今は亡きある司祭が作ったプリントに、聖母とかぐや姫の関係が書かれていました。 竹取物語の一説が取り上げられていて、月からお迎えが来てかぐや姫が天に昇るのが...
ファチマの予言では、聖母は、ロシアを聖母の汚れなきみ心に奉献するように望まれました。これはまだ実現していないようです。ヨハネ・パウロ2世はロシアではなく全...
教会が共産党に反対して戦ってきたのはその無神論のためですが、貧しい者のための取り組みに関しては教会は反対ではないはずです。むしろ彼らに負けずに取り組まなけ...
教会が共産党に反対して戦ってきたのはその無神論のためですが、貧しい者のための取り組みに関しては教会はむしろ彼らに負けずに取り組まなければならないと思います...
年間第3主日(B年)第1朗読 ヨナ3章1-5,10節 あと40日すればニネベの町は滅びる、とヨナは語る第2朗読 1コリント7章29-31節 泣く人は泣かな...
年間第6主日(B年)第1朗読 創世記3章16-19節 アダムとエヴァの罪により地は呪われるものとなった第2朗読 1コリント10章31節-11章1節 私がキ...
イエスの家に泊まった弟子たち 年間第2主日 第1朗読 サムエル上3章3b-10,19節第2朗読 1コリント6章13c-15a、17-20節ヨハネ 1章35...
イエスの宣教のはじめ 第6主日第一朗読 ヨブ記7章1-4、6-7節 この世は辛く希望がない、ということをヨブは語る第2朗読 Ⅰコリント9章16-19、...
第1朗読 イザヤ55章1-11節第2朗読 1ヨハネ5章1-9節 福音 マルコ1章7-11節 HP「日ごとの福音」(https://www.higoton...
待降節に入ると、メシアの到来を告げる聖書が読まれると思いきや、年間最後の終末的な聖書箇所が継続して読まれます。キリストの再臨や裁きに関する箇所が読まれ、い...
迫害の時代もあれば、泰平の時代もあります。 しかし泰平の時代でも悪魔は活動をやめません。泰平の時代に泰平の時代の試練や迫害があります。 私たちの苦しみが通...
いろいろな聖書の読み方があります。 (1)多くの霊的著作家は、「博学になるためではなく、神の心を知るために」読むことを勧めます。多読にも意味はありますが、...
キリスト教では愛が最も大切であり、キリストの受肉と生涯を通して、神の愛が啓示された、と信じています。 さて、それであったとしても、私たちはときどき愛を理解...
不正な管理人の例えは非常に難しいと言われています。(ルカ16:1-9) たとえ話はある程度は分かります。しかし不正な管理人のずるいやり方を主人がほめるとこ...
ルカ11章には祈りについての教えがまとめられています。主の祈り、執拗に祈れば聞き入れられること、「求めよ、さらば与えられん」などなど。 「あなたがたの中に...
しもべは主人の畑で一日中働いても、帰ってきてからすぐ食事をするのではなく、まず主人の給仕をしなければなりません。やるべきことをやったからと言って主人はしも...
聖書に「母はこれらのことを思い巡らしていた」と書かれている箇所が2箇所あります。いずれもルカ福音書で、ひとつはイエス誕生の折、羊飼いたちが天使のお告げを受...
獄中のヨハネは弟子を遣わしてイエスに「来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきですか」(ルカ7:19)と問わせました。 ヨハネは迷ったのだろう...
マリアは神のなさった偉大な業について、周りの人々にあまり話さなかったようです。 イエスを宿したときにも、それを婚約者ヨセフに言わなかったからです。ヨセフは...
待降節に入ると洗礼者ヨハネの福音箇所が読まれます。 洗礼者ヨハネはイエスが世に現れるために道を準備するお方でした。 高い丘は平らにされ、谷は埋められ、主の...
放蕩息子のたとえ話を読みますとお兄さんが分が悪く書かれています。それもそのはず、ファリサイ派や律法学者のことをたとえているからです。いなくなっていた弟が...
イエスは祈りを聞き入れられるための大きな秘訣を私たちに授けてくださいました。「私の名によって願うことは何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光...
最後の晩餐でイエスは弟子たちの足を洗いました。聖木曜日の出来事でした。ちょうど今回の聖木曜日前に、教皇フランシスコが南スーダンで争っている政府代表と反政府...
キリストの教えの大切な所はゆるしです。主の祈りの中で、私たちはゆるしが大切であることを毎日思い起こします。 また許しを求める人に対して何度でも赦すようにと...
イエス様は許しを教え、7の70倍赦すように教えられますが、どうしても許せないときがあります。イエスは「兄弟があなたに対して罪を犯し、謝りに来たら」と条件...
旧約聖書のヨブ記に書かれている義人ヨブは正しい人で富者でしたが、試練によってすべてを奪われ、その上皮膚病となり、苦しんでいました。3人の友人が見舞いに来ま...
キリストの教えに従って生きてゆけば、人々の信頼を得、評判も高まり、それなりの役職につくこともあるでしょう。人との間に平和を築くこともでき、穏やかな日々を過...
イエスを神と信じる人にとって、ゲッセマネで死を恐れたイエス、十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びは躓きと感じることがあ...
最後の晩餐でイエスは「これからは私の名によって願いなさい。そうすれば・・・」とおっしゃいました。イエスの名によって願えば聞き入れられるという大きな秘訣を私...
ご復活の後、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちにイエスが現れ、舟の右に網を下すように言うと大量の魚が獲れた話があります。主の受難と弟子たちの混乱、絶望、ユ...
皆さんはすでにご存知だと思いますが、マルタとマリアの場面です。 「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエス...
ヨハネ4章にサマリアの女とイエスが井戸端で語り合う場面があります。弟子たちは町に食べ物を買いに行っていて、井戸端で休んでいたイエスの所に、サマリアの女が水...
キリスト教的な霊性の中に自己犠牲や自己否定があり、これは古今東西の修徳に共通なものだとは思いますが、気をつけなければならないことがあると思います。 キリス...
自分を愛することはいけないことでしょうか。わがままな愛ならいけないことでしょう。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というのはキリスト教で神への愛に次ぐ...
聖ファウスチナに与えられたキリストからの啓示の中には、「罪人こそ私のあわれみを受けるにふさわしい」という言葉が何度も出てきます。「私は罪人を探して救うた...
神が私たちの幸せを願う、という考え自体がある人々にとっては目新しいかもしれません。善人に報いを与え、悪人を罰する、という基本的な考えがあるからでしょう。 ...
教皇フランシスコが神のいつくしみの聖年のときに書かれた大勅書の中にとても気に入っている箇所があります。 「神のいつくしみは、私たちに対する神の責務なのです...
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