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  • 闘病日記 (8) 手術から退院へ

    ようこそ月も変わって10月1日入院生活も11日目を迎えようとしていた。窓越し景色を見渡すと、すっかり秋の秋の気配に変わっていったように見えた。そういえば、ほとんどエアコンも使っていない。それだけ過ごしやすい季節になったと言うことか。何時ものように6時30分。看護師さんの見回りで目を覚まし、カーテンを開けてもらって検温開始。少し血圧は低いが問題はなさそうだ「伊藤さん、今日は手術の日です12時30分からの予定となっていますので、9時以降は飲み物も禁止してください。それにしても手術の前日にも関わらず、よく寝られますね」と嫌味を言われる始末。これも過去に大手術を何度も経験した賜物か過去のガンの手術と違い、今回は怪我のようなもの。命に係わる手術では無い。激痛には参ったが、怖さは全くなかった。やはりガンは怖かった。コロナ患...闘病日記(8)手術から退院へ

  • 闘病日記 (8) 入院生活

    ようこそ28日、入院8日目の朝を迎えた。何時もの朝を迎えたが、右足に昨日までとは違う痛みが出始めた。痛み止めの薬やとんぷん薬を看護師さんにお願いして、服用したが治まる気配は無く、以前ほどではないが、痛みが続く。夕方の主治医の検診が始まり、この痛みを伝えると「少しブロック注射の効果が薄れてきたかも知れませね」との事で、効果の様子見で一回目のブロック注射での治療を受けたが、「やはり症状が酷いので、予定通り1日に手術をしましょう」との事。「ぜひ手術でお願いします」と返すと、「伊藤さんは手術が好きですね」私も手術が好きではない。手術の好きな人などいるはずもないと思いながら、「この痛みには耐えられません」と答えた。夜も更け、29日の入院9日目の朝を迎えた。入院後もやはり夜中に痛みから何度も目が覚めて、熟睡感はなく常にボッ...闘病日記(8)入院生活

  • 闘病日記 (7) 入院生活

    ようこそ23日、入院生活も三日目の朝を迎えた。朝6時30分、看護師さんの定期見回りが始まった。カーテンをあけてもらい、血圧測定を行った。私は、高血圧の持病があるので、常時薬を服用していたのだが、入院してからは血圧が低く、上が100にも満たない。看護師さんから「少し血圧が低いですねぇ」と言われる始末。「薬の服用をやめましょうか?」と尋ねると、「かかりつけ医の先生と相談してください」「との事で、服用は継続する事になった。リハビリ治療も始まり、ベットの上ではあるが、足の屈伸運動やもみほぐしのリハビリを受けた。痛み止めの薬を服用しているとは言え、自宅待機の時のような激痛は、心持ち少なくなった様な気がする。コロナの関係で面会者も無く、テレビだけが友達だ。少しだが、以前に経験したように、入院生活にも慣れてきた。歩行器を使っ...闘病日記(7)入院生活

  • 闘病日記 (6) 検査、治療へ

    ようこそ22日朝、安心したのか2時間ごとに目は覚めたが、久しぶりに寝たような気がした。夜中には、何度も目が覚めたが、看護士さんの見回りも、大きな安心感を覚える。6時30分、看護士さんの定期の見回りが始まり、カーテンを開けてもらって、何時もの血圧検査が始まった。何時もは高血圧の為にかかり付け医の常備薬を服用しているのだが、この日は上が95で下が68と血圧が低い。結果的には退院するまで、血圧は上がることは無く、後日にかかり付け医に相談することになる。病室は6Fの661号室。今日は、心電図と肺圧の検査とレントゲン撮影を受ける予定になっている。これらもベットに横たわったままでの移動で、激痛は感じることなく検査を受ける事が出来た。特に問題は無いように聞いた。血管が詰まらないように、左右の足に特殊な靴下をはき、血栓の予防に...闘病日記(6)検査、治療へ

  • 闘病日記 (5) いよいよ入院へ

    ようこそ激痛は続いているが、待ちに待った5日目の21日。いよいよ診察の当日を迎えた。本当に辛くて長い長い4日間であったが、ようやく診察をしてもらえる。激痛も忘れるくらいの喜びであった。結局はこの日も寝付く事は出来なかったが、それも過去の事だ診察の事もあるが、久しぶりに便意をもよおしたので、妻にオマルのようなものを準備してもらい、寝たままで少しだが排便もして、準備を整えた。9時15分には、長女と次男がクリニックへの移動の手助けに来てくれた。すると隣に住む弟も駆けつけてくれ、一緒に車に抱きかかえて運んでくれた。弟も、それどころでは事が起きている最中の事。「ありがとう」。その間も激痛が走り、休み休みの移動で、わずか10メートルの移動に15分くらいもかかってしまったが、結局は一人で抱えて、おぶってもらう方が痛みが少なく...闘病日記(5)いよいよ入院へ

  • 闘病日記 (4)

    ようこそ四日目の朝を迎えた。寝付かずに朝を迎えたので、何時から夜で何時から朝かは分からないが、相変わらず激痛は続く。精神的にも一杯一杯の状態だ。50センチと体を動かすことが出来ない状態が続いている。家族の顔も苦悩で満ちている。「あと一日の辛抱だ。」と言い聞かせ我慢を続ける。こんな体験は初めての事だ。ガンの闘病時より厳しいかも妻も「お父さん救急車を呼ぶか」と言い出す始末。「申し訳ないなぁ」とにかく「頼れる病院に入院したい。「」この一念だ。1時間でも早く30分でも早く「あぁ痛い、痛い」四日目と言うのに痛みが治まる気配は無い。その間にも妻が子供たちの都合を調整してくれ、長女は有給休暇を取得し、次男は夜勤明けで大丈夫と言うことで、とりあえず子供2人と妻の3人で明日の病院への移動は大丈夫と言う事になった。ありがたいが、妻...闘病日記(4)

  • 闘病日記 (3)

    ようこそ自宅での寝たきりの闘病生活も3日で、19日の日曜日を迎えた。相変わらずに激痛は続いている。起き上がれないので、妻に一口サイズのおにぎりをこしらえてもらい、何とか食を繋いでいる状態だ。同じ体制で寝ているが、30分も経たない時間で、また激痛が襲ってくるので、右手で右足のパジャマを掴んで、一番痛みの少ない体制を探して、また30分程は我慢が出来る状態を整える。これの繰り返しだ。気の遠くなる時間だ。恨んでも仕方がないが、本当に運悪く連休の最中にこんな事になるとは、本当に皮肉なものだ。見るのは、テレビと時計と天井だけの生活である。しかし、こうして我慢出来たのも、ガンの闘病生活の体験があるからだ。「あの時の恐怖に比べれば、このくらいの事は」と前向きにとらえ、我慢を続けた。続けたと言うより「それしか仕方がない」と言った...闘病日記(3)

  • 闘病日記 (2)

    ようこそ結局、昨夜は激痛が続き、寝付くことは無く、夜明けを迎えた。妻も心配して、二階の寝室から深夜に何度となく、様子を見に来てくれたが、どうしようもなく一睡も出来なかったと言う。あまりの激痛に時間を6時間空けなければならない痛み止めの座薬や飲み薬やとんぷくを、何度も服用してしまった。痛みに耐えられなかった為だ。考えてみると、昨日の朝食から何も食べていない。食欲もないし、起き上がる事さえ儘ならない二か月ほど前より、異変は感じていたが、昨日からは一気に悪化したようだ。例えようのない恐怖の激痛だ。運悪く今日は土曜日で、明日からは連休になり病院は休みとなる。状況によっては、再び救急車の要請も考えたが、昨日の今日だけに我慢しかないのか同居している義母も心配そうに見守ってくれる。幸か不幸か私は膀胱ガンで、膀胱を全摘している...闘病日記(2)

  • またまた闘病日記を書くことに (1)

    ようこそまた、また、闘病日記を書く事になってしまった。2か月ほど前より腰痛に悩まされていたが、仕事の関係で少し無理をしながら、だましだまし仕事に取り組んでいた。同業他社の買収の仕事で、色々と微妙な関係が続いていたが、ようやく売買契約も終了し、9月1日より合併しての本格的な業務に取り組んでいたが、どうも最近は何時もと違う体調不良に悩まされていた。しかし、大切な時期でもあり休んでいる暇はない。何とか買収先の事業を引き継ぎ、新たな社員の雇用も増える中、体制を整えて通常営業を目指さなければ。しかし、体は悲鳴を上げていた。悲鳴というより限界に達していた。そんな中で、ついにその時が来た。9月17日の朝、何時ものように起き上がろうとすると、右足に激痛が走り起き上がることも出来ない状態に。普段は2階に寝ているのだが、妻を呼んで...またまた闘病日記を書くことに(1)

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