1971(昭和46)年のねぷたの2回目です。前回に引き続き長谷川達温先生のねぷたを追いかけてみます。 最初は中土手町の水滸伝「一丈青扈三娘奮戦の図」です。 これは長谷川先生が「
1971(昭和46)年のねぷたの1回目です。この年のねぷたは、色々な意味で「弘前ねぷた」が現代化?した年に位置付けられると思います。換言すると、前の年に重鎮だった竹森節堂先生が亡くなり、そのあとを引き継いだ長谷川達温先生が、試行錯誤の上、画題や手法など
超多忙で、ブログをほぼ1カ月休んでしまいました。再開した話題は、1970(昭和45)年のねぷたの3回目からです。 この年は、竹森節堂先生が亡くなった年のねぷたまつりで、長谷川達温先生の気合が凄く入っていた記憶があります。この年と翌年の先生の鏡絵は、長
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