ー前書きー 鈴木大拙はわたしがもっとも尊敬する人物の一人である。彼は禅のマスターではないが、だから偉大な事をなしとげたとも言える。専門家というのは一般に応用性が少ないものである。例えば道元は禅の教授だったが彼が一般庶民を導く能力が優れていたかどうかは疑わしい。勿論仏陀に倣え...
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行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。 その川が大河でありその流れが激流であるときに、 参政党と保守党は溺れる者が藁にすがったのであった。 参政党と保守党の類似したいざこざはその激流の泡沫のように思われる。 その行為と言論は良い事ではあっただろうが、 その支持者がそ...
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ー前書きー 鈴木大拙はわたしがもっとも尊敬する人物の一人である。彼は禅のマスターではないが、だから偉大な事をなしとげたとも言える。専門家というのは一般に応用性が少ないものである。例えば道元は禅の教授だったが彼が一般庶民を導く能力が優れていたかどうかは疑わしい。勿論仏陀に倣え...
行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。 その川が大河でありその流れが激流であるときに、 参政党と保守党は溺れる者が藁にすがったのであった。 参政党と保守党の類似したいざこざはその激流の泡沫のように思われる。 その行為と言論は良い事ではあっただろうが、 その支持者がそ...
◉感性全般について これは感性全般の考察である。まず感性と感情の区別から始めなければならない。感情は動物や人間の精神性ー自我ーの作用である。感性は精神性ー自我ーの作用ではない。感情はずるずると続いていくが、感性は実在と精神の印象であって現在しかない。よって感情は現象であるが...
あがいりんごに くぢびるよせで だまってみでいる あおいそら りんごはなんにも いわないけれど りんごのきもぢは よぐわがる りんごかわいや かわいやりんご りんごのきせづがやってきた。おもにつがるだが、つがるは八がづ末頃がら出回っていた。 こどしはりんごをいぢにぢ一個たべ...
〇快楽について 体の快楽ー五感の快感でこれ以外にはない 心の快楽ー直には感情の快であり他は記憶である 〇苦しみについて 体の苦しみー五感の不快でこれ以外にはない 心の苦しみー直には感情の不快であり他には記憶である ※体と心を明確に区別するのはそれが必然だからだが、五感の快感...
質量のみが存在し神は認識である。なので質量は全能であり神は全知である。 つづく
1)レプリコン型遺伝子治療薬の日本人への接種治験 ー確実性が高いー MRna遺伝子治療薬の自己増殖型といわれるレプリコン型遺伝子治療薬の主に日本人への接種実験が行われる。自己増殖は不完全だろうが毒性は高いだろうと言われている、特にMRna遺伝子治療薬を多数回打った者が打つと...
〇序言 人生は苦しみだというのは楽観的な人でも持つ感想だし、しかし楽しみもあるのだから、人生は、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありというのが、健全な日本の庶民の考えだろう。 これは世知として必要十分で、そこには日本文化の知恵が流れていて、欲求と自制のバランスが、程よくとれている...
宇宙は在って有るもので、つまりは存在である。宇宙の認識は人間の心にあって存在とは無関係である。 ◎宇宙の存在についてー在って有るものー ㋩存在するものはただ存在しそれは存在なので、人間の認識とは無関係であろう。ただ未知の知性の純粋概念と、かすかに関係があるかもしれない。ーあ...
コペルニクス的転回というのは、カントの言葉だが、天動説を地動説に変えるとすべての天象がうまく説明できることのその発想の転換をいう。 カントの場合は、結論として世界の観念性は実在性を含むということであり、それで何の問題もないということであった。 カント自身はそれをくまなく考え...
万物の創造者は全知全能だ。完全に全知全能でなければ、宇宙を創造することはできないのだから当然である。 全能なら全知であってもいいがなぜか区別されている。 おそらく 全知とはすべてを知っているということであり、全能とはなんでもできるということだろう。神は全能によって宇宙を作り...
〇自然宗教 自然宗教の神々は世界や自然の神秘が神格化されたものだろう。多様な宇宙の神秘が神格化の元にある。宇宙は一ではなく多なのであるから、当然神は一つではない。後に神格化された神々の解釈がその風土の中で展開されたのであろう。 〇一神教 一神教はユダヤ民族の特殊な事情から偶...
神の哲学とは何か ●わたしは存在するものか存在が実際に認識されたものしか哲学にはならないと考える。よって数学や言語や論理の研究を哲学と称することはできないと思う。数学は数学であり言語は言語学であり論理や分析は論理学にすぎないだろう。 ●上記から、神の存在は確かめられていない...
今は今、有も無かりき無も無かりき質量のみがあって常に創造されている。宇宙と称す。 七夕は雨であった。ただ晴れ間からひと時星空を見ることができた。 牽牛は目に星を見てあれも私なのだ思う。主観が認識するものである以上すべては一つの客観でありそれは一つの主観と称しても良いのあった...
◎宗教の定義 ●宗教とは、今の自分を改善するすることであり、それ以上でもそれ以下でもない。 ◎この宗教のポリシー ●宗教の本質からは逸脱せず、迷信を説かず、何の教理もなく、人間と宇宙の真実と矛盾せず、戒律なく、怠け者なら誰でも実践できる。 ◎この宗教との関わり合い ●信仰な...
不慮の事故や病気、生き方の違いと対立や喧嘩、 生命はその原則からの不幸は免れられないだろうけど、 しかし大それた騙しや謀略を図る者などいないので、 今日も世界は程々に平和で人々は幸福だった。
知性の発達は、人間のエゴ、欲望、恐怖、残酷さを拡大させ 、 それを隠すのもまた巧妙な知性の働きだ。 人類の今の文明と文化が必然という事はなく 違う形はいくらでもあるだろう。 ピープルやわたしの精神性が必然ということもない。 人間の不可解さはこれに尽きている。
◉存在についての根本的な疑問と答え 存在への根本的な問いはたった一つしかない。それは宇宙はなぜあるのかという事である。それはたった一つの質量と物質がなぜあるのかという事に他ならない。これが存在論である。その時個々の存在は問題とならない。なぜならそれは存在に見えるが認識だから...
◎雑なカント哲学の概略 ●アプリオリな直観とアプリオリな概念から確かな真、善、美の哲学ー当然形而上学ーを体系しようとしたのがカント哲学である。 ●独断でない形而上学はアプリオリな概念で構築されなければならないとすることがその基本構想としてある。 ●アプリオリな直観と概念は経...
2024年はカント生誕300年の年でそれを考えるとかなり古い人のように思える。その頃はまだニュートンが生きていた。死んだのが1804年でそう聞くと220年前まで生きていたという事でさほど昔でもない気がする。明治元年が1868年である。 カントは自称で天界のコペルニクス転回を...
不慮の事故や病気、生き方の違いと対立や喧嘩、 生命はその原則からの不幸は免れられないだろうけど、 しかし大それた騙しや謀略を図る者などいないので、 今日も世界は程々に平和で人々は幸福だった。
知性の発達は、人間のエゴ、欲望、恐怖、残酷さを拡大させ 、 それを隠すのもまた巧妙な知性の働きだ。 人類の今の文明と文化が必然という事はなく 違う形はいくらでもあるだろう。 ピープルやわたしの精神性が必然ということもない。 人間の不可解さはこれに尽きている。
◉存在についての根本的な疑問と答え 存在への根本的な問いはたった一つしかない。それは宇宙はなぜあるのかという事である。それはたった一つの質量と物質がなぜあるのかという事に他ならない。これが存在論である。その時個々の存在は問題とならない。なぜならそれは存在に見えるが認識だから...
◎雑なカント哲学の概略 ●アプリオリな直観とアプリオリな概念から確かな真、善、美の哲学ー当然形而上学ーを体系しようとしたのがカント哲学である。 ●独断でない形而上学はアプリオリな概念で構築されなければならないとすることがその基本構想としてある。 ●アプリオリな直観と概念は経...
2024年はカント生誕300年の年でそれを考えるとかなり古い人のように思える。その頃はまだニュートンが生きていた。死んだのが1804年でそう聞くと220年前まで生きていたという事でさほど昔でもない気がする。明治元年が1868年である。 カントは自称で天界のコペルニクス転回を...