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勝鬨美樹さんのプロフィール

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ワインは三つの要素で出来上がっている。テロワール/セパージュ/生産者だ。そして実はもうひとつ、大きな要素がある。それは歴史だ。歴史を識らずしてワインを語るのは空疎だ。

ブログタイトル
勝どきミキ/おはぐろ蜻蛉
ブログURL
https://ameblo.jp/pasta-and-wine-miki/
ブログ紹介文
ワインにまつわる欧米の歴史がメインテーマです。
更新頻度(1年)

69回 / 365日(平均1.3回/週)

ブログ村参加:2018/02/11

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勝鬨美樹さんの新着記事

1件〜30件

  • 熊猫亭薄様新古細工#07 明治の海運業

    〔熊猫亭薄様新古細工#07 明治の海運業〕ユダヤ資本を背景とした薩長の東進は明治"維新"と呼ばれる。この"維新"という言葉だが、藤田東湖が藩政改革の際に引用し…

  • 熊猫亭薄様新古細工#06 ワイン瓶はなぜ750mlなのか

    〔熊猫亭薄様新古細工#06 ワイン瓶はなぜ750mlなのか〕ちょいとわき道・・船の大きさをあらわす単位/トンですが、空の木樽を叩いた音「Tun」から来たといわ…

  • 熊猫亭薄様新古細工#05 海運ルートの確立

    〔熊猫亭薄様新古細工#05 海運ルートの確立〕江戸時代、政治の中心地は江戸でした。しかし経済の中心地は京都と大阪のままだった。消費財は陸路海路で江戸に運ばれた…

  • 熊猫亭薄様新古細工#04 江戸の夕栄

    〔熊猫亭薄様新古細工#04 江戸の夕栄〕井原西鶴の「日本永代蔵(1688年)」の中に「今ほど舟路の慥なる事にぞ。世に舟あればこそ 一日に百里を越し 十日に千里…

  • 熊猫亭薄様新古細工#03 江戸の海運ことはじめ

    〔熊猫亭薄様新古細工#03 江戸の海運ことはじめ〕 江戸時代の廻船業について話そうかなぁと思ってるんだけど、いつもの通り寄り道ばかり。日…

  • 熊猫亭薄様新古細工#02 海運の町・勝どき

    〔熊猫亭薄様新古細工#02 海運の町・勝どき〕勝どきにあった「はしけの子供たち」の学校、水上小学校の話を書いたとき、その背景となる江戸時代の廻船業に触れました…

  • 熊猫亭薄様新古細工#01橋立

    〔熊猫亭薄様新古細工#01橋立〕 家人を伴って加賀市を訪ねました。 橋立にある割烹料理旅館「司」さんへお邪魔しました。 館主は、…

  • 〔ボルドー歴史物語第二部6章〕-はじまりの前に#02

    〔ボルドー歴史物語第二部6章〕-はじまりの前に#02サトウキビ/廃蜜と、アメリカ独立について、簡単に箇条書きにします。予備知識です。①アメリカ大陸を発見したコ…

  • 〔ボルドー歴史物語第二部6章〕-はじまりの前に#01

    〔ボルドー歴史物語第二部6章〕-はじまりの前に#01ボルドーという多民族都市を追ってみようという試みで始めた「ボルドー歴史物語」ですが、一昨年「先史時代からロ…

  • 銀座閑話夜話#05 畜産と酪農

    クレー(凝乳)は、酵素ラクターゼが非活性になっているヒトが飲んでも腹痛/下痢を起こしません。クレーが出来る段階で乳糖は乳酸に変わるかホエイ側に集まってしまい、…

  • 銀座閑話夜話#04 チーズという利用法

    家畜の二次利用ですが。使役を別にすると、主たる利用は①毛を取ること②乳を取ることです。鶏は卵を取る。鶏の家畜化の過程は極めて面白いのでいずれ別項で。①の毛を取…

  • 銀座閑話夜話#03 家畜の二次使用

    新石器時代最晩年から始まった農耕と畜産は、ヒトの在りかたを抜本から変えてしまいました。以来人類は急加速的に発展しました。個体数も1000倍以上に増えた。その発…

  • 銀座閑話夜話#02 動物の乳を飲む

    ところが、離乳期を過ぎても酵素ラクターゼが非活性にならないヒト集団がいます。欧州に棲む白い肌の人々です。人口比率で云うと西ヨーロッパに棲むヒトの90%前後が活…

  • 銀座閑話夜話#01 乳離れ

    昨夜から「ラクレットチーズとスイスワインの会」を銀座店で開催しています。ラクレットチーズは専用のラクレットオーブンで焼きます。半分に切ったラクレットチーズの断…

  • 台北市を歩く#41 蒋経国的13/おわり

    1981年6月の中国共産党第11期六中全会で、鄧小平が党中央軍事委員会主席になった。中国は彼のものになった。「鄧小平は、蒋経国と同じくモスクワ中山大学の卒業生…

  • 台北市を歩く#40 蒋経国的12

    「蒋経国は糖尿病だった。かなり早い時期に判明していた。しかし彼は仕事に塗れて、これを放置していた。そのため、父の後を受けて総統となった時、実はかなり容態は悪化…

  • 台北市を歩く#39 蒋経国的11

    「1971年。台湾・中華民国は国連を追い出される。そして翌年ニクソンが訪中する。そしてその翌年アメリカはベトナム戦争から手を引く。国家としての蒋介石・国民政府…

  • 台北市を歩く#38 蒋経国的10

    1965年、台湾の表の顔・陳誠が死去した。蒋介石は70代後半。本土回帰の妄念だけの老人になっていた。「大陸反攻は、蒋介石政府の存在意義だったからね。小競り合い…

  • 台北市を歩く#37 蒋経国的09

    50年代、恐怖政治を敷きながらも、蒋経国はもうひとつの深刻な問題を抱え込んでいた。それは国民兵の高齢化である。蒋介石とともに故郷を捨て、大陸を捨てた兵士たちの…

  • 台北市を歩く#36 蒋経国的08

    「闇の顔を一手に受けた蒋経国に対して、表の顔は陳誠だった。」「陳誠って、蒋介石に台湾省主席を任された人ね。」「そうだ。彼は温厚で知的な男だった。彼は、前に話し…

  • 台北市を歩く#35 蒋経国的07

    台湾島の中の蒋介石に仇名す者の粛清を担ったのは蒋経国である。「彼しかいなかった。公式には総統府機要室資料組・秘書長という立ち位置だ。彼は特務組織の事実上の最高…

  • 台北市を歩く#34 蒋経国的06

    「快進撃を続ける金日成軍の喉許を食い破るため、マッカーサーはインチョン上陸作戦を立てた。インチョンを落とせばソウルまでは一時間かからない。しかしそのためには秘…

  • 台北市を歩く#33 蒋経国的05

    「1949年4月。蒋経国は家族を台湾へ避難させた。もしそのまま敗戦が続けば、彼は家族を国外へ逃すことも辞さなかった違いない。台湾へのアナグマ戦術は、背水の陣な…

  • 台北市を歩く#32 蒋経国的04

    「1948年12月より国民党台湾党部主任に任命された蒋経国の仕事は、国民軍/蒋介石の資産を台湾等へ移し替える事だった。これは速やかに尚且つ秘密裏に行わなければ…

  • 台北市を歩く#30 蒋経国的03

    1945年8月抗日の時は終わった。しかし抗共は泥沼のように続いた。戦線維持のために乱発した貨幣が、次第に蒋介石/国民政府の首を締め付けていたのだ。戦争で勝った…

  • 台北市を歩く#30 蒋経国的02

    「蒋経国がモスクワで通った学校はモスクワ中山大学という。コミュッテルンが外地の共産党幹部の養成を目指して1921年に設立した東方勤労者共産大学クートヴェ(КУ…

  • 台北市を歩く#29 蒋経国的01

    「台湾指導者の中で、今でも一番人気は蒋経国だ。」中山公園のすぐ傍にある湖南料理の店「1010湘」にいた。湖南地区の家庭料理をベースに極めて手の込んだ料理を饗す…

  • 台北市を歩く# 28 統治幻夢

    今回取ったホテルは板橋(バンチャオ)の地下鉄の駅のそばにある。此処の地下鉄の駅は、そのまま近郊線の鉄道駅に併設されている。同時に近郊都市へのバスのターミナルが…

  • 台北市を歩く#27/中華幻夢

    「中華の官吏にとって"公僕"とは"公けのものは僕のもの"という意味だ」前職の時、うちの会社のブランチを広州へ置いていた。その地で僕らは「公僕の官吏」に悩まされ…

  • 台北市を歩く#26バンチャオ

    今回の台北紀行は、ホテルを板橋(バンチャオ)区にとった。バンチャオは淡水河という台北市の西側を流れている川の向こう岸の町で、イメージとしては荒川より向こうの町…

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