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2017/05/29

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  • A級戦犯・ヒロシ

    愛娘と3人の家族で、よく行ったキャンプ。その楽しさも(離婚)という悲しい現実の前に、奪われてしまいました。仕方なく、独りキャンプをしたりしましたが、それは離婚という現実を更に悲しくさせるばかりの、空しい行為でした。約10年間のブランクを経て、現在の妻(エリカさん)と初めて行ったキャンプ。彼女が言った「世の中にこんな楽しい事があったのね」には、それまで10年間の孤独な辛さがどっと胸にこみ上げるものがありました。本当に妻には感謝しかありません。妻とはそれからコロナが流行るまでの11年間に、50回以上のキャンプをしました。しかし、コロナというあの厳し過ぎる現実の前には、手も足も出ません。もうキャンプは無理かとあきらめられない感に、しおれるばかりです。妻も、50回以上行ったキャンプで、年齢的に疲れたみたいだし・・...A級戦犯・ヒロシ

  • 詩人・谷川俊太郎さんのこと

    先日、詩人として有名な谷川俊太郎さんが、亡くなりました。世間では大きく取り上げられて、その死を悼んでいます。しかし、私の中には谷川俊太郎さんの存在は、殆ど無いのです。と言うのは、私には「詩」という世界は、ほぼ存在していないからです。「詩」は勿論知っていますけど、そういった文型を本気で読んだ事はありません。無いというより、読もうと思わないのです。思わないというのは、多少は読んだ結果として、読もうとは思わないになったのです。文学で「小説」だったら本気になって読みます。その小説が自分にとって「この小説は凄い」と感じると、繰り返し読んだりします。しかし「詩」には、それほど心を動かされる事など一度も経験がありません。それよりも、言葉の、あるいは一字一句が「キザ」だと思ったりするのです。こんな言い方をするのは谷川さん...詩人・谷川俊太郎さんのこと

  • スーパースター、長谷川恒男

    長谷川恒男(夫ではない)と聞いて、知っているという方は・・少ないでしょうね。特に若い人で、彼を知っているという人は、今ではほぼ居ないと思います。実は、私は30代の頃、穂高で彼に会っているのです。多分1980年代後半だったと思います。穂高といっても頂上ではなく、下の涸沢でしたが。お互いに「よ~、元気か?」と目と目を交わしたのです(嘘)長谷川恒男、1947年生。世界の登山界で、日本人として初めて個人名を知られた登山家だと思います。ヨーロッパアルプス三大北壁、アイガー、マッターホルン、グランドジョラス、この3つの難関を、最も難しい冬季に単独で登頂した、世界で2番目の登山家だったからです。そういった行動を記録したドキュメンタリー映画が1979年の「北壁に舞う」です。映像を撮る為に、一旦下に降りてカメラを回すといっ...スーパースター、長谷川恒男

  • がっかりした上高地音楽祭

    2008年6月、私は上高地音楽祭に行きました。それまで何処へ登山に行くにも単独行だった私でしたが、2004年に「新ハイキング」という大きなハイキングクラブに入会しました。数十人という集団での登山は、今まで経験が無かったのでかなり楽しく感じました。そこには「新ハイキング」という月刊誌があり、「せせらぎ」という投稿文のコーナーがあって、私の投稿文はかなりそれに載る様になり、新ハイではそれなりに名の知れた存在になっていました。そこで今度は文章ではなく写真での投稿をしようと上高地へ行ったのです。2007年からは「歌声喫茶」という新しい趣味も見つけ、それにどんどんはまり込んで行った私には、おあつらえの発想だと思いました。大好きな穂高の山々をバックにしての歌と合唱に、しびれました。その時のゲストは、ダ・カーポでした。...がっかりした上高地音楽祭

  • 白馬山荘のともしび歌声喫茶

    歌声喫茶ともしびでは、毎年夏になると北アルプス白馬岳の山小屋、白馬山荘で「歌声喫茶」を行ってきました。しかし私はその「歌声喫茶」にまだ参加した事はありません。私は白馬岳には2回登っていますが、白馬山荘に泊まった事は一度もありません。それより約100メートル下に在る、村営頂上宿舎に泊まりました。それも一度だけです。白馬大雪渓を登り切って、右に行くと白馬岳、それを越えて行くと、栂池方面の下山ルートとなり、そのコースで登山する人が多いと思います。私は大雪渓から左側の登山道行ったのです。目的地は唐松岳。その途中にある山小屋に泊まって行きました。唐松岳から更に、日本三大雪渓の針の木雪渓までの長距離縦走の予定だったのですが、体調不良(体の浮腫み)により八方尾根から無念の下山となりました。さて、白馬岳に行く人にとっての...白馬山荘のともしび歌声喫茶

  • 砂の器と飢餓海峡

    「砂の器」と「飢餓海峡」は、共に共通性のある映画として語られるみたいです。私もこの2本の映画のDVDを持っていて、繰り返し何度も観ました。そしてやはり「この映画には共通性がある」とも思っていました。共に、ある殺人事件から始まった推理小説であり、「砂の器」は松本清張原作で、1960年~1961年に書かれました。「飢餓海峡」は水上勉原作で、1962年、週間朝日に連載されました。映画になったのは、「飢餓海峡」が先で1965年。「砂の器」はそれから9年後の1974年でした。主演は「砂の器」は丹波哲郎であり、「飢餓海峡」は三国連太郎です。私はこの2本の映画を映画館ではなくDVDで観ました。DVDで観て良かったと思うのですが、それは、特に「砂の器」は、こみ上げ激しくむせび泣いてしまうからです。映画館でこれを上映した時...砂の器と飢餓海峡

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