は子どもの教会のクリスマスを祝いました。クリスマスの少々忙しい一週間でしたが、本日の礼拝が2021年最後の主日礼拝となりました。次週の礼拝は新年の礼拝となります。慌ただしい一年でありました。コロナ禍について言えば、その慌ただしさは依然として収まりを見せず、来年に向かっても、不安を抱えての生活になると思われます。けれどそれでも、この一年、主なる神の導きの中で過せたと思います。先週、小さなクリスマスの物語を読みました。「もう一人の博士」という物語です。先ほどマタイによる福音書から、東の国の占星術の学者が、神の光に導かれて、ユダヤの国を目指して旅をした箇所を読んでいただきました。博士達はエル...バビロンの流れのほとりにて

  • 神の栄光に満たされて

    【詩編136編1~7節】【ルカによる福音書2章8~21節】2021年のクリスマス礼拝となりました。皆さん、クリスマスおめでとうございます。このクリスマス礼拝において、ルカによる福音書2章8節からの箇所を読んでいただきました。「羊飼いと天使」というタイトルが付けられた箇所であります。御子イエスがマリアとヨセフのもと、家畜小屋で誕生して、飼い葉桶に寝かされました。その夜のことです。静かな星空の綺麗な夜であったと思います。羊飼いたちが野宿をしていました。羊飼いたちとありますから、羊飼いは一人ではありません。何人もいたでしょう。何人もいたので、順番といいますか当番制のようにして、何人かは寝ていて、何人かは起きて夜を過ごしていたであろうと思います。そのような静かな夜に、主の天使が近づいて来ました。この天使は一人です。マリ...神の栄光に満たされて

  • 御子の居場所はここに

    【詩編135編1~3節】【ルカによる福音書2章1~7節】次週のクリスマス礼拝を前にして、今日はルカによる福音書から「イエスの誕生」という箇所を読んでいただきました。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」とあります。「そのころ」とはどの頃か、というと、こういう言葉は前の箇所から引き継ぐわけですから、前の箇所は、御子イエスの親戚でもある、バプテスマのヨハネが誕生した場面ですから、ヨハネが誕生した頃だということでしょう。では具体的にはいつの時代かというと、皇帝アウグストゥスが全領土の住民に住民登録の命令をした頃となります。全領土とはローマ帝国とその属国の人々が住んでいた地域です。国の皆さんよ、あなたがたは住民登録しなければなりません。登録するとどうなるかというと、国民の数が分かりま...御子の居場所はここに

  • 新たな信仰の始まり

    【詩編134編1~3節】【ルカ福音書1章26~38節】昨日の夕方、幼稚園の母親クリスマスが行われました。大塚平安教会の2021年度最初のクリスマス礼拝となりました。その礼拝において話をさせていただいた聖書箇所も、今日の礼拝に選ばれました、御子イエスの母となるマリアに天の使いがやって来た場面であります。毎年、クリスマスの時期になりますと、マリアとガブリエルの場面は必ずと言っても良い程に読まれる個所ですが、今年、初めてそういうことであったのかと理解したことがありました。それは、マリアが「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と告げたこの御言葉の意味です。「お言葉どおり」とありますが、この言葉は英語の聖書のEnglishstandardversionという聖書で読みますと、Letitbe(...新たな信仰の始まり

  • 神の光が灯された時

    【詩編133編1~3節】【ヨハネによる福音書1章1~5節】2021年のアドベントが始まりました。御子イエス・キリストの誕生を喜ぶ時として備えられた時、また一本目のローソクに灯が灯されました。「神の光の印」としての灯とも言えるでしょう。このともし火を希望の光として、この年も共にアドベントを過ごして参りましょう。先週の礼拝の後、皆さんと共に会堂の掃除を行い、その後、子どもの教会の担当者会は途中で退席しまして、家内と、それからうちの次男の三人で、以前私が奉仕しておりました町田の教会の献堂式に出席してまいりました。3時から献堂式の礼拝が始まる時間ギリギリで到着しましたが、間に合いました。到着すると、ある方が「菊池先生が到着されました」と大きな声で言われて、恥ずかしい思いでしたが、町田の教会の方々が待っておられた様子に感...神の光が灯された時

  • 主のための場所

    【詩編132編1~9節】【フィリピの信徒への手紙1章12~20節】毎週水曜日の10時30分から聖書研究祈祷会が行われています。毎週7名、8名、9名と集まって下さり良い祈りの時間となっていますが、今、旧約聖書の出エジプト記を1章ずつ読んでいます。最近、読んでいる箇所は、出エジプトを果たした民が、エジプト脱出から三か月後にシナイ山に到着し、指導者モーセが山に登り、そこで主なる神から十の教え、十戒をいただいた場面です。更に、具体的に、十戒を掘り下げるようにして、例えば人に危害を加えるとどうなるとか、人のものを盗むとどうなるとか、安息日の意味であるとか、祭りを行うには、といった、細かい規則も主なる神から聞くことになります。それから続いて主は、あなた方は主なる神が臨在する幕屋を造りなさいとモーセに告げます。幕屋とはテント...主のための場所

  • 幼子のように

    【詩編131編1~13節】【マタイによる福音書18章1~5節】11月のこの頃になりますと、あちらこちらから喪中はがきが届きます。親族の大切な方が亡くなったのでと、必ずしもキリスト教の習慣ではありませんけれど、日本の一つの決まり事のようになっています。先日、私の母教会で牧師をされている佐々木潤牧師からも喪中はがきが届きました。お父さんが亡くなられたとありました。お父さんは佐々木久慶先生と言いまして、キリスト教主義の学校先生を長くされ、その後牧師として秋田県の教会で奉仕されていました。私が岩手の教会におりました時に、教区の主事をしていたこともありまして、教区事務所にも時々顔を出してくださって大変良い関わりを持って下さっていました。私は久慶先生が大好きでした。どうしてかというと、久慶先生は特別なタラントがありました。...幼子のように

  • 元気が出る言葉 第11回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、新約聖書ペトロの手紙二3章18節からの御言葉です。「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」以前に、ある社会福祉の専門家に聞いたことがありました。人間は何歳位から年寄りになるのでしょうか。すると何歳だと思いますか。答えは45歳だそうです。人間45歳位からは、年々衰えていくそうです。私も45歳の時に、生れてはじめての経験をしました。人と話をしていて、目の前にいる人の名前が出てこなくなったのです。何か病気なのだろうか、よくない兆候なのだろうか、冷や汗が出て来たことを思い出しますね。でも、後になって気が付きました。これが年を取ったということだとわかりました。最近では毎日物忘れをしていますから、名前...元気が出る言葉第11回

  • 「永遠の命を生きる」

    【ヨハネによる福音書17章1~5節】2021年度、召天者記念礼拝を迎えました。本日の説教題を「永遠の命を生きる」と致しました。キリスト教はその教えの中で、「永遠の命」という言葉を用います。永遠の命と聞くとすぐにいつまでも死なない命、と連想しますけれど、少なくとも物理的には不可能ですし、そのような意味を持つものでもないと思います。では、どのような意味を持つのか、色々な意味が込められていると思います先ほど、読まれましたヨハネによる福音書17章3節にはこう記されています。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」この御言葉は、永遠の命とは、一つは主なる神を知ること。もう一つは主イエス・キリストを知ること。この二つを知ることだと伝えています。永遠の命は...「永遠の命を生きる」

  • 淵の底で見える光

    【詩編130編1~8節】【ルカによる福音書5章12節】本日は10月最後の主日礼拝であり、10月最後の日であり、宗教改革記念日であります。1517年10月31日、ドイツのマルティン・ルターによって宗教改革がスタートした記念日でもあります。ルターが21歳、ドイツで最も古い大学の一つであるエアフルト大学の学生として、自分は将来法律家として身を建てて行こうと考えていた矢先、人生が変わる出来事が起こります。一つは落雷でした。雷に打たれた。けれど九死に一生を得て、自分は生きているというより、大いなる方に生かされていると思う経験をしたと言われます。また、同僚の学生が突然に亡くなり、また法学部の教授三人が相次いで亡くなったそうです。あるいは当時、ペストが流行っていたとも言われます。人は死ぬという、当然ですけれど、でもリアリティ...淵の底で見える光

  • 助け手を授けてくださる神

    1二つの創造物語今日は、降誕前第9主日、ペンテコステの翌週から始まり、22週間、約5ケ月の長きにわたって続いた聖霊降臨節が先週で終わり、教会の暦の上では、今日から新しい一年が始まります。そして、日本基督教団か定める教会暦の最初の主日の聖書課題は、毎年、「創造」がテーマとなっています。皆さんもよくご存知かと思いますが、聖書には、二つの創造物語が記されています。一つは、神が天地万物を七日間で造られたという天地創造の物語で創世記1章1節から始まり、2章4節の「これが天地創造の由来である。」という言葉で締め括られています。そして、それに続く2章4節の後半から始まるアダムとエバの物語が二つ目の創造物語で、3章には、アダムとエバが蛇に騙されて、神が「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と言われた善悪の知識の...助け手を授けてくださる神

  • 神の正しさを知る時にこそ

    【詩編129編1~8節】【ルカによる福音書18章9~14節】本日は詩編129編を読みました。1節、2節に同じ御言葉が繰り返されます。「イスラエルは言うがよい。わたしが若いときから彼らはわたしを苦しめ続けたが、わたしが若い時から彼らはわたしを苦しめ続けたが彼らはわたしを圧倒できなかった」この御言葉をどう読むのかが一つのポイントですが、「わたし」はイスラエルの国といいますかイスラエルの民、彼らとは一言でいえばイスラエルの周りの異民族と考えられます。今、毎週水曜日の祈祷会では旧約聖書の出エジプト記を読んでいますけれど、イスラエルの異民族として、代表的な民族はエジプトです。創世記のヨセフ物語り以降、イスラエルの民は400年に亘りエジプトに住みました。大臣ヨセフがいた頃は、丁寧な扱いを受けていましたが、時代が進み、イスラ...神の正しさを知る時にこそ

  • 狭い門から

    「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」(ルカによる福音書13章24節)ある時にイエス様に聞いた人がいました。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか。」その問いに答えたのが今回の聖書の御言葉です。「狭い戸口から入るように努めなさい。」狭い戸口というと、茶室を思い起こします。茶室の入り口は「にじり口」といって、身をかがめなければ通り抜けられない程小さい入口です。千利休というお茶の先生が考えたといわれています。例えば刀は武士の魂と言われるように、武士はいつも刀を腰に差していました。けれど茶室に入るには刀をはずさなければ入れなかったといわれます。つまり、千利休は、茶室に入る時は、なにも持たず、皆が平等の立場で平安にお茶をいただくのが良いと考えたのだと言われます。一説には...狭い門から

  • 幸いに生きるために

    【詩編128編1~6節】【ルカによる福音書11章27~28節】今日の説教題を「幸いを生きるために」としました。私たちは誰もが、出来れば「幸いを生きていきたい」と願います。けれど、幸いとはどういう状態なのかと問われるとすれば、具体的にこういう状態と答えるのは難しいかもしれません。世界に有名な「幸福論」という著書が三つあるそうですが、フランスのアランという人が記した「幸福論」によると、人はいつも気分が悪いのだそうです。何か不幸なことがあったわけでもないのに、常に気分が悪く、機嫌が悪い人が多い。人は意識せずに、自然に任せておくと次第に不幸な感情に取りつかれてしまうようです。私はそれが良く分かるような気がします。私たちは何かを考えている時、かなりの確率が悩みであり、不安ではないでしょうか。私は最近、家を出て教会に向かう...幸いに生きるために

  • 神が建ててくださらなれば

    【詩編127編1~5節】【マタイによる福音書7章24~27節】本日は「神が建ててくださらなければ」という説教題としました。マタイによる福音書7章24節以下の箇所を読みましたが、この箇所は、主イエスが多くの人々を前にして話をされた「山上の説教」と呼ばれる箇所の、締めくくりとして話された箇所となります。二人の人が登場して、一人は岩の上に家を建てた人、一人は砂の上に家を建てた人、その結果はすぐにわかりますように、雨が降り、川があふれ、風が吹いても岩の上に家を建てた人の家は倒れず、砂の上に建てた人の家は倒れたというのです。二日前の金曜日は、首都圏に大きな台風が近づきまして、この地域も雨風の激しい状況でした。時として、そのような嵐が私達の人生の上にもやって来ることがあります。そんな時、何が大切かというと、家というよりも土...神が建ててくださらなれば

  • 喜びの歌と共に刈り入れる

    2021年9月26日(日)聖霊降臨節第19主日労働の意味大塚平安教会礼拝説教聖書箇所詩編126編1~6節ヨハネによる福音書16章16~24節説教題「喜びの歌と共に刈り入れる」説教菊池丈博牧師喜びの歌と共に刈り入れる以下原稿になります。今日は詩編126編を読みました。この詩編も、120編から続く「都に上る歌」とされていますが、これまでの詩編は少し状況が変わっていまして、状況はバビロン捕囚からの解放と、自分達の土地、カナンの土地への帰還が叶いそうだという内容が歌われていることが分かります。短い詩編ですが、1節、2節は、カナンの土地へ帰れると聞いて喜んだ様子。3節、4節はこれからカナンの時、具体的にはエルサレムに、巡礼の旅と言うよりは、難民が命がけの帰還ですから安全を願い、祈っている様子が記され、5節、6節は、自分達...喜びの歌と共に刈り入れる

  • 揺らぐことなく

    2021年9月19日(日)聖霊降臨節第18主日新しい戒め大塚平安教会礼拝説教聖書箇所詩編125編1~5節ヤコブの手紙1章2~8節説教題「揺らぐことなく」説教菊池丈博牧師揺らぐことなく以下原稿になります。本日の礼拝説教を「揺らぐことなく」としました。先ほど読みました詩編125編1節にこうあります。「主に依り頼む人は、シオンの山揺らぐことなく、とこしえに座る」私たちの人生において、時に「揺らぎ」を覚える時があります。「揺らぎ」とはたとえるならば不安です。私達の国ばかりでもなく、新型コロナウィスル感染の猛威が世界を覆っていますが、先日、政府の新型コロナ対策分科会の尾身会長が今後の見通しを聞かれて、この状態が落ち着くまでは、「2~3年プラス」と答えていました。日本の現在の状況は感染者数が減って来てきますが、既に年末頃を...揺らぐことなく

  • 敵意の炎 驕り高ぶる大水

    2021年9月12日(日)聖霊降臨節第17主日隣人大塚平安教会礼拝説教聖書箇所詩編124編1~8節ペトロの手紙一2章9~10節説教題「敵意の炎驕り高ぶる大水」説教菊池丈博牧師敵意の炎驕り高ぶる大水以下原稿になります。先日、家内が助手席に座って、私が運転しておりました時に、何気ない会話をしながら、ある拍子で私が、「自分はポンコツだから」と話しました。あまり表現が良くないかなと自分でも思ったのですが、つい、言ってしまいました。すると、家内から「自分はポンコツだ、なんて言っていると本当にポンコツになるから言わないほうが良いんじゃない」と言われ、そうだなと思いまして、言わない方が良いねと返事をしました。少し反省しました。けれど、その後に改めて思わされた所がありました。先週、木曜日に、コロナ禍ではありますけれど、月に一度...敵意の炎驕り高ぶる大水

  • 主に目を注いで

    2021年9月5日(日)聖霊降臨節第16主日教会の一致と交わり大塚平安教会礼拝説教聖書箇所詩編123編1~4節コリントの信徒への手紙二4章16~18節説教題「主に目を注いで」説教菊池丈博牧師主に目を注いで以下原稿になります。本日は詩編123編を読みました。詩編120編から続きまして「都に上る歌」とタイトルが付けられています。エルサレムから遠く離れた所に住んでいる人々が、巡礼の旅をしてエルサレムの神殿に向かう過程において読まれた歌であろうと考えられます。詩編の読み方にも依るわけですが、一つの読み方として、詩編120編はこれから始まる巡礼の旅が安全で、無事に到着しますようにとの願いが込められた詩編。121編は、時が来て、いよいよ出発、「目をあげて、山々を仰ぐ」とありますが、あの山の向こうにはエルサレムがある、遥かに...主に目を注いで

  • 元気が出る言葉 第10回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今回の人生これからメッセージは、新約聖書ルカによる福音書19章5節の御言葉です。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」イエス様がエリコという町に入った時のお話です。エリコの人々はイエス様が来たと大喜びで道に出て出迎えました。イエス様も喜んだと思います。ふと上を見上げると、桑の木があって、その木からザアカイという名の人がイエス様を見ているではありませんか。徴税人のザアカイは、自分もイエス様を一目見たいと思って道端に行ったのですが、仕事柄、街の嫌われ者だったザアカイに、誰も場所を譲ってくれる人もなく、仕方なく、桑の木に登ったわけでありました。そんなザアカイを見上げながら、イエス様は話されました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。...元気が出る言葉第10回

  • 神の門の前に立つ喜び

    2021年8月29日(日)大塚平安教会礼拝説教聖書箇所詩編122編1~9節ヨハネの手紙三1~8節説教題「神の門の前に立つ喜び」説教菊池丈博牧師神の門の前に立つ喜び以下原稿になります。新型コロナウィルス感染拡大という状況を受けて、私達の礼拝はこれまで短縮した、極めてシンプルな形にした礼拝を守って参りました。けれど、今、神奈川県にも緊急事態宣言が出され、少なくとも9月12日までは続くと思われますがその期間、礼拝は休まないと決めましたけれど、同時に会衆皆で讃美歌を歌わず、奏楽者の演奏を聞くこととしました。もともと讃美歌は、神様の恵みに対する私達の応答として礼拝に組み込まれるものです。礼拝の区切りとして讃美歌を入れているわけではなく、最初に神の招きの詞、招詞があり、その招きの応答として讃美歌が歌われます。聖書朗読があり...神の門の前に立つ喜び

  • うめきの中から

    2021年8月22日(日9大塚平安教会礼拝説教聖書箇所ハバクク書3章17~19節ローマの信徒への手紙8章18~25節説教題「うめきの中から」説教杉野信一郎神学生(日本聖書神学校4年生)うめきの中から以下、原稿になります。(調整中・暫くお待ちください)うめきの中から

  • 元気が出る言葉 第9回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、旧約聖書詩編104編19節の御言葉です。「主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり森の獣は皆、忍び出てくる。」最近、コロナ禍の中で家に引きこもりがちになって過ごしていますが、先日は家内に、座間の知り合いの花屋に行きたいと言われて車を出しました。到着して、ご主人から真っ赤な袋を付けた「ホオズキ」の枝をいただきました。私はその時、改めて、今は夏の終わりに向かう季節だったと感じました。この8月、夏を過ごしてきましたが、コロナ禍の影響で、夏の花火大会やお祭りといった声も聞かず、長雨の被害が各地で起こり、季節を感じるどころではなかったなぁって思わされました。その夜の夕食で、なぜか、家族で河...元気が出る言葉第9回

  • 気前の良さををねたむのか

    2021年8月15日(日)大塚平安教会礼拝説教聖書箇所マタイによる福音書20章1~16節説教題「気前のよさをねたむのか」説教大矢真理牧師気前の良さををねたむのか気前の良さををねたむのか

  • 助けはどこから来るのか

    2021年8月8日(日)大塚平安教会主日礼拝説教詩編121編1~8節ヨハネによる福音書15章16~17節助けはどこから来るのか菊池丈博牧師以下原稿です。詩編121編1~8節ヨハネによる福音書15章16~17節「助けはどこから来るのか」先週詩編120編を読み、今週は121編となりました。120編に続きまして、121編もタイトルが「都に上る歌」とあります。イスラエルの何か特別な祭の折であったかもしれません。エルサレムの神の神殿を目指して、人々が巡礼の旅をする、そういう習慣があったものと思われます。神の神殿を目指して旅をスタートする、一人でというより、恐らく数人での旅であったと思います。数人で行きますと、困った時に互いに助け合い、支え合うことが出来ますから、心強い思いがするでしょう。共にこれから進む道を見つめつつ、目...助けはどこから来るのか

  • 元気が出る言葉 第8回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、新約聖書マルコによる福音書8章34節の御言葉です。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」「ミニマニスト」という言葉があります。出来るだけ物を持たないで生活をしている人という意味です。わたしはいつも憧れています。部屋に何も無いのは良いなぁと思います。わたしの趣味は、庭のバラ、玄関の熱帯魚、居間にはギター、パソコンでは英会話、ニンテンドーの「あつ森」もやっています。でもどれも上手くいきません。あれもこれもと手を出すのですが、常に挫折しています。更に、どれも思っている以上に出費がかさみます。ですから、ミニマニストのように思い切って、何も無い生活って良いなぁって思うのです。自由だなぁって...元気が出る言葉第8回

  • 平和をこそ、語る方

    【詩編120編1~7節】【ルカによる福音書4章16~21節】昨日の7月31日、神奈川県の巡回教師であり、二年前の6月に大塚平安教会の伝道礼拝説教を担ってくださった関田寛雄先生が一冊の本を出版されました。「目はかすまず気力は失せず」というタイトルで、「講演、論考、説教」というサブタイトルが付けられています。関田先生は、私も直接神学校で教わった先生でもありますが、私達の教会ではシルバさん家族の行末を心配してくださり、祈り続け、助け続けてくださっている先生です。1928年生まれですから、現在、93歳、尚、現役の牧師として働いておられ、「目はかすまず、気力は失せず」という本を出される、それだけで、私は、励まされ、力付けられる思いがしております。最初に「老いを生きるための黙想」という文章がありました。その中で、信仰を持つ...平和をこそ、語る方

  • わたしを灯す光

    【詩編119編105編】【ヨハネによる福音書8章12~16節】既に2年以上前になりますが、まだ世界の誰もコロナウィルス感染など考えていなかった2019年の4月29日、湘北地区の仲間の教会が集まって「CS生徒大会」を大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園の園庭でもって行いました。タイトルは「仮庵フェスティバル」。当時の記録を見ますと地区内の60人程の子ども達と「子どもの教会」の担当者とが集まりまして、四つのグループに分けて、午前には、それぞれが仮小屋を建て、祭りの絶頂期はお昼、大人がそれぞれにホットドック、豚汁、焼きそば等、を作りました。私と幼稚園の園長は二人で、色々なインスタントラーメンの袋を買って来て、それを全部混ぜた、「まぜまぜラーメン」を作りました。子ども達には大好評でしたが、親御さん方にはそうでもなかったか...わたしを灯す光

  • 元気が出る言葉 第7回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、新約聖書エフェソの信徒への手紙5章8節です。「あなたがたは、以前に暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」今週は幼稚園の1学期が終わり、海の日の木曜日には、今年3月に幼稚園を卒業して、小学校に入った皆さんが、久しぶりに集まって同窓会を行いました。殆ど全員が集まって来てくださり賑やかな同窓会でした。最初に礼拝堂で神様に礼拝を献げました。礼拝の中では「光の子として歩みなさい。」という話をしました。光の特徴は三つ、暖かい、早い、明るいです。今は夏で暑すぎますが、冬の寒い日の太陽の光の暖かさは格別だと思います。「ひかり」という新幹線もありますが、光はなによりも早い、そして、明るい。だから、皆さんよ、...元気が出る言葉第7回

  • 苦悩を乗り越えていくために

    【詩編119編65~72節】【使徒言行録20章31~35節】26年前、私は神学校を卒業しまして最初の任地の教会に赴任したわけですが、教会に二人の医者がおられて、礼拝に出席していました。一人は小児科の先生で、地域一体の子ども達の健康と命を預かっている先生でした。普段から忙しいのですが、インフルエンザとか、子どもたちが流行り病になりますと、一日、数百人の子ども達を診なければならない日が続くわけで、ですから、あまりに忙しくなると、一辺に3人、5人と診察室に入れて、横に並べるのだそうです。それで、子ども達の顔色を診て、この子は大丈夫、この子は心配、この子はよく見なければと、もう顔色一つで診察して、それで病気を癒し続けたという、地域から愛されている先生でした。難点をあげるとすれば、おしゃべり大好きで、人の話を聞くのが苦手...苦悩を乗り越えていくために

  • 今日を喜び祝い、喜び祝おう

    【詩編118編22~25節】【コリントの信徒への手紙二6章2~4節】紀元前の600年後半~500前半年にかけて、イスラエルは、当時大国であった新バビロニア帝国と戦います。力の差は歴然としていまして、あっという間にイスラエルは滅ぼされました。生き残っていた人々は、バビロン地方のケバル川流域に連行され、ほぼ、強制労働、奴隷のような生活を送っていたものと思われます。当初は、すぐにでも解放されて、自分達の故郷に帰ることが出来ると楽観的だったとも言われますけれど、結果的には捕囚は50年続きました。50年の長さですから、その地で生まれ、育った人々も大勢いたでしょう。もはや自分達の国に帰ることを諦めていたかもしれません。そのような折に、時代が動き、アケメネス朝ペルシャという国が力をつけて来て、バビロニア帝国を破りました。ペル...今日を喜び祝い、喜び祝おう

  • 大切なあなた

    【詩編117編1~2節】【ヨハネによる福音書3章16~2節】今から26年前の1994年12月、クリスマスが過ぎた暮れの頃でしたが、私はパリにいました。テゼ共同体と呼ばれる修道会のヨーロッパ大会に参加するためでした。テゼの始まりは、第二次世界大戦時に遡ります。1939年9月1日、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始し、その後ロシアがポーランド侵攻、更にイギリス、フランスがドイツに宣戦布告して、ヨーロッパ全土が戦場と化しました。人と人とが分断される中で、カルヴァン派の教会の牧師の息子として育ったフラザー・ロジェという人が、せめてクリスチャン同志だけでも和解と平和を実現させたいと願いながら、小さな希望の印として、フランスのブルゴーニュ地方にあるテゼという小さな村に男子修道会を開いたのがテゼの始まりです。戦争の最中には、ユダ...大切なあなた

  • 信じる生き方

    信じる生き方【詩編116編1~11節】【コリントの信徒への手紙二12章7~10節】今日の説教題を詩編116編10節の御言葉から「信じる生き方」としました。神を信じる者の生き方があると私は思います。特にそれは、人生の後半に大きく変わってくると思います。昨日の土曜日、の午前中、壮年会の方々が教会に来て掃除をして、今日の備えをして下さいました。掃除の後、お茶をしたのですが、口々に自分達は年を取ったという話をしておられた。「耳が遠くなった」とか「同じ姿勢だと腰が動かなくなる」とか、「もはや、壮年会ではない」とか色々言っておられました。でもね、そんな会話を皆さんが笑顔で、笑いながらしておられるのです。私はその笑顔を見ながら「信じる者の生き方」があると思わされました。世の中はコロナ禍が続き、パンデミックが続いています。日本...信じる生き方

  • 何を土台とするのか

    「そこで、わたしの言葉を聞いて行う物は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」【マタイによる福音書7章24~25節】人生は何を土台とするかで決まります。私は高校を出てすぐ仕事に就きました。家が貧しく進学を考える余地はありませんでした。心の中は「親の為に自分が仕事をしなければ」という思いでした。親を土台として生きていこうとしました。でも、長くは続きませんでした。その後、考えを変えて、やっぱり自分が喜ぶように生きたいと考え直しました。でもそれも長く続きませんでした。自分を土台とすると、実力がありませんから、社会の色々な壁にぶつかり、そこから進めなくなるのです。上手くいかないと、社会を恨み、人のせいにして卑屈になりま...何を土台とするのか

  • 大きな人も小さな人も

    【詩編115編12~18節】先週、教会である方と話をしていました時に、当然のように、コロナ禍の話になりまして、これから先どうなっていくのか、心配ですねと話す中で、その方がふいに、1月、2月、3月と神奈川県に緊急事態宣言が出されていた時のビデオ礼拝が良かったという話しをして下さいました。何が良かったかというと、最初に家内が讃美歌を賛美して、それから牧師が説教する。夫婦で一緒にしているのが良かったというのです。なるほど、そういう風に考える人もいるんだと思って聞いていました。出来れば、コロナが治まって二度とすることが無いように、とは願いますが、それとは別にしても、これからの時代を考えますと、ネット配信という形の礼拝を、考えていかなければならないとは思います。ビデオ礼拝の準備していました時のことですが、家内が賛美する様...大きな人も小さな人も

  • 岩を水に変える方

    【詩編114編1~8節】【ヨハネによる福音書4章7~15節】今日読みました詩編114編は、先週読みました詩編113編と共に、出エジプト記に記されるイスラエルの民の出エジプトの出来事が記されている詩編です。113編は主の過ごしの出来事に触れ、114編は出エジプト直後の民の様子について記されています。イスラエルの民は、430年に亘り言葉の違うエジプト人と共に住み、しかし、ついには奴隷とされてしまいます。その労働の故に助け求める彼らの叫びを聞いた神がモーセを指導者として立て、出エジプトの出来事は起こりました。モーセはエジプトのファラオのもとへ行き、自分達を解放するように何度も掛け合います。けれど、なんとしてもエジプトを出て行くのは許さないファラオでしたが、主の過越しの出来事によってファラオに勝利し、イスラエルの民、男...岩を水に変える方

  • 元気の出る言葉 第6回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、旧約聖書箴言2章1~5節です。「わが子よわたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら銀を求めるようにそれを尋ね宝物を求めるようにそれを捜すならあなたは主を畏れることを悟り神を知ることに到達するであろう。」今、私の母親が認知症と骨折で入院しています。家内の母親は、90歳を過ぎて近く施設にお世話になっています。私も今年で60歳になりました。そんな具合で最近色々と考えることの一つは老後問題です。世の中でもいよいよ「段階の世代」と呼ばれる方々が後期高齢者になると言われていますが、老後にどう過ごすのか、考えなければならないなと思っております。牧師に老後があるのか...元気の出る言葉第6回

  • わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

    「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」【マタイによる福音書5章44節】洗礼を考えておられる方に対して、洗礼準備会を行います。準備会で時間を用いてお話して、お願いする一つは「裁かないこと」です。人はそれぞれに自分の感情に自分の「物差し」を持っています。人を見て、自分の物差しで測って、正しい人だとか、変わった人だと判断するわけです。自分の考えに同意する人は概ね正しい人になり、忠告する人は概ね変わった人になります。変わった人だけなら良いのですが、考え方が違う人は「敵」となり、争いの種になります。人は自分が正しいのか、間違っているのかとは考えません。「自分は正しい」としか考えません。ですから、自分の周りにはいつの間にか変わった人が増え、「敵」が増えることになります。少なくとも教会...わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

  • 神のへりくだり

    【詩編113編1~9節】【フィリピの信徒への手紙2章1~11節】私は岩手県の東和町という田舎で生まれました。東和町は今なく、花巻市に合併されています。父の仕事の関係でそこから少しだけ南の場所に移りまして、そこで幼少期を過ごしました。父の仕事は、既に多くの方がご存知ですが、彫刻家でした。具体的には能面を彫ったり、仏像を彫ったり、時には宮大工として神社の彫刻の場所を担当したりしていたようです。家を移ったのも、大きな依頼があったわけで、その地域で祀られていた神社の社を建て替えるために呼ばれて、住まいがあてがわれて、そこで仕事をしたということのようです。社そのものは大工が作り、父は彫刻の箇所と、社の中に祀る小さな社であるとか、よく分かりませんが色々と必要な物を作っていたのでしょう。正月になると、その神社にお参りに連れて...神のへりくだり

  • 心の貧しい人は幸いである

    「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章3節)人生で一番好きな映画は何?と聞かれたら100%「ノッティングヒルの恋人」と答えます。これまで、DVDで50回は観たかもしれません。先日、リバイバルで海老名の映画館で上映となり、是非行かねばと密かに妻と一緒に観にいきました。ロンドンの隅に位置するノッティングヒルで小さな書店を経営しているウィリアム・タッカーの店に、ロスのビバリーヒルに住む大女優のアナ・スコットが立ち寄って本を買ったところが始まりです。それがきっかけで二人は次第に惹かれ合うようになります。時にはすれ違い、立場の違い、価値観の違いから、別れたり、戻ったりを繰り返しながら、ついに、アナがタッカーに一緒に生きていきたいと告白するのです、でもタッカーはそれを受け...心の貧しい人は幸いである

  • 元気の出る言葉 第5回

    みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、旧約聖書申命記8章3節の御言葉です。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」「人はパンだけで生きるのではなく」。この御言葉は、主イエスもマタイによる福音書4章で話しておられます。悪魔との対決の場面ですから読んだことがない人は是非、読んでみて下さい。この御言葉は聖書の中にあって、よく知られている御言葉ですが、時には、この御言葉が独り歩きしてしまい、誤解を受けやすい御言葉かもしれません。「人はパンだけで生きるのではく」と聞くと、「世の中には食べものに困っている人は沢山いるのに、とんでもない」と思っている方も少なくないかもしれません。実は、私の場合は全く逆で...元気の出る言葉第5回

  • 至福の安息への招待

    【マタイによる福音書11章28~30節】中心聖句11:28「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」先週、5月23日は、聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝でありました。そして、それに続く今日の聖日は、教会暦では「三位一体主日」と定められ、今日からアドヴェントまでの約半年間は「三位一体節」と呼ばれています。これとは別に、前週のペンテコステからアドヴェントまでの期間を聖霊降臨節とも呼び、最近はこちらの方が一般化しているようです。いずれに致しましても、待降・降誕から十字架の受難、復活と昇天、そして聖霊降臨に至る半年間がキリストの生涯を覚えて歩む「主の半年」と呼ばれるのに対して、今日からの半年間は、聖霊の導きと支配のもとに宣教に励む「教会の半年」と言われています。新型コロナウイルスの蔓...至福の安息への招待

  • 元気の出る言葉

    【浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち不遜な者は不遜であることを好み】箴言1章22節みなさん、こんにちは、大塚平安教会牧師の菊池丈博です。今日の人生これからメッセージは、箴言1章22節です。「浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち、不遜な者は不遜であることを好み」私たちは誰もが「浅はかでないように生きたい」と願っています、出来るならば思慮深く生きたいと願っています。ところがなかなかそう生きていけないところもあります。金のガチョウの話があります。一日一個、金の卵を産むガチョウによって金持ちになった農婦が、欲を出して、ガチョウのお腹には沢山の金があるに違いないと思い、ガチョウのお腹を裂いてみたら、何も入っていないし、ガチョウは死んでしまうし、もとの貧乏になりましたという話です。私達も気を付けなければなりません...元気の出る言葉

  • 闇の中に昇る光

    詩編112編1~10節使徒言行録2章14~21節「闇の中に昇る光」今日は聖霊降臨日、ペンテコステ礼拝となりました。昨年のペンテコステ礼拝は5月31日、5月最後の礼拝でした。7週間に亘る第一回目の緊急事態宣言が終了して、最初の会堂での礼拝がペンテコステ礼拝でした。昨年は「聖霊を受けると人生が変わる」という説教題で話をしています。主イエスと共に歩んだ弟子たちでしたけれど、思いがけなく主イエスが捕らえられ、十字架刑に処せられる。これで全てが終わったと思っていたのに、三日後に復活された主イエスが弟子たちの前に現れてくださった。なんという奇跡、弟子たちは驚きと共に、多いに力付けられたでありましょう。主は40日に亘り、弟子たちと共におられましたが、その後天に昇っていかれます。この時も、弟子たちは随分と力を落としたであろうと...闇の中に昇る光

  • 言葉が通じ合う時

    【使徒言行録2章1~4節】英語に限らず、ほかの国の言葉を勉強する際に、お勧めは口に出すという勉強法です。特にアルファベットを使用する言語は、強弱の波を気にしたり、川が流れるような感じになるまで読み続けたりすると、いつの間にか文章を理解出来る!ということがあります。脳の中には日本語を司る箇所があるそうですが、英語を覚えて来ると英語を司る別の箇所が出来るそうです。同じ箇所で考えているわけではないようです。日本語を話して疲れている時、英語で話すと元気が出る!ということもあります。脳の違う場所が活性化してリフレッシュするからでしょう。いずれにしても、どの国の言葉でも、話せるとしたらどんなに嬉しいことでしょうか。昔、フランスのある家庭にホームステイをしたことがありました。全然話せませんでしたが、単語でやり取りするうちに知...言葉が通じ合う時

  • 元気の出る言葉 第3回

    【わが子よならず者があなたを誘惑してもくみしてはならない。】(箴言1章10節)説教を考えている時に、急に思いたったことがありました。それは、人は皆、「そうだね~」と言ってもらいたいのだということです。殆ど確信的にそう思いました。家に帰って、食事をしながら、妻や子どもたちに話しました。「人は誰もが、そうだね~」って言ってもらいたいだよ。そしたら、家族が一斉に、「そんなの当たり前じゃない、お父さん、今頃気が付いたの」と言って来たのです。その言葉に、私はより確信をもって、「人は誰もがそうだね~」と言ってもらいたいのだと思いました。分かりますでしょうか。でも、自分の周りに「そうだね~」というイエスマンだけがいるのも良くないようです。聞いた話ですが、今の総理大臣の周りにはイエスマンしかいない。なぜなら意見した人は他所に飛...元気の出る言葉第3回

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、日本キリスト教団 大塚平安教会 さんをフォローしませんか?

ハンドル名
日本キリスト教団 大塚平安教会 さん
ブログタイトル
日本キリスト教団 大塚平安教会  
フォロー
日本キリスト教団 大塚平安教会
 

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用