古代を通じてたどりつく私達の無意識
奈良や京都、あるいは飛鳥の地を訪ね歩き、古代について調べ、想いを巡らせていくうちに、なぜ、自分はこれらの事象に興味があるのだろいうと考えることがある。その原動力の正体を考えと、ゆかりの地を訪ね歩き、その地の古代の痕跡を感じてみようと感覚を研ぎ澄ませる。すると、稀に神秘的な心地よさ、美しさを体験することがある。 それは、例えば、法華寺の十一面観音に衝撃的な美を感た、あるいは聖林寺本堂の縁側から雷雨のなか三輪山を眺めた、春日大社につらなるささやきの小径で鹿の頭蓋骨を見つけた…。そんな、再び出会うことができないような瞬間だ。 岡寺で出会った見事な蛙 それは、かつて、古代人も経験したと思われる瞬間だ。…
2019/06/28 08:39