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2018/02/15

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  • ぎんなん

    秋の味覚について、少し思い出を交えながら書き記し、深まる秋を味わいたい。題名にもあるが、私の秋の味覚は銀杏である。かつてあった小学校の校庭に大きなイチョウの木があって、毎年重そうにその多くの銀杏をボトボトと落としては悪臭を放っていた。その大きな銀杏の影に隠れながら、背中を丸めてその悪臭も物ともせず銀杏を拾う先生がいた。図画工作の先生で、退職間近の永井先生という白髪頭で無精ひげをたくわえた、いかにも好々爺という優しい先生。よく私の書く絵を褒めてくれたっけなあ。実は私も一緒になって銀杏をかき集めたのだが、ぎんなんの実の部分で手を痛めるからもういい、と私を遠ざけ、何杯のバケツいっぱいになったぎんなんを冷たい水につけ、なにか作業をしていた。おそらく実を除く作業だろうが。その銀杏は全校生徒全員に茶封筒に配られるほど...ぎんなん

  • 脅威

    私はこの疫病騒動に左右されることはなく、普段通りに生活をしてきたし、これからもそうするだろう。しかし世間では規制のない、民間的な「ルール」が形成され、それを守らねばここぞとばかりに排除しかねない有様である。正直のところ、ワクチンもマスクもどこまで有効かなどとは依然として不明のまま、というのが実情だ。まあ、人混みでは神経質な人が多くいらっしゃるので申し訳なさげに、マスクをつける。いわゆる「密」なる場でだけだ。マスクをしたら安心、ワクチンを打てばまた安心、とメディアや世間では謳っているが、もし、あるいはその逆であったら…!ワクチンに関して言えば、私は今のところ一度も接種することはなかった。否定的にとらえるというより、様子を見たかったのだ。ウイルス発見からわずか2年足らずで、しかも獣医学を応用したワクチン、mR...脅威

  • 春ひとつ

    南からの強い風が、本格的な春の到来を告げ知らせてきた。桃は満開、桜も満開直前。今年も冬が去っていき待ちわびし春はやってきた。バリッとした冬の空気はすっかり溶けて、ふわっとした優しい柔らかな空気があたりを漂う。巷では別れと出会いの季節だ。冬に別れを告げ新しい春との出会い、真新しい生地のスーツや制服、あどけない顔をしたフレッシュマンの人たち。さあ皆で新たな春の到来を悦び楽しもう。春ひとつ

  • エースのわかめ

    お前はどこのワカメじゃ?最近即席麺のCMを見ませんね。テレビを見なくなっただからでけではなさそう。今日は好きだった俳優さんの石立鉄男さんを偲んでわかめラーメン食べようかな。それだけです。お粗末様でした。エースのわかめ

  • 天は人の上に人を造らず

    みんな大好き、1万円札の人物像になっている福沢諭吉の言葉として、あまりに有名な言葉です。であるとしたら天は人の上にあるものはきっと「天」なのだと思う。ここで言う天は神とか創造主だとかそうだいそれたものではなく、森羅万象の営み、自然現象、といったもの。しかし我が現代の人類は人の上に「お金」というものをおいてしまったのです。資本主義や自由経済を否定しているのではなくて、人は人本来が持つお金では買えない、何かを忘れてしまったのだと考えています。天は人の上に人を造らず

  • 混乱の予兆

    梅雨も明けて夏本番。今度の二十四節気では大暑だったっけ。お暑うございます。間もなく、東京五輪が開催される。オリンピックの開催を賛成する人、反対する人、それぞれ多くの思惑をいだきながらも、開催される。どちらでもいいことだが、私はこのお祭り騒ぎにもなり得ない、異様な五輪が終わったあとのことを強く懸念している。取り越し苦労であればいいのだが。どんな形でどのようになるかは分からないが、我が国ニッポンは五輪閉幕ののち国民全体単位である種の混乱に陥るような気がする。ある種の大転換というよりは混乱。犯罪が増える、不景気になるというよりは、人は何が正しく、何が芳しいことではないか、私含め分からなくなると思う。でもこの混乱が人々の足を止まらせ物事をちょっと違った視点からものを考えるいいきっかけになると思うんだ。当たるも八卦当たら...混乱の予兆

  • オリンピック

    政治や経済、スポーツに芸能と何においても疎い私は、あまり世界情勢がどうのこうのなどとは言うまい。ただ言えることは生と生の共存は、太陽がお空で照っていることと同じくらいのことである。何が言いたいのか。人類と疫病との戦いなんてのも、歴史が示すように当たり前のようにあったわけで、このCovid-19も肉眼ではまったく見ることはできないのだが、多く人のいるところには当然そのウイルスは飛び交ってはいるだろう。いわゆるこの新型コロナウイルスの流行は人類に対する驚異というよりは、歴史の中の一つに刻まれる一つの出来事にしか過ぎないのだ。さて、本題のオリンピックであるが、私はこの火薬を用いた大国同士の戦争がないこの時代にはとてもいいものだと考えている。人類の平和の祭典でもあるだろうが、はたして今人類がこの疫病騒動の中にあるときに...オリンピック

  • コロナ渦という渦

    私がここのブログに書いたとおり、世界的な混乱が起こったのだが、そのときがこんなに早く訪れるなんて思ってもみなかった。てっきり、私たちの子や孫の代などで世界的な価値観や人間のあり方の問い直しが起こると思っていたのに。新興宗教であったりスピリチュアルでも何でもいいのだが、確かに世界的な混乱は起き、今まさにその渦中にある。このコロナ騒動の中で、私たちは渦の中にありもがいてももがいてもそこから出られない常態の人が大半であろう。渦の中で空は見えているのに溺れるだけで、デマという藁をつかんではまたアップアップだ。でもこれも仕方が無い。渦はなくなるので、それまでに底の底まで沈んではならい。こういう騒動のときに一番危険な者を明治生まれの軍人上がりの祖父が教えてくれた。簡単に言うとデマである。私は人間の一番の脅威という者は人間で...コロナ渦という渦

  • 宗谷トンネル(稚内〜和泊)

    わが国日本は、古来より島国であることは、周知の通りである。領土は大きく4つに分かれていて、一番はじめにつながったトンネルは下関と門司を結ぶ関門トンネル、随分あとに青函トンネル、そして瀬戸大橋と、かんたんにこの4つの地域を往来できるようになった。では、大陸とこの島国日本を結んだら、果たしてどうなるだろうか!?韓日トンネルなるものが計画されているのだが、日本にはまったくそれには乗り気ではないようで、韓国が勝手にいろいろ推進しているようだ。日本がこのトンネルに対して否定的なのは推して知ることができよう。仮に開通したとして、博多と釜山が鉄道で結ばれて、誰が得をするというのだ。おそらく一方的に韓国側だろう。ましてや、やばい人間なんて大量に送り込むことがなおのこと簡易化されるのだ。意外にも地形的にも都市計画的にもまだ現実味...宗谷トンネル(稚内〜和泊)

  • バイオレンス・オブ・ハイスクール!

    嗚呼!花の青春、男子高生-素直な気持ちでブログ誰にでもそうなのだが、過去の記憶の中でだ。あんなことをしてしまった。こんなことをしてしまった。後悔だったり積念だったり、憎悪だったり。明かされたくも、当然明かしたくない過去がある。筆者が高校2年のときに受けた暴力事件をここで面白おかしく明かしてみたいと思う。まあ、いわゆる私はとにかくどこへ行っても、目立つ存在だった。クラスをまとめ上げたり、自治会に集団で文句をつけに行ったり、文化祭ではバカばかりしていわゆるムードメーカー的なやつだった。私の高校はマンモス校で成績は実にさまざま。上は東大に入る人もいれば、やさぐれたなんちゃら科というものまで。1年遅れて入った高校で、どうも同じ学年の不良共が私が気に食わなくて仕方がなかったのだそうだ。まあ、マンモス校といえど私のことを知...バイオレンス・オブ・ハイスクール!

  • 嗚呼!花の青春、男子高生

    誰にでもそうなのだが、過去の記憶の中でだ。あんなことをしてしまった。こんなことをしてしまった。後悔だったり積念だったり、憎悪だったり。明かされたくも、当然明かしたくない過去がある。筆者が高校2年のときに受けた暴力事件をここで面白おかしく明かしてみたいと思う。まあ、いわゆる私はとにかくどこへ行っても、目立つ存在だった。クラスをまとめ上げたり、自治会に集団で文句をつけに行ったり、文化祭ではバカばかりしていわゆるムードメーカー的なやつだった。私の高校はマンモス校で成績は実にさまざま。上は東大に入る人もいれば、やさぐれたなんちゃら科というものまで。1年遅れて入った高校で、どうも同じ学年の不良共が私が気に食わなくて仕方がなかったのだそうだ。まあ、マンモス校といえど私のことを知らない人はいるまい。あるとき大声で演歌か校歌だ...嗚呼!花の青春、男子高生

  • 真実と噓、どちらも情報

    その辺にはびこっている情報。今やもはや情報過多の時代であろう。何でも、平安時代の人が、一生かけて得る情報量は、現代人はたった1日でそれを得てしまうのだそうだ。情報は氾濫し、人が1つのものにしか関心がいかなくなったとき、人間の思考は停止する。つまり入ってくる情報にすっかり支配されて、それが正しく正義だと思いこんでしまう。しかし。そのときこそ気付ける人というのは、情報反乱の藻屑のような中で、真の情報にたどり着きやすい。とはいえ周りからは悪、とみなされることも多いことだろう。情報を得るとき必要なのは今までの経験や知識のほか懐疑心と直感である。もちろん情報源が確かなものとするのも大切。この、コロナ渦、人の関心はそのことでいっぱい。みんな同じ方向を見ている。そうなったら入ってくる情報に疑いの気持ちなど起こる気にもならず、...真実と噓、どちらも情報

  • みんなでブログ

    みんなでみんなのブログを読み、みんなの考えを自分なりにまとめていこう。頭の中でまとめるだけでいい!自分の考えと他者の考え、接点や相違点など、見つけていく作業は実に愉快だみんなでブログ

  • 思うことを書くという作業

    時代が移りゆけば、文章のやり取りというものも変わって当然。竹簡、というものから紙に変わり、長い年月を経ることでデータというものに変わり、簡単に情報や知識、考え方そんな類のものが読めるようになった。情報の共有はコンピュータがしてくれるのだが、やはり書く作業と読む作業はほとんどの人々が肉眼で行いインプットしているはずだ。書き手は自分の頭を使い手で自身の考えをアウトプットしていく。そんなことすら脳に何かを埋めることで事足りる時代が来るのかもしれないが、私たちは与えられた時代という中で悦び楽しむべきだと思う。しばらく考えていた。なんとなく垂れ流される地上波によるテレビの映像をぼんやり眺めるだとか、動画サイトをみてやはり何かを考える事少なく配信者に同意してみるとか、周りの風潮に迎合される環境は随分と整いすぎたのではないか...思うことを書くという作業

  • 天の時 地の利 人の和 時代は新しく

    何ごとにも、時間と空間の中で生きている私たちは、それに抗うことなど、もともとバカバカしいことであると分かっている。戦後は、お金、金銭が世を支配した。現代は、情報、が熾烈な争いになり未来は、時空間、を操れるようにもなるのかな、とは以前にも書いたとおり。やはり既存の物、価値観等が一度壊れて、しばらく混沌とした世となり、また新しい世代、私たちの後輩が、この世界をよいものへと導いてくれるであろう。私が前回に書いたことがこんなにも早く訪れるなんて。。天の時、地の利、人の和。これらが一色多になり、世界を1度作り直す、私たちにとってはとても痛みと苦しみを覚えるときが、ついに来た。でもそんな時代は長くは続かないから大丈夫だよ。希望を捨てず、一人ひとりが未来像を持ち、夢や理想に近い環境が与えられることだろう。新しいタイプの疫病が...天の時地の利人の和時代は新しく

  • この世界の分岐点

    沈黙を守り、いや、話すことも聞くこともできず、私はただ床に伏していた。未知の自然に挑むとき、人の叡智は無力なのかもしれぬ。今、この国だけではなく、世界全体が大きく動き、変わろうとしている。よくなるか悪くなるか、そんなことより、この星の食物連鎖の頂点である人類は、責任を持ちつつ、変えるべき既存の古い考えや、財産、健康、価値観、捨てて壊し滅却したのち、新しい世界観をよく考えながら動けばいい。大丈夫。なるようになるから。この世界の分岐点

  • 人と人との間にあるもの

    何事に問題は自分がつくり、そして自分で悩み解決していくほかはない。どうしてもやってしまうことやこころないことばの発声、他人の気持ちも汲まない態度は、当然のことやはり自分に帰ってくる気がするのだ。悩まない方法は問題を無視すること。しかしそんなことは人の行いではないだろう。人は人である以上、人と人との間に産み出される悲しみや辛さ、問題を目の当たりにして、それをどう乗り越えていくかという知恵を絞らねばならないのだ。動物、魚や虫が悩むだろうか。思い苦しむだろうか。死に対する恐怖はあっても、知恵を絞りその苦しみを軽減させる方法なんて、人間くらいしか考えないだろう。ましてや生きることをやめるという選択肢すら与えられているのだ、人間は。人間は人間以上もなければ人間以下もなく、その存在はあるとすれば勝手に人間が作っている。また...人と人との間にあるもの

  • 南北

    東西南北の交わるところ。空と海が交わるところ。すべてのものの接点はすべてのものをはね除ける。光と闇が交わるところ。秩序と混沌が交わるところ。すべての中庸は、すべての特殊はすべての普遍。戦争と平和の交わるところ。富と貧困の交わるところ。すべてのものが交わり、すべてのものがかたちなく、すべてをなすところ。今も昔も、そして未来も。すべては同じ。南北

  • 中華そば江ぐち

    中華そば江ぐちを、みなさまはご存知であろうか。私の名はここでは伏せるが、東京は吉祥寺の生まれで、非常勤の講師だったり、通訳だったりと、適当に暮らしてきて、精神をもおかしくしながらも、何度も立ち上がる、なかなかどうして根性ある男だ。今日は決算処理のために私の出生地、武蔵野市にやってきた。三鷹駅の南口を歩くと、今ではだいぶこじゃれた径も、ところどころに、私が幼少だった頃の面影を残す。三鷹の駅からその当時から見ていたモナリザというスナックバーは姿を消し、麻雀、冷暖房完備、とかかれた薄汚く消されたあとの看板は今日に至っても原型をとどめる。一仕事を終えて報酬をもらうと、私は吸い込まれたように三鷹駅南口の雑居ビルの地下に体を潜らせた。現在では、中華そばみたかというラーメン屋さんが、昭和の古きよき店構えをそのままにし、創業約...中華そば江ぐち

  • ベクトル

    人、人間の生き方を簡単なベクトルで表せるならば、タンジェントでその属性を決定付けられるだろうと考えていた。今という点からどこへ人は向かうのか。通過点であってもそのベクトルに沿えば、人は歩んでいけるのだ。何であってもいい、その先に何があろうと、結局のところ人は時間軸には平行しながら、そのベクトル上で何を得るかだ。私は朧気ながら遠くにあるある定点を目指していたが、果たしてその判断が破綻しているのではと疑って、歩んでいくことにすら閉口していたのだ。先行き不透明だったり、社会情勢の不安、果たして我が国において、生活と健康とが守られるのか、などと不安材料は山積しているのだが、やはり途中点でもいいから、定点に向かい、歩んでいこう。病の中にある人、悲しみに暮れる人、怒りが収まらない人、どのような中にあっても、最後まであきらめ...ベクトル

  • 責任転嫁と自己正当化

    人がなにかものを始めるとき、新しくことをなそうとする、どんな小さなことでも、当然不安は付き物だ。なぜ人は行動に移すとき、不安がよぎるだろう。文章をここに記すにしても、言葉を用いていれば、内容にそれなりの責任が生じる。自分が正しいと思い込ませて文章を書き連ねる物書きも多いことだと思う。文章を書く者は、この標記二者に注意深く考えてほしいと思う。自信喪失過多、これを自覚せずとも、これに悩まされている人は、もう少しこの自己正当化、責任転嫁をしてみることをお勧めする。なぜ、これらしなくていけない人ができず、これらをしてばかりの人は自分を省みないのだろう。私は前者の肩を持ちたい。何せ自分が自信喪失過多がひどく、周りには頭を下げてばかり。もう少し胸を張って顔をあげて人前に出られたらいいのだが。自己肯定ができず、お悩みの人は、...責任転嫁と自己正当化

  • 筆者について

    私(筆者)は、いつもは非常勤講師としてさまざまな科目、特に自然科学や地理、ロシア語、英語を教えている者。あるときはお呼びがかかれば、持ち前の機動力と社交性を活かし、ロシア語や英語のアテンドをする者。妻がおり、子どもがふたり。高校を1年遅れて入学して、19歳のときに、精神的に滅びた。精神的な病を持っているが、医師は私の病は何であるかは特定できないというのが本音だと告げられた。忘れもしない。2001年の秋、私は閉鎖病棟の奥、保護室に抑制帯をつけられ、気がついたら白く無機質なエアコンの吹き出しのフラップが上下に動いていて、自分がどこにいるのかという所在さえわからなかった。ほぼほぼ、保護室などに入れられたら、なかなか社会復帰をするには至れないほどの重篤な病であると今でも認知している。あれから15年以上が経過し、自分の風...筆者について

  • 興奮

    前表記のブログ、文章は、たぶん私は軽い高揚感と公憤を覚えながら、乱筆したもののようです。もう来ることもないと思った学校に足を踏み入れることがうれしかったのかもしれません。同窓会が3月と5月にありまして。ようやく学友たちと顔を合わせてみようかという気持ちです。どの面さげて、みなさんとお目にかかればいいのかな。でもみなさんもおなじきもちなのかな。そう思えば自分が何者であろうと問題ない。私が再会してくださるであろう、お一人おひとりに思うことは、元気でいてください。過去の思い出も美しく、現在も健やかでおり、未来だって明るくいてほしい。自他共に。軽く興奮ぎみにまた書いてるよ。しょうがないね。興奮

  • 母校

    ちょっとしたことから、私の母校に、卒業生としてではなく、学部の頃過ごしたキャンパス入り。私がBAAをいただいたところが、この大学だ。聞くところによると、偏差値というものは意味するところではなく、定員割れどころか、日本語も話せない留学生で溢れているのだとか。かつてのこの大学は、学びたい人はどんな学力の持ち合わせがあろうとなかろうと、入学を受け入れ、向学精神のあるものには、学士を与えていたのだが。もう、じきに来ようとしている桜のつぼみはふくれあがり、柔らかいひかりを浴びて開花のときを待ちわびているようだ。ボーダーフリーといわれている大学の役割を思う。学府に身を置いて、大切なことは、問題点が現れたらそれを解こうとする手段、考え方を練ることだ。何ごとに禁止にすることでしか、学生を統括できない大学は、見た目は美しいものの...母校

  • 朝鮮半島の人面鳥

    私はテレビもラジオも見ず聴かず、そうか、お隣韓国の、平昌という都市では遂に冬季のオリンピックがというのをたまたま目にし、平和の象徴である人面鳥が、開会式にでたのだそうだ。今、極東はある種の冷たい戦争の中の、こういう不意討ちには、なかなか感心させられた。お互いの国をどうのこうのよりも、平和の象徴を独自の文化で表して、見るもののにインパクトをあたえるお隣の厳しい状況である国にある種の親しみをを覚える。どんな形であれ、平和の象徴を表すものは好きなんだなぁと実感した。朝鮮半島の人面鳥

  • 新文化の黎明期

    長い悲しみに暮れる夜はそろそろ終わるのではないだろうか。我が国をはじめとして、いつから全世界の文明文化は、混迷し始め、長い闇のなかを右往左往していたのか、そんなことはもうどうでもよくなってきた。新しい価値観が新しい文化を呼び覚まそうとしている。もう今までの古い忌まわしいとも言える富や権力ばかりに重きを置いた時代は終焉を迎え、新しい朝が私たち人に与えられる。日本の元号は今年平成30年で終わるのか。新しい元号のとき、私たち日本人は転機を迎えることになるのではないかな。昭和が終わり平成がきて、そしてその平成が終わろうとしている。昭和生まれの私たちは平成をどう生き抜いたのかな。楽しかったですか?それともおつらい思いをしましたか?平成を批判しているのではなく、日本の平成時代というのは、人びとを眠らせ休ませようという目論見...新文化の黎明期

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