旅の記録
まずはアメリカ大陸でクライミング!それからスノボー!川下り!トレッキング!バックパッカー!欲張った旅をしていきたい
サンティアゴやバルパライソよりもう少し南には、アンデス山脈から太平洋までチリを横断するような川が流れている。マウレ川だ。かつてインカ帝国はこのマウレ川を南の国境とし、マプチェ族と対峙していたという。そこは私のインカの旅における最後の目的地だった。3/166時間
サンティアゴから西に120km離れたら太平洋沿岸には、チリ最大の海港都市がある。1536年にスペイン人たちが入植した際に、その美しい景観から “天国の谷” と名付けられたその場所は、1818年にチリが独立したのを機に国際貿易の主要港として瞬く間に発展した。その都市の名は
細長いチリのほぼ真ん中に位置するサンティアゴは同国の首都にして、南米有数の都市だ。街の建設は1541年スペイン人たちによるものだが、やはりこの地帯もかつてインカ帝国の領土だった土地。3/12アルゼンチンのメンドーサからチリのサンティアゴへ。10時間 (うち国境での待
またアルゼンチンには戻ってくる予定だけど、インカの道をたどり、一度チリへと。チリの北部には古くから文明が栄えていたとされており、今から1万年前のものとされる世界最古のミイラも発見されている。もともとの先住民はベーリング海峡を渡ってきたアジア系人種と、南太平
世界でも有数のワイン生産国アルゼンチン。その中心となるのがメンドーサという街。その土地はもともと乾燥した地質だったらしいが、アンデスの雪解け水を集めた大規模な灌漑が施され、緑豊かなワインの街ができあがったという。またメンドーサは南米最高峰アコンカグア6962m
サルタから500kmちょっと南、アルゼンチンはカタマルカ州にもかつてのインカの遺跡が残る。緑豊かな山地にたたずむその遺跡はプカラ・デ・アコンキハと呼ばれ、インカ帝国南部エリアの重要な要塞だったそう。時は10代皇帝トゥパック・インカ・ユパンキ、そして11代皇帝ワイナ
3/5ウマワカ渓谷のあとはアルゼンチン北部の大都市サルタへ。標高4000m前後の寒冷荒野地帯から、標高2000mを切り日射し照りつける灼熱都市へ。突然夏がやってきた感じ。こういった環境の変化も旅をしている感じがして良い。サルタはアルゼンチン北部を旅するうえでの拠点とな
アルゼンチン北部、ボリビアにも近いそのエリアには150kmにもわたる渓谷が広がっている。その独特の景観から “南米のグランドキャニオン” とも呼ばれ、世界遺産にもなっている場所だ。何よりそこには1万年以上前からインディヘナの人々が暮らし、インカの時代には今日のペ
さて、距離的にはやっと南米大陸の南半分となるアルゼンチンとチリ。まずはアルゼンチンの歴史からさらっと。アルゼンチン南部のパタゴニア地方のとある洞窟で今から9000年前に描かれた手形や動物の絵が発見されている。500年前の15世期末から16世紀初頭まではアルゼンチン北
ボリビア南西部、チリとアルゼンチンとの国境も近いそのエリアには世界最大の塩湖が存在する。ウユニ塩湖だ。数百万年前にアンデス山脈が隆起した際、大量の海水がそのまま山に残され、それが干上がり、世界でも類を見ない広大な塩原が形成された。そこは “世界で最も平らな
ボリビアにはかつて世界に名を轟かした銀山が存在した。ポトシ銀山だ。莫大な銀を有したその山は “セロ・リコ;富の山” とも呼ばれ、スペインに莫大な利益をもたらした。ポトシの街は当時の南北アメリカ大陸でもっとも人口を擁する街として繁栄もした。しかしスペイン支配
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