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小江戸の彩女 https://miyako-miyamoto.blog.ss-blog.jp/

小江戸の彩女(おんな)は幾つになっても綾錦が似合う私、歌手Miyakoのつれづれを書き綴っています。

川越に暮らして40年余、たくさんの出会いと別れをここで経験しました。2009年にCDデビューして以来、もう満八年が過ぎた今、鳴かず飛ばずの歌手業も諦めきれない私。しかし3年前に開いた歌謡教室がお蔭様で少しづつ内容も充実、忙しい日々を送っています。オリジナル曲『小江戸桜』が通信カラオケに入る日を夢見て頑張っています。応援よろしくお願い致します。

koedononeko
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住所
川越市
出身
文京区
ブログ村参加

2017/06/16

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  • 続・小江戸の彩女(おんな)が出来ました。

    今晩わ。長い間お世話になったこのブログ。そろそろ満杯になったそうです。そこで本日、続・小江戸の彩女(おんな)を同じSo-netさんで作りました。今後は是非そちらの方へご訪問頂けたら幸いです。長い事、本当にありがとうございました。 2019.07.01 宮本 都 続・小江戸の女⇒ https://miyako-miyamoto109.blog.so-net.ne.jp/

  • 壊れたカメラ

    ご無沙汰しております。たった一つの夫の遺品、その後は私が日々愛用していたものですが、とうとう壊れてしまいました。形のあるものはいずれは壊れる、当たり前の此の事象にかなり悲しみました。というのも買い替えが出来ない程,私の暮らしはまだまだ厳しいからです。 しかし何とか中古品ならとnetで購入、小さいけれども綺麗な商品でした。しかし使用には足らないものがあり追加購入。やっと使用を始めたものの今迄のカメラのような手応えもなくガッカリ。試行錯誤でシャターを切り続けました。しかし『雨粒が白く見える画像』に至ってはもう力が抜けました。 メーカーに聴いても回答はなく仕方がないので購入したnetのお店に電話を。そこで教えて貰ったのはズームの倍率が低いので、焦点を雨粒に合わせないと…。そんな問答をしながらも形見のカメラと同じ機種をこれも中古で購入。新品を買うのには問うて叶わぬ夢。でもその方..

  • 梅雨の晴間に

    只でさえうっとおしい梅雨の日々、気分が晴れないまま、既に半月ほど経ちました。その中で唯一すべてを忘れられるのは写真を撮っている時間です。夫の形見の赤いカメラ。一時は調子が悪くてもう使えないと落胆したのですが、何とかまだ使えるようです。 小さな庭にある樹木は数本ですが、それでも注意して観察していると四季折々の変化を楽しめます。ほゞ中央にあるカシワバアジサイは去年から大きな白い花を咲かせて呉れます。芽吹きは三月頃から花芽は年内には出来始めるそうです。我が家のカシワバアジサイは白色ですが、淡いピングのエレガントな種類もあるので、私の庭にも欲しいと思っています。 またカシワバアジサイの隣には紫陽花もありますが、これも今年は目を見張る程、咲きました。最初はクリーム色から始まり、次第に色が変化する様は見ごたえのある景色です。一雨ごとに花の色を変えてゆきます。 こうして小さ..

  • もう一度生きる意味を

    昨晩観たNHKの番組、今日は一日そのことを考えていました。しかし分かった事はどんな生き方も終わり方もやっぱりお金が無ければどうにもならない、その事を再認識しました。 今の私は変な言い方をすれば無一文です。働いてはいますが、この道で生計を立てることは難しい事を知りました。30年間も働き、厚生年金は勿論、国民年金も働かなかった期間をかけ続けました。しかし現在受け取る年金ではその為の蓄えは全く出来ません。 若し将来不治の病で倒れたら…そう思うと頭の芯までキリキリして眩暈がしそうです。上を向いたまま沢山の医療機器が身体と繋がった状態。その時私は何を考えるのか、その時それでも命を繋ぎたいと思うのだろうか…。結論など無いのかも知れません。すべてが想像の域でありケースバイケースですが…。 国民健康保険証の裏へのサインは未だしていません。少しばかり怖いからです。サインをすれば..

  • 黄色い手提げ

    私のラッキーカラーは黄色。しかし最近はすっかりご無沙汰になっていたこのラッキーカラーと久々に再会しました。100円ショップで買った手提げ袋。黄色と紺というお洒落な組み合わせです。 さてそのラッキーカラーを身に着けてから不思議な事に身が軽くなり昨日今日と2日に亘る大掃除も無事こなしました。私が現在所有している衣類の70%ぐらいは処分しました。断捨離したことになります。 残るは書類や小物たち。これは少し丁寧に吟味して片づけようと思っています。あと2カ月でお誕生日を迎える私ですが、昨日は電話の向こうから「お年寄りは…」と言われ大ショック。やっぱり外見もお年寄りなのでしょうね。しかし自分としては、心持ちはそんなにお年寄りではない気がしますが…。仕方がないので認めることにしておきます。 毎度書かせて頂いていますが、今年の庭は凄いです(今までよりは)。毎朝紫陽花の花が増えているし、猫..

  • 女神からのご褒美

    ひょんな事がきっかけとなって今日6月1日は大掃除をすることになった私です。最初は仕方がないので嫌々スタートしたのですが、中盤になり体中が大汗を書き始めたころになると、嫌いな大掃除が面白くなってきました。6畳の和室に置ききれない程のビニール袋が溜り始めた頃です。袋の山を眺める私に変化が起こります。その時私は、心地よい風と頂き物の拘りのコーヒを心から楽しんでいたのです。 ノルマが終わったのは午後7時。流石に腰も背中も固くなってロボット歩きをする私。しかしこの爽快さはなかなか味わえないと思いました。その上掃除以外にも着物の陰干しもできたし、お宝も見付かりました。そのお宝の一つはウエストを飾るベルト。そして…、思いがけないものが見つかったのです。 実はこのお宝はもう無くなったと思っていたもので、まさか此処にあるとは想いもよりませんでした。しかし6畳の和室に厚み15センチほどの長..

  • 母の幽霊が出た!

    少しばかり暑いからと、気を利かせて怪談話。いいえそうではなく本当に出たのです。母の幽霊ともう一人は父だったのかも知れません。まさか、そう思われた方も若しかして出た!そう思った方も聴いて下さいね。 この話は土曜日の午後から始まります。友人のA子さんから電話はありました。暫くすると掃除機を持ったA子さんがやってきて矢継ぎ早に「電源は?」と聞きます。電源はコンピューターの側にありますと先導しようとする私。しかし私を押しのけて、掃除機で仏壇の上部を掃除し始めた彼女。ゴーゴーと音がします。「やめて!」私の声も聞こえないのか、仏壇の扉の内側、香炉やリンなどの置かれた場所も掃除機で吸い込んでいます。変な臭いが立ち込めて来ました。丁度靴の中の悪臭のような匂いです。あっという間でしたが、掃除機を置いたA子さんは帰って行きました。目的は何だったのでしょか? さて今日の明け方(5/25夜~2..

  • 夜叉の顔

    夜叉をテーマにした歌は随分あります。殆んどが女の情念を描いているようですが…。取敢えず私、女性のつもりで生きて来ましたが、それほどの情念を持った事は無いし、もし持ったとしても憎しみの情念は案外すぐに忘れてしまう私です。愛しさだけが残ると思っています。私は愛しさとは慈愛だと思っています。儚いものを見る心です。愛の儚さは慈愛でしか救えません。 ところで、此処まで生きてきてもまだ解らない事がたった一つあります。それは生涯で一度たりとも愛された事が無かったという事です。亡母や、祖母やから送られた大きな慈愛は今も忘れられません。しかし不思議ですが、亡くなった夫からも、大恋愛したと思った青春の日の恋人も、命まで掛けた最後の恋人も、彼らからの愛はすべて私の妄想だったとさえ今は思えます。 (笑)今更どうでも良い事なのですが。やっぱり気になります。人間としても私は愛情深いし、努力家で..

  • 鳩のダンス

    今年もあの花が咲き始めました。そうカシワバ紫陽花です。私がこの家に住んで4回目の夏がきます。そして最初は葉だけがこんもり茂った木だったのですが、調べてゆくうちにカシワバアジサイだとわかりました。原産地は北米、カシワに似た形の葉と円錐形の花房が特徴的です。また、秋の紅葉も美しいそうです。去年は花が一本に紅葉した葉が秋から冬にかけて見られました。 そして一昨日の土曜日にその庭に何かを植えたくなった私、取り合えず雑草を採ることに。1時間程度かけて案外綺麗になって吃驚でした。その時塀の上に鳩がやってきました。私は室内からカメラを構えていると、その鳩君、なんと塀から庭におりて草を食んだり、庭をゆっくり歩いたり片足を上げてダンスしたり、時々羽ばたいて羽を広げたりと、本当に役者!随分長い間楽しそうに遊んで(?)いました。 私の方をみても逃げません。何かを楽しいでいる様でした。私は..

  • 鳩のダンス

    今年もあの花が咲き始めました。そうカシワバ紫陽花です。私がこの家に住んで4回目の夏がきます。そして最初は葉だけがこんもり茂った木だったのですが、調べてゆくうちにカシワバアジサイだとわかりました。原産地は北米、カシワに似た形の葉と円錐形の花房が特徴的です。また、秋の紅葉も美しいそうです。去年は花が一本に紅葉した葉が秋から冬にかけて見られました。 そして一昨日の土曜日にその庭に何かを植えたくなった私、取り合えず雑草を採ることに。1時間程度かけて案外綺麗になって吃驚でした。その時塀の上に鳩がやってきました。私は室内からカメラを構えていると、その鳩君、なんと塀から庭におりて草を食んだり、庭をゆっくり歩いたり片足を上げてダンスしたり、時々羽ばたいて羽を広げたりと、本当に役者!随分長い間楽しそうに遊んで(?)いました。 私の方をみても逃げません。何かを楽しいでいる様でした。..

  • 鶴が舞う日まで

    少し早めに教室を出て私は、自宅に主な荷物を置いて夕方の散歩に出かけました。この時間は一日で一番好きな時間です。きょうは幾分風が強くて薄着では首筋から風が入ってきます。急ぎ足で山野楽器さんへ。そこでCD1枚を受け取り、すぐそばのコンビニでアマゾンへの送金。画像処理のソフトを使いたいのでテキストを購入したのです。 長い事使っていたフォトショップ.4年前の引っ越しで紛失。たまたまNETでみつけたフリーソフトをダウロードしたものの使い方が分からず思案していたら、アマゾンで使用方法のテキストを見つけ注文したのでした。 さてその帰路、マルヒロへ足を向けた私、目的は地下の食料品売り場。ところが通常は使わない正面脇のドアから入った私は、奥の方に呉服の展示を見つけました。少し興味が覚えて、立ち寄ってみることに。そこは催事場らしく沢山の着物や帯そして和装の小物などが展示さていました。一番手..

  • 猫とカサブランカ

    最近毛の短い三毛猫が来るようになった縁側ですが、此処はは毛の長い三毛猫が縄張りにしているのです。私も何となくそれを認めていました。それが理由ではないのですが、用事があってもなくてもこの庭に出て一人遊んでいます。 私の小さな庭にはそれでも思った以上の草花が樹木があります。例えばツツジ、グミの木 万両、八つ手、万年青、紫陽花、カシワバアジサイ、その他沢山の雑草たち。 春から夏にかけては植物も活動期らしく、すこし見ないといつの間にか庭の色が変わっている時があります。今は黄色い名前のない雑草が一面に咲いています。つい最近まではシダよりは柔らかいけれどシダのような葉が一面に茂っていました。遠いむかし前衛的な生け花を創作したくって、砂利石にこの草を一杯に敷き、其れを花器に見立てて自由花を生けた記憶があります。かつてあった銀座のデパートでの花展でした。私が丁度二十歳の頃の話です。 ..

  • 雨上がりのあした。

    宴の後の寂しさは十二分に経験した私ですが、それでも宴の中にいる自分はいつもとは違う顔をしています。人格が変わる! いいえそうではありませんが、自画自賛で恐縮ですが、輝いているように思えます。 昨日5月5日は、待ちに待った『笑って歌って10年目Miyakoがうたう小江戸桜』の開催日でした。会場は西武本川越ペペさん、午後1時、3時の二回公演をさせていただきました。例により朝寝坊の私です。やっぱりギリギリでした。両手に余る荷物が一人で持てず、またまた泣きべそ。こんな時は何時も亡夫を思い出します。 こんな事では…意気消沈して会場に着くと、既に立派なステージができあがり 音響の方々も何時でもスタンバイできそうな状態でした。ひたすら謝る私。でも笑顔で迎えて下さりほっとしました。 控室には大きな姿見、衣装を懸けるハンガーパイプも準備して頂き、本当に快適なお部屋で公演の準備を..

  • 君知るや…

    大台を超えた時、急に心が軽くなりました。私が言う大台とは年齢の大台の事です。そうなのです所謂後期高齢者になった時、絶望感と解放感が入り混じった複雑な感情を持ちました。自棄になったり生きる気力を失ったりと。おまけに身の回りではトラブル続き。近親者でもいればもうすこし心に余裕があったのかも知れませんが半ばパニック。 あれから8カ月が過ぎた今、「出来ればあと10年位は頑張りたい!」そんな強がりを言っています。しかし現実の暮らしでは体中の骨が砕けて行くような感じがしたり、筋肉にも弾力がなくなり歩き方まで堅苦しい感じに。こんな状態でも家族がいれば今ほどの悲壮感が無いかも知れませんが、独りとはその悲しみを飲み込むしかないのです。物言わぬは腹ふくるる技なり。確かに心の内を誰かに話すとかなりすっきりします。私の場合はそうです。哀しいかな弱いのです。 しかし慣れとは恐ろしい! 寡黙で..

  • 150年の時空をこえて、そのロマンを

    令和と言う時代が始まってまだ一日、でもみんなとても嬉しそう~。そういう私もかなり嬉しいです。というのもこれで私のルーツの夢が広がった気がします。何しろこの『都』と言う名は母方の古い戸籍をみると170年ほど前に繋がっています。(天保年間?)祖父の生まれた松崎家に嫁いできた来た女性が2名、祖父のさらに祖父の二代に亘って戸籍に出て来ます。〇〇〇都となっています。ロマンです。いつかその町役場や市役場を訪ねてルーツを調べてみたい私です。 そうすれば令和から過去までの私の戸籍が見えることに。頑張って生きてきた意味を見つけたいです。人生はロマン。身を焦がすほどの恋をし、沢山の仕事に燃え、沢山の好奇心をもってその道を開いたけれど、いまはただ初老の女が市井に蹲っているだけ。悔しい、きっと私には何かの使命があった筈なのに。だからこの長い人生の荒波をこの小さい体で生き抜いてきたのに…。このまま朽ち..

  • さよなら平成、さよなら孤独の日々

    平成4年、あの時私はこのまま独りで暮らすか、ここで伴侶を見つけるべきか迷っていました。仕事も面白く母も健康でしたが何故か自分の老後の姿が気になっていました。それには少しばかり理由があったのですが。 母が悲しい別れを余儀なくされたのは母が70歳ぐらいの時です。父が亡くなった後の私と祖母を養うのは母しかありませんでした。昭和23年の事です。そこから33歳の母と6歳の娘、祖母は当時61歳でした。ここから母娘(おやこ)三代の歴史が始まったのです。昭和23年頃の東京、まだまだ女性の働く場所もなく母は私をおんぶして都電江戸川橋の下を流れる神田川に何回も身を投げようとしたそうです。その暮らしをフォローしてくれたのは実業家A氏、そして私達家族は戦争中から暮らした文京区の家を後に隣町新宿区早稲田の住人となったのです。その後縁あって川越の住人になった母と私。そして母が70歳の時にA氏は他界。病院..

  • 『小江戸の春を歌おう~』

    人とは無情なものだと思いますが、私自身も『人』ですから同じ思いを他人にさせてしまった事もきっとあるのでしょうね。1月から続いた『小江戸の春を歌おう~』本日無事に終了。 今朝の体調はかなり悪く、声も出ていませんでした。しかしその音への不安はあまりありません。何故かと申せば、私の歌への想いがかなり変わって来たからです。その気持ちが伝わったからか、和気あいあいの素敵な会になりました。 『先生の話が面白い!』とのことでした(笑) 『!?』しかし褒められたのですから深くは考えないことに。今回は生きてゆくヒントを沢山いただいた気がします。今夜はそのヒントをこれからの仕事にどう生かすか、ワクワクしながらこのブログを書いてます。

  • 猫のボレロ

    久しぶりに気持ちの良い目覚め。しっかりした食事は洗濯機が回る音を聞きながら。ふと庭に気配を感じてサッシごしに覗いてみるとみられない白猫ちゃんが、お皿のフードを食べています。 私は彼らに共通の合図をしました。自分の手を顎のあたりで開き、舌でペロペロと。このパフォーマンスは、大概の猫ちゃんに通用するようです。彼は塀の下から首を出し、そこからなんとボレロのような歩き方で縁側迄やって来ました。よく見ると頭の毛は三毛になっていました。福三ちゃんをふと思い出しました。 英語のコメントが今夜も3件、設定で停止したのに。せめてデザインを新しくして気持ちを一新しないと、肝心の喉の調子が最悪。設定の通りにした筈なのに。so-netからのフォローが欲しい所です。

  • 春の珍事なら

    最近コメント欄に同一人からの悪戯のコメントがしばしば投稿されて困り抜いて居りました。翻訳した結果、私は少し恐怖を覚えました。その為、一時はブログを閉じようかと悩んだのですが、もう6年以上も書き続け、皆様からの頂いた大切なコメントの数々を思い出すと、このまま続けようとの思いに至りました。 またコメント欄につきましては、本当はとても寂しいのですが、暫く閉じさせて頂く事に致しました。長きに亘り、皆様からのご厚情に感謝の気持ちで一杯です。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

  • こだわりの美学

    『拘り』だけが私の人生だったのかもしれません。拘りと言う意味をすこしだけ調べてみたら「頑固」「執着心」や「執念」などが書かれてありました。わたしは子供の頃、母からよく「頑固だから…」と言われましたが、確かに長じて社会人になってからもその性格はますます強くなったと自分でも感じていました。 私の「拘り」は多方面に亘りますが、其のほとんどは仕事の場合で、私生活はかなりアバウト。料理洗濯や掃除お買い物。子育てだけは経験がないので未知の世界ですが。さてその私、「拘った」からこそ此処までたどり着けたのだと思う反面、拘り過ぎて大切なものを失った気もします。 しかし芸術の面ではこの「拘り」は大概の場合いい結果を招いてきました。もう遠い日の事ですが、二十歳の頃のお話です。私は生け花の専門学校へ3年間通いました。そこでは生け花だけでは無く色々な芸術に触れる機会がありました。美術館め..

  • 母と犬と摩天楼

    まるで曲のタイトルのような今日のブログですが、これは一昨晩の夢になります。それも正夢。明け方に見た夢なのです。犬は薄茶色の中型件。回廊のような大きな部屋に母が犬といます。そこへかなり広い木製の階段を私が駆け上ってゆきます。私の顔を見た母はとても嬉しそうに微笑んでくれました。 ただそれだけなのですが、母が微笑んだところで目が覚めたのです。その夢の犬についてですが、我が家には2頭の犬がいました。しかしどちらも小型犬で真っ白。夢のような茶色の犬とはまったく縁がなかったのです。なのに夢の母はとても楽しそうに犬と戯れていました。周囲のまどは大きく開け放たれ遠くに沢山の甍が見えた気がします。 たかが夢、されど夢。とても気になりましたが、ひょっとして何か吉報がくるのを知らせて呉れたのかと思いました。それで結末をお話ししますと、まさに吉報を知らせた夢でした。 このブログを書く..

  • ネットの海から

    宝物みたいな記事がネットで見付かりました。たまたま持参したいところがありプリントしてお持ちすると、やっぱりネットでご覧下さったそうです。印刷してこれからのプロフィールに同封してみようと思いました。 写真に写ったこの日はとても麗らかな日でした。撮影場所は川越の蔵造りのお店あとひき煎餅塩野さんおお店の前。写真を撮って頂いた数日後にお店の2階のギャラリーで川越で始めてのライブをさせて頂きました。本当に胸がキューンとなる程懐かしい写真と紹介記事に今夜は酔いしれました。

  • 今夜は早めに

    しまった!居眠りにしては長い時間眠りました。20分ぐらいでしょうか、食後のテーブルに突っ伏すようにして眠てしまったようです。確かに昨晩の睡眠時間は3時間足らず。昼間も眠る時間はなく、結局夕食後、テレビを観ながら眠ったようです。ドラマ見て居た筈でしたが、深海の様子を語る女子アナさんの声で目が覚めました。 大変大変、明日の朝はかなり忙しいです。予定では暖かくなる筈だったのに、どうも気温が下がり夕方には雨降りになるかも知れないとか。実は明日は『小江戸の春を歌おう』と言うイベントの3回目です。前回も雨模様でしたが。せめて20名は出席して頂きたいのが本音です。天候が悪いと参加者さんは激減します。それでもやっぱり開催は致します。 自分への挑戦とシンプルには言えないところがありますが、兎に角何が起こるか、何が見えるのかとても興味があります。周囲を説き伏せてスタートした催しですが、思い..

  • たゆとう時間のなかで

    花冷えの土曜日です。一昨日はほんの僅かだった彼岸桜、昨日は公園全体が薄桃のベールを被ったように開花を始めました。そして今日は…どうなっているのでしょうか? 今日土曜日は来週のイベントに向けて最終チェックを済ませる予定です。食事はとにかく冷蔵庫にあるのので工夫しようと決めていました。それでも朝、昼は満足できる範囲でしたが、流石に夕食は冷凍庫から出したのは鯛焼きでした。仕方なく再加熱して食べてみました。元々美味しいお店の鯛焼きなので温め直しても味は落ちていませんでした。 そんな長閑な休日を堪能した私ですが、ふと心配事が頭を持ち上げたとたん、また涙腺が緩みました。泣くほどの事ではないのですが、先日会食をしたTさんの事が不意に思い出されたのです。そういえばあの日は駅の雑踏で突然のさよなら。私の足を気遣って「此処で」…と。でも私、そのことが何故か気になります。 知人のお店で..

  • 戸惑い

    今日も無事につつがなく過ごすことができました。それなのにどこかもどかしくて、何故か切なく。きっと春だからなのでしょうね。 さて、この春はいい事が起こりそうな気配です。しかしどれをとっても経費が掛るものばかり。例えば歌を中心にした小さなイベントをするにしても、施設費、音源作成費、コピー代、備品借入れ又は購入費、通信費、本人衣装、打合せ経費等々。必要経費は5万程度から70万位は係るそうです。 今年はCDデユーして10年目、そこで本当に細やかなイベントをスタート。今月末で3回目になります。天候不順だった1月2月でしたが思いがけない程スムーズに進んできました。しかしこの間だけでも私のお財布はもう泣きだしています。3カ月のイベントで私の生活費一ヵ月がなくなりました。 確かに経済的な持ち出しは苦しいのですが、それ以上の喜びがあったのですからまずまずは成功だと思っています。..

  • 陽炎のように

    春一番が吹いた! 月に2回しかない連休の初日は朝寝坊から始まります。小さな庭ですが鳥の声が聞こえるこの時期、春へ誘われるように鳥の声に眠り足らない眼を開けます。 さて今日の仕事は案外多い筈なので急ぎ朝ごはん。サンマの缶詰、九条ネギの味噌汁、お味噌は頂いた三年物でとても美味しいお味噌です。ご飯は150gのレトルト。デザートは仏壇に上げてあったデコポン。母の好物なのです。 食事後は急いでチラシの印刷。25枚ほどなので簡単ですが、原稿に訂正があったので思った以上に時間が掛ってしまいました。昼頃、風の強い中でしたが西口にあるウエスタ川越まで原稿を届けに向かいました。 帰路、カメラを取り出して赴くままにシャッターを切ります。赤い実がついたアオキ。駅前の景色、東口へ戻った私は花を探しに神社の森に。帰宅は4時半なので結局2時間のお散歩でした。 実は今年は数年ぶりに..

  • 黄昏に惑う

    三寒四温…、そう思っていたら季節はもう春なのかも知れません。庭に来る鳩も、駅前の鳩たちもとても楽しげです。1カ月前には凍り付きそうだったこの部屋も、時々暖房するのを忘れる程になりました。そんな日々ですが、少しばかり憂鬱な事があります。 今年はCDデビューから10年目。その後『歌手デビュー』してTVやステージで歌っていたものの、2012年8月に連れ合いが急逝。その後は亡夫の負の遺産がらみで債務者から強硬な取り立て。夜も昼も命の危険を覚え続けた3年間の日々。そんな環境で歌手生活を続けられる筈もなく辛いけれどもしばらくは休眠状態でした。 あれから6年半の歳月が過ぎ私は今、歌謡教室を主宰し日々の暮らしも不自由なく、人生の黄昏どきを満喫しています。ところが最近ちょっと困ったことが。それは教室も4年目を迎え、発表会をしたら…、との意見を頂きました。しかし私は資金面からもとても出..

  • 前略、冬将軍さま

    覚えていますか、貴方からのラブレター。いいえそれは嘘。きっと季節のご挨拶ね。あの頃はメールでの楽しい会話を弾ませましたね。あれから暦も一回り、12年の歳月が流れています。私はすっかり白髪の老婆。しかしあなたはこれからのご活躍が楽しみな季節を生きていますね。 ひとり、置いてきぼりになった私はそれでもトボトボと貴方の後を踏み続け道を迷わず此処までやってきました。2007年頃使っていた小さなオリンジ色の手帳に書かれてあるその言葉、今読んでも貴方の素が見えて大好きです。そこに書かれてあるのは 以下のようなものです。『 またひとつ しみじみ思い 春を待つ』T.2007.03.04 実はこの句は私の下手な短歌へのお返しに来たものでした。『去り難き 花の衣の芳しさ 冬将軍もしばしとどまむ(都) 長い人生にたった一回だけ灯った小さな灯(あかり)。今でも大切にして..

  • 欲張りかもしれませんが…

    疲れました~、もう約九時間余りの作業でしたが、結局は無駄骨。実はYoutube、うたスキ ミュージックポスト(JOYSOUND)へ何回も何回もアクセスを試みていました。前者は動画(歌入り)の投稿、後者は無料カラオケ配信へトライしていました。 私のCDデビュー曲は2曲あるのですが、YoutubeにもJYOISAUNDOにも『小江戸桜』という曲は公開しております。しかしカップリング曲の『何処へ行ったの日本の心』という曲が未だなのです。勿論2009年から2012迄は両曲ともテレ玉や東京や埼玉のステージでは歌わせて頂いていました。 今日試みた『何処へ行ったの日本の心』という曲は人の優しさ思いやり等を。『挨拶』や『礼節』を暮らしの中から皆で思い出してみよう。そんな感じの歌なのです。昨今の子供を取り巻く環境の厳しさ。もう一度私たちは優しや思いやりを取り戻さなくては、ふと..

  • 飛ぶ時間

    ご無沙汰いたしました。余りの忙しさに思考力が停止。ひたすら眠い事と、食事の事と、そして『小江戸桜』。昨年の暮れ近く、突然2009年~2013年頃まで歌っていたオリジナル曲を通信カラオケに入れることに。その後をどうするのかは具体的に考えないまま、1週間足らずで早速申込2018年の末には近所のカラオケ店で歌っていました。 嬉しかった、感激した半面とても怖かった。どうする、どうしたらいい?自問自答。でも私は決心しました。兎に角たった一つの希望ならば、もやるしかない! 風が吹いています追い風が。元々気が早いのは母譲り。後援依頼の手続きやポスターの作成、僅か10日間で済ませました。 そしてその晴れの1月31日が来ました。天気予報では遅い時間から雪になるかも知れないと。しかし思いがけず沢山の方々をお迎えして、第1回小江戸の春を歌う が開催されました。1時半スタート、3時半終了。私の..

  • 年女ではないけれど

    夕方、大変な剣幕でY子さんからの電話。私からの手紙が届かないとの苦情。いつ来るかと楽しみに待っていたとの事。その怒りはなかなか冷めない模様でした。その後メールを頂き退会されました。 人生には所謂ボタンの掛け違いという現象が起こりますね。どちらも善意なのに、どちらの主張も正しいのに、何故か歩み寄れない。それでも縁があれば何時かまたどこかで会える事もあります。 さて私のその後ですが、今日はここ3年続いている市民講座の日。2019年1月は第5日目からのスタートです。いつものように『糸』を歌い次に軽い発声練習、その後今月のテーマ曲を。今月は昭和歌謡です。男性用の歌謡曲も別途用意しました。毎回10分ほどの休憩を入れて約110分、延時間では今日が終わって550分になります。 体力があまりない筈の私ですが、何故かこの方が調子がいいのには自分でも吃驚しています。しっかし私の講..

  • プロフィール

    久しぶりに自分のプロフィールに目を通しました。A4に4枚ほどあります。2009年から2014年までの経歴です。一行一行読み進めていくと印象深いあの舞台、この舞台。そんな幸せが3年ほど続いた後、夫が他界したのは何回も書かせて頂きました。本当に無念としか言いようのない出来事でした。 歌への想いを捨てることは出来ませんが、生きてゆく事が最優先である以上、時期を待とうと…。2014年になって色々ありました。『歌』が戻ってきたのです。しかしその歌への取り組み方が変わったのは事実です。お客様の前で歌っていた頃は楽しんで聞いていただく事を主眼としていた気がします。しかしここ4年ほどは教室だけでしたので、生徒さんに理解していただきたい、聞く方に伝わる歌を歌って欲しいと願っています。 先日の事です。練習のためにカラオケボックスで歌いました。その日も採点をしてみると今度はこんなコメントが『..

  • 初春日和

    2019年の幕が降りました。その第一章は…初詣、しかし朝寝坊した結果は長蛇の列にたじろいでしまい、結局境内で手を合わせ、参道で『おしるこ』&『コーヒー』を頂き、同席したお二人との会話で楽しいひと時を過ごさせて頂き、今日は此処までと明日また出直すことにしました。 帰路、住宅街の小道を歩いてゆくと、夏ミカンのような大きいものから、キンカンらしいものまで沢山の柑橘類の木を見つけました。オリンジ色の実がとても力づよく感じられ早速パチパチと撮らせて頂きました。参道を歩く誰もが新しい年への喜びで溢れているように思えます。そうだ、今年こそ私も願いを叶えたいと強く心に期しました。 今日の歌いぞめはオリジナル曲の『小江戸桜』からでした。最近の通信カラオケでは即座に採点ができるゲームのような機能が付いていますが、今日は『プロ顔負けですね!』と人工頭脳(?)に褒められました(笑) 沢..

  • テレパシーを私に

    一寸先の事を読めないのが人生だと言われていますが、本当に考えてみれば私の人生も思いがけない事の連続でした。そして最終章に差し掛かってきた今になって、新しい挑戦を始めるつもりの私がいる事もまた想定外でした(笑) さて来年は兎に角忙しくなります。しかし体だけでなく出費も忙しくなります。何かを始めるという事は必ず経費が掛かると思われますので、分相応、身の丈でと思うのですが…、困ったものです。しかし不安材料ばかりではありません。場所も決まり、内容もほぼきまり、応援の方々も声を上げて頂いてます。不安がる事はありませんね。 大掃除は昨日までにして今日はTVをみたり買い物したりお正月前の何となくそわそわした気分を楽しみました。しかし突然哀しみが沸き上がるときもあります。私はその為に寝室兼書斎に仏壇を置いてあります。ご先祖の位牌が沢山ある大きな桜の仏壇。私の父母と母の両親その子供達(幼くし..

  • 久しぶりですレントゲン

    一瞬の事で何が何だか…。痛い「あら捻じれている?と思った私。左の胸も鈍く痛い。起き上がれないのです。顔が分厚い引き戸と布団の間にあり左腕の肘のあたりに体重が集中している感じが。「折れているのかなぁ~、この痛さ」思わずつぶやきます。 数分間たってようやく左の腰のあたりにの鈍い痛み。絶望的にも考えられるシュチュエィションでしたが、無事だった右手で少しづつ体調を直し何とか立ち上がりました。実は今から外出する予定でした。 一夜明けた今朝、以前使った貼り薬が見つかり左ひじにぐるぐる巻きました。しかし左肩の内側や左胸の脇も鈍い痛みが。今日は夕方まで仕事なので、このまま様子を見ることにしました。独り暮らしの辛さは痛みの哀しみも常に心に押し込めなくてはいけない事。孤独感の大きさは年毎に強くなります。 仕事に出てはみるもやはり腕や胸が痛くて声も出せないので、仕方なく近所の整形外科に行く..

  • 幸せは足から

    穏やかな午後の日差しに誘われて川越散歩。ではありませんが、仕事が終わった午後4時ごろ私は川越市役所に近い札の辻におりました。そこで観光協会に立ち寄り何処まで歩けるか試してみようと出発しました。 一番街は今日もお客さんで一杯。車や人をなるたけ避けてカメラを向けながら歩きます。りそな銀行の建物には直ぐに着きましたので、路地に入ってみたのですが、お客さんが多すぎて顔も映ってしますので、諦めてもとの大通りに戻ります。 ここではっと思い出したのはどら焼き。いつもKさんから頂く焼きたてのドラ焼き。ここしか売っていないのです。さらに写真を撮りながら見覚えのある角にでました。ここでは右折してお煎餅屋さんに伺う予定でしたが、水曜日の為か定休日の様でした。 暫く行くと今度は左折、大正浪漫通りらしいのですが、お目当ての鰻屋さん、準備中でした。諦めてまた歩き始めると先日お..

  • 今夜は泪雨

    半年ぶりにお逢いしたTKさん、幾分ふっくらと思えたのはあの綺麗な色のセーターのせいだったのでしょうか。2時間ほど駅ビルの7階で食事をしながらの歓談、彼は相変わらずの辛口でした。今日の会話では途中一度だけ泪を流した私。恋人でも恋人以下でもない只の知人。しかし何だか切なく感じるのは駅前広場を飾るイルミネーイションのせいでしょうか。 忙しい一日でした。嬉しい一日でした。盆と正月が一緒に来たようなウキウキする一日でした。それなのにやっぱり泪がこぼれます。出来る事ならもう一度、刻(とき)を戻したい!今ならきっともっと適切な選択ができたのに。ふと亡夫を思う。私を遺して逝ったことへの後悔はないのだろうか?ふと母を思う。貴女の娘は今も未だ愛することを躊躇していると。愛することも愛されることも出来ずに一生を終える私をお母さん、貴方はどう思いますか。 駅前の道を風が亘る。今日も好い..

  • なに故に…今なの

    極寒とでも言いたいほど寒い日が続いています。週明けからは寒さも和らぐとの報道もありますが、兎に角かなり寒いです。その最中になんという事かエアコンが故障。もう涙も出ません。転入から丸三年になるのにエアコンの手入れもしていません。業者さんを頼むのもあぐねている内にやっぱり故障。もしかしたら購入しかないかも知れません。 一日目、日中はホッカイロを2ケ背中とお腹に張り付けて、夜分は湯たんぽで凌いでみましたが頭痛がしてきました。暖かいお風呂で温まってから湯たんぽを入れたて眠る事に。ところがPCの前での数時間や食事に化粧、じっと座って居る事ができません。家の中はTシャツでいた遠い冬の日々が思い出され、もう我慢の限界が来ました。その時、引っ越し時に知人から頂いた遠赤外線ストーブを思い出し使ってみました。ポート暖かさがあるのですが、冷蔵庫のような室内の温度にはとても敵いません。 何故こ..

  • 篤き想い

    年齢が10年以上違うMさんとKさん、とてもチャーミングなお二人です。年の瀬も迫った私の教室、何時もなら大きな窓から燦々と差し込む筈の午後の日差も今日は僅かな時間でまた鉛色の空がひろがります。 暖房があるのに何となく寒く、それではと歌い始めた私たち。ポピュラーあり演歌あり歌謡曲ありと後から来たYさんを含めて4人でいつもより少しだけ音量も上げてみました。暫く歌うと、体が温まり始めました。喉も少し乾きます。お土産に頂いたローズヒップ紅茶に大好きなチョコレートでお茶をすることに。新鮮なイチゴもいつの間にか並べられていました。 楽しい、とても楽しい時間が流れます。私は思います。大きなスタージで綺麗な衣装をつけ沢山の拍手頂いて歌うのも勿論楽しいけれど、今この瞬間、瞬間、魂の擦れ合う音がします。安堵感、充足感。表現が上手く出来ませんが、私は長い間この時間を待っていた気がします。『歌の..

  • ここらでアップデート。

    最近Twitterを始めました。災害時に強いと思ったからです。また多くのフォローも頂くようになりました。其のつぶやきの中には はっとするような斬新な考え方。今までに考えたこともない発想は魅力的でもあり実践的だと思いました。 過去は悔いるだけでは意味がない!一刀両断でしたがとても嬉しかった。ミュージシャンの若い方の様子を知ることができたのは大いなる収穫だと思います。何だか今までに経験しなかったような素敵な夢を見れるのでは。心の高鳴りを覚えます。 20代.30代.40代の私は怖いもの知らず。夢に向かってひたすら進み続けていました。失敗も沢山しましたが、仕事が楽しく、母親になる事、全く忘れていました。今は大勢の孫や曽孫に囲まれている友人・知人にジェラシーしている私もいるけれど、仕方がないと簡単に諦めます。 さて最近の川越、着物姿が本当に増えて来ましたね。私も口で言う..

  • ルージュと口紅

    所謂、私自身を聞かれたら勿論『女性です』と言うに違いないけれど、最近は本当に女性らしい生き方してきたか疑問を持つようになりました。 私たちの時代は『結婚』は女の目的に近かった気がします。23歳になった時、行き遅れてはと焦った思い出があります。当時はまだ学生だったのですが、四国から来ていたONちゃんが結婚したことを切っ掛けに私は急遽「結婚する」と母に言いました。誰と? 母は本当にキョットンとしていた気がします。 子供時分から知っていた「YTさん」と空かさず答え、その秋に私たちは彼の母校にある大隈会館で挙式しました。私の家は早稲田で下宿屋さんを営んでいたのですが、お婿さんのYさんは、埼玉県川越に住んでいたのでした。私とは11歳違う大人の男性でした。 川越の霞が関で新婚生活を始めたものの、何もできない私に連れ合いは吃驚、半年足らずで実家に私は戻りました。その後母..

  • 舞台への想い。

    めずらしく朝から外出、川越西口にあるウェスタ川越まで行く為です。来年4月、音楽室の使用料を支払う為です。今日が期限でした。1月~4月まで毎月開催することにした勉強会、いよいよ現実的なものになってきました。チラシの準備も始めなくてはいけません。明日、明後日の休日中に完成させます。 私は自分で言うのも変ですが本当に可笑しい性格です。何故かと言えば、今のままの静かな生活でも充分なのに、無理に苦労を買ってしまうのです。来年に向かって沢山の計画を次々に具体化しています。その代わり経済的にも肉体的にも心理的にも負担は増えるのですけれど。しかし現状維持がどうしてもできないのです。昔から一つ成就すればすぐにも次の仕事へ取り掛かる。これが生活のパターンだからです。 こうしていよいよ長年の夢に向かって少しづつ夢を形にしてゆきます。スタートの1/31、来場者数はは全く予測できませんが..

  • 演歌は暮らしの歌

    明日12月6日は教室から出て川越市にある公民館の一つ、伊勢原公民館への出張です。公民館での講座は全8回の長丁場、明日はその三回目、テーマーは『演歌』について。私と演歌の出会いは多分60年程前になる筈です。10歳ごろの事です。懐かしのその曲は神楽坂はん子さんの芸者ワルツ。先生は母でした。 当時の母は未だ30代、着物姿の母は子供心にも見とれる程の美しさ。近所でも評判の江戸前の好い女。また戦争の傷跡が彼方こちらに残る時代でした。神楽坂は私の家からも近く、私たち(祖母と母と私)は音羽から早稲田へ引っ越して間もない頃でした。 母は家にいる時でも着物姿が多く、近所の日本舞踊の師匠さんへ私を連れてよく通いました。私が最初に教わったの端唄の梅にも春。母は当時は流行っていた博多夜船でした。目の使い方がとても印象的でした。 その私たち、母から社交ダンスも習いました。二人で芸者ワルツを..

  • ああ、麗しき日々。

    夕方、思いがけず時間ができたので、川越のお酉様へ行ってきました。お酉様と言えば熊手。威勢のいい手締めが聞こえる師走の風物詩です。祖母とは毎年の様に、30代頃は母と一緒に必ず出掛けました。 我が家からお酉の市が立つ熊野神社までは一本道。商店街を眺めている内に目的地に着きました。多分20分ぐらいで着いた気がします。午後から雨模様だったせいか思ったより混雑もなく商売繁盛をお願いしました。来年はきっと忙しい年になるのを確信した私、帰路はゆっくり師走の町を楽みながら、ぞろ歩いて戻りました。 そういえば近所にメロンパンのお店が開店。前を通るといい匂いがします。昨日は何故かアンパンを買った私ですが、今度はやはりメロンパンを食べてみようとおもいました。晩秋の川越、一日一日が大切な日々です。

  • 只、黙々と我が道を

    下手の考え休むに似たり。結局は成るようにしかならない! 何回も何回も唱えて来ました。私は結局臆病なのです。その結果が最後にはたった一人に。憎らしい夫でさえがその枕元には妹と妻(私)がいたのに、私の時はたったひとりなのです(多分) 数日前まで笑いを堪える程すべてが好い方に動き出したのに。観光協会へ電話してからというもの またまた雲行きが悪くなってきました。一言で言えば嫌われているらしいのです。意地悪そう(私の主観ですが)な担当者は「会合に来ないですね」と皮肉っぽい言葉で。続けて言う言葉も「営利目的でないかどうか検討してから…」つまり営利なら後援しない!らしいのです。しかししかし後援の文字は彼方此方でよく見かけますが。 写真は先日頂いた大きな林檎、調べたら『紅の夢』くれないのゆめ だそうです。歯ごたえが良く少し酸っぱいですが、私には懐かしい味の気がしました。ちなみにこの林..

  • 晩秋の東上線一人旅

    想い出は遠く、思い出せない想い出もある。昨日に引き続いて晩秋の散策へ。ではなく急ぎの所用で今日は東上線にのり出掛けることに。目的の一つ目は、川越から下り2つ目の霞が関、そこにある的場農協さんまで。ここで用事を済ませ久しぶりに冨士見ハイヤーさんに乗り更に一駅先の鶴ヶ島駅前にあるシダックスさんへ。 懐かしいシダックスさんの店内、カラオケクイーンを目指していた頃殆ど毎日のように通っていましたのですが、当時よく利用した1回の禁煙室は現在は女性用の喫煙室になっていました。なんだかちょっと可笑しくてそれでいて切なくて。そして黄昏迫る頃川越に戻て来た私、今日は旧にお寿司が食べたくなり、アトレ地下の魚屋さんで鮮魚のチラシを買い家路につきました。 半日だけの一人旅、川越市霞が関へは23歳の時、此処で新婚の暮らしが始まった場所です。右も左も分からない生意気なお嫁さん。それでも一生懸命食事を..

  • 心は既に新春(はる)模様

    小春日和の川越の町を今最もお気に入りのコートを着て出かけました。行く先は教室と反対側にあるウエスタ川越まで。西口から5分ほどにあるのでとても便利です。今年の3月以来久しぶりに歩いてみましたが、以前は建物が無かった場所に工事が始まって空高くクレーンが動いていました。見れば某ホテルの名が。 目的のウェスタ川越1階の受付カウンターで、来年から使用する『音楽室』の予約を済ませました。仮予約を入れると、5月までの日程が決まったことになります。参加者様からは金銭の授受はしないのが条件。つまり入場は無料の「歌の勉強会』です。 現在進行中の市民講座が3月迄なので一部重複します。しかし、動いていた方が体にも良いようなので寒さに負けず頑張ろうと思います。それでも週一日の休日は作ることにしたいと。私の講座は歌ばかりでなく簡単なボイスや歌詞の仕組み、読み方、大切な息について等々。聴いて下さ..

  • 足掛け十年たちました。

    2018年もあと僅か。いろいろ反省すべきことはあるけでど、おしなべていい一年だったと思います。しかしかつて無い程、歳を感じる日々でもありました。大きな病気はしたことのない私ですが、今年は意味の分からない痛みや、意味の分からない胸苦しさ。勿論お医者様に掛かればわかるのでしょうが、そのつもりはありません。 理由は『人事を尽くして天命を待つ』とは行かないものの、その時その時の環境の中で精一杯生きて来ました。四面楚歌で逃げ場のない日々も焦らず媚びらず生きて来ました。天井まで回る程の眩暈が6カ月、大火傷で一晩中水道の水をかけ続けた冬の日、命だけは助かりたいと願ったのは世の中の不条理に負けたくなかったからです。 あれから6年が過ぎ私に笑顔が戻ってきた今、残すことは一つだけ。2009年にCDデビューした時に私が歌ったあの曲、『小江戸桜』の復活あるのみです。足掛け10年の歳月は..

  • お稲荷様からのプレゼント

    宝くじを買いました。変な買い方だと笑われそうですが、以前の様に沢山は買いません。連番で3枚、つまり1,000円以下で買う事にしています。大昔10万円が当たったときもたった一枚でした。その日は上野で黒革のハンドバックを買った帰り銀行の宝くじ売りがで100円クジ一枚を買いました。 早めに帰宅した私、近所の神社にお参りに行きました。健脚の神様がおられるので時々行きます。年齢に相応しい膝の痛みや腰の重み(笑)もあるので、健康でどんどん歩けて仕事がどんどん出来るようにお参りします。帰路の事です。家への曲がりがどのお店ですこし変わったコートが目に入りました。値段を見ると吃驚するくらい安いので購入。 私の今のサイズでは無理ですが、ふとある事を思いつきました。そうだ、これ舞台衣装にしようと。何故かこれを着て懐かしい30年代の歌謡曲を歌ってみたいのです。変ですね。自分でも妙ですが心が何故かそ..

  • 秋空の下で

    極彩色の夢を見てから2日が経ちました。まるで天女のような髪型に真紅色に金糸銀糸の刺繍が施された打掛のようなものを着た女性、何やら舞いを私に教えているようです。一段高いところで見ていた私の後ろに其の女性がいつの間にか上がって来て、その美しい打掛を私の肩に掛けてくれたのです。ふんわりと。暖かい温もりまで添えて。 極彩色の夢は時々見ますが、温もりまで感じたのは初めてです。不思議な事にその女性の顔はぼやけて分かりません。不思議な思いのまままた新しい朝がきました。今日は11月24日土曜日、洗濯をして干して朝ごはんを食べたらもう午後一時を過ぎました。 早い、本当に一日が早いです。教室の方もかなり忙しい毎日です。最近は私の動作も遅いのですが。教室、外部の講座へ、小さなイベント、公開講座等々。独り何役もこなす事へのあこがれもありました。思えば本当に人生という長い道をずいぶん遠くまできたようです..

  • なにゆえの永い髪

    体調が心配なので髪を洗う事を躊躇していた私でしたが、何となく気分が良かった今夜は入念に長い髪を洗いました。昔なら『髪は女の命』という位、女にとって髪は大事でしたが、現代の女性たちは髪の長さは個性次第なのだと思います。 ここ半月ばかりいろいろ考えていました。その発端はやっぱり保険証の件。高齢者が多くなるとか高齢者の老後の住まいとか、何だか生きることを憚らなくてはいけないのかとさえ思ってしまいそう~。折角ここまで生きてきたのですから、もう少し社会での存在感も大切に思って欲しいと。 最近私と同じような考えがよく話題になります。往来を歩くときに肩をぶつけてきたり、後ろから押したり、自転車で横をすり抜けたり、横一列に道を塞いであるいたり。こんな事、大概のシニアは体験していますが。そんな事ばかりが続いていたので肝心な事が疎かになっていたりと…。 しかし此処に来..

  • 柿食えば鐘がなる…

    柿が美味しいい季節ですが、今年の柿はどれを食べても甘くて美味しいようです。猛暑の影響らしいけれど、来年も暑くても良いとは言えませんね。とにかく夏生まれの私でさえ夏が嫌いになってしまったのですから。 さて今朝の庭にはブログ種が2つ。猫の箱にはいつもの三毛ではなくサバトラのちびちゃん。丸々太ってでも子供。もう一つはカシワバアジサイの葉が綺麗に紅葉していました。凄く嬉しい。何故って、私はもう10年以上も紅葉を見る為の外出はしていないのです。最後に見たのは浦和の銀杏並木。緩やかな坂があったと今も未だ覚えている程、印象的な秋でした。 気が付けば今年はあと一ヵ月とちょっと、気ぜわしくなりますね。ところで昨夜のTVは少し辛かった。必ず来るその時、私ならどうする。そう問われているような内容でした。国の方針は在宅介護。昔の様に在宅で臨終を迎えるのが普通になる世の中へと。私も基本は..

  • それなりの理由(わけ)

    今夜もまた保存してあった過去のブログより(2012年2月18日土曜日) タイトル⇒それなりの理由(わけ) ひたすらに走り続けた人生、特に後半の人生はまるで短距離ランナーの様に無我夢中。そして2009.9月CDデビューという快挙を成し遂げた。そう思ったのも束の間、それは、毎日が胃痛の連続でした。目新しくて楽しい反面、喜びの裏にある不安は一主婦が、かつて経験したことの無い程の絶望の日々でした。しかし、一方経験したことの無い程幸せな日々でもありました。 2009.12.31放送(テレ玉) 聞こえてくる言葉に耳を塞ぎながらそれでも頑張り続けるにはそれなりの理由(わけ)があったからです。こうして歌手Miyakoがよちよち歩きを始めた頃、12月の31日、年忘れのTVに出演。 今思えば、本当に素晴らしいBIGな経験でした。今より度胸がよくて、上がりもせずに良く..

  • 乗ってみようか追い風に

    木曜日の今日は市民講座に行く日です。それは3年前の事でした。ウエスタ川越にある公民館で見つけた講座主宰者募集のチラシ、その年はギリギリの日程でしたが応募した私、運よく採用されその年から講座を開くことができました。あれから3年、今年も無事講座が開かれました。 毎回多数の応募者さんんがありその中から抽選で選ばれた受講者さまは20名、5カ月間のなかで8回~10回という長丁場の講座を無事に勤めて来ました。今年も11月からスタートし来年3月まで全8回の講座になります。座学と歌のレッスンを交え、手前みそですが、充実した内容だと思います。 毎年工夫をすることが楽しく、実施中も楽しく過ごさせて頂いて居ますが、年を重ねる程資料作りや準備は難しくなります。受講者さまの歌歴も深い方や長い方も多く、私も勉強に余念がありません。また資料も増え部屋には資料の山ができました。 しかし思..

  • 古いブログ。

    久しぶりの休日、頭を空っぽにして窓を開けてひねもすブログを読み耽りました。ふと昔のブログを思いだした私、検索してみると、見つかったブログはBloggerでした。2011~2014年まで投稿した『小江戸の風』というブログです。以前のPCを取り換えた時迷子になったものです。以下がそのなかから2012.10.01のものをご紹介させて頂きます。 2012年10月1日月曜日 タイトル:空白の2ヶ月 わが人生に激震が走った。30年連れ添った連れあいが一人旅立った。帰り切符の無い旅に。その後の2ケ月。私の心は体を離れて彷徨いあるいた。最初は後悔、無念、恐怖。様々な思いが体中を駆け巡っていたが、暫くすると一人で身を隠してしまった。 ☆夏の盛りに撮った蝉。命の鼓動が聴こえます☆ ですから…。心のない私には考えもなく、食欲もなく、涙が出ることも無かった。これこそ、虚無の時間..

  • 複雑な心境で…。

    朝起きるとあまりの喉の痛さに吃驚。単に乾燥からだと思い教室へ行きましたが、早退で耳鼻咽喉科に駆け込みました。雨のせいかいつもより早く診て頂けホットしました。 診察後は隣の薬局へ。ここでも数分待つだけで三種類の薬が出て来ました。それにしても吃驚したのは何だか支払いが少なくて…。確かに嬉しいのですがちょっと複雑。 そうなのです。後期高齢者なのです。受付で何回も「後期高齢者の方は…」という言葉の後に色々説明を受けました。嬉しいやら恥ずかしいやら。子供連れの若いお母さんたちが私をチラチラと。 しかし安心して病院に掛れることは嬉しい事です。今日は健康についてしっかり考えてみました。流石にお薬を一度飲んだだけなのに喉の痛みもクッキリ!やっぱり健康が一番でした。 ※写真は5~6年程まえのもの。空・雪・南天 私の好きな被写体です。

  • 『てんてん手毬』

    童謡やわらべ歌を思い出す年(年齢)になりました。母が歌った子守歌は流石に覚えていいませんが、幼いころ母が歌って呉れたあの歌、この歌は沢山覚えています。その中の一曲『毬と殿様』という歌の一節に『おもての通りへとんでった とんでった』という箇所があります。手毬で遊ぶ子供の小さな手がそれて、手毬は表の通りへ飛び出しました。なんとビジュアルがある歌なのでしょうか。大好きです。 何だか今の私に似ている、ふとそう思いました。偶然が物事を大きく変えることもありますね。そしてその偶然が私の上にも起こりました。10月も下旬に入ったある日、教室に大好きな大きなユリを見つけました。私はふと、忘れかけていたあの時代を思い出しましたのです。生け花に懸けた若き日の事です。 華道家になる夢を見て入校したのは、当時お茶の水にあった生け花の専門学校でした。そこでの3年間はほぼ毎日花を生けてはスケッチ、華..

  • 何時もの秋ですが…

    実りの秋、まさに機が熟したのかも知れません。そんな気がします。ここ数年いつも同じ事を書いています。『紅葉を見に行きたい!』しかし一度も観に行くことは出来ませんでした。何しろ此の6年の間に脚の大やけどや室内での転倒で顔を打撲、歯が欠けていたのです。今でも首が少し傾いていると耳鼻咽喉科で教えて貰いました。 生涯で初めての独り暮らし、もう6年たってもまだ手際の悪い家事諸々。しかしそれ程不自由はないので、快適な暮らしをしています。毎年困り果てた冬の季節ですが、先日送って貰った絹のお布団で快眠しています。体の調子も気圧の安定からなのか随分動きが楽になりました。 昼間久しぶりに近所のカラオケボックスへ行きました。12時に入り、5時半にお店を出ました。通算で5時間半。でも沢山は歌ってはいないのです。来月から始まる公開講座の準備、音源づくりです。でも長い時間なので私のすきな曲もちょっと..

  • 今夜は演歌で

    久しぶりの秋晴れ、ゆく雲の中に幸せを探してみたけれど、大きなちぎれ雲が流れてゆくばかり。午後の日差しが落ちたころ見たちぎれ雲、何だかかつてないような予感が…。 早めに仕事を済ませ何時もの軽い散歩。昨日までの晴れやかな心に変わって何だか眩暈のしそうな心細さを感じた私。いつもと違った道を歩くことに。この街で暮らして3年の歳月は本当にあっと言うまでした。その為かまだご近所の道さえよくわかっていません。 早めの食事の後は今日も教室スケジュールの調整。その後毎回購入する新着CDを聞いて寝ることにした私でした。おや今夜は何だか違う、どうしてこんなに涙が止まらないのだろうか。聞こえる曲はまさに演歌、演歌。私の心はやっぱり演歌なのかも知れません。久しぶりの思いきり演歌を歌ってみたくなりました。

  • それぞれの秋

    10月もあと八日、今年は抜けるような秋晴れの無いまま晩秋に向かって時間が流れます。あんなに大好きだった落ち葉拾い、3歳の幼児の日の楽しさが今でも蘇ります。山門を抜けるとそこは一面紅葉、何時間も何時間もそのきれいな葉を小さな指で集める女の子、私の秋がそこにありました。 70年というまさに信じられないような歳月が経ち、3歳の幼子は今年から後期高齢者。人生とは長いようだけれど実は短いのかも知れません。私たちは時間の錯覚で一日24時間を長いと感じていますが、本当は一瞬の出来事なのでは…。今は懐疑的です。人生が長いのならばあの幼い日をとっくに忘れていてもいいのに、何故、何故?私にはつい昨日の様に鮮明に見えるのですが。 さてそんな秋の日、知人から大きな荷物が届きました。開けてみると美しい布団です。薄いグレーの地に色鮮やかな秋の花、菊の大輪が描かれています。とても上品な絵柄です。思い出深いその着..

  • 時を重ねて…今。

    10月20日.21日は『川越祭り』です。<川越の人>になって45年の歳月がながれ街も大きく変貌しています。私が最初に川越を知ったのは中学1年生の時。文京区にある私立の女学校での事でした。クラスでも身長が大きい方のIYさんと小さい方の私。何故か気が合ってある日彼女の家にお邪魔することになりました。その家は西武新宿線本川越駅近くにあったのです。その後23歳で結婚した私は、川越で新婚生活を始めました。相手の住まいは川越の市街地から車で15分ほどの大学のある街でした。 その後は実家のある東京と川越を行ったり来たり、母娘が川越に定住したのは私が30歳の頃でした。早稲田の家が区画整理の為、母は家を売り私のいる川越に転居したのです。江戸っ子の母は最初は土地に馴染めず寂しい想いもありましたが、次第に街に馴染みました。しかし勤務先が東京にある私は一向に馴染めず、40歳で再婚した夫と起業するまで近所との..

  • 『小江戸桜』への想い

    長い長い道を歩いてきたのに、まだ目的地には着きません。いいえ心の中ではまだ着いて欲しくはないのです。さて、もうすぐ川越祭りです。お祭り大好きな私ですが、昔の様にお神輿や山車を追って町中を巡る事はもうできません。何故ってここ数年で随分足が弱くなりました。 ところでブログでは何度か書いているのですが、私には歌手という時代がありました。勿論有名とは無縁の歌手ですが。しかしデビューまでの歳月もその後の歳月も今思えばやっぱりエキサイティングな日々でした。日本舞踊や社交ダンス、学校音楽コンクールなどで随分舞台は踏みましたが、歌手へは遅い遅いスタートでした。しかし日々全く新しい経験の連続でした。楽しくもあり怖くもありました。 TV局系のTSMWという所からCDデビュー、約三か月間のTVでのプロモーション。その他発表会やカラオケ大会ヘのゲスト出演、歌のイベント出演などなど、近所のカラオケ店廻り..

  • 心模様は秋の空

    音一つない夜です。テーブルの上にはインスタント味噌汁が2つ。味気ない、本当に味気ない人生。でも心の持ち方ひとつで明日はまた幸せな一日になる事でしょう~。仏壇には季節外れのストックの花、仏華には派手ですが母が好きな花です。 今夜は少しだけブルー。夕食用のてんぷらは思ったより不味く気が抜けてしまいました。食料品は空腹時には買わない方が良いのだとか。確かに空腹を満たすことで頭がいっぱいの時は目の前にある品を手あたり次第に買う傾向が。 一昨日あたりあんなに喉の調子が良かったのに今朝からは何故かまたブラックホールへ落ちたようです。出口の見えない不安に襲われます。どうしたのだろうか。天候と体が微妙にリンクします。焦る気持ちと達観する気持ちとが妙な具合に入り混じって…。 そういえば今日は新聞折り込みに小さな広告が出る日だったのに、その新聞を見ることも忘れていました。話は変わますが、先日キーコン..

  • 秋の調べ

    秋、読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋…。でも私の秋は果物、特に柿や葡萄や栗、梨にリンゴ枚挙のいとまもありません。昼間レッスンに通って下さるMさんから頂きました。お庭の柿です。 この秋は体調が思うに任せないまま迎えたのですが、時間は猛スピードで過ぎてゆきます。近頃は夜更かしとさよならしたのですが、早起きは難しい私です。でも努力しています。しかし仕事に肝心な喉の具合はあまりよくありません。 来月11月からは昨年同様『公開講座』のスタートです。参加者は沢山の応募者様から抽選で選ばれた方々、昨年は地元のウエスタ川越(音楽室)でしたが、今回は一昨年同様、電車を利用して三駅先の桜並木の街まで出かけます。今回も助手にはWさんをお願いして来年3月までの長丁場になります。 公開講座のテーマは毎回同じですが、50歳以上を対象にした講座です。『歌と健康』100歳まで歌えるように、そんな願いを込めて。小さな..

  • 夕陽燃える日

    朝の光で目を覚まし陽が沈んだら眠る、大昔の人々はそんな暮らしをしていたのですね。確かに遠い日ですが、朝日を浴びてラジオ体操した日、私にもありました。 30歳まで暮らした早稲田の家も、転居後の川越の家も残念ながら部屋の奥まで朝日が入る家ではありませんでした。亡くなった夫が朝日の入る場所に引っ越したい!よく言っていたことを思い出します。私は元来朝寝坊ですから夫のような願望はなかったのですが、それでもこの頃は「朝の光で目を覚ますって、ちょっと素敵かな」そう思います。 実は私、眩しい真っ赤な夕陽が大好きです。朝の太陽はとても優しいのですが、夕陽を見ていると何か意志のようなものを感じるのです。あんなにギラギラと輝き周囲の景色まで真っ赤に染めるのに、まだ諦めきれず沈む瞬間まで見る人を魅了されるあの姿。ミステリアアスで大好きです。 日々『歳を重ねてゆく私』ですが、この世への未練は沢山あ..

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